ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

梅の花は今が見頃だ(梅だより第二弾)

2007-02-28 12:17:26 | 

2007_02280003 2007_02280005 2007_02280007 明日から弥生3月だ。弥生は草木が芽を出して「いや生(は)う」と言う言葉が転じて「やうっ」「やよい」となったそうである。この時期になれば脳裏に浮ぶのは菅原道真が大宰府へ左遷される直前に詠んだ「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」だ。早春2007_02280008 2007_02280010 2007_02280020 に先駆けて寒気の中で咲くのが梅であるが連日15度以上の暑さなので、いつもの年と様子が違う。2月25日からここ城陽市南部の青谷(あおだに)梅林で恒例の「梅まつり」が始まったが例年であればつぼみ硬しが普通であるがすでに5分咲きだ。いつもよりも10日ほど早いようである。昨日様子を見に行った所、8分咲きで丁度見頃であった。
あたり一面に梅の花のほのかな香りが漂い思わず花に鼻を近づけて嗅いだ。甘い、いい匂いだ。青谷梅林は、梅酒や梅干に使う梅の木が約10,000本あり、20ヘクタールで栽培されており京都府内最大の梅2007_02280017 2007_02280021林である。梅祭りにはその内、1ヘクタール約500本を花見用に開放している。観梅客はまずまずの人出であったが、この日は奈良、大阪、京都の老人介護施設の車が10数台も来ていた。会場には2007_02280028 2007_02280031 2007_02280030 色々な特産品を売っているが梅の花枝が200円とお手頃な価格な2007_02280013 2007_02280014 2007_02280016 のでよく売れていた。会場に車で来れば村の中は道幅が狭く特に私の家の曲がり角は鬼門で毎年どなたかが石垣とキッスをする。昨日も老人介護施設の車がコスリ警察が来て女房が対応したようである。車は新車で運転していた青年はベソをかいていたそうだ。この梅祭りは3月18日まで開か2007_02280029 2007_02280011れるがその頃には花は散ってしまい見に来た客のガッカリした顔が目に浮ぶ。

2月27日現在のJR西日本調べによれば
つぼみふくらむ 随心院(京都)
五分咲き 月ヶ瀬梅渓、賀名生梅林(奈良)
7分咲き 京都御苑、梅宮大社、二条城、城南宮、青谷梅林(京都)石山寺、長浜盆梅(滋賀)須磨浦山上遊園(兵庫)
満開 北野天満宮(京都)万博公園、大阪城公園(大阪)中山寺、播州綾部山梅林(兵庫)

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おくどさんの守り神

2007-02-27 12:49:50 | 日記・エッセイ・コラム

Okudosann Mukadeya_03 2007_02270002 京都ではカマドのことを「おくどさん」と呼んでいる。そのほか大根や油揚げ、麩などを「お大根(おだい)」や「お揚げさん」、「麩さん」の様に、食材に「お~さん」をつけて呼ぶことが結構当たり前になっている。
今朝の新聞に「おくどさん」の守り神としてあがめられていたのが布袋(ほてい)さんと記載されていた。 我が家にも古い水屋の上に布袋さんが三体あったが何のためのものか今日まで知らなかった。現在は玄関の入り口に三体並んで置いているがようやくその意味がわかりなるほどと一件落着した。最近は台所の改修でほていさんが邪魔になり氏子が神社に持ち込むと言う。 私の家も結婚後おくどさんのあった土間は改修して板の間になりなくなってしまった。その昔は薄暗い雰囲気の漂うこの土間は冬場であればさぞかし冷えたことであろう。昔の主婦と今の主婦は家事での苦労は天国と地獄の差がある。

