2月24日(水曜日)
23日の毎日テレビの夕方の番組”ちちんぷいぷい”を見ていると、我が母校、倉吉東高校出身の ”MALTA” が顔を出していた。ビルボードライブ大阪で、MALTAのライブがある前日には、”ちちんぷいぷい”の角淳一さんがひいきしている関係で、毎年のように呼ばれている。そうだ明日はMALTAのライブだ。2月24~25日の二夜連続あるのだが、水曜日の麻雀は二人都合が悪いということで中止になり、これは好都合だ。東西線の北新地駅から歩いてハービスPLAZA ENTに行くのだが、毎回のように地下街でウロウロしてしまい、一発でビルボードライブ大阪へたどり着いたためしは無い。2度道を尋ね、会場には6時に着いた。
入り口には”毎日放送 ちちんぷいぷい 角淳一”さんから花が贈られていた。
席は7,500円のカジュアル席で、最前列の4人がけのテーブル席に座った。開場が5時半だったので、私は最後の方の入場だった。係りの女性が、「空いている席には誰も来ませんので、自由にお使いください」と告げたが、一人は寂しいぞ。周りを見渡せば若い人は皆無に等しく、ほどんどが中高年の方だった。どなたも食事をしながら、ワインやらビールを飲んで楽しそうに会話をしている。私も早速に飲み物は焼酎のロック(740円)、料理は”前菜盛り合わせ”を注文した。料理が運ばれて来る間に、ロックは空に。
料理が運ばれてきたときに2杯目を注文した。”前菜盛り合わせ”は見た目は可愛らしく、食べてしまうのがもったいない。
6品とも、とても美味しい。値段が高い(2,100円)だけのことはある。
6時半になると場内は薄暗くなり、拍手とともに5人のメンバーがそれぞれの持ち場に着席した。しばらくすると、本日の主役、MALTAがスポットライトを浴びて登場した。やんやの拍手喝さいが沸き起こる。MCはMALTAで、 メンバーを紹介する。布川俊樹(Gt) ・平下政志(Key)・ジーン重村(Dr)・三木成能(Pf)・高瀬裕(Bs)。名前を呼べば、各人が楽器を弾いてそれに応える。
演奏する曲目を言うのだが、横文字の曲がほとんどなので覚えきれない。 演奏が始まると、音響効果とあいまって圧倒される。時には目を閉じサックスの音色を楽しむ。
舞台にはタバコの煙ではないが、そんな感じで白い煙が漂っている。場末のクラブを演出しているのだろうか。照明も赤、青、ピンク、白、緑、オレンジとくるくる変わる。
演奏も間を置かず、25分ほど連続だった。ライブ終了の7時半まで、全部で10曲は演奏しただろうか。MALTAは短、長二つのサックスを使い分けていた。「五感にしみ込む感動のサックス」と言う、言葉の通りだった。たまには歌のない演奏だけもいいもんだ。今夜のライブは、優雅な大人の楽しみの部類に入るかも。焼酎のロックを結局3杯飲み、程よい酔い気分だ。1時間少々のライブが終わり、メンバー全員が楽屋へ帰った。すると毎度見かけるアンコールの拍手が、場内から自然に沸き起こる。それに応え皆さんが再登場し、アンコール曲を演奏し本日のライブは終了した。MALTAのお礼の挨拶スタイルは独特だ。膝を曲げ、腰を曲げサックスを両手で胸の前に横にして、おじぎをする。1ステージで3回くらいしただろうか。
帰るとき店内のショップにMALTAのCDが売られており、買えばサイン会でサインがもらえる。記念にと1枚買った。
私がサイン会の最後尾だったので、MALTAと一緒に記念写真を撮ってもらった。ラッキー!。
私の前の女性は京都から来ていた。どうしてMALTAを知ったか聞いてみた。「ちちんぷいぷいを見てそれから好きになりました」とのことだった。
電車に乗ったのは8時半過ぎで、そのまま帰宅するには早過ぎる。途中の長尾駅で下車をし、毎度のスナック「季遊人」へタクシーで行った。あっちゃ~入り口が真っ暗だ。電話をしたが留守番電話になっている。あきらめて、運転手に城陽まで行ってと告げてしばらくすると、ママさんから電話がかかってきた。「ゴメン今どこ?」「店から近いとこを走っています」「店を開けまるので来て!」。運転手さんに「ゴメンやけど引き返して」と頼んだ。
店に着くと、買い物に出かけていたとのことだった。この日は誰もお客さんが来なく、私だけだった。カラオケを歌うわけでもなく、飲んで色々な話をしたり聞いた。こんな夜が、たまにはあってもいい。家に着いたのはシンデレラタイムぎりぎりだった。
【サックス奏者 MALTAの経歴】
1.鳥取県倉吉市出身。13歳よりサックスを吹き始め66年より故・阪口新氏に師事。73年、東京芸術大学卒業後、8月バークリー音楽大学留学のため渡米。76年同校卒業後、1年半同校
1973年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。バークリー音楽院に留学。
1976年、バークリー音楽院卒業。
1979年、ライオネル・ハンプトン楽団のコンサートマスターに就任。
1983年、デビュー・アルバム『MALTA』を発表。
1987年、アルバム『SPARKLING』で第一回日本ゴールド・ディスク大賞に輝く。
1988年発売の『HIGH PRESSURE』は、全米発売にもなり大ヒットアルバムとなる。現在、29枚のアルバムを発売するとともに、雑誌への連載、自叙伝・教則本の出版、「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」で審査員を務め、“マルタ賞”を設立。2004年1月21日、自身初となるJAZZアルバム『MANHATTAN IN BLUE』を発売。(★Swingjournal選定【ゴールドディスク】)。3月24日、同アルバムの高音質版XRCD24も発売となる。2004年12月8日発売のシーズン・ベスト第2弾『WINTER BEST』。最新作は2008年『BRASS MALTA』。
2.MALTAは本名が丸田良昭で昭和24年生まれの60歳である。生まれは鳥取県倉吉市小鴨(おがも)で酒屋の次男坊だ。高校では応援団長、生徒会長それに柔道初段の腕前である。
3.2002年から「倉吉天女音楽祭」を開催し、総合プロデューサーを務めている。 この音楽祭のために結成された地元の吹奏楽団などとMALTAとのジョイント演奏も行われる。