ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

ABCから記念品が贈られて来た!

2021-02-20 01:44:13 | ラジオ番組
1月19日(金曜日)
ABCラジオの桑原征平「粋も甘いも」に投稿し、放送されてから2週間経ちました。前回投稿したとき、採用記念品のボールペン&ステッカーをいただきました。今回も記念品が贈られてくるのかな?と思っていましたが、「採用された中から抽選で記念品のボールペンを贈らせていただきます」のアシスタントの永田まりさんの声が聞こえて来ました。そうか全員では無かったのか。
肩を落としている姿を見たかのように、本日ABCの封筒が届きました。何が入っているか分からなければ楽しみですが、前回同様、触ればボールペン。
早速に開封すると、白い細いボールペンとお礼状が入っていました。


前回もらったボールペンは太いボールペンでしたが、書き味が悪くガッカリ。「もっとええもん出せんもんかいな」と一人ブツブツ。
今回のボールペンは消せるボールペンで、消えてイケナイ物には書かないようにの注意書きが。問題は書き味。セロハンを取り、ボールペンを取り出すも、どうやれば芯が出るのか分かりません。クソッ!イライラ。
”諦めて寝ましょ”と思い、胸ポケットに差す部分を触ると、何とスライドしてボールペンの芯が出て来ました。試しましょうね。スラスラスラ~。
今夜は安眠出来ることでしょう。



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ラジオから聞こえてきた”ランジェリーサロン琵琶湖”にビックリ!

2021-02-04 00:52:10 | ラジオ番組
2月3日(水曜日)
プールから上がり、車に乗れば2時です。早速にカーラージオのスイッチを入れ、ABCラジオを聞きました。聞くラジオ番組は、毎週水曜、木曜の12時~3時に放送の「桑原征平の粋も甘いも」。
征平さんの口から流れて来たのは、「京都三条西木屋町のランジェリーサロン琵琶湖・・・」。どうやら23歳頃に入店した、思い出のある店のようです。
私の記憶ではランジェリーサロンでは無く、ネグリジェサロン。何を隠そう、征平さんよりも私の方が間違い無く、ネグリジェサロン琵琶湖に早く行っているはず。通った回数は数知れず。給料を手にすれば、週末になれば枚方市から京阪電車に乗り三条で下りて「ネグリジェサロン琵琶湖」へ。
お店は地下1階に有り、階段をトントン下りて入店。入れば「どなたか指名は有りますか?」。本名は月森恵子さんでしたが、源氏名は残念ながら思い出せません。彼女は島根県太田市出身の1歳年上でした。同じ山陰なので、親しみを覚え指名をする間柄になりました。
独身の頃はカウンター越しでしゃべるバーよりも、そばにホステスさんに座ってもらう方が好きでした。従って、中学の同級生の椿君、米沢君、野崎君等とは大阪のキャバレーに、何度も遊びに行ったものです。金の靴、銀の靴、キャバレーミス大阪、アルサロゆめのくに等、数え切れないほど行きました。当時のキャバレーは華やかそのもの。生楽団の演奏に合わせ、フロアーにホステスさんと出て、チークダンスを踊ったものです。皆、田舎者なので純情そのもの。ホステスさんを口説き、店がはねた後どこどこへは皆無でした。
そんな清い関係だったので、椿君が結婚するときは、奄美出身のホステスさんから結婚プレゼントをもらったよと報告。私は給料のほとんどはキャバレーにつぎ込んで、貯金はほとんど有りませんでした。同期入社の西野君とは、枚方市駅の天の川堤防沿いにあった、ババーの一杯いる「ミス枚方」や、寝屋川市駅前のキャバレー「美都」に幾度なく通いました。美都では鳳けいすけ、京唄子の漫才を見て掛け合いしたり、西野君がステージに上がり演歌を歌い楽しんだことが甦って来ます。
結婚が決まれば、「ネグリジェサロン琵琶湖」には足が遠のきあれっきり。彼女は東福寺の疎水の傍の親類の家から通っていました。一度店が終わった後、親類の家に上がらせてもらい、何とピアノを弾いてくれたのにはビックリ!
店は数十年前に無くなっています。77歳の恵子さんお元気でしょうか。
”粋も甘いも”にネグリジェサロン琵琶湖が出て来たので、久しぶりに投稿(メール)しました。採用してもらえば、4日の12時~3時。ボツにならねば良いのですが・・・。



コメント (4)
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