無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『何色でもない花』の歌詞はどこをとってもフックラインだらけなんだけど、やっぱりいちばんに取り上げたいのはここなんだ。

『確かめようのない事実しか
真実とは呼ばない』

普段ヒカルの新曲を聴く時私は、フックラインに出会う度にガツンと殴られるような感覚を覚えるものなのだけど(曲だけじゃないな、『空が目を閉じる』とかもそうだな)、今回は珍しく(?)、じわじわと、「…ん? あ、え? 今なんつった? え、あ、あぁ、ああああああ!!!」とタイムラグをもってインパクトが襲ってきた。言ってる事は明解だけど、それが何であるかを認識するまでに時間が掛かった。そんな感じ。

そうなるのもむべなるかな、

「AでないBしかCではない」

とかっていう構成の文章って、すぐには理解できないのよね。否定が二つで、更に真ん中に「しか」があるんだもの。とても複雑でややこしい。そもそも、事実=fact、真実=truthの違いが難しいしな。

でも、「しか〜でない」は「だけが〜である」と同じ意味だと気付けば(nothing but = only ね!)、

『確かめようのない事実しか
真実とは呼ばない』



『確かめようのない事実だけを真実と呼ぶ』

だとわかる。一歩前進。
んでこれが何を言ってるかっていうと、

「確かめられる事実は(わざわざ)真実とは呼ばない」

ってことなのよね。

(対偶「真実と呼ばない事実は確かめようがある」の書き換え…なんだけどそれは別にいいや(笑))

ある事が事実であるにも拘らず、そうだと確かめられない時に人はその事実を真実と呼ぶ。真実と言い換える、と言った方がいいかもしれない。事実が事実だと確かめられる、誰が見ても事実でしかない、そんな時にはわざわざそれを真実だなんて呼ばない。そのまま事実って呼ぶだけでいいんだもの。

事実を事実として確かめられない時、つまり自分はそれが事実だと確信してるけど周りにはそうなんだと伝えられない時に人はどうするか、どうしなきゃいけないかって、兎に角「そうであると信じる」事なのよね。確かめようがないんだもの。だから自分にとっての事実をまずは自分自身が信じるしかない。そういう場合にその人にとっての事実を真実って言うんだよねと、そんなことを歌ってる歌なんです『何色でもない花』という歌は。


…世の中には「証明不可能だからこそそれは真実でしかあり得ない」って話もあったりするんだけど、ヒカルはその話も知ってるのかもしれないね。ならばシミュレーション仮説や量子力学なんてワードは煙幕でしかないのか!? わかんないけど、ちょっと『SCIENCE FICTION』てキーワードにますます興味が湧いてきましたね私はっ。

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『Gold 〜また逢う日まで〜』もそうだったんだけど、今回の『何色でもない花』もまた私は先に公開されたバラードパートの時点で満足感を感じていたので、ある意味フルコーラスはリラックスして迎える事が出来た。にもかかわらずそれであっても「こうくるか!」と唸らざるを得なかった。歌詞もサウンドも。

まず、ヒカルの発言をそのまま引用しよう。

『あと、こんなの初めてなんですけど、8分の6拍子と、4分の4拍子と、また8分の6拍子っていう、なんか謎のタイム・シグネチャーの三部構成になってるんで、なんかそれをみんながどう体感ていうか、どう感じてるのかなとかどう思うのかなって、聴いてくれた人の感想が、楽しみです。』

そう、今度は三部構成で来たのだ。しかも、普通なら三部構成といえば「メインパート〜サブパート〜メインパート」という、最後に出だしに戻る展開(所謂ダ・カーポですね)を想像するのだけど、『In love with you』という歌詞は共通しているとはいえ全く異なるアレンジでそのままカットアウトするという荒技に出てきやがった。終わり方の唐突さという点でいえば2008年の『テイク5』以来のインパクトだったかな。ただ、私聴いてる時にこの最後の8分の6パートを迎えながら、「あれ?このあとなんか言うことあるかな?」と思うや否や曲が終了したので、恐らくこの曲はこうなるのが自然なのだと思う。聴き始めは新規さがまさっていて冷静な判断は出来かねる感が否めないが、ひとまず「これはこれでいいんだ」という気持ちだ。

冷静に考えると、4:03というあわや3分台に足を突っ込みそうな、ヒカルの曲の中でも短めのトラックで2回もリズム・チェンジして、それが無理矢理に聴こえないってとんでもないセンスと構築力なのだが、歌詞の流れだけを取り出すと確かにこれはこれでちゃんと言いたいことを過不足なく描写しているなと感じられる。

そこらへんの「過不足のなさ」は、ひとつ例を取ると、この曲は2度

『だけど
自分を信じられなきゃ
何も信じらんない』

のパートが出てくるんだけど、一度目と二度目で聴き手の受け取り方が変化していれば、この曲は「役割を果たした」と言っていいんだと思う。そこらへん、今後細かく解明していけたらなと思います。

でもねぇ。このあと更に次の新曲が控えていたり当然それに伴ってベスト・アルバム発売にツアー決行という流れなので、果たしてどこまでじっくりみていけるやら。この歌は時流を左右するというよりは、世の中の流れから一旦離れて俯瞰して物事をみつめる視点から描かれているように思うので、少し浮世離れしたモードであたりたいのよね。うん、なんとか試みていきますよっと。

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