無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて、『何色でもない花』でずっと気になっているのがサビメロの歌詞、

I'm in love with you
In it with you
In it with you

に於ける『In it with you』の存在である。あんまり歌詞で耳馴染みのあるフレーズでもない。検索してみたら無くは無いみたいだけどもね。

確かに、「英語では、同じ単語が二回以上出てきた時は二回目以降は代名詞に置き換える」という大原則が存在する為、

I'm in love with you
In love with you
In love with you

とは言わないだろうよ、というのは、それはその通りかもしれない。でも、こう「話されたら」くどく聞こえるというだけで、こう「歌われるのなら」、歌のリフレインで同じ単語を繰り返すのならいいんでないの? それを忌避するのはなんか違うんじゃないかと最初に聴いた時からずっと思っている。実際、↑のようにitではなくloveで歌ったとしても、メロディの尺としては問題ない。それに、ポップソングであることを考えると、『In it with you』というのは結構聞き取りづらいので、少々くどくてもloveで押した方が良かったりもしそうでな。

でもそこはヒカルさん、普段そこまで気にしてないんだよね、歌詞の聞き取りにくさ。この歌の途中に出てくる『存在しないに同義』なんかも、これ別に『存在しないに同じ』とかでいいのよさ。尺的にも音韻的にも意味的にも。そこを敢えて“同義”という、話し言葉では滅多に使われない単語を使ってくる辺りが寧ろ作詞家宇多田ヒカルらしさであったりもして。あまり「聴いてすぐ意味がわかる」事を重視してない節もある。

ではなぜ" In love with you "ではなく『In it with you 』なのか? 結論からいえば、さっぱりわからない。強い理由があるかどうかすら定かではない。

それでも敢えて何か理由をくっつけるとするなら、

「恋心が曖昧になっていくプロセス」に聞こえなくもない

という効果がひとつ、考えられる。恋が冷めるというのとはちょっと違っていて、

「私はあなたに恋してる
 あなたにそうしてる
 あなたに私は…何をしてる?」

みたいなニュアンスね。つまり、記憶喪失とか認知症、認知障害といった類いの、確かに私はあなたに何らかの感情を持っていて、何なら今でも持っていて、でもそれが何であったかがわからなくなっている状態、みたいな、そういうやつ。

ちと無理のある解釈だとは思うが、このように読み取ると、この曲の3:08以降、4分の4拍子から8分の6拍子にリズムチェンジして以降のアレンジの意図を汲み取れそうなのだ。


┏ In it with you
C'In it with you
┗ (3:08~3:28/8分の6拍子)

┏ I'm In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
C In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
┗ (3:28~3:49/8分の6拍子)

? (3:49~4:03/?分の?拍子)


C'のパートで、『I'm in love with you』から入らずいきなり代名詞itを使った『In it with you』から入る。英語の文章的には変だ。前段のloveを受けるから二回目以降のloveにあたる箇所をitに出来るのだ。なのにここでは唐突に「it』から入ってくる。更に、このC'パートの2行はサブスクの表示では歌詞が無い。つまり、この独特のエフェクトが掛かった『In it with you』×2のパートはメインヴォーカル扱いではなく、バックコーラスや効果音といった扱いになっているようなのだ。

なので、ここの『In it with you』は、自分の真ん中を見失っているような、少し病的というか絶望的というか、それまでとは逸脱した感情を描いているように思われる。そしてそのパートの残り香を纏ったまま曲前半と同じCパートが進んでいき、最後は絡み合い重なり合いながら、やや唐突に曲が終わる…どうにも、ここのアレンジの方法論に、歌詞を"It"にした理由が隠されている気がしてならない。なんか、ホラーという訳でもないんだけど…ってそういや"it"っていえば映画化もされた有名なスティーヴン・キングのホラー小説のタイトルにもなってるなぁ。まぁそれは完全に余談としても、『Love』が崩れていって跡形もなくなって『it』としか認識できなくなるストーリーだとしたら…いや、あのテレビドラマがそんな顛末になるかというと、今んとこ違いそうでな…これもまた、ドラマ全編終わるまで、そしてベストアルバムのCDのブックレットで歌詞を文字で視認確認するまで、保留案件にしておきたいと思います。歌詞とドラマの関係性がどこまで深いかにもよるしね。うん、わからん!

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私には珍しく(?)、歌の解説動画というものをみてみた。

https://youtu.be/acpqszuf8Bk

YouTubeらしい早口と編集で、この手の動画にしては長めの15分という尺で無駄なく必要な事をこれだけ並べ立ててどれも的確な指摘というのはこの人普段からよっぽどこの種の動画を撮り慣れてるんだろうなと思うし、何より指摘したポイントをちゃんと総て網羅して実際に歌唱してみせてるところが素晴らしいのだけど(目がマジなのを隠す為に照れ隠しで茶化すのも含めてね)、それでも元のヒカルの歌唱ポイントの半分も再現できてないのだから元の歌唱が如何に繊細で考え抜かれたものかというのが逆説的によくわかる。

実際、『何色でもない花』をヒカルの歌唱無しで堪能しようとしても結構難しい…というか、この曲のもつポテンシャルを引き出し切れないのよね。お誂え向きに昨日ちょうどドラマ「君が心をくれたから」のサントラがリリースされたので、晴れて劇中で使われていた『何色でもない花 Piano Style Ver. 』をゆっくり堪能する事ができた。

このバージョンはピアノメインのインストで、曲の前半部分(前書いたABCABC部分)を、元のアルペジオをほぼ残したままピアノの単音でヴォーカルラインをなぞるというシンプルなもの。これを聴くと改めて、素朴な割に芯の通ったメロディの良さを噛み締めると共に、やっぱり歌詞と歌唱が果たす役割も大きいんだなと痛感できる。とても順当なインストで非常に有り難い。

実際のところ、歌が上手くなればなるほどメロディの輪郭は曖昧になって歌のアピール度は減じられていくものだ。あとに残るのは「この人歌上手いね」だけとなって楽曲の良さは置き去りにされる事が多い。しかしヒカルは、メロディのシンプルでクリアなアウトラインをしっかりとキープしながら、自らの歌唱で細かいニュアンスを伝えていく事を怠らない。これはそうそう出来ることではない…のだけど、日本語歌手に余り「歌が上手過ぎて曲を潰すタイプ」が居ない為その凄みは伝わりづらいわね。

これが出来るのは、ヒカルが楽曲を顕微鏡でも望遠鏡でもどちらでも見る事が出来ているからだろう。鳥の目虫の目ってやつですね。作編曲家としての俯瞰的視点と、歌手としての近接視点のどちらも非常に高精度に機能しているということだ。なのでこうやってピアノインストで楽曲全体のアウトラインを明確にして提示されても魅力的だし、歌唱の細かいポイントを追究していってもいつまでも終わらないくらいに細かくフレーズを歌い分けてその魅力に奥行きと深みを与えている。単純にいえばシンガーソングライターだねってことなのだが、そのレベルがどちらも恐ろしく高いのだ。

当たり前の事を言っているようだが、ヒカルが老若男女幅広く支持を集めている要因の一つだから見逃せる話でもなく。特に今年はデビュー25周年で、新しい世代にもアピールしていく中で、ベテランとして昔馴染みのファンにのみ合わせた作風に傾倒する事がまだまるで全然無いというのは注目に値する。しかもその態度がデビュー前からずっと不変というのだから堪らない。『何色でもない花』のチャート成績の好調を目にして耳にして、そんな事を改めて噛み締め直していたのでありましたとさ。

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