Sakana no Sanaka

沖縄本島テキスト系ダイバーの一考察

根の方(ニライカサゴ)

2019-08-27 20:09:27 | フサカサゴ科

真夏日続きのやんばるです。

南寄りの風はゆる~く、陽光は痛いくらいに鋭く…。

まだまだ真夏だなぁ…、って思える日が続いてます。

遙か南に台風12号が発生したようですが、北上はせずに西進しそうです。

風は南東。晴天。

■■

遙か遠い東の海の彼方、または海の底、または地の底にその異界はあるのだとか。

年初にはそこから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にはそこに帰っていくのだそう。

魂はその場所からこの世にやってきて、生者として過ごし、死者の魂はまたその場所に去ると考えられてもいるのだとか。

その場所、その異界とは『ニライカナイ』のことです。

当地沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる他界概念です。

この概念は、『古事記』や『日本書紀』等に記述された『常世の国』の信仰と酷似しているのだそうで、民俗学者の柳田國男はニライカナイを日本神話の『根の国』と同一のものとしているのだとか。

ニライカナイの『ニライ』は『根の方』という意味と考える説もあるそうで、するとやっぱり根の国と同一の異界なのだろうと思えたりも。

琉球では、死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されていて、ニライカナイは祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあるのだそうです。

■■

さて…

〈フサカサゴ科オニカサゴ属ニライカサゴ Scorpaenopsis diabolus 19年7月10日 沖縄島崎山〉

学名種小名は『悪魔』の意。

和名の由来のニライカナイは、豊穣と生命の源でもありますから、学名の悪魔とは馴染まないな…とか思えたり。

ただニライカナイは『地獄に消える』という意味だという説もあり、地獄なら悪魔とも繋がるかな…とも思えたりも…。

ニライカナイの『カナイ』には、『彼方』という意味だとする説を始め諸説あるようですが、琉球語に多い韻をとるための無意味な言葉という説もあるのだとか。

ああだからニライカナイカサゴじゃなくてニライカサゴになったのかも。

まあ、違うでしょうね…。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯の動詞化(ハナゴイ)

2019-08-20 20:28:10 | ハタ科

早朝までは雨交じりでしたが、日中は陽光が鋭かった本日のやんばるです。

熱帯低気圧が東シナ海を北上中なのですが、特にそれを感じることもなく…。

また南の海上には、もう一つ熱帯低気圧が。

こちらは数日以内に台風に発達しそうです。

沖縄島には接近しない予想ですけど。

風は南東。晴れときどき曇。

■■

『瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものぞ眼交に もとな懸かりて 安眠し寝さむ』

万葉集の、山上憶良の長歌です。

瓜を食べても栗を食べても我が子のことを思い出す。遠くにいても目に浮かんで安眠もできない。という感じの歌。我が子を愛して止まない気持ちを歌っているのだそう。

この歌の『瓜食めば』や『栗食めば』の『食め』は、『食む』のことで、『はむ』と読んで『食べる』という意味。

なんでもこの言葉は、『歯』が動詞化した言葉だと考えられているのだとか。

サボる・メモる・ミスるみたいに外来語+るで動詞化するのと同じような感じでしょうか。

食べることを意味する言葉には、他にも『食う』がありますよね。

これは『くわえる』から転じた言葉なのだとか。するとこちらは略語的な感じなのでしょうか。

『食べる』そのものは『給う』から変化したもので、これはもとを辿れば宮中の女房詞なのだそう。

つまり『食べる』はかなりお上品な言葉だったらしく、下々のもは『食む』を使っていたのだそうです。

『食う』や『食む』より『食べる』の方がお上品な表現だというのは、まあ今でも同じですよね。

肉食動物は『食う』、草食動物は『食む』というイメージがあるのですが、僕だけでしょうか。

例えば『虎が肉を食う』、『牛が草をはむ』みたいなイメージなんですが…。

■■

さて…

〈ハタ科ハナダイ亜科ナガハナダイ属ハナゴイ Pseudanthias pascalus 19年7月2日 沖縄島崎山〉

画像は幼魚。

学名種小名は、意味不明。

『意味不明』という意味ではなく、意味が不明ということ。トウアカクマノミと同じパターンですね。

おそらく pascalis の誤植なのだとか。で pascalis はというと、『草をはむ』の意。

うーん、この学名でも意味がよく解らないのですけど…。

本種が食べるのは、カイアシ類・プランクトン・甲殻類の幼生・魚の卵などです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初は牛車に…(モンツキアカヒメジ)

