ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

和歌山までドライブしてしまいました。

2006-02-28 21:47:47 | 友達

2006_02280002 プールに行こうと家を出たものの駐車場が満車で泳ぐのをあきらめた。さてどうしょうかと思案の結果、天気も良いことだしドライブでもするかということで生駒山の方角へ向かった。適当に走ったら門真にきてしまい阪神高速に乗り堺方面に行くことにした。妹が泉大津に住んでいたとき何度か走った道なので気楽なドライブだ。堺に着いたら和歌山の看板が目に入り、そうだネット友達の夏海さんがいるということで和歌山へ。

湾岸線は通ったことがないので走ってみた。地図を持っていないものでどこまでかさっぱり分りません。時計を見ると和歌山まで時間がかかりそうなので高速を利用した。岸和田から乗ってとりあえず和歌山を目指した。昔白浜にゴルフをしに行ったときは一般道で阪和道は初めてである。和歌山インターを出るも駅がどっちやらわかりません。信号待ちのとき工事している警備員に方角を聞いて駅を目指した。

駅が近いような感じがしキョロキョロすると和歌山ラーメンで聞いたことのある井出商店の看板が目に入った。腹が減ったので店へ飛び込んだ。一番安いラーメン500円を食べた。濃厚な味で麺は細めんであった。この店ではラーメンのスープを飲むしゃもじが付いていないので直接ドンブリを口に当て飲まねばならない。また和歌山ではラーメン屋に寿司がおいてあるのが定番らしい。1個150円であったがラーメンだけで腹一杯になった。

夏海さんの家は「川達かまぼこ」の店なのでタクシーに乗り捜して行った。近くで店の名前を言って尋ねたらすぐ傍でたどり着くことができた。店番は品の良いお婆さんがやっておられた。とりあえずかまぼこを購入し最後に夏海さんはいらっしゃいますか?と尋ねてみた。いるはずということで内線電話をかけて呼んでもらった。初めておめにかかったのであるがネットで毎日のようにおしゃべりしているので何回もお会いしているような感じがした。お茶でも一杯飲んでということで部屋でいただいた。部屋には高校2年の長男がいて試験勉強をやっていた。ただいま水疱瘡にかかっていて顔が薬で真っ白だった。学校での試験はウツルので別室で受けるようだ。

お茶をいただいたら4時前になっていたのでおいとますることにした。帰りにお婆さんはおみやげにまたカマボコを包んでくれた。こんなにいただいたら赤字になるのではと心配になってくる。夏海さんが送りましょうと言ってくれたのでモータープールまで送っていただいた。

帰り道は迷うことなく阪和道で吹田まで1時間ちょいでそこから名神で大山崎経由淀を通り家まで合計2時間ジャスト。走行距離は片道120キロであった。

夏海さんは彼女のブログで驚きの声をあげていました。

午後から、なにげに花粉症で目が痒い。
開けてるのも、痒くてままならない。
目を閉じたら・・・・そのまま安らかな眠りに付きました。。。(笑)
4時前、お店のおばぁからの電話で、起きる。(寝すぎ?(笑)
おばぁが言う。
「京都のお知り合い、見えてますよ」
寝ぼけ眼で、考える・・・・
京都に親戚居った?
頭の回転が遅すぎ・・・誰も思い浮かびません。。。爆
店まで駆け下りる。
と、
店の前に佇む男の方・・・
w( ̄△ ̄;)wおおっ!
私、その方を見て・・・・しばし爆笑。
眠気もなにも、一発即行で、吹き飛びました。
その方とは、、、、
よくここに出没する。あの。
ゆみ爺様でした。



はぁ~~~るばぁ~~る来たでっ!
和歌山ぁ~~~っ北島三郎も、びっくり
京都から車でかっ飛ばし、やって来たのであります。
ネット仲間で、私の所にお見えいただいた方。
今までにも居ります。
すずちゃんに、takoさん。このお2人も遠路はるばる
和歌山までやって来てくれました♪
けど、事前連絡いただいてたので、驚きは無かったんですね。
けど、昨日ばかりは、驚いたぁ~~っ!
でもゆみちゃんは、皆が言うほどエロでもなく。。爆
良いお爺様でした。
あまりにも紳士なので、
私が・・・恐縮した!ちゅ~の。(笑)
それに、ウチのおばぁの話相手になっていただいたみたいです。
やっぱり、老人は老人同士って事ですか?(笑)
ウチのおばぁも、驚いてました。「とてもとても、60才過ぎには、見えへんわ」と・・・・
良かったね♪ゆみちゃん♪
まだまだこれからも、イケるでっ!若いって事や!
それにしても・・・
ゆみちゃん、ウチのおばぁに、何て言うて呼び出してもらってんやろ?
「夏海はん、居りまっか?」だと・・・
「そんなモン、居りまへん。」で、終わりや。。。爆
実名、覚えててんね。ゆみちゃん。
まだまだボケてませんわよ♪
突然の突撃訪問で、何のお構いも出来ず、失礼こきました。(笑)
で、
「ちゃんと先に言うてくれたら、お昼ご馳走するのに~」と、言うたら・・
「いやいや、これはほんの序盤でっせ、またゆっくり来ますわ」
て・・・また来るんかいっ!ゆみ爺!
ふふ。。そん時は、お昼ごちそうしまっせ♪
ゆみ爺のお土産。
私の好きな「みぶなのお漬物」に「筍と昆布の佃煮」
お茶請けに、ピッタンコや!
ゆみ爺様、ホンマにありがとうございました。嬉し、楽し、サプライズな一日でしたよん♪

