communication というのは give-and-take 。この当然なことを気づかされたのが本日4日の天声人語。読売、日経両紙を購読する者にとってロクにない体験だ。この違い(差?)はなにか。
暑い晩夏について同コラムが先に触れたことで、60歳代の女性読者から自身小学生時代の絵日記が送られた由。当時はせいぜい33度=栃木県小山=が最高だった、などなど。ありし日の記憶が同世代の当ブログおじさんの脳裏に。
一服の清涼剤、感動モノとはこのこと。Y、N両紙にないのは、こうした読者との連携だ。A紙は読者からの反応に気を配る、ということでは。
ワンパターンに終止符を。誰とは言わぬ。聞いたこともないような昔のご仁の著書から引用するのが目立つ。オザワ憎しと同じ程に。若者にはお勧め出来ない。内向きばかり、だから。視野が広がりにくいから。
暑い晩夏について同コラムが先に触れたことで、60歳代の女性読者から自身小学生時代の絵日記が送られた由。当時はせいぜい33度=栃木県小山=が最高だった、などなど。ありし日の記憶が同世代の当ブログおじさんの脳裏に。
一服の清涼剤、感動モノとはこのこと。Y、N両紙にないのは、こうした読者との連携だ。A紙は読者からの反応に気を配る、ということでは。
ワンパターンに終止符を。誰とは言わぬ。聞いたこともないような昔のご仁の著書から引用するのが目立つ。オザワ憎しと同じ程に。若者にはお勧め出来ない。内向きばかり、だから。視野が広がりにくいから。