ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

果肉入りソフトクリームは美味かった!

2014-11-30 21:32:41 | 甘味処

11月30日(日曜日)
2ヶ月前に放映された関西ローカル番組「よーいドン!」。隣りの人間国宝探しの舞台は、奈良県明日香村でした。リポーターの円広志さんは、石舞台古墳手前にある、 「あすか野ログハウス」 の”果肉入りソフトクリーム”を食べています。果肉入りソフトは珍しいそうです。言われて見れば食べたことは有りません。美味しい!と絶賛しています。
 これはいつか行かなきゃとメモをしていました。今日は昼間は天気が良く、明日から天気が悪くなる予報が出ています。”行く奈良明日香”なんて、ダジャレを言っている場合ではございません。今日しか有りません。ナビに住所を入れると、明日香村は50キロと表示です。カーナビを使えるようになれば運転は楽ちんです。ナビ君の言うとおり走ると、1時間40分ほどかかって、石舞台古墳のそばの駐車場に到着。駐車料金は500円です。「あすか野ログハウス」は道路の真向かいに有りました。

お客さんも良くご存知のようで、買うのは果肉入りソフトばかりです。「どれにしますか?」と聞かれても、果肉がどんな種類があるのか知りません。

冷蔵庫の中を覗けば、10種類ほどの果物が入っています。

どれにしようかなと迷いますが、後ろがつかえています。決断を急がねば。イチゴが真っ先に目に入ったので、これに決めました。

「は~いできました!」と受け取ったイチゴの果肉ソフトの外のコーンが、昨日食べた抹茶ソフトと同じです。

昨日の抹茶ソフトは300円でしたが、果肉入りは500円です。
この商売はぼろくない?と思わず考えてしまいました。毎日食べるわけでもないので、美味しければヨシとしましょか。
 クリームのテッペンをぺろ~となめると、これは美味い! ぺろぺろぺろ。舐めても舐めても簡単には減りません。食べ応えが有りました。はるばる明日香村まで来た甲斐が有りましたよ~♪

 

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食べると決めたらどまでも

2014-11-30 20:09:40 | 食事処

11月30日(日曜日)
昼前にテレビを観ていました。奈良県出身の女性アイドルグループの何KBだったか覚えきれませんでしたが、そのお嬢さんが地元奈良のグルメを紹介してくれました。
桜井市は三輪ソーメンで有名です。彼女のお気に入りは、 「千寿亭そうめん茶屋」 の”田舎にゅうめん”です。千寿亭そうめん茶屋は創業から約160年続く三輪そうめんのお店です。
野菜等 具沢山の”田舎にゅうめん”はボリューム満点で、見るからに美味しそうです。思わずヨダレがたら~と流れます。これを止めるには食べるしか有りません。
昼食はこれに決定!です。ネット検索して住所をカーナビに入力しました。距離は40キロ有ります。所要時間は1時間半と表示されました。
ナビの音声通り走行するだけです。迷うことなく無事到着。

「ご注文は何になさいますか?」 「テレビで放映されていたヤツをお願いします」

私は”田舎にゅうめん”、女房は”とまと味噌にゅうめん”を注文しました。
田舎にゅうめん756円、とまと味噌にゅうめん972円です。運ばれてきた”田舎にゅうめん”は、3時間ほど前にテレビで観たやつと同じです。

野菜の種類が多く、申し分有りません。ボリューム満点スープは味噌味で、にゅーめんにからみ、とても美味しくいただきました。あら不思議、いつの間にかヨダレが止まっておりました。”とまと味噌にゅうめん”は、少しだけピリカラのようですよ。

店の前に駐車していた車のナンバーを見れば、ほとんどが他府県でした。沼津の静岡県が一番遠い県でした。

【お 店 情 報】
・住所:〒633-0074 奈良県桜井市芝293
・電話:0744-45-0626
・営業時間:11:00~18:00(L.O.17:00)
・定休日:金曜日(祝日、毎月1日と重なる場合前日になります)

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緑茶の祖しのぶ”永谷宗円生家”

