1月30日(金曜日)
愛妻はボランティア活動として、宇治市と城陽市の老人ホームで歌を歌っている。 「ドレミ」と言う名のサークルで、メンバーは15人いる。このサークルは結成して10数年になる。最近
は男性も数人いるようだ。平均年齢は60歳を超えている。今日も昼前から、「行ってきま~す。帰りは16時過ぎになりま~す」「気をつけて行ってらっしゃい」と送り出した。
土曜日は、ネットで脳トレの競馬をやりながら留守番だ。
15過ぎに「ただいま・・」の沈んだ声が聞こえてきた。予定時間より随分と早く帰ってきたものだ。「どうしたん」「老人ホームで仲間のN(67才)さんが倒れて、救急車で運ばれて・・」。
他のグループが手品をやっているとき、前で見ていたNさんは、崩れ落ちるように倒れたそうだ。手品をやっている方が異変に気づき、ショーを中止をした。
そこから老人ホームは、蜂の巣をつついたような大騒ぎに。心臓が止まったので、救急処置が始まった。「AED(自動体外式除細動器)を持ってきて!」の大声がホールに響き渡る。
救急車は到着したが、後部のドアーを上げたままで、いつまで経ってもNさんは運ばれて来ない。どうしたのだろうと思いながら、愛妻は様子を見ていたが、救急車がピ~ポ~と鳴らしながら出て行ったのは30分後だった。後で分かったのだが、救急隊の方がずっと心臓マッサージを施していたそうだ。
愛妻は、救急車でNさんは運ばれたので、ボランティア活動を中止して帰宅した。話を聞けば、つい数分前までメンバーの皆さんと、にぎやかにおしゃべりしていたのに・・・・。
前日Nさんは、関東方面に同級会で温泉へ一泊旅行して帰ってきたばかりだ。
Nさんは心肺停止に陥ったので、その後が気になる。愛妻は、Nさんは”おば(爺さんの末の弟の嫁)”の友達なので、「Nさんが倒れてたので救急車で運ばれた」と知らせた。もちろんお
ばは病院へかけつけたのは、言うまでも無い。交わす言葉は「なんとか助かって欲しいね」。
今夜は姪っ子が久しぶりにやってくるので、成人のお祝いの食事に行こうと決めていたが、愛妻は電話連絡を待たねばならず、一緒に出かけることが無理になった。
私一人で姪っ子を駅まで迎えに行き、そのままレストランへ行った。姪っ子は肉が食べたいというのでヘレステーキ(200g、)、
私は焼き飯の上に肉が乗ったやつを注文した。
可愛い子羊は腹を空かせていたので、残すことなく軽くペロッと食べた。
「美味しかったなあ」としゃべりながら帰宅すると、愛妻はバタバタしている。またまた悲壮な顔をして、「今度は、伏見のおばちゃん(爺さんの3つ下の弟の嫁84才)が、倒れて救急車
で運ばれたよ」。話を聞けば、救急車でかかりつけの京大病院に運ばれたが、空きベッドが無いと断られた。次に行った病院で、「これは腸閉塞を起こしている」と診断されるも、手術が満杯で断られた。たらいまわしをされた挙句、3つ目の病院では、亡くなるのは今夜か明日との診断が出て、家族全員が病院へかけつけた。
一夜明けると悲しいかな、Nさんは救急車の中で意識が回復することなく天国へ、おばもこれまた昨夜10時半過ぎに、家族に見守られ天国へ召されたと知る。
2月1日が両方とも通夜で、2日が告別式だ。愛妻も、おばも両方の通夜、告別式に出席したいところだが、時間が接近しているのでどうなることやら。
毎日のように「行ってきま~す」「行ってらっしゃ~い」とお互いに声をかけ送り出しているが、これが最後の言葉になるなんて思ってもいない。愛妻も私もつい最近から血圧を下げる薬を飲み始めた。明日はわが身に降りかかってくるやも知れない。残されたNさんのご主人は、「妻の死は納得できない」とおっしゃっていたそうだ。愛妻も「さっきまで冗談を言いながら笑っていたのに、亡くなったなんて思えない・・」と何度も口にする。Nさんが倒れてバッグを預かっていた愛妻は、バッグの中に旅行土産のお菓子を見た。ボランティアの後は、お茶やお菓子で反省会をするのが恒例なので、彼女の気持ちがよくわかる。昨夜はこのことがちらちら頭をよぎり、寝付けなかったようだ。Nさんのご主人から、「告別式にはグループの皆さんの歌で送ってやってもらえないか」と要請があったそうだ。
人生一寸先は闇だ。