マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

IT社会と人のデフレ

2019-07-04 19:07:22 | メディア・芸能
真鍋昌平さんの短篇集『アガペー』表題作の、無名アイドルの「推し」を追いかける男たちのなかでも、「自分語りせず悩みを聞いてあげるだけでアイドル食いまくり」とうそぶく一見チャラそうな男が実は童貞で、ウソで固めて界隈で自慢したいだけ、本人も他の男もアイドルも誰も将来展望がなく幸せそうでない様子が印象的だった。

チャラそうなのに童貞っていう大学生を直接知ってまして。コミケに参加するコスプレイヤーたちは、風俗類似で、各人温度差はあるにせよオフパコ・セフレ・美容整形・パパ活・枕営業・メンヘラなど外見から想像されるとおりの男性経験を持っているでしょうが、女装コスプレ、あるいはツイッターだけで女装を披露している男子は、もっと温度差が大きく、男女問わずオフパコや売春類似行為を行っている者もいれば、肛門開発に至っていない者、アガペーの一見チャラ男のように現実はおくてで童貞という者も少なくない。

ツイッターで肌の露出のある女装を披露しているといっても、マスクなどで顔を隠し、化粧し、もちろん写りの良いものを選び、バカホアプリなどで加工したり。それでツイッターのフォロワー千~万単位とか、アマゾン欲しい物リストを公開して貢物を受けたりとかしてもしょせんバーチャル。ウソで固めているから、かえって素の対人関係に臆病になったり。でもチヤホヤされて自分の価値を錯覚し、せっかく大学を出ても、普通の会社勤めをバカバカしいと感じるようになってしまう。

面白いのは女装男の増加は東アジア各国で共通しており、韓国や中国はポルノや性産業への規制・蔑視が激しいこともあり、それに抗って女装活動している者は大胆で、日本人が「密かに淫紋タトゥーシールを貼って大学授業に出る」ところ中国人は実際タトゥーや局部ピアスを入れてゴツイヤクザの愛人として掘られる動画を上げたりする。しかし東アジアの若い女装カルチャーでは日本人風の名を名乗ったり日本のアニメ・ゲームキャラのコスプレをすることが当然のように共有されている。欲望の記号というか方向づけだけは先進国の面目🌈


子どもたちの元を離れる時、室内の冷蔵庫は空だった。リビングから玄関に向かう扉の外側から古い粘着テープを上下2カ所、水平に貼り直した。いつもどおり、南京錠も掛ける。子どもたちは外に出てはならない。だが、衰弱しきった子どもは外に出歩くことができるのか。そのように芽衣さん(仮名)が考えたとしたら、それは既に認知が大きく歪んでいるとしかいいようがない。それが「殺意」なのか。

これが、芽衣さんが生きている子どもたちの姿を見た最後だった。

法廷で争われたのはこの日、寮を去る芽衣さんに、殺意が認められるか否かであった。法廷で弁護士が尋ねる。
「6月9日に、二食分の食事をあげましたね?」
「戻らないとは全然考えていませんでした。2人はいつもみたいに私に手を振ってくれて、バイバイをしてくれました」
「それが最後になるとは、考えなかったのですか?」
そう、松原弁護士に尋ねられると、芽衣さんは静かに涙を流した。
「一般的には、食事を食べないと死んでしまうことはわかりますね」
芽衣さんは、うなずいた。

一方、検察官の質問には次のように答えている。
「(6月9日に)子どもがぐったりしているのを見て、そういうのが嫌で、部屋から逃げ出したのではないですか」
「ぐったりはしていませんでした。いつもと一緒でした。逃げ出したことは本当です」
裁判官には次のように答えた。
「(私のいたところから、子どもたちの部屋までは)戻れる距離なのに、どうして戻らなかったのか疑問です。でも、それは私にもわからないです」

逃げ出すのでなければ、誰かに助けを求めるしかない。芽衣さんが6月以降、助けを求めたのは男性たちだ。自分の容姿や性的な能力と引き換えだった。そして、その男性たちには、自分に子どもがいることは伝えなかった。子どもがいたら、自分を高く売ることはできない。

(中略)6月19日午後8時半からの日本対オランダ戦は、大阪心斎橋にあるスポーツバーで仲間と観戦している写真をSNS(ミクシィ)にアップしている。さらに、25日未明の決勝トーナメント進出を決めた対デンマーク戦、29日午後11時からのトーナメント1回戦・対パラグアイ戦について、仲間たちと日本チームの青いユニホームを着て、頬には日の丸に大和魂の文字を入れ、はしゃぐ姿の写真を載せた。

プチ国粋主義になれば、スポーツバーで知り合った人たちと簡単につながれる。 —(杉山春/ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件/ちくま新書2013)


前置きの女装男の件が長すぎましたが、ウソが常習化すると、周囲の人間から便利な人間として安く軽く扱われるようになる。女装・不倫・売春など、好都合なウソの部分でチヤホヤされ、不都合な本当の部分=出産・性病・借金など=はみな見ようとせず知れば逃げてゆく。誠実な者より悪人といる方が心地よく、悪循環にハマり、ウソと本当の乖離が激しくなる。9年前の大阪の事件の場合、この女性は30年の懲役が確定して服役中だが、ウソの部分を助長したたくさんの人たちも責任を感じていただきたいし、きみらも他人事やないで、ツイッターとバカホには本当に気を付けなはれ🥺
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お笑い芸人の権力

2019-04-14 18:03:59 | メディア・芸能
やや低迷していた1984年のRCサクセションに、♪このきたねえ世界で、いちばんきれいなもの、それは俺の自由・自由・自由~という曲がある。自由は本来ほかと比べるものではない筈。自分の自由だけがきれいだなんてのは、子どもっぽい自己中心に過ぎない。まあ洒落で歌っているのだろうとは思うが、曲もストーンズのパクリっぽい安易なもので、清志郎さんのその後の音楽がコピーライター的な方向に進んでしまう前ぶれだったかも分らない。

法の平等。しかし罪を犯しても罰せられない者がいる。アベ友記者のレイプ。ダウンタウン浜田さんが森三中村上さんの胸をワシづかみして揉む。後に村上さんは「体を張って笑いを取るのは嫌なんだよ」と語っていたが、当時の私は浜田さんの側に立って笑って見過ごしてしまった。立場によって、犯罪レベルの自由、あまつさえそれをテレビのお笑いという形でお金と人気に換えることが許されるなら、人間全体の自由にとって大きな脅威となろう。