2014-11-30 00:28:25 | まち歩き

11月29日(土曜日)
宇治田原町の湯屋谷は日本緑茶発祥の地です。ここで緑茶製法を開発した永谷宗円が生まれました。1680年と言えば時は徳川八代将軍吉宗の時代です。祖先永谷家は山城の国侍で、 文禄元年(1592)湯屋谷に居を構えたと伝え られています。宗円はこの地で15年間、思考錯誤を続け製茶法を編み出しました。ここに「永谷宗円生家」が有りますが、外から見ただけで中には入ったことは有りません。土日の午前9時から午後3時ごろまで無料見学出来ると知り、孫の晴太を連れて三人で見学に行きました。
湯屋谷の生家は、国道307号線から右にそれて1、5キロほど山奥に入った所に有ります。途中の道は狭く、軽自動車で行くのが楽です。
杉木立に囲まれた生家は、かやぶきで一見古い家に見えますが、地元有志が54年前に建てたものです。

見学は裏にお住まいの方が管理されているので、チャイムを押して見学したい旨言いました。「今天婦羅を揚げているので、お自由にお入り下さい」の返事が返って来ました。

中に入ると真っ先に目に入るのは、製茶に使用していた焙炉(ほいろ)です。

土を固めた1畳ほどの”ほいろ”で火をおこし、その上で茶葉をあたためながら手もみをします。
ほいろ二つは、当時の物と伝わっています。
宇治田原のお茶作りに多大な貢献を果たした宗円は、村人たちからも慕われ死後、生家の近くには茶宗明神社が建てられ、神様として祭られています。

もう1週間早く見学に行ったならば美しい紅葉が見れたはず。残念です。
あのお茶漬け海苔の永谷園は、寄付1000万円していましたよ!

駐車料金:無料。見学料:無料。今日もタダで楽しむことが出来ました。

【永谷宗円】
 宗円は元文3年(1738)、露天栽培のやわらかい新芽だけを用い、 蒸してから焙炉上に設けた助炭の上で始終手で揉みな がら乾燥させるという 新しい煎茶を編み出した。これを編み出すまで15年の歳月を要した。それまでのお茶といえば、文字通り茶色だったが、このお茶は今までの常識を打ち破った茶で、鮮やかな緑色で味も香りも大変素晴らしい緑茶だったのです。しかし、この製法は伝統的な製法にこだわる宇治では理解されなかったので、 宗円は江戸の茶商山本屋:(現在の山本山、皆さんご存知の上から読んでも山本山。下から読んでも山本山)と提携しました。

彼の生み出した緑茶は、「天下一」の号で売り出されました。この結果、このお茶は江戸から、日本中へと人気を博し、また宗円は同時にこの製造法:宇治製法を自分一人のものとせず、周囲の人々に快く伝授したので日本全国に宇治製法が広まり、この製法でお茶を生産するようになりました。現在宇治茶として全国に広まった煎茶は、このとき宗円が開発した 製法を機械化したもので、宇治田原は、まさに日本 緑茶発祥の地。一方、宗円は茶の製法を村人に伝えた後、98歳の天寿を全うしました。

【参  考】
1.日本で最初に茶をもたらしたのは鎌倉時代、臨済宗を伝えた栄西禅師です。 栄西禅師から種を分けてもらった明恵上人が茶が栂尾で栽培を始め、宇治に伝えました。下の石碑と茶畑の画像は、栂尾にある高山寺に行ったとき見学したものです。

