Sakana no Sanaka

沖縄本島テキスト系ダイバーの一考察

忍び(モヨウシノビハゼ)

2020-08-11 17:23:41 | ハゼ科

8月に入って立て続けに台風が発生していますね。

1日に3号が発生してから10日間で6号まで発生していますから、2.5日に1個のペース…。

沖縄島近海を通過した5号は足早に去って行き、もちろん影響はありましたがまあそんなにひどくもなく。

明日からはまた強烈な日差しの猛暑が続きそうです。

小笠原近海の熱帯低気圧が少し気になりますけど、今のところ台風までは発達しないようです。

風は南。曇。

■■

『乱破(らっぱ)』、『素破(すっぱ)』、『草』、『奪口(だっこう)』、『かまり』。

これらは皆同じものを指す呼称の異名です。

『忍び』とも呼ばれる、と言えばわかりますよね。そう、『忍者』のことです。

忍者は、室町時代から江戸時代の日本で諜報活動・破壊活動・謀術・暗殺などを仕事とした集団ですね。

古くは飛鳥時代に聖徳太子が大伴細人(おおとものほそひと)を間諜(いわゆるスパイ)として用い、これを『志能備(しのび)』と呼んだと伝えられる地域もあるのだとか。

忍術を使う忍者は源平時代以後の日本で発祥したもので、日本各地で71の流派が文献上に見られるのだそう。うーん、伊賀・甲賀・根来…くらいしか思うつきません…。

まあそういう日本各地の忍者集団が、室町時代から戦国時代、江戸時代にかけて、ある集団は大名や領主に仕え、またある集団は独立した傭兵的に、戦場で戦ったようです。

江戸時代に入ってからは主に諜報活動に従事していたようですが、当然隠密活動ですから歴史の表舞台に現れることはなく、松尾芭蕉や葛飾北斎が実は忍者だったなんて説があったりもするのだそう。つまり旅をしながら諜報活動をしていたのでは、ということですね。

因みに秘密や隠し事を暴いて明るみに出すことを報道用語で『すっぱ抜く』と言いますが、これは前述の忍者の異名である素破が語源なのだとか。

歴史上の忍者の最後の活動は、ペリーの黒船来航の際の船上パーティーに潜入し、パン・タバコ・蝋燭・便箋を持ち帰ったことなのだそう。なんか地味~に思えたりも…。

海外でも『Ninja』は普通に知られる存在ですが、忍者が登場する最初の海外作品は『007は二度死ぬ』なのだそう。

日本ではもちろん古くから忍者が活躍する小説や映画やドラマ、コミックやアニメがあるわけですが、最近では『NARUTO』とかで忍者を知る少年少女たちが多いのではないでしょうか。『NARUTO』は海外でも人気があるそうですから…。

僕はといえば、『仮面の忍者赤影』で忍者というものを知りました…。

■■

さて…

〈ハゼ科ハゼ亜科モヨウシノビハゼ属モヨウシノビハゼ Echinogobius hayashii 20年7月6日 沖縄島新里〉

学名種小名は『林氏の』の意。

本種に最初に和名をつけた魚類学者の林公義に因んでいます。

本種は砂底に生息し、危険を感じると孔の中に逃げ込みますが、テッポウエビ類との共生関係はありません。

そのため孔の様式も違うのだとか。共生ハゼの孔が砂底に対して斜めに伸びていくのに対して、本種の孔は垂直に伸びているのだそうです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする