ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

城間健市ライブを楽しむ

2022-02-28 17:19:01 | 音楽
2月27日(日曜日)
今夜は京都山科ライブスタジオ58で、城間健市さんのライブが有ります。ケンちゃんのライブに行くのは3カ月ぶり。喜び勇んで山科へ。
開演はコロナまん延防止のため、いつもより1時間早く6時半開演でした。
お客さんを見渡せば、10人中9人はお馴染みのお方。飲み物は泡盛ボトルを水割りでいただきましょね。


夕食はソーキソバ。


これがメチャクチャ美味しく500円也。
予定通り18時半過ぎから始まり、1部は11曲。




【セットリスト】
1.ファイト
2.燃えろファイヤー
3.サンキュー
4.豊年のアヤグ~夢は夜開く
5.思い出
6.海ヤカラ
7.オールマイラブ
8.ハイウェイスター
9.ドスコイヘビーでござる
10.ヘビーエイサー
11.誓い

2部は20時から始まり10曲。




1.城健(しろけん)ユンタ
2.熱くなれもっと
3.噂の女
4.やまやま
5.ワンダフルトゥナイト
6.龍神ガナシー
7.ドタンバ
8.ケチャンバ
9.ディジー
10.ハングタフ

次回ライブスタジオ58での城間健市ライブは5月14日(土曜日)です。
並外れた歌唱力と言い、トークも面白いケンちゃんライブ。一度聞けば虜になることでしょう。笑いたい方は是非一度足を運んではいかがでしょうか。
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青谷梅林の梅の開花は ま~だだよ~

2022-02-27 02:18:22 | 
2月26日(土曜日)
庭に出ると、ポカポカ陽気に誘われて、観梅客の皆さんが青谷梅林に向かって上って行きます。我が家の庭の梅は、ボチボチ開花し始めました。


生産用の梅の開花は遅く、例年3月中旬に見ごろを迎えます。自分の目で開花状況を把握しておけば、「あそこに行けば咲いていますよ」とアドバイスが出来ます。と言うことで、梅林に行って来ました。紅梅は白梅よりも早く咲き、既に哀れな姿。


白梅は特定な場所に行けば咲いていますが、畑の隅にあるので見学は無理ですね。


遠目で見るしか有りません。今日の所はコレで勘弁して下さい。



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またまた孫がラジオ出演

2022-02-26 00:12:42 | 
2月25日(金曜日)
数日前に「25日のKBSラジオの朝の番組  "笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ " に 晴太が出演するよ」と息子が教えてくれました。この番組には、孫の”ひより”は2回、 晴太も2回出演しています。ラジオ局も、一度出演した家族には出演依頼をし易いようですね。 
孫の晴太は昨年の5月にも出演していて、今回で3回目になります。
本当に1年が経過するのは無茶苦茶早い・・・。放送時間は大体7時40分から約10分間で、これが終われば登校班の待っている場所に、駆け足で行かねばなりません。
7時40分に「笑福亭晃瓶のチョット聞いてえな。今朝は青谷小学校〇〇晴太君です」の中村薫さんの声が流れて来ました。
今回は晴太は何をしゃべるのか、ジイジもバァバも興味津々。
笑福亭晃瓶は50歳を過ぎていますが、このコーナーを知っているだけでも10年も経っています。俗に言う大ベテラン。子どもの話を聞き出すのが上手です。孫は帰宅後、ドラムを叩いていますが、電子ドラムを6万ほどで買ってもらい、Uチューブを見ながら10分ほど練習している等。練習は10分どころか30分はやっています。習い事は週に1回ピアノ。5年生で体操教室を止めたので、楽器演奏が好きなのでドラムをやり始めたと言っています。
中学に入学すれば吹奏楽部に入部し、ドラム担当やりたいが望みのようです。
将来の夢は有名なドラマーになること。65年前の私は、「中学生になったら、兄と同じく水泳部に入部するぞ」と張り切っていたものです。
孫にとっては、今回でラジオ出演は最後になりましたが、良い思い出になったことでしょう。
放送が終わるやいなや、元同僚の手打ちそばの店「乃田」の店主から、「先ほどのラジオに出ていたのはお孫さん?」の電話が掛かって来ました。そうですよ~(^^♪ 蕎麦の仕込みをやっている最中に、手を休めて有難うさん!
コメント (2)
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戦争はやめてくれ!

2022-02-25 01:41:36 | 国際・政治
2月24日(木曜日)
ロシアが一方的に宣戦布告し、ウクライナを攻撃しています。この戦争を止めさせる指導者がいないのでやっかいです。プーチン大統領の顔が鬼に見えます。
戦争をして何が得られますか。ウクライナ市民はどこに逃げたら良いのか、右往左往しています。撤退命令を早く出さねば犠牲者は増える一方です。
弱い者イジメは止めてくれ!戦争は一刻も早く、やめてくれ!
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戦争が無かったら私の人生はどうなっていたのだろう

2022-02-24 01:35:32 | 日記・エッセイ・コラム
2月24日(木曜日)
終活年齢になると、昔の事が思い出されます。父は東京で教師をしていました。私の生まれた昭和19年は、日米の戦争真っ只中。都会の子どもは田舎へ集団疎開。これは危ないと、父は母と子ども二人を母の実家、鳥取県泊村へ疎開させました。0歳、2歳の子ども二人を抱え東京から鳥取まで疎開は、さぞかし大変だったことでしょう。乳が欲しいと泣けば、車内で胸元を開け飲ませていたはず。この光景は、汽車に乗れば普通の光景でした。戦争が終結し、父は鳥取県で定年まで教師をやっていました。教師は戦地へ行かなくても良かったので、死ななくて済みました。訓練はやっていたので、鉄兜や防毒マスクが残っており、子どものオモチャにしていました。
階級は伍長だったので、私の同級生鳥崎君は小学生の時まで私を「伍長さん」と呼んでおりました。母親は鳥崎君に向かって、「伍長伍長は止めんかいな!」と何度言っていたことでしょう。いくら言っても止めないのが子ども。
東京空襲を経験した父は、日記に空襲の様子を克明に書いていていました。焼夷弾が落ちて来る光景を読めば、よくぞ生きていたものです。残念ながらその日記は何処へ行ったのやら。
戦争が無かったら、私の人生は果たしてどうなっていたのだろう?
シティボーイで「だってさ」は似合わないなぁ。やっぱり鳥取の田舎でガキ大将で良かったようですね。

コメント (2)
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