ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

息抜きに久しぶりにライブへ行った

2010-10-31 22:32:14 | 音楽

10月30日(土曜日)
病院の面会時間は8時までなので、その後息抜きに駆け足でライブ巡りをした。
最初は祗園の沖縄料理の店「新右衛門」。今夜の唄者は、名古屋で活動されている「上運天有二」さん。お店からのライブ案内メールには”三線の早や引きは最高に素晴らしいものです”と書かれている。

2010_10310011

扉を開ければほぼ満席に近いお客さんだ。カウンターの端っこに座り、泡盛をグビッ。

2010_10310010

沖縄民謡を聞きながら飲む酒は美味いぞ。これぞ早や引きと言うものを見せてもらった。

2010_10310009

案内メールに嘘偽りは無かった。お見事!感動すれば拍手も大きくなる。コレだけでも元は取れる。チャージ1,000円は安いぞ。時が時だけに、ながく居座るわけにはいかない。30分で腰を上げた。またの機会を楽しみにしよう。
次に向かったのは、山科にある「ライブスタジオ58」。
ブログに書かれていた出演者は、Ansone & The高架下Drunkards / もりくり 。
会場の入り口の外まで、靴があふれていた。扉を開ければ超満員で、熱気ムンムンだ。ドラム演奏が加わると気分が一層ハイになる。

2010_10310016

メンバーの皆さんは、別々のグループで見たことがある。今夜が結成後の初演奏とのこと。ハーモニカ奏者のアンソンさんは、吹いて歌って忙しい。額横には玉の汗が光っている。

2010_10310018

2010_10310019

赤シャツの方は、赤が勝負服と春に聞いたことがる。ここでの飲み物も、毎度の泡盛の水割りだ。いつもであれば一番乗りでテーブル席座り、泡盛のボトルを置いて飲むのだが、途中入場なのでそれが出来ず残念!終わりは毎度のセッションがある。ライブスラズオ58のマスターが三線を持って登場。

2010_10310022

何という歌だった記憶に残っていないが、楽しかったことだけは確かである。

2010_10310028

2010_10310026

ライブが終わり、打ち上げを『山科 BAR酩酊』(やましなばーめいてい)で行った。ライブの時、酩酊のマスターには何度もあったことがあるが、店に行くのは初めてだ。

2010_10310032

何時まで飲んだのか、何を飲んだのか記憶に無い。

2010_10310030

2010_10310031

タクシーに乗っても的確に指示が出来ず、行き過ぎたりしたが何とか家にたどり着いた。いくら酔っても、おりこうさんで、ちゃんと着替えて布団に寝ていた。翌朝、ジャンパーのポケットからバームクウヘンが出て来たが、どこでもらったのかこれもまったく覚えていない。
店の名前が『BAR酩酊』だけあって、ここで飲めば酩酊してしまうようだ。
お店のブログに良いことが書いてある。
“銘酊 めいてい”【intoxication】とはお酒に酔った状態を指す言葉ですが「有頂天」や「高揚」の様な(楽しくて良いお酒に酔う)というニュアンスがあります。《酔態 すいたい》とは一線を画すものです。BAR銘酊のやさしい眼差しの空間で貴方の“精神”を開放して下さい。お酒の種類もたくさん取り揃えております。BARですから・・・