2019-08-13 19:47:28 | ヒメジ科

沖縄島は台風10号の強風域にすっぽり入っています…。

入ってるんですが、台風感は全くない本日のやんばるです。

風は北寄りですが、灼熱~な真夏日。

一時雨が心地良く感じたりした一日でした。

風は北西。晴れ、一時雨。

■■

「この紋所が目に入らぬか。控えおろう」

という台詞は、水戸光圀が全国を旅する時代劇の決め台詞ですね。

『紋所』というのは、いわゆる家紋のことです。

『家紋』は日本固有の紋章で、その起源は平安時代後期あたりなのだとか。

最初は装飾目的で描かれていた文様を、貴族が各家固有の目印として使うようになり、平安後期に公家が独自の紋を牛車に付けて都大路で披露して歩き始めたのが、家紋の起こりなのだそう。まあ、一説によるとですが。

と言うことは、高級車のエンブレム的に始まったという感じでしょうか。ロールスロイスやメルセデスのエンブレムみたいな…。

その後家紋は武家に広まり、鎌倉時代以降に爆発的に普及したのだとか。というのも、武士にとっては戦場で敵味方を区別したり、自身の手柄を確認させたりするための手段として家紋が利用されたのだそう。そのため幔幕や幟旗、馬標や刀の鞘など、あらゆるものに家紋が入れられたのだそうです。

江戸時代になると一般庶民も家紋を所有し使用しだしたのだとか。江戸時代は一般庶民が苗字を公称することが出来ませんでしたが、家紋を用いることは規制されなかったそうで、家・一族の標識として機能していったのだそう。

またこの時代に礼装・正装の衣服に家紋をいれる習慣が一般化したのだとか。いわゆる『紋付』あるいは『紋付羽織袴』ですね。

江戸幕府は家紋の使用に関してかなり慣用だったようですが、徳川氏の家紋である『葵紋』の使用だけは厳格に禁止していたのだとか。だからこそ「この紋所が目に入らぬか」に効果があったわけですね。

家紋は現在でもほとんどの家に一つは伝えられているのだそうですが、自分の家の家紋って知ってますか?

僕は幼少の頃に母親に我が家の家紋入り紋付を見せられた記憶があるのですが、肝心の家紋の記憶はすっかり失われています…。

■■

さて…

〈ヒメジ科アカヒメジ属モンツキアカヒメジ Mulloidichthys flavolineatus 19年6月20日 沖縄島新里〉

まだ幼い個体。

学名種小名は『黄色い線条のある』の意。

体側にある黄色縦帯のことでしょうね。

撮影時はドンヨリと曇った空模様でしたが、そのせいかどうか、不活性な体色で砂底で休止していました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母猿の悲しみ(チギレユキイロウミウシ)

2019-08-06 19:35:41 | ウミウシ

本日台風10号が発生し、これで日本の周辺には8号・9号・10号と、トリプル台風状態になりました。

沖縄島には8号の影響はなく。10号の影響もなさそう。

で、9号は、8日から9日にかけて先島諸島に接近しそうな予報です。

やんばるは、今のところ強風域にかかるかな、どうかな…という感じです。

海はそれなりに荒れそうですが…。

本日はまだ台風感は全くなく、北寄りの風にもかかわらず灼熱~な一日でした。

風は北東。晴天。

■■

『断腸の思い』という表現がありますね。

『はらわたが千切れてしまうくらい辛く悲しい』という意味の言葉です。

これは中国の故事に由来する言葉なのだとか。

晋朝の武将桓温が蜀に行くために船で川を渡っていたとき、彼の従者が子猿を捕らえて船に乗せました。すると近くにいた母猿が、連れ去られた子猿を岸伝いに追いかけだします。百里あまり進んだ所で船が岸に近づくと、泣き叫びながら追い続けていた母猿は船に飛び移りましたが、そのまま息絶えてしまいました。従者が死んだ母猿の腹を割いてみると、その腸がずたずたに千切れていました。

というのが、その故事なのだそう。

母猿には、はらわたが千切れるほどに耐えがたい悲しみだったということなのでしょう。

壮絶すぎる語源ですね…。

ちなみにこの千切れるの千は、千という数字を表しているわけではなく、数が多いことを表しているのだそう。

『千歳』や『千万』の千ですね。

ハリセンボンの千もそうですよね…。

■■

さて…

〈イロウミウシ科アオウミウシ属チギレユキイロウミウシ Hypselodoris babai 19年6月17日 沖縄島安和〉

橙黄色の背面に散在する白色の大きな斑紋が、千切れた雪なのでしょうか…。

学名種小名は『馬場氏の』の意。

後鰓類学者、馬場菊太郎博士への献名です。

馬場菊太郎博士は日本の後鰓類研究の第一人者で、世界中の後鰓類研究者から敬愛されていた人物です。

他界寸前まで研究を続けられ、生涯に記載した新種の数は約112種なのだそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする