今日、わざわざ京都からお客様があった。そのお客様の名前は、田中真弥さん。先日の園部での学習会で知り合ったばかりだが、夏野菜と秋野菜のつかの間の仕事の合間ができたということで、急遽、お越しになられた。
肩書きは京滋有機農業研究会会長と仰々しいが、年齢はまだ40代前半と若く、行動力があり、発想も柔軟で、勉強もしっかりしておられ、少しではあったが、大変有意義な時間を過ごすことができた。
完全無農薬にされて10年を迎えられる田中さんは、『・自然のままに・感謝をして』“農を楽しみ、自然の声なき声に耳を澄ませたい”と澄んだ眼でお話になられ、真摯に農に取り組んでおられるその姿勢に共感を憶えた。
有機農業は、その生産性や効率の面で慣行農法に劣るといわれ、市場において、その収量が市場規模に届かず、「無農薬だから虫がついても当たり前」という百姓と「無農薬だから、美味しくなくってもしょうがない」という消費者の間違った認識の上で成り立っているかのように思われている。しかし実は、『・自然のままに・感謝をして』農に勤しむ事で、収量は慣行農法を越え、農薬が不必要になるだけではなく、投入する肥料も少なくって済むようになることで、経費も削減可能で、尚且つ持続性が高まる。なんとも一石三鳥、四鳥の価値にもなる。でも誰しもがこの農業を楽しめるわけではなく・・・この農業に出会える方は、決して手間を惜しまず、日々精進を怠らず、自然と共に生きる覚悟をし、実践する人だけなのか・・・もしれない。
田中さんは有機農業を始める前に、真に有機農業に己の人生を託す気持ちがあるのかどうか、自らを試す意味合いで、北海道の宗谷岬から京都まで50日間かけて歩いた、歩き切ったという。日毎に自らの眼が澄んでくるのがわかり、心が“無”に近づいたという。誰でも歩けるかもしれない、誰もがやれば出来るかもしれない、でも実際に出来た、やり遂げた人は少ない、おそらく有機農業もそういうもので、言うは易く行うは難シ、なのかもしれない。でも、出来れば広くみんなで“楽しい農業”を体感したいし、今後の農のあるべき姿のひとつだと私は信じている。
お互いが、時間をかけて京都の園部まで行くよりは、お互い行き来した方が割りと近く、便利なことに改めて気付き、またいろいろな面で情報の共有化を図っていきたい。
またお逢いできる日を愉しみにしております。
肩書きは京滋有機農業研究会会長と仰々しいが、年齢はまだ40代前半と若く、行動力があり、発想も柔軟で、勉強もしっかりしておられ、少しではあったが、大変有意義な時間を過ごすことができた。
完全無農薬にされて10年を迎えられる田中さんは、『・自然のままに・感謝をして』“農を楽しみ、自然の声なき声に耳を澄ませたい”と澄んだ眼でお話になられ、真摯に農に取り組んでおられるその姿勢に共感を憶えた。
有機農業は、その生産性や効率の面で慣行農法に劣るといわれ、市場において、その収量が市場規模に届かず、「無農薬だから虫がついても当たり前」という百姓と「無農薬だから、美味しくなくってもしょうがない」という消費者の間違った認識の上で成り立っているかのように思われている。しかし実は、『・自然のままに・感謝をして』農に勤しむ事で、収量は慣行農法を越え、農薬が不必要になるだけではなく、投入する肥料も少なくって済むようになることで、経費も削減可能で、尚且つ持続性が高まる。なんとも一石三鳥、四鳥の価値にもなる。でも誰しもがこの農業を楽しめるわけではなく・・・この農業に出会える方は、決して手間を惜しまず、日々精進を怠らず、自然と共に生きる覚悟をし、実践する人だけなのか・・・もしれない。
田中さんは有機農業を始める前に、真に有機農業に己の人生を託す気持ちがあるのかどうか、自らを試す意味合いで、北海道の宗谷岬から京都まで50日間かけて歩いた、歩き切ったという。日毎に自らの眼が澄んでくるのがわかり、心が“無”に近づいたという。誰でも歩けるかもしれない、誰もがやれば出来るかもしれない、でも実際に出来た、やり遂げた人は少ない、おそらく有機農業もそういうもので、言うは易く行うは難シ、なのかもしれない。でも、出来れば広くみんなで“楽しい農業”を体感したいし、今後の農のあるべき姿のひとつだと私は信じている。
お互いが、時間をかけて京都の園部まで行くよりは、お互い行き来した方が割りと近く、便利なことに改めて気付き、またいろいろな面で情報の共有化を図っていきたい。
またお逢いできる日を愉しみにしております。