Sakana no Sanaka

沖縄本島テキスト系ダイバーの一考察

最初は牛車に…(モンツキアカヒメジ)

2019-08-13 19:47:28 | ヒメジ科

沖縄島は台風10号の強風域にすっぽり入っています…。

入ってるんですが、台風感は全くない本日のやんばるです。

風は北寄りですが、灼熱~な真夏日。

一時雨が心地良く感じたりした一日でした。

風は北西。晴れ、一時雨。

■■

「この紋所が目に入らぬか。控えおろう」

という台詞は、水戸光圀が全国を旅する時代劇の決め台詞ですね。

『紋所』というのは、いわゆる家紋のことです。

『家紋』は日本固有の紋章で、その起源は平安時代後期あたりなのだとか。

最初は装飾目的で描かれていた文様を、貴族が各家固有の目印として使うようになり、平安後期に公家が独自の紋を牛車に付けて都大路で披露して歩き始めたのが、家紋の起こりなのだそう。まあ、一説によるとですが。

と言うことは、高級車のエンブレム的に始まったという感じでしょうか。ロールスロイスやメルセデスのエンブレムみたいな…。

その後家紋は武家に広まり、鎌倉時代以降に爆発的に普及したのだとか。というのも、武士にとっては戦場で敵味方を区別したり、自身の手柄を確認させたりするための手段として家紋が利用されたのだそう。そのため幔幕や幟旗、馬標や刀の鞘など、あらゆるものに家紋が入れられたのだそうです。

江戸時代になると一般庶民も家紋を所有し使用しだしたのだとか。江戸時代は一般庶民が苗字を公称することが出来ませんでしたが、家紋を用いることは規制されなかったそうで、家・一族の標識として機能していったのだそう。

またこの時代に礼装・正装の衣服に家紋をいれる習慣が一般化したのだとか。いわゆる『紋付』あるいは『紋付羽織袴』ですね。

江戸幕府は家紋の使用に関してかなり慣用だったようですが、徳川氏の家紋である『葵紋』の使用だけは厳格に禁止していたのだとか。だからこそ「この紋所が目に入らぬか」に効果があったわけですね。

家紋は現在でもほとんどの家に一つは伝えられているのだそうですが、自分の家の家紋って知ってますか?

僕は幼少の頃に母親に我が家の家紋入り紋付を見せられた記憶があるのですが、肝心の家紋の記憶はすっかり失われています…。

■■

さて…

〈ヒメジ科アカヒメジ属モンツキアカヒメジ Mulloidichthys flavolineatus 19年6月20日 沖縄島新里〉

まだ幼い個体。

学名種小名は『黄色い線条のある』の意。

体側にある黄色縦帯のことでしょうね。

撮影時はドンヨリと曇った空模様でしたが、そのせいかどうか、不活性な体色で砂底で休止していました。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母猿の悲しみ(チギレユキイ... | トップ | 歯の動詞化(ハナゴイ) »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。