当初は薬として飲まれていたそうです。そのころのお茶は、 覆い下でやわらかく育った新芽だけを摘んで蒸し、 焙炉の上で乾燥させてつくった碾(てん) 茶を臼で挽いた抹茶でした。鎌倉時代の終わりには、次第に嗜好品として飲まれるようになり、 銘柄を飲み当てる「討茶」 が行われるようになりました。贅沢品としての茶を「茶道」という文化に高めたのは、 戦国時代の千利休であり、利休や古田織部織部によって武将の間に広まりました。
2.宇治田原とお茶のかかわりは古く、鎌倉時代にまでさかのぼるともいわれています。この場所がお茶の栽培にすぐれているらしく、皇室や将軍家にも献上されたといいます。
3.緑茶と煎茶の違い
お茶の製造方法によって名称が違います。
まず発酵の具合で緑茶(不発酵)、烏龍茶(半発酵)そして紅茶(全発酵)と分けられます。さらに緑茶の中でも茶葉を蒸してから揉みながら乾燥したものを煎茶といいます。
茶葉の採取時期や採取方法、蒸し方、もみ方の違いで煎茶や番茶、てん茶、玉露などに分けられます。
煎茶は緑茶の種類と考えていいでしょう。 当時上流階級の間で飲まれていたのは抹茶でした。
4.お茶漬け海苔で有名な永谷園も宗円が祖先です。
日本の食品産業を代表する永谷円、山本山の二つの大きな企業の源流が宇治田原とは余り知られていませんが、山城地方の皆さんは自慢していいでしょう。

 

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錦秋の秋 紅葉狩り第十一弾”大道神社(おおみちじんじゃ)”

2014-11-29 00:47:11 | 神社、お寺

11月28日(金曜日)
紅葉も終盤になって来ました。今日は知る人ぞ知る、宇治田原町立川の大道地区にある隠れた紅葉の名所、 「大道神社(おおみちじんじゃ)」 へ行きました。
神社の手前に信西入道塚(しんぜいにゅうどうづか) (町指定文化財(史跡)) が有り、ここも紅葉が綺麗です。

だがしかし、だいぶ散ってしまい遅すぎました。
大道神社の前に行くとモミジの絨毯です。

あちゃ~1週間遅すぎたようです。ほとんど散っていてとても観賞に耐えれません。
例年であればこんなに美しい紅葉です。

鳥居には「天神宮」と有りますが、これは昔はそのように称されていたためです。
石段を登っていくと大道神社(おおみちじんじゃ)本殿が有ります。

この神社は大道寺自治区の氏神で、菅原道真(天神)を祀っています。ここの本殿は、幅が一間しかないので「一間社流造本殿」と言います。

本殿の軒は美しく彩色されていて目立ちます。
本殿両脇には、鉄の檻に入っている木の狛犬が有ります。

その昔盗難にあい四国で発見されてそれ以降、こうやって保護されているそうです。

【参  考】
1.大道神社(おおみちじんじゃ)
2.所在地 :宇治田原町大字立川小字宮ノ前39
3.年代 :江戸時代[延宝8(1680)年]

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晩秋の風物詩”古老柿(ころがき)”作りが始まりました

2014-11-28 01:20:10 | 樹木

11月27日(木曜日)
晩秋の風物詩の一つに、宇治田原町の「柿屋」での「古老柿(ころがき)」作りが有ります。古老柿は、京阪神地域では年末年始の贈答品として人気の高い商品です。
「柿屋」は、稲刈りの終わった11月上旬から田んぼの中に建てられます。全国広しと言えど、「柿屋」で干し柿を作る所はここだけです。もう直ぐ12月なのでプールで泳いだ後、どんな様子か確認に行って来ました。
ここ9年連続して「柿屋」を見に行けば、知識も豊富になり賢くなってしまいました。宇治田原町は面積が広く、昔ながらの地区が点在します。
宇治田原町のあちこちで、「柿屋」を見ることが出来ます。どの地区に行けば、どんな大きさの「柿屋」を見る事が出来るか頭の中に入っています。まずは宇治田原町で一番大きい柿屋のある立川地区へ行きました。「柿屋」の棚には沢山の古老柿が並べられています。

ここで2週間乾燥させて、田んぼの上のムシロで10日ほど天日干しをして最終工程に入ります。これが宇治田原町で一番大きい「柿屋」です。

高さ約12メートルの五段組です。これを毎年組み立てては解体の繰り返しです。最終工程は”ヒル”と言って、ザルの上で柿を転がすか、専用のもむ機械で仕上げます。

この作業を繰り返し、あの白い粉を吹かせます。12月上旬には宇治田原町のJA農産物販売所で並ぶことでしょう。

 

 

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