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ひな祭りパート1です。

2006-02-27 05:43:49 | 日記・エッセイ・コラム

2006_02250001 2006_02250007 もうすぐひな祭りです。25日の土曜日に隣に住んでいる若夫婦は子供を連れて若嫁の実家へ出かけた。

実家で若嫁の妹と夫婦、子供と両親の合計7人で、ひな祭りパート1をやったそうな。パート2は来月我が家でやる予定である。実家のお母さんが寿司雛を作ったのだがなかなか良くできている。これを食べてしまうのはおしい気がします。

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フィギュアスケートを堪能しました。

2006-02-24 12:34:32 | スポーツ

2006_02240004 冬季オリンピックは日本勢がふがいなく盛り上がりに欠けていましたがフィギュアで日本勢が頑張ってくれました。今朝は3時に目が覚め最初から最後まで24人の演技を見ることができた。一人はメダルが取れるだろうと予想していましたが金メダルは想定外であった。安藤はまだまだの感があり、余りにも不安定すぎます。村主は高度の技がチョイと足らない気が2006_02240005 致します。

荒川さんはこれからプロの道に行ってお金をしっかり稼いでほしい。皆さんお疲れさん。

2006_02240006 Photo

【トリノ23日時事】23日に行われたフィギュアスケート女子で荒川静香選手(24)=プリンスホテル=の金メダルが決まった瞬間、会場のパラベラ競技場は大きなどよめきが起こり、日の丸が揺れた。観客席で見守っていた母・佐知さん(51)は感極まって涙ぐみ、父・晃市さん(53)に支えられた。荒川選手が演じた最高のスケーティングは、日本だけでなく外国の観客をもとりこにした。

 荒川選手はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」のメロディーに乗り、軽やかに滑り出した。冒頭の3回転ルッツ-2回転ループのコンビネーション・ジャンプを決めて観客の注意を引く。時間を経るにつれて拍手はどんどん大きくなり、誰もが彼女の世界に引き込まれていった。そしてフィナーレ。4分間の演技ですべてを出し切った荒川選手は満足そうに笑顔で手を振り、立ち上がって熱狂する観客に応えた。

 金メダルは劇的な形で決まった。最後に登場したのは優勝候補のスルツカヤ(ロシア)だが、プレッシャーのせいか滑りにいつもの滑らかさがなく、転倒する場面も。荒川選手のメダルの色は、金か、それとも銀か。日本応援団はかたずをのんでスルツカヤの得点が出るのを待った。そして最高の結果がもたらされた瞬間、会場の興奮は最高潮に達した。

 佐知さんは「メダルは取れるとは思っていたが、まさか金とは思わなかった。これ以上にない親孝行をしてもらった」と興奮気味に話す。当初、荒川選手は競技生活を20歳までと決めていた。ただ「もっと静香がスケートをしている姿が見たかった」(晃市さん)という両親の気持ちを酌んで現役を続行。しかし、トリノ五輪が近づいても調子が上がらず苦しむ娘を見て、佐知さんは「もうやめてもいいのよ」と言ったこともあった。この言葉に逆に発奮したのか荒川選手は「トリノまでもう1年は頑張る」と決意。厳しい国内選考を経て、五輪での頂点に立った。トリノでの荒川選手は佐知さんからみても「軽やかで明るかった」という【トリノ23日時事】23日に行われたフィギュアスケート女子で荒川静香選手(24)=プリンスホテル=の金メダルが決まった瞬間、会場のパラベラ競技場は大きなどよめきが起こり、日の丸が揺れた。観客席で見守っていた母・佐知さん(51)は感極まって涙ぐみ、父・晃市さん(53)に支えられた。荒川選手が演じた最高のスケーティングは、日本だけでなく外国の観客をもとりこにした。

 荒川選手はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」のメロディーに乗り、軽やかに滑り出した。冒頭の3回転ルッツ-2回転ループのコンビネーション・ジャンプを決めて観客の注意を引く。時間を経るにつれて拍手はどんどん大きくなり、誰もが彼女の世界に引き込まれていった。そしてフィナーレ。4分間の演技ですべてを出し切った荒川選手は満足そうに笑顔で手を振り、立ち上がって熱狂する観客に応えた。

 金メダルは劇的な形で決まった。最後に登場したのは優勝候補のスルツカヤ(ロシア)だが、プレッシャーのせいか滑りにいつもの滑らかさがなく、転倒する場面も。荒川選手のメダルの色は、金か、それとも銀か。日本応援団はかたずをのんでスルツカヤの得点が出るのを待った。そして最高の結果がもたらされた瞬間、会場の興奮は最高潮に達した。

 佐知さんは「メダルは取れるとは思っていたが、まさか金とは思わなかった。これ以上にない親孝行をしてもらった」と興奮気味に話す。当初、荒川選手は競技生活を20歳までと決めていた。ただ「もっと静香がスケートをしている姿が見たかった」(晃市さん)という両親の気持ちを酌んで現役を続行。しかし、トリノ五輪が近づいても調子が上がらず苦しむ娘を見て、佐知さんは「もうやめてもいいのよ」と言ったこともあった。この言葉に逆に発奮したのか荒川選手は「トリノまでもう1年は頑張る」と決意。厳しい国内選考を経て、五輪での頂点に立った。トリノでの荒川選手は佐知さんからみても「軽やかで明るかった」という2006_02240011 6692ac052bfcd9c2fb 22aa08d0407f9589cd A61462f1c7b45ac026

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焼き鳥屋

2006-02-23 19:25:27 | 食事処

2006_02230004 週に一度昔の仲間と麻雀をするたま枚方まで20キロの道のりを通っている。麻雀は頭を使うのでボケ防止には良いと勝手に解釈している。麻雀屋の隣に小生(こなま)という焼き鳥屋があり腹ごしらえにちょくちょく利用している。

2006_02230002 ここの焼き鳥の串セットが私は好きである。金額は5本が700円と普通の焼き鳥屋に比べれば高いかもしれない。少々高かろうが美味ければ文句はない。

暖簾をくぐると「らっしゃい」と元気なマスターの声。バイトの見かけないチャーミングな女性がいた。学生らしかったので早速身元調査の開始をした。

2006_02230003 広島の府中市出身の谷さんで関西外大の1回生であった。ソフトボールをやっていてポジションはキャチャーだそうな。

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田舎の葬式

2006-02-19 20:41:52 | 日記・エッセイ・コラム

2月16日隣組の方が亡くなった。享年81歳であった。亡くなったその日には隣組の10軒は揃ってお悔やみに行かねばならない。通夜は18日であったが隣組は全員受付をした。今回は葬儀場だったので駐車場の整理係りは不要であったが家でやる場合は駐車場が何箇所にも分散するので沢山の人間がいなければならない。

19日は13時から告別式で隣組の10軒は10時半に集合し葬儀場のマイクロバスで早めに行った。11時から隣組の者には膳が用意されていて早めの昼食をいただいた。とにかく何事も隣組が優先されるのが田舎のしきたりである。また葬式の日には男は必ず出席しなければならないのもこの地区の特徴である。

12時に通夜と同じく隣組の全員が町内会の受付を担当した。受付はこのほかに職場と一般の3箇所もある。この日町内会の香典を受付たのは71軒、通夜に24軒で併せて95軒の多さで故人の顔の広さを知ることができた。この町内は堀井姓と新井姓で2/3位もあり石を投げればどちらかに当たる確立は高い。
14時15分に出棺になったがこの日に初七日も併せてするとのことで隣組は残らねばならない。火葬場からお骨が帰ってきたのは17時前で、それからまた式が始まった。

お経が45分ありその後、数珠送りという風習がある。直径2メートルほどの数珠を隣組の者と親族の15人ほどで輪になり各人がこの数珠を手にのせカチャカチャと送るのである。これを20回ほど回すのであるが手を上に上げているので肩がこってきた。このような風習も段々減ってきていると和尚さんは言っていた。

サラリーマン時代は会社を休むために仕事の段取りをつけるのに何度苦労したことであろう。
ちなみにこの地区の香典の金額は隣組は5,000円でその他の方は3,000円が相場のようだ。

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