浜田さんも相手が女優やアイドルなら同じことをしない筈だが、80年代終り、とんねるずの『みなさんのおかげです』が若者層の絶大な支持を集めた頃、輝くばかりの美貌であった宮沢りえさんが準レギュラーとしてコントに出演し、石橋さんが餅つきの杵ではなく誰かに斧(を模した小道具)を持たされて、ザ~ックン!って言いながら宮沢さんの股間に斧を当てたとき、宮沢さんはとてもうれしそうだった。このコントは学校が舞台で、ときどき出る宮沢りえさんとレギュラーの渡辺満里奈さんとの間には容貌に基づくスクールカースト的な待遇の差が若干あり、誰もが羨望する宮沢さんにスマートにセクハラすることができる、そのあたりもとんねるずの人気が若者層に偏り、中高年からは反発を受けがちだった要因でしょうね。



『ゴッドタン』の「腐り芸人セラピー」という企画では、事情があって腐ってしまった「腐り芸人」の先達であるハライチ岩井さん・インパルス板倉さん・平成ノブシコブシ徳井さんの3名が、より若いけど腐ってしまっている芸人さんの人生相談に乗る形式で、とても面白い。中で徳井さんは、お笑い界全体への愛が強く、ネタや立ち振る舞いについて細かく分析して的確にアドバイスできる、学校の先生のようなキャラを確立。

ところが、彼がYouTubeでシリーズ化している、吉本芸人さんとの座談番組で、オリエンタルラジオ中田さんを迎えた3回分を聞いてみると、本当に学校の先生なのは中田さんで、徳井さんは単に芸人評論家的なポジションを得たいだけの人であることに気づく。

中田さんは「お笑い芸人はカッコ悪い」って言う。なぜなら、テレビ局に、事務所に、先輩芸人との上下関係に遠慮し、置きにいっている(NGを避け安全策をとる)から。本当にやりたいことより、受けそうなキャラを立て、そのキャラとしてお笑い・テレビ界で定位置を得て棲み分けたい。中田さんはもっとお笑い芸人やテレビの枠を超え、SNSやストリーミングが優勢になっている状況も踏まえ、新しいお金の稼ぎ方を模索する。キングコング西野さんみたいな炎上商法も一案だ。新しいことをやるから反発も受けよう。

欽ちゃんやたけしのブス差別・地方差別、あるいはとんねるずやダウンタウンのおしゃれなコント、それらは子ども・若者に偏って支持され、生産年齢人口が増える人口ボーナス期にあって、それまで「色物」に過ぎなかった、落語以外のお笑い芸人のステータスを飛躍的に向上させた。冠番組・バラエティーやクイズや歌番組の司会・ドラマや映画や小説、政治討論番組などなど、その勢いはとどまるところを知らない。しかし中田さんの考えを援用すれば、それはテレビという国民的プロパガンダ装置ありきのことで、パンとサーカスのサーカス部分を担当し、「スガさんかわいい」「維新が大阪を勝ち組都市にしてくれた」と錯覚させて支持させる役回り。

スガがレイプもみ消しを主導したんですよ、自民や維新は私腹を肥やせるから再開発や五輪万博・軍事にはじゃんじゃん金を使うけど、儲からないところは超緊縮で、男尊女卑や東京と地方など機会の不平等は強まり、維新の候補には人工透析をやめろという者までいるんですよっていう正論は通らない。人気者であれば(いちばんきれいだった頃の)宮沢りえにセクハラでき、女優と結婚できるのだ。人権と民主主義は、テレビに負けたのである—📺
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バカホ(スマホ)

2019-02-28 21:50:27 | メディア・芸能
♪すきだよと言ってるの まさかうそでしょう
みんなが見てる目の前で どうかしているわ

~と初期の松田聖子は歌ったのですが、みんなが見ているからこそ、シャイな彼氏が蛮勇をふるったとも考えられるし、そうなるよう女が誘導したとも考えられましょう。他人の目・他人の存在。ロンハーの「同性が好きな顔」のランキング対戦企画で、ダレノガレ明美が自分の顔を「百億万点!!」とうぬ惚れたのも、前段で他の女たちが70点とか96点とか言ってきた流れの中で、どう自分らしさを発揮して評価を得るかという相対性の産物に他ならない。

昨年の6月、「星空サラ」と名乗る、自称「子だくさんの主婦の愛国者」が、YouTubeの画面を撮影した写真をツイッターに上げ、そこに自分のハゲ頭が映り込んでしまったことから、ツイッターやフェイスブック、別名義の複数のブログなどに基づき、横須賀市に住む70代の老人であることが短時間でバレ、自宅まで突撃を受ける騒ぎとなった。仕事などはマジメにやってきたと思われるが、ウソをついて人気者になり、有頂天になって墓穴を掘る。飲食店やコンビニの「バカッター」だって、撮った写真を誰の検閲もなしにSNSに上げられるというスマホの機能が不可欠で、便利なようで結果的には本人も勤務先もお互い下がるわけです。


実際に勤めてみることにより父が長年お世話になった金融機関という職種の雰囲気を大まかながらつかむことができた。

まずはよく言われることでもあるが、非常に閉鎖的な社会であるということ。

これは金銭という人間そのものを狂わせる可能性のあるものを直接扱う仕事であるため、組織の中でお互いが衆人環視するようなシステムになっていることによる。常日頃、誰かが他人の仕事をチェックするような体制と言っていい。お金を扱うのであるからそうあってしかるべきなのだが、そこでは個の独立が侵されやすい雰囲気を形成しやすくなってしまう。 —(赤澤竜也『会社人間だった父と偽装請負だった僕』ダイヤモンド社2009)



先日の「昭和おじさん」でも引用した本ですが、下線の部分を「他人の目という人間そのものを狂わせる可能性のあるもの」と読み替えるといかがでしょう。お金を借りに来る人は平気でウソをつくので、ドロドロしている代わり人を見る目が鍛えられ、利ザヤを稼げる仕事。承認欲求のためウソをつくなど、人を狂わせ、さまざまなアプリに依存させ、利ザヤを稼げる仕事。Smartphoneと称する、本当はFoolphone = バカホ。




愛国心の足りないなまけ者 @tacowasabi0141 2月17日
余命三年ブログにのっかって不正懲戒請求したアホ共、平均年齢55歳、男性6割なんだな。
しかも公務員や医者、経営者もって、よくもまあそんなノータリン共が半世紀も生きてしかもそれなりの地位につけてたもんだよな。

原貫太 / フリーランス国際協力師 @kantahara 2月20日
日本のハンコ文化マジでやばい…。税務署に確定申告書類を提出に行ったんだけど、

職員「ハンコ押されてないので受け取れません」

原「え」

職員「近くに100円ショップあるので買ってきて押してください」

原「はぁ…」

手間かけさせるのにセキュリティはいい加減。この作業に何の意味があるん?



