6月30日(土曜日)
6月30日は 「夏越祓」 (なごしのはらえ)の日だ。この半年の罪のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する行事が、あちこちの神社で行われている。
6月に入るとスーパーや和菓子屋さんの店頭には、京菓子の水無月が並んでいる。京都で今月一番売れたお菓子は、きっとこれでしょう。私も4個パックを買った。京菓子の水無月(みなづき)は、6月30日に、各神社で行われる疫病除けの夏越祓(なつごしのはらい)にちなみ食べるのが京都の伝統だ。白の葛(くず)や外郎(ういろう)などの上に、小豆をあしらい、三角に切られてるのがこの菓子の特徴である。
三角形は、氷室の氷(ひむろのこおり)をかたどり、小豆は、邪気祓いを表している。本日は1個いただいた。賞味期限が二日なので、残りの1個は明日の朝食だ。
【水無月の由来】
<氷の節句>
旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれる。
平安時代から室町時代、宮中や幕府では、「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払う行事が行われていた。
「延喜式」には、「北山の氷室から宮中に氷が献上された」と記され、氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといわれる。
「氷室」は、冬の氷を地下など涼しいところを利用して夏まで保存しておくところ。
<京菓子>
夏の氷は、非常に貴重なものであり、氷をかたどった菓子が作られるようになったといわれる。
6月29日(金曜日)
朝早くから外掃きをした。サルが来ぬ間に野菜を収穫せねばと畑に行くと、入り口にトマトが転がっている。
瞬間に「サルの仕業」と直感した。丸ごと食べればまだしも、一口かじっただけポイ!とは何事だ。この怒りは作った者しか分からないだろう。
気を取り直しナスの所に行くと、今度はナスとニンジンが転がっている。
ナスはほとんど食いつくしているが、ニンジンは掘り出したままだ。食べようと思っているところに、誰か来ておっぽり出して逃げたのだろうか。しかしサルも器用だ。葉の所を持って引き抜くとは、敵ながらあっぱれとしか言いようが無い。柵の外に目をやれば、これまたナスを食い散らかしている。塵取りを持って片付けに行った。世話のやけるサルだ。
立腹しているところに隣りのオジサンがやって来た。「今日もサルに畑を荒らされました。いつもは早くて9時過ぎだのに8時までに来ていたようです」と言うと、「ゆみおさん昨日は6時過ぎに来ていましたよ。お宅の屋根の上で座っているのを見ました。2匹と1匹の二つのグループがおりますなぁ」。
そこへまたまたオジサンが通りがかりサル談義に話がはずむ。「さっき市の広報車が来たとき、サルを捕獲する檻を設置してくれと言っておきましたよ」「檻の設置だったら我が家の畑に設置してくれと言うんですが」。
「トマトの収穫は畑で完熟してから取る」なんて悠著なことを考えていれば、サルの餌を作っていることになりかねない。畑で完熟したトマトは美味いのはわかっているが、背に腹を変えられない。完熟手前でやむなく収穫した。
ナスも明日収穫しようと思っているやつを、狙い撃ちのようにもぎ取って行く。生のナスがサルの好物とは今まで知らなかった。
市の広報車が「サルとの無用のトラブルは避けてください。・・・」「サルに餌をやらないで下さい。・・・」と連日のように連呼して回っている。
穏やかな気持ちで生活が出来るのはいつになることやら。
6月28日(木曜日)
空を見れば今にも雨が降りそうな雲行きでしたが、天気はもちました。お陰でゴーヤーの棚がめでたく完成した。
天井の高さが180センチ位あるので、支柱をヒモで縛るとき一苦労します。誰かに支柱を支えてもらえば、容易に固定できるが一人は簡単ではない。とにかく上を向くと首が痛くなる。幸いにもカンカン照りではなかったので、汗が額から流れ目に入る心配はなかった。
毎年同じところに同じゴーヤーの棚を作っているので、近所の皆さんは通りすがりに一声をかけてくれる。「上手につくりはりますなぁ」「連作障害は出ないのですか?」「ゴーヤーは苦いですやろ」「苗はどこで買ってこられたの?」。
畑の周り三方向が通り道なので、どなたも野菜の出来具合には興味を持っている。隣の畑と我が家の畑を見比べれば、どっちがどうやこっちがどうやと内心は思っているはず。
例え出来が悪くても「出来が悪いですなぁ」とは誰も言わない。完成したゴーヤーの棚はゆみ爺の自慢の棚だ。近所で私のゴーヤー棚と勝負するような棚は、今だお目にかかったことはない。肝心なのは美味しいゴーヤーが出来るかどうか。7月半ば過ぎには1号のゴーヤーが収穫できる予定だ。楽しみだね。