1月26日(木曜日)
今夜は愛妻が一泊旅行のツアーに四国へ行っている。どうして長い夜を過ごそうかと思案をする。テレビを見てばかりではアホになるしなぁ。どこかでライブをやっていないかとパソコンを開いた。三条にある沖縄居酒屋&音広場 「大新」のマスターのブログ を覗いた。 ”南ぬ風人まーちゃん” のライブがあるようだ。吉 幾三!!
まーちゃんのライブには、どれほどお客さんが来るのか想像できない。駅に向かいながら、とりあえず予約の電話を入れた。「そうです。ゆみちゃんです。ライブは何時から始まりまか?」まーちゃん何時から始めるの?とマスターの声が聞こえる。「7時半ごろから始まります」とマスターの返事が返ってきた。
店には7時に着いた。
店に入るとマスターと、レキオのライブに来ていた與那城さんが笑顔で迎えてくれた。案内された席は最前列だ。テーブルには泡盛残波のボトルが置いてある。
前回行ったときの残りだが、今夜はこれだけ残っていれば持ちそうだ。
ソーメンチャンプルとイカ天を食べながら始まりを待った。
まーちゃんが、「まーちゃんうーぼー&種まきピアニストりほ♪ふたりライブ♪@南ぬ風」ライブのチラシを持ってやってきた。
まーちゃんは、マスターから私が沖縄民謡が大好きと聞いていたようだ。まーちゃんを見るのは、昨年の5月に円山音楽堂の”風人の祭り”で見て以来なので、8ヶ月ぶりになる。小さい方かと思っていたが、そばで見れば沖縄の男性にしては大男だった。小顔なので小さく見えたようだ。
手ぬぐいをグルグル巻いている。これを鉢巻にすれば、まーちゃんのライブでの正装だ。鉢巻をしていないまーちゃんは、パッと見てまーちゃんとは思えないから不思議だ。
7時半からライブは始まった。
キーボードの ”りほ♪”さん と息がピッタリ合っている。
三線とキーボードは一見?と思うが意外や意外。キーボードが太鼓の代わりを果たしている。しばらくすると”風人ブドゥリ太鼓京都支部”のメンバー6人がエイサー太鼓を持ち加わった。小学生が誠に可愛らしい。
一糸乱れぬエイサー太鼓は感動ものだ。予期せぬ出来事だったので、何か儲けたような気分になる。何曲にも加わってくれエイサー太鼓を堪能した。まーちゃんは泡盛大好きで、幾度となくお客さんと乾杯をする。
前半が終わり”種まきピアニスト りほ♪”さんが私に、 「私も鳥取県出身です」 と告げる。
「どこだいな」 「末恒だで」 「学校はどこにいっとっただいな」 「鳥取東高です」 「頭良かったんだ」
同郷と聞けば一層に親近感が増す。鳥取県出身のミュージシャンに、MALTA以外にいたと知り嬉しくなる。器量良し、歌良しで色気がこれまた有り過ぎるくらいあるので、前途有望だ。
後半も風人ブドゥリ太鼓の皆さんが何曲か参加してくれた。10時を過ぎているので、子どもが眠くなるのでは心配をしてしまう。
まーちゃんは色々なことを話してくれる。カチャーシは踊れる人は踊ってください。私は強制は致しません。大新のマスターはかぶりものをつけて場を盛り上げる。
バイトの與那城さんも一緒に踊る。
私の今度出すCDは8曲で約50分。普通であれば12曲収録されています。1曲の中に「喜怒哀楽」を入れているので長いのです。
福島に友達がいて震災後18回も歌を届けたこと。先日行ったとき、おばあさんが涙を流してくれた話など聞いているとジ~ンと来る。
「俺が唄うのは”地球に緑と笑顔を増やすため”」と言い切る。西表島に福島の子ども達を疎開させる話など話はつきない。
目を閉じ彼の唄を聞く。心に響くものがある。まーちゃんがジョッキを頭上に上げると泡盛の催促だ。前回キープのボトルが空になり、お代わりを持ってきたくれたところなので、早速に封を切り水割りをステージに。
彼は今夜はビールと泡盛を10杯くらい飲んでいる。酒には強い。「りほちゃん車運転頼むよ」と懇願している。
最後の方になりまーちゃんがステージを降りた。何が始まるかと思えば、”種まきピアニスト りほ♪”さんが 「とっとりけん歌」 を弾きながら歌う。
初めて聞く歌だが親しみ易い歌だ。歌を聞けば、青い海、鳥取砂丘、ラクダと次々に故郷鳥取の情景が目に浮かぶ。鳥取万歳!と叫びたいところだ。
まーちゃんはアンコールに応え唄う。 定番の沖縄民謡の数々も聞け、今宵は想像を超えた良いライブだった。
最後に聞いた唄が気にいったので、りほさんにどっちのCDに入っているのか確認して1枚購入した。お二人さんは記念のサインをしてくれた。
決めたら真っ直ぐに突き進む”まーちゃん”。チバリヨ~!
お二人さんんと記念撮影。イェー!
「私も鳥取です」と若い女性が。「どこだいな」 「鳥取市内です」 それでは記念に一枚パチリ。この女性は三線を弾き始めたそうで、弦が切れて直してもらうため持参していた。
まーちゃん、種まきピアニストりほ♪さん、至福の2時間有難う!”風人ブドゥリ太鼓京都支部”の皆さんも、遅くまでお疲れさま。