夏野 剛 Takeshi Natsuno @tnatsu 2月21日
最近スマホの名義替えしたので請求書を紙で届くようにしたら、こんなの発見。76歳の母になんてひどい押し売りしてるんだろう。いくら本人同意とはいえ総務省はこういうのをやめさせるべきじゃないのか。もちろん母は契約時のショップ店員トークを覚えてない。OBとして情けない。



マガジンひとり @magazine_hitori 2月22日
auからソフトバンクへの乗り換え完了してせいせいしたが(18年間でNTT⇒ソフバン⇒au⇒ソフバン)手続きのあいだ店内で終始ゲロ以下のJ-popが流れていてうつ病悪化した😑

楠 正憲 @masanork 2月28日
そーいえば漫画村の運営者って、どーなったんですかね?漫画村を捕まえられないダウンロード違法化をやって、サイバー捜査態勢の拡充とかやらないの、いったい何のために仕事してるんだか分からないんだよねホント




人間は弱い動物だ。一人では一週間生き抜くことも難しい。ので社会を作り集団で助け合うことでこんにちの繁栄をみた。人が他人に呼びかけ、仲間を作ろうとするのは大切な本能といえよう。目立ちたい・チヤホヤされたいとかも含め。ウソで人気者になっても、ウソと分れば人は去ってゆく。残るのは、こういうウソつきには利用価値があると考える、同じようなウソつきだ。他人とつながらなければ生きられない本能は、同時に人間を流されやすく、朱に交われば赤くなるよう仕向ける。

役人は猛勉強してその立場を得たので、同期の中で負け組になりたくない、保身の生きものだ。だからBAKA安倍の官邸に人事を握られ、忖度し、悪事に加担し、電通や経団連やNHK、短期間で広範囲を腐敗劣化させた。入国管理局の職員が、外国人に対して高圧的・暴力的な態度で接するのは、日本人が相手の立場が弱いほどいきり立ち、権威的に振る舞う、社会的動物といってもとくに「お金と立場」という現実主義の記号に弱い経済動物であることを示しているのではないか。

スマホを持った人間は、まるで「銀行内の相互監視」のように常に他人の目を意識し、立場と経済価値に呪縛されて生きざるをえず、ウソまみれのつながり地獄の中で人間性をすり減らしてゆく—


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嫉妬と裏切り

2018-10-30 19:26:29 | メディア・芸能
かずお君 @kazuo57 10月29日
週末に戯れにお金と子育て論に触れてみたらクソリプが雨あられのように降り注いできたのでこの界隈で生きている方々のメンタルの強さに敬意を評しつつもう2度とキャリア・子育て・恋愛的なところは触らないと心に誓った。 注:このアカウントはふだんは不動産投資についてツイートして人気がある

43 マンセー名無しさん 2018/06/22(金) 00:25:06.24 ID:jRzW2oBh
ネトウヨは宗教ではない。むしろその逆張り
あいつらは宗教のように何かを信仰したり、何かしらの絶対的価値を認めることを徹底的に冷笑するやろ
ネトウヨの本質は(宗教とは正反対の)ニヒリズムというのは散々指摘されてきたことや

ネトウヨの出発点にあるのは客観的正義に対する懐疑や
だから人権とかの普遍的価値に対して反発するんや
保守主義は普遍的価値としての人権を認めないけど慣習や道徳という客観的正義を設定するからこれまたネトウヨとは相容れないんや
故にネトウヨは従来の保守とも違うんやな
ネトウヨの根底にあるのは客観的正義に対するニヒリズム、すなわち価値相対主義や

で、そういう「客観的正義を無意味と見なすニヒリズム」ってどこで熟成されてきたのかと言えば漫画やアニメなどのオタク文化なんやな
「正義の反対はまた別の正義」的なアレや
これがネトウヨとオタクは親和性高いと言われる所以や




アメトークの神回、ナダル・アンビリーバボーのPart 1で「ゆりやん連呼事件」として有名になった、ナダルくんが新築したばかりの吉本の劇場の楽屋で仲間と相撲をとって壁に大穴を開けてしまった件。彼は「思い出しました。劇場穴だらけですわ」「6か7は開いてるんちゃいます?」などと、自分だけが悪いのではないと他へなすり付けようとする。Part 2でも

ナダル「それこそ(ジャルジャル)後藤さんとか」
後藤「いやおれ穴開けたことないよ」
ナダル「そうなんですよ」

と墓穴を掘る。彼のウソや言い訳、責任転嫁は、ほとんどの場合即座にバレ、さらなる笑いを生むことになる。ある意味、天真爛漫でかわいいとさえいえる。性欲や金銭欲は強いみたいですが。ずっと変らずいてほしい。

わが国は、自己肯定感の低い社会であるといわれる。空気を読めとか、忖度しろとか。あるがままの自分でいられない。冒頭画像のウシジマくんの風俗嬢は、飲みの席で杏奈という先輩に気を遣って「ウチらの中では杏奈が看板だよ」などと社交辞令を言うので、杏奈がいなくなると「あいつの時代は終ってるっつーの」などと手のひらを返す。心にもないことを言ってしまう卑屈さと、その裏返しとしての攻撃性だ。

同調圧力の強さは、一人一人の猜疑心や劣等感を一時的に覆い隠すかもしれないが、そうした社会では嫉妬を買わない、調整型の人物がリーダーに選ばれ、全体の生産性を引き下げることになる。コンテンツにおいても自由な挑戦が妨げられ、ラノベやJ-popはどれも区別が付かないような没個性なものが並ぶ。何も言っていないのと同じである。有吉弘行さんがテレビの収録で某女優を泣かせてしまったとき、MCの極楽とんぼ・加藤浩次が彼を連れて後で謝罪したのだという。加藤は男気があるのだなと思ったが、そうしたことこそ「調整型のリーダー」として彼を最大公約数的な「ご意見番」に導いたのだろう。

おぎやはぎや極楽とんぼのラジオを以前は楽しく聞いていたのだが、いまは聞くに堪えない。社交性や世間知に富んでいるが、独自の考えはほとんどない子どもなのだろうと思う。先日アメトークの「人見知り芸人」で、人見知りの卒業生としてオードリー若林くんが出ていた。ガールズバーの心のない会話で最低限の社交性を身に付けたのだとか。それと引き換えにつまらない人間になってしまわないか少し心配。一新された人見知り芸人たちは、みなそれぞれ貴重な原石だ。ナダルくんも、「回す側の人間」になりたいと思うことはかまわないが、きみはもっと面白い、輝け
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アイドルと北朝鮮