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梅の小枝に小鳥がやってきた

2007-02-27 02:57:37 | 日記・エッセイ・コラム

2007_01110001 2007_02270003 庭の梅の木に先日収穫した八朔を半分に切り、刺しておけば直の間に鳥が寄って来る。
若嫁の家のガラス窓から2メートルくらいの所なので孫がこの鳥を見て喜んでいるようだ。
先ほどまで大きなヒヨドリがいたが今度はメジロが現れた。ウグイスであればホーホケキョと鳴くのだが鳴いてくれない。ヒヨドリは八朔の半分を一羽であっと言う間に食べつくした。食べた後を見れば袋だけで果実は耳のクソも残っていない。
その点メジロは可愛らしいものだ。一度にドカ食いしないで食べ方が私に似てお上品である。

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中村紀洋選手のドラゴンズ入団を祝う

2007-02-26 12:04:22 | スポーツ

Obb0702260501ns_1 オリックスを自由契約になり、どこの球団からも声がかからず宙ぶらりんになっていた
中村紀洋選手(33歳)が中日と育成選手契約を結んだ。沖縄北谷でドラゴンズのテスト生として15日から二軍のキャンプに参加していたが入団テストに合格し昨日入団発表があった。かつて年俸5億円を稼ぎ、通算319本塁打を放っている男がたったの400万円からの再出発なのだ。昨季2億円の1/50だ。背番号は今までみたこともないような「205」である。オリックスの8,000万円の契約更改をけってその結末であるがこれは彼のこれからの人生で反省を含めてプラスになると思っている。入団会見で中村選手は「やっとユニホームを着られるだけで嬉しい。野球小僧として頑張りたい」と決意を語ったがその顔はやったるでと言う顔であった。しかしこれから最低1年は彼がかって経験したことのない苦難が待ち受けている。年棒400万円は月給約33万円はサラリーマンの平均給与より少ない。口では中村選手は「お金じゃないですから」と話したが果たしてそうであろうか。何よりも頭が痛いのは今年収めなければならない所得税だ。今年の所得税は昨季年俸の2億円がベースなので40%として8,000万円納めなければならない。他人ごととはいえ気になる。彼は現在の育成選手の身分では二軍の試合しか出れないが6月末までに支配下選手に登録されれば一軍の試合に出ることができる。中日の支配下選手は69人で、残り枠は1つ。中村選手は登録期限の6月末までに1軍昇格を目指すが私の予想では開幕早々には登録されるのではと思っている。今年プロに入ったような選手とは、ものが違う。守備はうまいし、ホームランも打てる。1軍に昇格しても、1軍最低保障の1500万円までしか手にできないのが現実であるが身から出たサビなのでやむおえまい。中日ドラゴンズはもうけたと心底思っていることであろう。我がタイガースにとって彼の一軍での活躍が頭痛のタネにならなければいいが。中村選手は今まで契約更改は代理人を立ててやっていたがオリックスとの交渉がこじれた反省から、すでに代理人との関係を解消したそうだ。早い段階で自分が交渉の席にたっていればこんなことにはなっていなかったであろうが済んでしまったことだ。彼のフルスウィングのホームランを早く見たいものだとワクワクしている。ジャイアンツ戦であればいくら打ってくれてもかまわない。タイガース戦は負け試合だけにしてくれないか。

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醍醐寺の五大力さんに行ってきた

2007-02-23 20:10:01 | ニュース

昨日の新聞の一面を使い醍醐寺が京に春を告げ、一年の幸せ祈る「五大力さん」の広告を出していた。その中で23日に行われる「餅上げ力奉納」に興味があった。毎年その光景をテレビ、新聞で見ていたが醍醐寺には行ったことがない。幸い夜中に降った雨も上がり2007_02230041 Photo_34 11時に車で出かけた。家から20キロほどである。寺の駐車場は満車で1キロほど離れたスーパーが指定の駐車場になっていたのでそこに置いて歩いて行った。境内には沢山の参拝者があふれていた。境内の道は土なので昨夜の雨でぬかるんでいて泥がしりばねせぬかと、どなたもそろりそろりと歩いていた。何時から目的の餅上げ力奉納があるのか知らないので終わっていなければいいのにと思いながらその場所に行った。目の前に現れたのはボクシングのリングかと思うような格好をした赤色をした鉄柵であった。
場内放送で女性は12時から男性は1時からと放送していた。時計を見るともうすぐ12時だったのでこれはラッキーだ。醍醐寺(京都市2007_02230047 伏見区)で行われる餅上げ力奉納は、1100年の歴史を持つ同寺の伝統行事「五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)」のイベントの一つである。男性は150キロ、女性は90キロの鏡餅を抱え上げ、その力を奉納することで無病息災・身体堅固を祈る。何秒間抱えておれるかの力比べを競い合う場でもあり、1分以上持ち続けていた人には横綱の称号が与えられる。この称号をもらえば来年の出場は出来なくなる。紅白2段の鏡餅は、男性用は下が直径80センチ、上が同50センチもある。参加希望者は、開始30分前までに同寺境内で申し込めば参加できる(希望者多数の場合は抽選)。
2007_02230049 2007_02230053 2007_02230054 競技開始の前には山伏がほら貝を吹き鳴らし開始を知らせる。12時から女性の部が始まった。参加者は20名であった。外国から来た人はアメリカ人が一人いた。受付け順に箱の中からクジを引き順番が決まる。
次々と挑戦するが台の上からなかなか持上げることができない。持ち上がったと思えば数秒だ。ようやくかなり持上げたなあ2007_02230058 と言う女性は22秒で結局この方が優勝した。2位は2007_02230067 1秒違いの21秒であった。古い記事で平成13年の優勝者は3分も持上げていたと記載されていた。出場者はきれいな若い娘さんがほとんどであった。太った方は一人いたかどうかで全体的にスリムな方が多かった。30代、40代は居ないように思えた。持上げた女性は5人くらいなものであった。こんな力持ちの女性を子供として一人欲しいものだ。今の時期であれば車から家まで灯油を運ぶ作業が苦痛なので非常に助かるのだが。
2007_02230065 2007_02230068 2007_02230069 1時から男性が始まった。参加者は43名と沢山申し込んでいた。150キロの重さを持上げるのだから相撲取りのような大男ばかり出てくるものと想像していたがそんな体格の人間は一人だけで拍子抜けした。最初の方は痩せた方で持ち上がるかと心配したがいきなり4分何十秒も持上げた。2番目にチャレンジされた方も痩せた方で大丈夫かいなと思った。持ち上げたので拍手したが、じっとしたまま5分経過、8分経過、10分経過とくればおいおい大丈夫かいなと心配になってくる。12分経過しようやく疲れがたまり手を離し競技終了。この人(47歳)が優勝したのであるが余りにも時間がかかるので帰ろうかなと言う気持ちがよぎる。しかし次に出てくる人、その次に出てくる人も持上げることが出来ないので進行は早くなってきた。「持ち上がりません」と大声で言う人。刀を持ってロッキーのマーチにのってガウンを脱ぎ捨て挑戦したのは「浪速の長州力」だ。この人はそっくりさんにテレビで出ていた記憶がある。持ち上がらねばお笑いであるが20秒は持上げたので立派なものだ。51歳で2分耐えた茨木市の方は最後に特別表彰してもらっていた。家族のお父さん頑張っての声が効いたようである。
2007_02230065_1 プロボクサー、プロのトライアスロンの人、空手家、バスケット、柔道、とび職、バレー、工事現場の人など多士多才の方が出てくるので面白くなり最後まで応援してしてしまった。高校柔道部の黒帯の連中が7人ほどいたが持上げれたのは二人しかいない。黒帯が泣いてるで~と叫んでやった。この餅上げにはこつがある。まず餅をくくりつけた台を手前に引き寄せる。両手は台の側面の前方を持ち太モモ2007_02230063 の上にこの台を斜めに乗せ腰を落とす。台の中央には膝が入るようにくり貫いてあるので膝をくっつけて持上げる。持上げれば前方を40度くらい傾けることができればしめたものだ。ホールド状態になればかなりの時間、持上げていることが出来る。足を開いて持上げれば長時間持っていることが出来ない。
2007_02230070 2007_02230071 2007_02230054_1 男性も持上げれたのは10人ほどしかいなかった。その後、3位までに入った男女は優勝者には、ジャンボ鏡餅の上の一つ(紅色)が、二位には下の半分が、三位には下の四分の一が贈られた。終了したの2007_02230073 2007_02230074 2007_02230075 は3時で3時間余りを手に汗を握り応援して肩がこった。
帰る頃には小学生がどっと繰り出してきて露天は大賑わいであった。

