ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

勝負事は下駄を履くまで分からない

2008-01-27 21:44:45 | スポーツ

陸上競技、トラックの女王:福士加代子が初マラソンに挑戦した。マラソン界の常識破りの結果は悲惨であった。マラソン界の常識というのは大会に合わせて、それまでに40キロ走を何本か走り調整をする。彼女はそれをやらなかったので、常識を破るかと話題になっていた。やらなかったと言うより時間がなかったので、やれなかったと言う方が適切かもしれない。要するに準備期間が短すぎたということである。北京五輪代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンは27日、長居陸上競技場発着のコースで行われた。12時10分にピストルが鳴らされた。初マラソンで注目を浴びる福士加代子(25歳=ワコール)が直ぐに先頭に立った。瞬く間に後続を突き放して行く。折り返し地点では第二集団と670メートルも差をつけて悠々と走っていた。誰の目から見ても、彼女の優勝はゆるぎなかったと思う。所が、勝負事はそんなに生易しいものでは無かった。30キロを過ぎてから福士の1キロのラップが、後続よりも10秒以上落ちてきた。それからというもの、34.7キロぐらいだっただろうかマーラ・ヤマウチ(イギリス)が、一気に抜き去ってしまった。これから彼女の、辛い辛いドラマが始まった。足がまったく思うように動いてくれない。監督がマイクで鼓舞するも、体が反応できない。ストライドは小さくなり足元がふらつきだした。最初によろよろと地面に倒れたとき、監督がストップをかけるべきだったと私は思う。監督もマラソン選手を育てていないので、無理からぬ話かもしれない。そこから彼女は、地獄を見た思いだったことだろう。ジョギングのような足取りだが、自分に悔しいのか目には涙が浮かんでいた。競技場に入るまで沿道の子供達が、応援しながら一緒に走っていた。「ガンバレ」この声援は、彼女にとっては酷な声援だったかもしれない。Photo 競技場に入るまで3度転んだだろうか。ゴール寸前でバッタリとまた転んだ。4度目の転倒だ。トラックの女王と呼ばれていなければ、とっくに途中で棄権していたことだろう。観客席で応援していたお母さんは最初に倒れたときから、もう見ていれなくて泣いていた。私はとても彼女に向かって「ガンバレ」とは言えなかった。新春の大学箱根駅伝と同様に、テレビ画面に向かって「監督、早く棄権の決断をしてやらんかい」と叫んでいた。マラソンは35キロを過ぎてからが勝負だというのはよく聞く話だ。正にきょうのレースは、それをまざまざと見せつけられた。マーラ・ヤマウチ(イギリス)が2時間25分10秒で優勝、日本人最高は森本友(天満屋)が2位に入りトップとの差は24秒差だ。結局、福士は失速しながらも19位でゴールした。福士選手は、まだ25歳と若い。これから本格的にマラソン練習をして、きっとQちゃん:高橋尚子の後継者に成長してくれるものと信じている。彼女のスピードは天下一品だ。「頑張れ!元気娘のかよちゃん」。そして旦那さんが日本人のマーラ・ヤマウチさんのマラソン初優勝おめでとう!
[参考]

日本の五輪代表は3枠で、昨夏の世界選手権銅メダルの土佐礼子(三井住友海上)が決まり、アテネ五輪金メダルで同11月の東京国際優勝の野口みずき(シスメックス)も確実。残りは事実上1枠で、最終選考会の3月の名古屋国際には、シドニー五輪金メダルの高橋尚子(ファイテン)らが出場する。本日の日本人一位の森本友(とも)は、タイムがせめて2時間22分台であれば可能性は十分だが名古屋国際の優勝タイム次第だ。名古屋国際の優勝タイムが2時間26分台であれば森本選手が選ばれる目もある。

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かぶりつき第二弾!

