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細野晴臣の20曲

2020-08-18 18:57:05 | 音楽
リア充は忙しい。人間関係の盛んな人は分刻み・秒刻みで引っぱり凧の毎日だ。人間関係と利害関係が不可分に連なった「世間」の綾により、きれいな奥さんがいて子どもも生まれるというのに別の女と繁華街の公衆トイレで密会するとか、人を、自分を安く扱ってしまう事例も生じるし、逆に孤独な人は孤独な人で学校や会社で卑屈の悪循環におちいってしまうことがある。資本主義はとどのつまり人間の利回りであるから人間関係によって個々の人生の価値が規定されてしまうことは避けようもない。

香港の文化には敬意を表するし民主主義であってほしいとは思うが、そもそもアヘン戦争で不法に奪った土地であるから、タテとヨコに組織化されていない「クラウド化」された民主化運動によって人・物・金・情報を強力に管理する中国政府に立ち向かうのは徒花感がある。「リーダーでなくスポークスパーソン」であるらしい若い男は日本では「チー牛」、若い女は「女神」として認知。逮捕された女神は日本の制服アイドルの歌詞を思い出して保釈までの不安なときを耐えたとのことで、聞いてみるとやはりひどい音楽だ。

携わっている人たちは音楽などどうでもいい。顔のいい少女には商品価値があるので、おやじたちとの握手会など企画して同じCDを何枚も買わせる。児童ポルノ・管理売春ともいわれかねない阿漕な商売。


 

会社での労働や結婚・子育てといった濃い人間関係をあきらめ、時間だけはたっぷりある私は、ブラジル・アルゼンチン・スペイン・ポルトガルといった音楽強国のよい曲を系統的・網羅的に集めていこうと試み中。それぞれの愛国心がある一方、言葉は同じなので国籍を超えてよい音楽を愛でようという動きもあり、常にある程度は音楽本位になるよう人の力がはたらく。するとますます日本の音楽の異常性が際立つ結果に。

オリコンのチャートは1967年終りに始まり、推計ではあるがそれまでの公称に比べレコード売り上げの実数に近く、お金を払ってシングル盤を買った人が順位を決める。しかし1978年に始まったザ・ベストテンが超人気番組になることで、化粧品のCMソングであったり、他の番組や映画とのタイアップであったり、自分で作曲できず歌唱力よりルックスやキャラクター性が問われるアイドル歌手であったり、よりテレビ・広告・芸能界が結託して順位を決める傾向が強まってゆく。

米国のラジオの賄賂スキャンダルであるとか、80年代終りに本人が歌っていないのにチャート1位になったミリヴァニリ事件であるとか、音楽やショービジネスの世界が汚れているのは万国共通なのだろうと思うが、日本語という壁に守られ、しかも高度成長とバブルで金余りのわが国では監視の目が十分に届かず、音楽本位はベストテンからの40年で完全に壊れてしまった。

民主化の女神さんはよさそうなお嬢さんだが、悪い音楽を判別できずにお金を払ってしまうかわいそうな子どもだ。リベラルな新聞社の株を買って応援? お金の争いに持ち込めるなら中国政府にとって望むところでしょう。




はっぴいえんど / 風をあつめて (1971 - 風街ろまん)
1947年東京生まれの細野晴臣は豊富な文化資本に囲まれて育ち、エイプリル・フールというロックバンドを経て大瀧詠一・松本隆・鈴木茂とはっぴいえんどを結成。4人とも学生運動と距離を置くノンポリであったが、音楽的にはバッファロー・スプリングフィールドなど米西海岸のロックに影響を受けつつも模倣にとどまらず日本語でロックの感覚を再現できないか模索する志向を持っており、とくに松本の作詞は70年代後半~80年代の歌謡界で花開くことに。 



はっぴいえんど / 風来坊 (1973 - HAPPY END)



ろっかばいまいべいびい (1973 - Hosono House)
恋は桃色 (1973 - Hosono House)



HONEY MOON (1975 - TROPICAL DANDY)
三時の子守唄 (1975 - TROPICAL DANDY)



ティン・パン・アレー / Yellow Magic Carnival (1975 - キャラメル・ママ)



泰安洋行 (1976 - 泰安洋行 -Bon Voyage co.-)
このアルバムのリリース直後ミュージックマガジンに執筆した記事で「僕のような半病人が作る音楽は聞く人にとっての健康によくないのではないかという懸念がある」と発言。アメリカでも日本でもない「根なし草なのでパワーがないといわれるが未来に対してパワーを持ちたい」とも発言。Hosono Houseのフォーキーな曲作りと素朴なボーカル、TROPICAL DANDYからの和洋折衷な異国情緒など現在は世界的な評価を受けているが同じ時代には一部の好事家以外誰にも知られていなかったのである。



四面道歌 (1978 - はらいそ)
はらいそ (1978 - はらいそ)



コズミック・サーフィン (1978 - Hosono Box 1969-2000)



Yellow Magic Orchestra / Mad Pierrot (1979 - Yellow Magic Orchestra: US ver.)



Yellow Magic Orchestra / Absolute Ego Dance (1979 - Solid State Survivor)
電通の連中のいう「偏差値40の人たち」にも分るテクノポリスとライディーンという演歌的な節回しを持った曲があることでYMOを中心とするテクノブームが巻き起こった。しかし元々「マーティン・デニーをディスコ向けにカバーしてアメリカで売れたい」志向があって米英では少し注目を浴びたがその後迷走し、歌ものの「君に胸キュン」が化粧品CM対決でラッツ&スターに敗れ、散開と称する解散商法まで広告に踊り続けた。YMOの音楽性が細野のボーカルの持ち味と異なるため、彼が70年代半ばの充実を二度と取り戻せなかったことは悲劇であった。



Yellow Magic Orchestra / MASS (1981 - BGM)



イモ欽トリオ / ハイスクール ララバイ (1981 - イエローマジック歌謡曲)
ひどい曲だ。松本の歌詞はラブコメ漫画というかストーカーというか。しかし欽ちゃん番組から生まれたこの曲はオリコン1位・104万枚という額面以上に当時の10代に絶大な影響力があった。中央で歌う長江健次が『しくじり先生』で語った、とくに才能のない目立ちたがりの大阪の少年が萩本欽一・明石家さんまの大物にそれぞれ不義理をはたらいてもいまでも芸能界とメディアの端につながっていられる逃げ切り世代の顛末。ジャニー喜多川と秋元康を戦犯として名指すのは簡単だが、みなそちら側に回りたかったのである。



スポーツマン (1982 - Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR and Boogie 1976–1986)
松田聖子 / 天国のキッス (1983 - ユートピア)
中森明菜 / 禁区 (1983 - BEST)



プリオシン海岸 (1985 - 銀河鉄道の夜 OST)
バビロンの空中庭園 (1995 - Hosono Box 1969-2000)
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