2017-09-17 20:07:02 | メディア・芸能
西野芙美@TENGA広報 @nishino_fumi 8月27日
“最初の武器の発明によって、それまで保たれていた殺戮能力と殺戮抑制とのあいだの均衡が崩れ、攻撃を無害なものにする「動物的本能」が役に立たなくなり、ここに危険な「人間性」、すなわち「悪」の芽が胚胎したのである。”
という澁澤龍彦による序の一文にやられて買ってしまった




この本を買う気はないが、なるほどと思った。武器を手にすれば、肉体のみより大きな攻撃力を得られ、相手に致命傷を与えうる。このこと自体「悪」の表れであり、文明とか人間らしさとかいったものは、光と闇の両面を併せ持つ。

医者というのは、お金を稼ぐ手段、職業であり商売であり、しかしお金をもらっているのにさらにお礼まで言われる、特殊な仕事だ。弁護士もしかり。こうした士業には国家資格が必要で、長期の先行投資を経て、お金と尊敬の両方を得られる「武器」を手にする。殺傷力ではなく、人助けの性質でも、やはり武器を手にすることで、光と闇のいずれかに引きずられるきっかけになりうる。「ナチ須」や「橋下ゴキブリ」はこうして生まれる。

実感と影響力がかけ離れ、均衡が崩れる。わが国の著名人や文化人に、おおむね幼稚で思慮や自省に欠ける、いい年をして、いや老いるほどに馬鹿みたいな人物が多いこともこれで説明できよう。出版界やテレビ界にポジションを得るのは一芸入試のようなものだ。筒井康隆なら何でもドタバタにしてしまう能力、橋本治なら「桃尻語」のような当時の若者の考え方や話法、これが決定的な武器で、多芸多才のように見えても、それ以外は頭角を現すほどではない。なので広告的にあちこち出しゃばっても、姿勢としては世に出た一芸の周辺で守りに入っているので、思想というか、年齢相応に成熟した人間洞察の境地に至らない。

きょうの題名について、これ以上の多弁は必要ないでしょう。未成年の美貌。核開発の一点張りでアメリカ相手にゴネまくる。飲み屋で高齢会社員の床屋政談と居合わせて、北朝鮮の話題なんてアイドルの話題より悲惨だとツイートしたのだが、意外と筋が通っていましたな
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志村けんプレイリスト

2017-09-04 19:32:01 | メディア・芸能
子どものころ父から「ドリフターズというのはアメリカに本家がいる。日本のは遠い親戚みたいな」と聞いた。遠い親戚でも私にとってテレビの王さまはドリフだった。最も初期の記憶に(3~4歳)、加トちゃんがオネショしてしまった布団をいかりやさんの母から隠そうとする、全員集合のコントの一場面がある。志村けんさんは付き人から見習いを経て、私が小4となる1974年4月に荒井注さんの脱退に伴い正式メンバーに。24歳と若く、マジメそうな風貌で、しばらく人気が出なかったが76年に合唱隊のコーナーで「東村山音頭」を歌って大ウケ。

一丁目は今にして思えばジェームズ・ブラウンそのもの。弟子入りの際もコント55号と迷い、元はコミックバンドで音楽に近いとの理由でドリフを選んだ志村けんさんの決めギャグは、音楽と密接な関係に。70年代終りのジャガジャガジャジャジャジャジャン! ア~アッ!というのも脱力を誘うがソウルフルだったし(ソウル婆ちゃんという名称らしい)、80年代に入るとテディ・ペンダーグラスの曲を用いたヒゲダンス、ウィルソン・ピケットのリフに乗せ、キャンディーズ「やさしい悪魔」の振りを流用しての早口言葉など、切れ目なく子どもの心を捉えた。

思春期に差し掛かった私はドリフから離れ、深夜ラジオやひょうきん族の方に惹かれ、19歳の時には小堺一機・関根勤による長寿ラジオ「コサキン」と出会う。加トちゃんケンちゃんごきげんテレビはたまに見るくらいだったが、やがてひょうきん族を再逆転。並行してフジの月曜8時に、志村さん中心の『だいじょうぶだぁ』が始まると、いしのようこ、田代まさしらとの息の合ったコントにより、お笑い番組があまたある中で今も記憶の王位に君臨。89~91年くらいは神の域だった—




志村けんさんが、お笑いの一線からやや引いた位置となり、コサキンも2009年に終った。いまや私はほぼテレビを見ない。録画したロンハーとアメトークのみ酒の肴に楽しむ。すぐに消してしまう回もあれば、繰り返し再生する回も。近年ではロンハーの格付け女・まぜるな危険SP(2015年2月と4月)、アメトークのナダル・アンビリーバボー(2016年9月と11月)が出色だ。ナダル回の1回目など十数回再生。何度見ても面白い。

でもそれは、両番組の総合プロデューサー・加地倫三氏の著書によると、ナダル回であればメイン出演者をドッキリで騙し、うろたえるさまなども周到に準備され、演出や撮影や編集、企画意図が完璧以上に実を結んだ、一つの集団実験作品なのだ。

加地Pは中学生当時コサキンに投稿ハガキを送っていたという。個々の芸人はもちろん、お笑い界全体を敬い、テレビ朝日に入るとまずスポーツ局で仕事を覚え、念願のバラエティへ配属されると、巧みな話術でキャバクラの酒席を仕切り、若手芸人や制作スタッフ、幅広い人脈を築いた。常にお笑い本位だから、同じように良いものを作りたい芸人・スタッフに慕われ、ロンハーの不道徳な企画や、アメトークのネガティブなテーマ(運動神経悪い・中学の時イケてなかった・好感度低い)も成功。ネタをやる番組ではないのにお笑い的なステータスが高い。

思えば、だいじょうぶだぁでは、脇を固めるいしの・田代・松本典子・桑野信義と、志村さん以外はアイドルと音楽出身で、常に一生懸命だがお仕事でやってます感のある松本典子に対し、やる気がないように見えてハマると無類に輝くいしのようこというのは、ロンハー/アメトークのノンフィクション性とも近く、全員集合の練られたコント、歌手などと組む合唱隊や小コントで培われた志村けんさんの芸が頂点に達し、次代への露払いともなった、貴重な瞬間だったろう。いしのとの夫婦コント、ひとみ婆さん、絶品だったなァ~




iTunes Playlist "志村けんプレイリスト" 54 minutes
1) Otis Redding / Security (1964 - Pain in My Heart)


2) Groucho Marx / Lydia the Tatooed Lady (1939 - The Very Best of Groucho Marx)


3) ラッツ&スター / め組のひと (1983 - Back to the Basic - Very Best of Rats & Star)


4) The Beatles / I Should Have Known Better (1964 - A Hard Day's Night)


5) Wilson Pickett / Don't Knock My Love, Pt. 1 (1971 - A Man and a Half: The Best of Wilson Pickett)