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦渋の決断

2010-10-30 03:23:15 | 健康・病気

10月29日(金曜日)
爺さんが倒れて50日になる。倒れるまで、週2回のデーサービス、月1回の3泊4日のショートステーを利用していたが、この日を境に我が家の生活は一変してしまった。
爺さんが倒れたとき言った言葉は、「病院には入りたくない、救急車を呼ばんといて」だった。倒れた原因は心筋梗塞を起こしたからだ。主治医は入院を勧めるが、入院しても心筋梗塞が治ることは無いとのことだったので、爺さんの希望を尊重し、家で看取ることにした。10年前に亡くなった婆さんも家で終末を迎えた。
自力で歩行、食べることも出来なくなれば、愛妻の仕事が増える。日増しに病気も進行するので、今まで食べれたものが食べれなくなる。9月末まで持たないだろうと思われていたが、懸命の介護で無事乗り切った。10月に入りまたもや爺さんに異変が生じ、症状を主治医に電話すると、後35分ほどかも知れないということでベッドの周りを家族で囲んだ。2時間ほど様子を見ていたが、落ち着いてきたのでこれまた乗り切った。終末は近いということで、それからは毎日午前、午後の2回ヘルパーさんと介護師の方の訪問介護を受けた。1週間前には”えらい””えらい”を90分連続で大声で叫び続けた。このとき運良く介護師の方がいたが、どうすることも出来ない。入院していればこんな時は鎮静剤を打つとのこと。
そして昨日から豆粒くらいのアイスクリームでも、ムセて食べれなくなった。水もそれこそ1滴飲むのも困難になった。欲しいのに食べれない飲めない、少し動かすだけで”痛い!”の大声を上げれば見ているだけでつらい。主治医に電話相談すると、これからもっと手に負えなくなるとのこと。愛妻の心労がこれ以上重なれば、それこそ親子共倒れになりかねない。
家で点滴するのであれば、看護師の方が注射針を刺すところまでやり、後は家族が抜かねばならない。これまた大変だ。今日まで愛妻の友人IさんTさんの、感謝しきれないくらいの援助で頑張ってきた。愛妻が50日間、悔いのない介護をやってきたのは間違いない。よくやってくれたと、頭の下がる思いだ。
最後の結論は、爺さんを説得して入院してもらうしかない。朝早くから愛妻が説得にかかり、「あんな苦しい目には、もうあいたくないでしょ。点滴をしてもらって元気になってまた帰ってこようよ」の言葉に折れて、「お前の言うとおりにする」と言ってくれたと涙顔で報告してくれた。
主治医に入院させたいと電話で言った所、早速に病院の方へ連絡してもらい、午後に入院の段取りとなった。入院の準備を整え、消防署に直接出向き救急車の出動要請をした。応対してくれたのは6軒隣の方だった。1時ごろ来てもらえないかと言ったところ、そんなことは出来ませんの返事。そうですねタクシーではあるまいし・・・。聞けば直出動するのが救急隊。帰宅すると同時にピーポーと鳴らしながら救急車が到着した。
愛妻は6軒隣のチーフの救急隊員の顔を見るなり、「ああ貴方で良かった。よろしくお願いします」とにこやかに会話をしている。
救急車とほぼ同時に病院に到着した。救急処置室で採血、レントゲンなどを撮っていたようだ。部屋から何度も爺さんの”痛い!”の大声が聞こえてくる。
2時間ほどかかり病室へ移動した。病室では酸素マスクをつけ点滴だ。点滴が漏れたと注射針を刺し直すが、爺さんが痛いと腕を動かし、なかなか刺せない。同僚の看護師の助けで、ようやく刺せた。年寄りの血管は硬く、点滴注射は難儀であることは昨年の入院のとき知った。
院長が別の部屋に案内し、パソコンに取り込んだレントゲン写真を見ながら、病状を説明してくれた。心筋梗塞と肺炎が広がりつつある様子が分かった。高齢なので今夜急変してもおかしくないそうだ。院長の口ぶりから察すると、来週がやまかも知れない。今夜は愛妻は肩の荷が一つ下り、ぐっすり眠れればいいのだが。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らぬは”損””損”