2008-01-27 19:27:36 | 音楽

土曜日の夜に、京都市山科区西野左義長町14-23 【Live Studio 58(ごっぱち)】 で、沖縄から愛知へ移住している通称:玄ちゃんのライヴがあった。JR六地蔵駅で地下鉄東西線に乗り換へ東野駅まで行った。家を出てから1時間弱だ。初めて乗った路線なので改札口を出て、地上に出るもどちらが東か西か分からない。新幹線の高架下を西へ徒歩5分と書いてあったのでそんなに遠くない。犬を散歩に連れているお嬢さんに、どっちが東か西か聞いて、ようやくそれらしきライブスタジオに7時に着いた。中に入ると男性2人、女性が一人いた。一人の男性に入場料金1,500円を払った。開演は7時半なので、どうやら私が一番客のようだ。もう一人の男性は見覚えのあるヒゲ面だ。実物の玄ちゃんは今まで見たことは無い。彼のブログでは何度も顔を拝見しているので「玄ちゃんですか?」と声を掛けた。「ハイそうです」の返事があり「京都のゆみちゃんです」と名を名乗った。ブログで、たまにコメントを書き込みしているので直ぐに分かってくれた。隅っこに眼鏡を掛けた女性が座っている。彼女も見覚えがある。彼の奥さんの「良ちん」に違いないと思い声を掛けた。やはり間違いなかった。彼のライブの時は、太鼓を叩いて一緒に活動している。へたりこんだままなので、どうしたのだろと思っていた所、玄ちゃんが「良ちんは昨年末から坐骨神経痛で、現在は私一人で活動しています」と話してくれた。今日も愛知県からくるとき、「良ちんは車に布団を敷いて寝てきた」とのことだった。会場は16畳くらいな広さで20人も入れば満席だ。泡盛の水割りを飲んで開演を待った。7時半からライブは始まったが、お客さんは9人のこじんまりしたものだった。そのうち男性はたったの二人。ライブは玄ちゃんのトークと三線が半半くらいだった。何と2008_01260095 2008_01260097 2008_01260080 言っても唄者との距離が1メートルしかないので玄ちゃんの声が部屋中に響き渡る。目を閉じ、心地よい三線の音を聞いているだけで癒される。隣に座っていたオバさんは聞けばコザ(現在の沖縄市)出身なので、三線に2008_01260096 2008_01260100 合わせてしなやかに踊っている。私など到底真似なぞ、できるはずも無い。島唄を聴いて、一緒にいた男性は涙が出たと言っていた。玄ちゃんは、年齢は30歳そこそこか。三線を弾き始めてまだ8年くらいなものだ。名護市の実家の両親とも、踊りと三線のお師匠さんである。玄関には、○○研究所の看板が上がっているのを見たことがある。普通であれば小さい頃から三線を弾いていてもおかしくない。家族構成は、子供は男は玄ちゃん一人であと三人は女で、玄ちゃんは下から二人目である。彼には両親の期待が重荷で、習い事から逃げていたようだ。大学を出てから北海道であれば親の目が届かないだろうと2年間過ごした話、奥さんの病気の治療で評判の医者を求めて愛知へ移住した話など何でも話してくれた。ライブは10時過ぎまで約3時間もあったが、またたくまに過ぎた。ご機嫌な夜なので、泡盛を5杯も飲んでしまった。別れ際、玄ちゃんに食事をしたのかと聞けば、まだと言っている。近くにファミレスがあったので三人で食事をした。玄ちゃんは図体がデカイので食べっぷりは見事だ。偶然にもテーブルを担当した女性は、沖縄から京2008_01260102 都の大学で勉強をしているアルバイトの方だった。時計を見ればもうすぐ午前0時だ。明日も10時、夕方と公演が入っているそうだ。外は粉雪がちらついて愛知まで帰るのは大変だ。「今夜は有難う、気をつけて帰ってね」と言葉をかけ分かれた。これから年々三線、唄も上手になっていくことだろう。どんな唄でも、聞いている人の心を打てる玄ちゃんに成長してくれることを祈っている。
[余談]
【Live Studio 58(ごっぱち)】を運営している嘉数(かかず)さんの本職は美容室の経営である。出身は今帰仁村(なきじんそん)なのでライブスタジオの名前:58(ごっぱち)は、沖縄の南北を縦断している国道58号線からつけている。

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