6) キャンディーズ / やさしい悪魔 (1977 - 2000 BEST キャンディーズ)


7) Randy Crawford / Almaz (1986 - Abstract Emotions)


8) Teddy Pendergrass / Do Me (1979 - Teddy)


9) 柳ジョージ&レイニーウッド / さらばミシシッピー (1981 - HOT TUNE)


10) Charley Patton / Mississippi Boweavil Blues (1929 - The Rough Guide to the Blues Songsters)


11) The Rutles / Cheese and Onions (1978 - The Rutles)


12) 中島みゆき / りばいばる (1979 - 中島みゆき THE BEST)


13) Santana / Africa Bamba (1999 - Supernatural)


14) Otis Redding / I've Been Loving You Too Long (to Stop Now) (1965 - Otis Blue/Otis Redding Sings Soul)


15) 喜納昌吉&チャンプルーズ / ハイサイおじさん (1977 - 喜納昌吉&チャンプルーズ)

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昭和疾風怒濤 #4 - さらばサムライ野球

2016-10-23 19:24:31 | メディア・芸能
翌日は群馬でプレーした。宿舎からバスで3時間のところだ。雨には降られなかったが、初めて酔っぱらいのアンパイアに出くわした。

一塁ベースで、明らかにセーフなのにアウトとコールされた俺は、頭にきてアンパイアに詰め寄った。顔と顔が近づいた途端に、アルコールの臭いがプーンときた。外は30度を越えているから、試合前に冷たいビールでも一杯ひっかけたのだろう。いや、3杯か4杯、あるいはもっと飲んだのかもしれない。

相当酔っているらしく、まぶたがトローンと半分落ちかけている。俺は奴の目を指さした。評論家やレポーターは、俺が「こいつは目がおかしいんだ」と言っていると勘違いしたらしい。俺は違うことを言いたかったのだが。

王(監督)は一応、抗議にやってきたが、あまり熱心ではなく、すぐに引き揚げた。ま、6-0で勝っているし、2位に4ゲーム差をつけて首位を独走しているのだから、こんな場面でムキになる必要はない。だいいち、暑くて口論する気にもならなかったのだろう。

その晩、気づいたことがある。王という人は金を払ったことがないのではないか。一緒にメシを食いにいっても、レストランの主人は彼に請求書を渡そうとしない。いつもそうだ。なんだってタダなのだ。球場にもいろいろな人間が、ミカンや酒やタバコを山のように差し入れにくる。どこへ行っても、みんなに知られているのだ。ガソリン代だって払うのを見たことがない。 —(W・クロマティ/R・ホワイティング共著 『さらばサムライ野球』 1991年・講談社、より)





純血主義でV9を達成した後、デーブ・ジョンソン(1975~76年)を皮切りに外国人助っ人を招くようになった読売ジャイアンツ。一年目は期待外れで「ジョン損」よばわり。鶴光師匠のギャグ「どうせあたしはクルーガーよ」(79年)、赤瀬川原平が無意味な構造物にたとえた「トマソン」(81~82年)など、飛び抜けた人気球団ゆえ失敗例は散々言われる一方、84~90年に在籍した外野手ウォーレン・クロマティこそ長く親しまれた筆頭と申せましょう。86年に.363でセ・リーグ打率2位(三冠・歴代最高打率のバースに次ぐ)、89年には長く4割を保ち、最終的に.378で首位打者と、中距離バッターとして活躍。ホームランを打って一塁を回ったところでの派手なガッツポーズ(↑画像)、外野スタンドに向かっての万歳三唱などがお馴染みとなりファンを沸かせた。頭部に死球を受け担架で運ばれた翌日の試合で代打満塁ホームラン、敬遠球を打ってサヨナラ安打など印象的な場面はあまた。

喜怒哀楽が豊かで、サービス精神旺盛。モントリオール・エクスポスからやって来て、日本の野球に驚き、戸惑いながらも見事に適応した彼は、現役時代から日本での経験を本に書こうと準備しており、引退後ただちに、『菊とバット』『和をもって日本となす』など野球を通じて日本文化を分析してきたロバート・ホワイティング氏の助力を得て出版。オーナー(正力亨)より威張っていて、優勝後、選手を前に40分もスピーチをぶつ、その中で全選手を称えるがクロマティには触れない務台(読売新聞)名誉会長、長時間の練習は無意味だという批判、監督・コーチや選手の言動や人望、王監督時代、中畑が王を陰で「ワン公」と呼んでいたなど、赤裸々な内容で出版当時バクロ本として受け取られたが、その後、野茂やイチローがメジャーで成功する一方、巨人軍をめぐるさまざまな悪弊が噴出、日本プロ野球が大いなる地殻変動を経たいまなお、この本が投げかける問いは新鮮で、再発見に満ちている。




↑80年代前半、巨人の主力選手。左上から時計回りで江川投手、中畑内野手、原内野手、篠塚内野手


先日、おぎやはぎのラジオを聞いていると、(ベッキーなどの)不倫についていつまでも言ってる奴はモテないから。俺も不倫が悪いことくらい分かってる。関係ない第三者がいつまでも言うなってこと、などと小木が語っており、正論ではあるが、割り切れないものを感じ、有吉に続いておぎやはぎのラジオも聞かなくなりそうな按配。

私の父は晩年、入浴時にラジオをビニール袋で密封して持ち込み、巨人のナイター中継を聞いていた。大洋ホエールズが三原マジックで日本一になったことは彼にとって若き日のレジェンドであり、98年10月、横浜ベイスターズがそれ以来の日本一になったのを見届けるように翌月首吊りで果てた。

私も亡父の影響で小5から巨人を応援し、クロマティの本に記述のある試合はほとんどテレビで見たが、近年スポーツ全般関心が薄れ、巨人のことは嫌い。憎む。死ねナベツネ。が前回の『虫たちの墓』が本棚の講談社文庫コーナーに収まり、ハミ出た『さらばサムライ野球』を処分ついでに読み始めたら止まらなくなった。めっぽう面白い。クロマティの感受性とホワイティング氏のジャーナリズムが噛み合い、どの人物も生き生きと描き出される。江川・原・中畑・山倉、愉快な面々。王監督の苦闘、西本や桑田投手など巨人の中で疎まれがちだった様子や、他チームの外国人選手の動向など興味深い記述が次々。