2007_02230076 2007_02230078 2007_02230079 2007_02230080

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2007_02230046 夜のテレビで各局ともこの日の模様を放映していたがNHKは私のはげ頭の後部を写していた。関西テレビは現場では私の顔を正面から撮っていたがカットされてしまったようだ。

[豆知識]
(1) 五大力さんの由来
(Q)いつ頃から始まったのですか?
【A】弘法大師の孫弟子にあたる聖宝・理源大師が、当山を開かれたのが貞観16年、西暦で言いますと874年でそれから33年後の延喜7年(907年)に、醍醐天皇の御願堂として上醍醐に薬師堂と五大堂が建立されて以来ですから、1092年目になります。
この大法要は、毎年2月23日に行われ、醍醐寺座主(菅長)を始め、一山の僧侶が出仕して醍醐寺の本堂である「金堂」で「仁王経」を唱え、護摩を焚き、国家安泰と国民の幸福を祈願します。
ここでお授けするのが、ご家庭の出入口などによく貼ってある五大力さんのお札で「御影」(おみえ)と言います。
この「御影」は、一週間にわたって一山の僧侶が上醍醐の五大堂で祈祷を込めたもので、2月23日当日一日限りで授けしています。
また、金堂東側にある「不動堂」前では、山伏さんによって「柴灯大護摩」が焚かれ、参拝者の無病息災を終日祈り続けます。
さらに、ここでは商売繁盛、合格祈願などの特別祈願の祈祷も受け付けています。
(Q)なぜ「五大力さん」というのですか?
【A】「五大力さん」というのは、皆さんご存じの「不動明王」を始め、「降三世明王」「軍荼利明王」「大威徳明王」「金剛夜叉明王」の、五つの明王さまの総称で、この明王さまの力を授かるための行事です。
参拝者の皆さんは、この五大明王を刷り込んだ「御影」(おみえ)そのものも、「五大力さん」と呼んでいます。
このお札を貼っているご家庭は、あらゆる災難や盗難を免れ、様々な願い事がかなうというわけです。
(2) 五大力さんの「餅上げ」行事について
(Q)五大力さんといえば、大きなお餅を持ち上げる力くらべが有名ですが、実際の競技は、どんな風に行われるのですか。
【A】この行事は「餅上げ力奉納」と呼んでおり、五大明王、すなわち五大力さんに「力」を奉納するのもです。
参加者は、「力」を奉納することで、無病息災、身体堅固の御利益を授かります。
女性は90キロ、男性は150キロのジャンボ鏡餅に挑戦して頂き、持ち上げ時間を競います。優勝者には、ジャンボ鏡餅の上の一つが、二位には下の半分が、三位には下の四分の一が贈られます。
当日正午までに、9番の帳場で受け付けていますので、ふるって挑戦してみて下さい。参加無料。
(Q)今まで記録は、どれぐらいでしょう?
【A】昨年平成13年の記録は、男子7分34秒、女子3分02秒でした。持ち上がる、持ち上がらないにかかわらず、御利益が授かりますので、お気軽にご参加下さい。参加記念品も用意しています。

コメント (2)
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