2010-10-29 02:40:37 | 健康・病気

愛妻が友達から耳寄りな情報を仕入れてきた。我が家のような前期高齢者(65歳以上)で、年金暮らしをやっていいる貧乏所帯は、医療費の自己負担が1割で済むと言う。現在3割負担なので、もしもそうであればその差はでかい。早速に市役所へお手手つないで出かけた。
窓口へ行くと担当が、何と愛妻のいとこの娘さんだった。法事の時には見たことがあるが、市役所では初めてだ。 「医療費の自己負担が1割の制度があると聞いたので、申請に来たんだけど」 「私でいいの?」 「何で?」 「該当するかどうか二人の収入をコンピューターで見るので、中には嫌がる人もいるんです」 「どうぞどうぞ貧乏丸裸を見てや」。
こんなやりとりで、ガリガリの裸を見てもらった。我が家は無事というか申請OKだった。申請書類を書くときは、付き切りで丁寧に教えてくれた。 「1週間ほどすればピンクの保険証が行きますので、従来の保険証と併せて病院の窓口に提出してください」 「おおきに!」。
昨年末には愛妻が65歳になっていたので、この制度を知っていれば今年から1割負担で済んでいた。私の場合、毎月高血圧の薬と尿酸値を下げる薬をもらいに病院へ行き、毎回4,000円以上支払っている。これが1,400円ほどで済むとなれば大助かりだ。ざ~っと計算すれば、私一人で今年25,000円近く儲け損なったことになる。愛妻はあちこちガタが来ていて、あの病院、この病院、接骨院、歯科医院と私の3倍は支払っている。
この制度は申請主義なので、制度を知らなければ損をする。1週間後に来る予定の保険証が、3日後に送られてきた。

2010_10280014

パッパッパとやってくれたようだ。これで、 ”おかゆ”から”シャブシャブ” が食べれる生活に脱皮できるのは間違いない。セレブな貴女には関係ない話でしょうね。ええっ年齢が該当しない?それは失礼こきました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色鉛筆ゲット!

2010-10-28 19:53:24 | 

我が家御用達のスーパー○田屋さんから電話がかかってきた。「ひよりちゃんが応募された絵が入賞いたしました。つきましては賞品、賞状をお渡しいたしますので、レジまでおいでください。」
そういえば数日前、孫のひよりが紙を手に持ち急ぎ足で出て行った記憶がある。どんな絵を描いたのか見ていないので興味津々だ。孫はもうすぐ幼稚園から帰ってくるはずだが、とりあえず一人でスーパーへ行った。応募した絵は、お客さんがレジで精算を終え、買い物袋に入れる台の前の壁面に貼られていた。「よう~いどん!たのしかった運動会」の絵がたくさん貼られている中、ひよりの描いた絵はどこだ。あったぞ。玉入れの絵だった。

2010_10260011

幼稚園の年中組であれば上出来! 「惣菜部賞」 のでかい字が晴れがましい。。賞にはこの他、「社長賞」「店長賞」「レジ部賞」「やまた君賞」があった。

2010_10260010

2010_10260009

2010_10260008

なじみの店員の方から、「おめでとうございます。締め切り間際にひよりちゃんが持ってこられましたよ」と教えてもらった。道理で絵が少々雑な感じがする。
若嫁の携帯に電話すると、「今家に帰ったところです」の返事が返って来た。「賞状と賞品を渡すそうなので、スーパーへ来て」と言うと、孫を二人車に乗せやってきた。
店長が直々に賞状と賞品を孫に渡してくれた。孫は賞品を見て、「18色鉛筆ゲット!!」と大喜びだ。

2010_10260012

何であれ、賞状をもらえば誰でも嬉しいものだ。子どもはほめてやれば、また頑張るはず。最近はフラフープも縄跳びも出来だし、「やれば何でも出来るんやで~」と励ましている。私も誰かにハゲ増され坊主になってしまった。トホホ・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木枯らし1号が吹いた

2010-10-27 10:32:52 | ニュース

10月27日(水曜日)
昨日は外を掃き掃除するも、掃き終えたと思うと”ビュー”と突風が吹き、枯葉が撒き散らされる。庭の桜の葉、柿の葉、隣家のモモの葉その他、これでもかと落ちてくる。綺麗になったと満足するヒマは無い。ほどほどにしなければ、一日中外に立って落ち葉を待ち受けることになる。ほどほどの掃除でも、5回も掃き掃除をしてしまった。
今朝の新聞を見れば、「近畿 木枯らし1号」の記事が。昨年よりも7日早いそうだ。台風は発生するたびに1号から増え続けるが、木枯らしは聞いた記憶が無い。言ってはダメかな?
言ったもの勝ちであれば、とりあえず言ってしまおう。 「10月27日 城陽市 木枯らし2号」
本日の最高気温10度。さぶ~ブルブル。どなた様もお風邪を召しませぬように。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする