無意識日記
宇多田光 word:i_
 



サマーソニック2024の出演者がまだ発表になっていない。昨年はいつ頃だったかなと検索してみると、第一弾発表が1/25だった。あーこれもういつ発表になってもおかしくないやつだわ。

前回の日記で、ヒカルも(昔でいう)初老の年齢になったし今後は(今すぐでなくても)様々な衰えとかと向き合っていかないといけないのかどうなのかなという風な事を思いながらあれやこれやと書いたのだが、なるほど夏フェスというのはできるだけ若いうちに出ておいた方がいいかもしれない。単純に暑いのだ。体力が要るのよ。

サマーソニックは毎年お盆前後に千葉と大阪で二日間行われる音楽フェスティバル。立秋直後という日本でいちばん暑い時期に、直射日光まっしぐらなマリンスタジアムなどの野外会場を中心にしてたくさんのアーティストたちが競演する。何が暑いって、昼間っから(というか朝からか)やっとるからね。暑いよね炎天下は。

ヒカルもマリンスタジアムでのコンサート、しかも8月下旬とまさにサマソニのシーズンにライブの経験はあるのだけれど、DVDで観れる通りナイター、夜公演だったのだ。真夏の真昼のマリンの経験はない。

このタイミングで宇多田ヒカルが初出演となった場合、果たしてヘッドライナーなのかというのはそうそう確約されていることではない。CDの売上とライブでの力量は必ずしも一致しない。経験と歴史と格というものがある。これが逆に若くて凄いというのなら、かつてのアークティック・モンキーズのような大抜擢もあるかもしれないが、宇多田ヒカルはデビュー25周年ぞ? 大抜擢とか、全然似合わないのよね…なんとも、扱いが難しい。

まぁ、大トリで出てくれた方が夜だから助かるというのはあるし、知名度からくる集客力もなかなかのものがあるだろう。ここらへん、単独コンサートとの違いは出よう。昔「サマソニで観たいアーティスト第1位は皆てんでバラバラだったが、第2位は圧倒的にPerfumeだった」みたいな話をここで書いた事があると思うが、フェスというのはそういう「そこまで入れ込んで聴いてる訳ではないけどちょっと観てみたい」みたいな人たちがごっそり押し寄せるので、宇多田ヒカルの知名度と「そういえば観た事ない」度を考えると当日観に来る人はとても多いだろう。一方で、事前の集客力となるとかなり未知数なのだ。やはり安直にヘッドライナーにしていいアーティストではない。


我々からすると、目下チケット抽選応募受付真っ最中なので、もしフェス出演するならとっとと発表して欲しいとこだけど、例年の発表の仕方をみるに、準ヘッドライナー級やサブステージヘッドライナーくらいだと春先、4月まで発表がずれ込むケースも結構ある。もしかしたら、私らの今月のレギュラーチケット申込のみならず、4月のCDシリアル申込が終わってから5月にフェス出演が告知されるかもしれない。ヘッドライナーでないのなら、あり得ない話ではない。

サマソニはフェスのくせにチケットが売り切れる大人気な催し事だ。席なんて決まってないのにそんな事になるのだから物凄い人の数になる訳だが、それでも流石に宇多田ヒカル単独公演よりはチケットが取りやすい。この際だからフェスでもいいよ一目でいいから生のヒカルをこの目で観てみたい!という人にとっては、もし仮に出演するような事があれば、一筋の希望の光になるだろう。

参考までに、昨年のサマソニチケット料金は、東京の一日券が18500円、大阪の一日券が16000円…そう、SFツアーのレギュラーチケットと大して変わらなかったのだ(というか大阪はSF最安より安いだと…⁉︎)。今年はここから幾らか値上げされるとは思うが、それでも他のアーティストも観れる事を思えば格安か。相対的には、だが。