一人一人は光も影もある彼らは、「巨人軍は紳士たれ」という言葉で影を見せることを厳しく禁じられた。巨人の控え選手の方がパ・リーグの主力選手より知名度があったような、クライマックスシリーズでDeNAの方に声援が偏る今からは信じられない格差があった。そんな時代背景のもと、巨人の闇は封印され続け、積年の無理が祟って、近年の凋落・スキャンダル続出を招いたといえよう。ベッキーが、過度に明るく、ポジティブなキャラとして振る舞ってきた分、不倫騒動が長引いているのと似ている。芸能人は悪口を言われるのも芸のうち、知名度の証しである。各チームの人気が平準化し、テレビより球場という本来の姿にかえりつつある、今のプロ野球を愛し、贔屓チームを持つ方々をうらやましく思います—



さらばサムライ野球 (講談社文庫)
Warren Cromartie,Robert Whiting,松井 みどり
講談社
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偽王:べっきぃますぞえ考 - Goth Pop #9

2016-06-21 19:56:42 | メディア・芸能
4年ほど前の「貧困と残酷」という記事で、詩人の金子光晴氏が『日本残酷物語』月報に寄せた一文を引用したことがある。同書は全7巻で、明治~昭和前期のわが国が、急速に欧米列強に追い付く富国強兵を成し遂げた陰で、普通の人びとがいかに因習に閉ざされ、貧困に苦しんでいたかを全国くまなく踏査した名著だ。

昭和35(1960)年の、その月報で金子氏は、神奈川県の漁村の若者が、「心中ものが流れよったとなると、村の青年は勇み立って、われがちに小舟にのって引きあげに出るんです(そして男は捨てて女の死体をみなで凌辱する)」と、さも当然の権利のように話すのを聞いて、日本人の中に遠い過去から「復讐的な、理不尽な蔑視の感情」が受け継がれ、それは残酷物語で描かれた明治~昭和前期はもちろん、戦後になっても変わっていないと肌寒さを覚える—




この残酷さは、特に貧困によって正当化され、自らの貧困な人生への復讐とでもいえる形をとって、その刃を他者に向けることとなる。被害者にとって理不尽でも、加害者にとっては正義。

こうした理不尽な復讐的感情を、闇金ウシジマくんでも繰り返し目にすることができる。↑画像の不良少年たちは、先輩と共謀し、丑嶋社長から金を強奪しようとする過程で、行き当たりばったり、たまたま居合わせたカップルを拉致し、女を輪姦する。「おいビッチ」と呼びかけているが、彼らが無理やりビッチにさせたのだ。




覚えているか 王よ
まつりがあった

あれは7年前 わたしは十になったばかり
まつりの混乱に乗じて おまえはやってきた
家いえに火の矢を射ながら

戯れ者のなりをし
わたしの家族が家とともに燃える中庭で
姉とわたしを犯して殺した

おまえの剣は わたしの心臓から わずかにそれた

覚えているか 王よ
あがないのまつりの最高潮は一ヵ月も続き
夜ごとの花火 火事 殺人 阿鼻 叫喚
酒 音楽 街中が 狂ったかのように 踊りさわぎ

あのときの光景は 忘れない
忘れられない かたときも。
 —(萩尾望都 「偽王」 1984)


先日、2006年というから、もう10年前のことになる、くりぃむしちゅーの深夜ラジオを発掘して聞いてみると、ベッキーについて執拗な下ネタを送ってくる投稿者がいて苦笑。この当時のベッキーは、大学に通いながらバラエティー番組などに出ており、既に明るく元気ながんばり屋さんというイメージが定着していた。

ベッキーを下ネタに引きずり込もうという動きは有吉弘行やおぎやはぎにもあった。別に彼らに先見性があったなどと言うつもりはないし、ベッキーや舛添を擁護するつもりもない。有名人でも普通の人間だ。悪いこともするだろう。

言いたいのは、ベッキーがポジティブなキャラで見ない日のないテレビの顔となる、また舛添が国際政治学者として名を売り「総理になってほしい人」となる、その一方で、彼らを寄ってたかって引きずり下ろしたいというわれわれの欲望も大きく育っていたということである。

萩尾望都さんの漫画で、ヴァルーファルーという美しく平和な都市国家?が、50年に1度「あがないのまつり」で狂乱状態となる。この国中のとがを背負い、若い国王がたったひとり贖罪者「偽王(にせおう)」として去勢され目を打たれ追放されることで、ヴァルーファルーには再び平和が訪れる。短いが、記憶にとどまり続ける話だ。こんにち日本ではテレビで雑誌でネットで、日々まつりが行われ、人びとは半狂乱で、次の偽王=べっきぃますぞえを探し、王位に座らせる—





iTunes Playlist "Goth Pop Playlist #9" 141 minutes
1) Inkubus Sukkubus / Vampyre Erotica (1997 - The Anthology)



2) Hælos / Alone (2016 - Full Circle)



3) Cerrone / Générique-Début (Brigade Mondaine) (1978 - Cosmic Machine: A Voyage Across French Cosmic & Electronic Avantgarde 1970-1980)



4) Siouxsie and the Banshees / Dazzle (1984 - Hyaena)



5) Holy Esque / Hexx (2016 - At Hope's Ravine)



6) Big Star / Big Black Car (1975 - Third/Sister Lovers)



7) Arcade Fire / Afterlife (2013 - Reflektor)



8) Beck / Round the Bend (2002 - Sea Change)



9) Suicide / Shadazz (1980 - Suicide: Second Album)



10) Einstürzende Neubauten / Abfackeln! (1983 - Zeichnungen Des Patienten O.T.)



11) 鬼束ちひろ / infection (2001 - This Armor)



12) Dead Can Dance / Cantara (1987 - Within the Realm of a Dying Sun)



13) Giola / Circling (2016 - Single)



14) Lou Reed / Caroline Says II (1973 - Berlin)



15) The Kills / Doing It to Death (2016 - Ash & Ice)



16) Calexico / Ballad of Cable Hogue (2000 - Hot Rail)



17) Dirty Beaches / Lone Runner (2011 - Single)



18) Fucked Up / Queen of Hearts (2011 - David Comes to Life)



19) Porcelain Raft / I Lost Connection (2013 - Permanent Signal)



20) Brian Eno / Spirits Drifting (1975 - Another Green World)



21) Gary Numan / Metal (1979 - The Pleasure Principle)



22) David Vassalotti / Lady Day Redux (2016 - Broken Rope)



23) David Bowie / We Prick You (1995 - Outside)



24) Boris / イントロ (2003 - 悪魔の歌)



25) Tom Waits / Hoist That Rag (2004 - Real Gone)



26) Blondie / The Hardest Part (1979 - Eat to the Beat)



27) Radiohead / Lucky (1997 - OK Computer)



28) Iggy & the Stooges / Penetration (1973 - Raw Power)



29) 戸川純 / 蛹化の女 (1984 - 玉姫様)



30) Bauhaus / Bela Lugosi's Dead (1979 - Single)
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昭和疾風怒濤 #2 - 美空ひばり

