ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

人生は ちょっと先は闇だ

2008-01-16 00:58:22 | 友達

K社にS38年に同期で入社した、T君が亡くなったとメールが来た。配属は同じ技術部で設計をやっていた。彼は1年後、石川県にある会社の工業専門学校に合格し、2年間勉強して、また大阪へ舞い戻ってきた。ブルドーザーの設計、開発に携わり認められて本社へ転勤した。その後、彼はヨーロッパへ転勤し長い間、海外生活をやっていた。最後は海外のグループ会社の役員まで登りつめ、役員を退いた後もアドバイザーとしてドイツにいた。俗に言う同期の出世頭だった。昨年の5月に突然、難病に罹り帰国した。その後、ときどき情報が入るが、病状は進行するばかりだった。最近は車椅子で生活と聞き、驚いていた。数日前に、娘さんからの「父の最近の状況」がメールで転送されてきた。これを読めば「人口呼吸器を装着し病院に入院した」と書いてあり、「こりゃえらい事態だな」と案じていた。そして15日に同期のやまちゃんから亡くなった知らせ、葬儀の日取りが矢継ぎ早に送られてきた。その他、同期のN君、同じ職場だったN嬢と、次々お知らせメールが来た。2年前に孤独死で、あの世へ逝った同期で独身のK君は、誰も知らずで結局、誰も何もしてやれなかった。えらい違いだ。亡くなったT君の娘さんは、子供のころから海外生活が長く「日本語がままなりません」と書いてあり、海外赴任も帰国子女の問題があるのだなと思った。T君との思い出は何と言っても鳥取へ「なし狩り」に行ったことだろう。それは40年前の独身時代だ。同じ職場の独身女性二人とT君の車で4人で行った。彼の奥さんは、そのうちの一人だったI嬢である。一泊したが私の実家だったような気がする。三朝温泉の高原にあるジャングル風呂が一番の思い出だった。入り口は男女別々なので、分かれて入った。浴場に入ると何と混浴になっていた。湯煙で鮮明には見えないが、確かに女性が入浴している。二人で顔を見合わせたが、そのままじっとしているしかない。ジャングル風呂と名がついていたので、大きな葉が垂れていた記憶がある。どれくらいの時間入っていたのか思い出せないが、早々に出たような気がする。知らない女性であれば、目を凝らしじっと見ていたかも知れないが、知っていればそんなことは出来るはずもない。東郷温泉のなし狩りでは「私は梨が大好き、いくらでも食べれる」と言っていたW嬢は、大玉の梨を6個食べたのには驚いた。普通、沢山食べても3個が関の山だ。鳥取の帰りには十三(じゅうそう)のI嬢の家に寄って帰ったが、ついこの間かと思えば、もう40年前の遠い思い出だ。
娘さんの短い文だが、読んだとたん涙がほおを伝った。
「長女の恭子です。今朝午前8:37に父は永眠しました。苦しかったのがやっと終わって父も望どおり家族と工専の友達に囲まれながら看取れました」
T家も8ヶ月前までは、元気な父のいる幸せな家族だっただろうに、人生はちょっと先は闇だと言うことを思い知らされた。東京で16日は通夜で17日は告別式だ。告別式には見送りに行ってやろう。

コメント (2)
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