今回のSFツアーのチケットの販売方法からして、後からフェス出演とか追加公演とかやりにくい雰囲気なのだけど、未だに可能性を拭い切れない。なぜだかフジロックとサマソニバンコクを避けるかのように埼玉宮城大阪公演が平日二日間なのも気にかかったままだ。他は週末なのにね。確かに、夏フェス出るなら今のうち。観るうちらだって歳取るしね。ここを逃したら「フェスに出ないアーティスト」として定着してしまうかもしれない。別にそれでもいいのだけれど、ヒカルの生歌にファン以外の人たちがどう反応するか、ちょっと見てみたい気もします。さぁどうなるでしょうね暫し動向を見守りましょうか。

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ドラマ「君が心をくれたから」は「雨ちゃん(永野芽郁)が日々五感を失っていく」ところがストーリーの柱となっている。甘々のラブストーリーかと思いきや、この要素を以てしてラブ・ファンタジーと形容されてきた。

確かに、数週間ずつ、それもある時刻を過ぎたらいきなり五感のひとつがシャットダウンされるというのは余りにも非現実的な話でファンタジーと呼ばれても仕方がないのだが、これが数年や数十年、そしてある時刻にいきなりではなく何年もかけて徐々に、ということであれば現実ではとてもありふれた現象となる。老化っていうんですけどね。

歳をとると五感がどんどん衰えてくる。最もポピュラーなのは老眼で、近くに焦点が合わなくなる。かといって遠くがよく視えてくる訳でもないのでこれは単純に悪化や劣化と呼ばれる現象だ。鼻も利かなくなるし、味覚の衰えは、特に夏場に傷んだ食材を見抜けなくなるという意味では健康に、いやさ生死に関わってくる。雨ちゃんみたいに唐突でなくても、人は長生きすればするほど少しずつ五感を失っていくのだ。

特に聴覚は、かなりの人があからさまにその能力を失う。老人に話を聞き返された経験が無い、という人は少ないのではないだろうか。「耳が遠くなる」というのは「老眼になる」よりずっと度合いが甚だしいというか、単なる老化で失明にまで至るよりも失聴の方が身近に感じられる気がするのよね。

それに、衰え始めるのも早い。こどもの頃、ブラウン管のトランス音がうるさいと大人に幾ら訴えてもわかってもらえなかった事を思い出す。成人すると確かに、15000Hz以上は聞き取れなくなった。もうその頃から衰え始めているのだ。補聴器もだいぶポピュラーになったけどまだまだ高価で、メガネほどの手軽さには程遠い。

リスナーとしても日々自分の聴覚の衰えと向き合わされているが、送り手としてはどうなんだろうね? 猫よけの超音波まで聞こえてしまっていた宇多田ヒカルさん、今でもその人間離れした聴覚は健在なのだろうか。まだ40代に入ったばかり…多分まだまだ大丈夫だとは思うが、今年はホール/アリーナでのコンサートツアー。リハーサルから本番まで、イヤーモニターでガッチガチに固めてその至宝たる聴覚を守り続けて欲しいものだ。ステージの大音量に晒され続けて聴覚を衰えさせていくのはかつてはライブ・ミュージシャンの宿命だったけれど、今の時代なら何とかなっていると信じたい。

ただ、今後の創作には影響が出てくるかもなぁ。高音域を認識できなくなっていくと、生まれるサウンドもギラつかないというかくぐもった音質になるような気がしないでもない。それは聴覚の衰えの他にも音楽的趣味や興味の変遷など他の要素に拠る所も大きいのでそこだけ取り出して論じる事は難しいが、今回の新しいリレコーディングやリミックスの全体の傾向から読み取れる事も何かあるかもしれないね。余りにも見た目が若いので勘違いしがちだが、昔は「初老」といえば40歳のことを指していた。今後は、あの宇多田ヒカルですら老化や衰えとは無縁ではいられないかもしれないのた。そんなことを、「君が心をくれたから」に触れながら考えてしまったのでした。だから、今後はコンサートひとつひとつの重要性、貴重さが更に格段に上がるだろうね。いろいろ元気なうちにしか出来ないパフォーマンスが、幾つもあるだろうからさ。

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