2016-06-05 19:51:25 | メディア・芸能
竹中労はひばりと、ひばりの歌とを愛している。ゆえに、献身と奉仕をもっぱらにして然るべきなのである。それが、喜美枝さん(ひばりの母)の唯一絶対の論理であった。抵抗できぬのだ。逃げ出すほかにすべはないのだ! 「美空ひばりは神様である」と私はそのころ書いたことだが、「山口百恵は菩薩である」(平岡正明)とはニュアンスを異にする。神様とは敬して遠ざかる存在であって、日常ふだんにつきあっていたのでは、こちらがひばり教の神主、司祭となり果ててしまう、まあそれでみいりのよい連中もいた。私のようなヤンチャに幇間は勤まらない、会うは別れのはじめであった。

鮎を馳走するという、七匹も八匹も九匹も十匹も塩焼きをウントコショと運ばせて、どんどん食べちまう! 秋ともなれば松茸であるが、これが鍋に満ち溢れている。グラグラ煮えておる。

「過分というものじゃないですか」と心中つぶやいとるけど、口に出しては失礼というものだ。箸をつけぬ前に腹はふくれて、何やら哀しくなってしまう。ああ、何という趣味・嗜好の落差であることよ!

…誤解のないように断っておくが、ヤユしているのではない。おのれが実に度し難いインテリ、"教養"に毒された俗物であるということを、ひばり母子に私は教えられたのである。あのキンキラキン、豪華けんらんの舞台衣装を悪趣味と嗤う人は、美空ひばりを理解できぬのだ。庶民の願望・ユートピアの化身として、ひばりは威風堂々と存在する。たとえば天安門のごとく朱と金に、極楽鳥のごとく七彩に、釈尊のごとく日月をしたがえ輝きわたり炎え立ち、しかもその眸には涙を湛えていなくてはならぬのである。

かくも豪奢にそしてかくも哀切に、ひばり街の子と共にいませばなり。鮎・松茸なんざ驚愕に値しないのだ。勿体ない一匹ぐらいは宵越しの刺身でと、いじましいことを考えるほうが心根卑しいのである。美味しいものはたらふく食え、悲しい時には誰はばからずに哭け、しんじつ憎い奴は叩っ斬れ! それが庶民の心意気…、"浪曲原理"なのである。 ―(竹中労 『完本・美空ひばり』 ちくま文庫・2005年、原著1965年)





引用した部分、美空ひばりとその母の贅沢三昧は、逆に小林旭との結婚生活においては、旭が人前でベタベタしたり、豪華な新居を建てたことを幸せに感じられず、芸能界では格下の旭が暴君のように振る舞うことにも耐えかね、じきに別居~離婚、元の一卵性母子のサヤに戻ってしまう、といったように描かれる。

常にひばりを庶民の子、正義であり偶像であるとせんがため、情に流され支離滅裂におちいっている部分も少なくないが、独特の美文調で、素材の持つ熱量の高さは生々しく伝わる。全く独特な評伝の傑作といえよう。

ひばりは1937(昭和12)年生まれ。終戦時は8才であり、彼女の歌は戦後のわが国のたくましい復興ぶりを象徴するものであった。父の増吉氏は復員兵で、焼け野原の横浜市にあって、娯楽を自らの手で作り出そうと素人楽団を編成、この頃から天才的な歌いぶりを示したひばりをボーカルに立て、喝采を博す。

が、豆歌手として世に出るも、NHKラジオの『のど自慢』では、失格の鐘一つすら鳴らない。「子どもが大人の歌を歌っても審査の対象にはなりえない。ゲテモノは困りますな」と拒絶される。ひばりの芸の下地を培った増吉氏も、歌はあくまで道楽と考え、プロ歌手を目指すことに反対だったが、ひばりは早くも10才にして母の喜美枝さんと二人三脚、歌手の道を歩む決意を固める。

小学校へもろくに通えない地方巡業の日々。天才歌手の評判は全国に広がり、映画出演に続き11才でレコード・デビュー。「悲しき口笛」「東京キッド」とヒットを連発。1952年の「リンゴ追分」は当時異例の70万枚を売る大ヒット。ボードビリアンの川田晴久や山口組組長の田岡一雄はひばりの才能を認め、支援を惜しまなかったが、文化人などからのゲテモノよばわりは続き、彼女の栄光を快く思わない者は少なくなかった。

これを象徴する事件が1957年、浅草国際劇場で起こる。正月公演のフィナーレ、ひばりが舞台に出ようとしたその時、一人の少女が駆け寄って、液体をひばりに浴びせた。液体は塩酸で、ひばりは焼け付くような痛みで失神、救急搬送されることに。犯人は東北の田舎から上京してお手伝いさんをしていた少女で、ひばりの熱烈なファンだったが、「みじめな自分にひきくらべ、みなにチヤホヤされているひばりちゃんが憎くてたまらなくなり、焼けただれてみにくい顔になれば舞台にも映画にも出られなくなるだろう」と犯行に及んだのだった。




↑お互いにとって不幸だった、小林旭との短い結婚生活(1962-64)。田岡組長がとり持ち、喜美枝さんが別れさせたとも伝えられる


ジャマイカの音楽スカのドン・ドラモンドが「リンゴ追分」をカバーしている。軽快なスカのインスト曲だ。「リンゴ追分」が名曲であることに疑問の余地はない。が、私は美空ひばりの曲として最上だとは思わない。

方言交じりのセリフを語る部分が、いかにも演じている感をぬぐえないからだ。虚構を演じて、お客を喜ばせる。そも歌謡曲はそうした音楽だが、私が思うに(ひばりのような)オペラ的な歌の上手さと、ロック的な歌の上手さは価値観が対極にある。黒人音楽をルーツとするロックの尊厳は、他人からどう思われようと、自分を貫くことから生ずる。

この見地から、ひばりの最もひばりらしい曲は「越後獅子の唄」か「お祭りマンボ」だと思う。歌唱も絶品だ。初期の美空ひばりは良い曲が多い。私は彼女のベスト盤を探して、とんでもない盤をレンタルしてしまったことがある。「悲しい酒」「柔」など、私の嫌う60年代の、もったいぶった尊大な歌い方で、初期の曲を録り直した盤。

彼女はプロ野球の金田正一投手と対談する企画で、金田氏の自信と誇りを目の当りにし、以降「歌の女王」「日本一の歌い手」の称号を自ら進んで担おうと決意したのだという。その重みに耐え、うち勝とうと。




↑晩年の美空ひばりがステージで用いた衣装


少女歌手として味わった「歌える喜び」と、後年、歌の女王としての重責。この落差を埋めるための酒や母親への依存、孤独、強がりといったものが、彼女に堂々たる音楽の王道を歩ませなかった。弟が山口組系の暴力団幹部となったため、NHKをはじめマスコミを敵に回すことも避けられなかった。

大腿骨骨頭壊死の大病から、1988年4月の東京ドーム「不死鳥」コンサートで39曲を歌い切り、奇跡の復活を遂げるも、再び病状悪化。翌1989年6月、昭和から平成へ移り変わるのを見届けるように、不帰の人となる。52才の若さであった。そして2年後には、同じ肝臓を病みながら活動していた竹中労氏も後を追ったのである―



完本 美空ひばり (ちくま文庫)
竹中 労
筑摩書房
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Sumo Decade - 北の湖逝去

2015-11-23 20:01:47 | メディア・芸能
北の湖敏満、北海道壮瞥町出身の横綱、のち日本相撲協会理事長で本名・小畑敏満(おばたとしみつ)。
この「敏満」という名が、図らずも彼の相撲を一言で表している。巨体ながら俊敏で、組んでよし、離れてよし、左四つに組んで右上手を取れば無類の強さを発揮するが、突っ張り合いでそのまま押し出してしまうことも。差し手の巻き替えが巧みで素早い。1974年の名古屋場所後、21歳2ヵ月の若さで横綱昇進。輪島、若乃花(二代目)らと好勝負を繰り広げ、連続出場・勝ち越し・二桁勝ち星を続け、「憎らしいほど強い」と称されるほど君臨したが、81年の夏巡業で膝を傷めてからは別人のように脆く、休場がちとなり、第一人者の座を千代の富士に譲り、両国に新国技館が落成して迎えた85年初場所を最後に引退。

優勝24回、歴代最多の横綱在位63場所、年間最多勝7回など、功績を称えて現役のシコ名のまま親方となれる一代年寄が贈られ、後年は相撲協会理事長として、協会の公益法人化や、八百長問題・暴行死事件などで低迷した大相撲の人気を回復させることに尽力した。在任中、九州場所中の11月20日に体調が急変し死去。62歳。




74年名古屋場所。琴桜と北の富士が相次いで引退し、一人横綱となった輪島は2敗、前場所優勝して勢いに乗る大関北の湖は1敗で迎えた千秋楽。結びの一番で左四つから得意の下手投げで輪島が勝ち(左ページ)、共に13勝での優勝決定戦も、北の湖が右外掛けに来たところを輪島が下手投げで破り逆転優勝(右ページの下側)。面目を果たすと共に、優勝を逃した北の湖も場所後横綱に推挙された。
北の湖理事長死去後、談話を求められた輪島は、思い出の対戦としてこの逆転優勝を挙げている




一門の総帥で、当時の理事長だった春日野親方(元横綱栃錦)の指導で、雲竜型の土俵入りを稽古




昭和28年生まれの関取衆は有望株揃いで「花のニッパチ」と称された。後列左より麒麟児、若三杉(のち二代目若乃花)、金城、前列左より大錦、北の湖




77年5月、二子岳の引退相撲で披露された輪湖三段構え。76年と77年、12場所のうち千秋楽に輪島と北の湖ともに優勝圏内で対決したのが7度、うち4度は相星決戦、優勝決定戦1度。76年は北の湖優勝3回で輪島2回、最多勝は輪島77勝。77年は輪島3回・北の湖2回、最多勝は80勝の北の湖と、この2年間は稀に見る実力伯仲




78年、輪島がやや衰えを見せ始めたが、大関若三杉が充実。夏場所14日目、全勝の北の湖に上手投げで土をつけた。千秋楽、1敗同士の決定戦では北の湖が雪辱したものの、場所後に横綱となり、若乃花を襲名。
北の湖理事長死去後の談話によると、14日目の若三杉は、北の湖に上手を許しては負けると考え、廻しを堅く締めたがゆえ、上手投げを打った際に肋骨を骨折していたという




81年初場所、1敗同士の優勝決定戦は、右四つからの上手投げで千代の富士が北の湖を下す。千代の富士は関脇で初優勝だったが、急速に台頭、新しい時代へ




新国技館の土俵を踏むまではと頑張った北の湖だが、初日、2日目と連敗、遂に白星を挙げることなく土俵を去った。引退相撲・断髪式で最後にハサミを入れるのは、北の湖と同期で、土俵入りの太刀持ちや優勝パレードの旗手を務めることが多く、自らも最後は大関に上がった増位山(二代目)の三保ヶ関親方。この引退相撲の直後に先代の三保ヶ関親方が北の湖の実父と1日違いで亡くなり、葬儀が重なったが、北の湖は「師匠は親以上の恩人」として、親戚中に手紙を出して父の葬儀を欠席し、師匠の葬儀へ出席した



画像はすべてベースボール・マガジン社の相撲・各年の総集号と、激動の昭和スポーツ史・相撲より。今では信じられない思いがするが、この頃の私は巨人ファンで北の湖ファンだったんですね。テレビでスポーツ観戦する時間が長かった。

相撲も79年くらいまでは欠かさず見ていたと思う。輪島との、あるいは若乃花との千秋楽、優勝を賭けた一番など、どれほどドキドキしたことか。
76~77年の輪湖は本当に実力伯仲していたし、均衡状態ということでは、79年と80年も、北の湖が3回優勝、輪島と若乃花と三重ノ海が1回ずつ優勝。ことし、白鳳が3回優勝して、照ノ富士と鶴竜と日馬富士が1回ずつ優勝したことを思い起こさずにはいられない。

あるいは初期の北の湖が優勝決定戦で4回続けて負けたのも併せ、若く、実力者の彼が、相撲界全体の繁栄を考え、敵役を買って出て、ガツガツと優勝をむさぼろうとせず、真剣勝負ではあるが、長い目で他の力士にも花を持たせた、広義の八百長に近い含みもあったろう。

彼は非常に記憶力に優れ、現役中の全取組と決まり手を記憶していたという。昔の自民党の政治家、例えば田中角栄のような清濁併せ呑む懐の深い人物だったのではないか。だからこそ、力が衰え、引き際を疑問視されてからも、84年夏場所で全勝優勝し、どうにか新国技館落成まで土俵に上がることを、相撲界の総意として許されたのだろうし、後年には異例の理事長再登板となったのも、その人望の表れといえよう。

白鳳は、もし帰化して一代年寄の資格を得たら、との問いに対し「北の湖理事長から受けたかった」と答えた。いま彼は前人未到の優勝回数に達し、奇手・猫だましを試みるなど、衰えてからの北の湖には許されなかった、余力をもって相撲の奥義を究めようとしているかのよう。これからの大相撲がどうなるかは分からないが、そのますますの繁栄を、北の湖の冥福と併せ祈りたい―
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