無意識日記
宇多田光 word:i_
 



触れるのが遅くなってしまった。先週末にYESのクリス・スクワイアが亡くなったそうだ。May he rest in peace.

前も触れたように、日本人はベーシストに対する評価が低い。それも念頭に置いてやや大袈裟に言えば、20世紀を代表するベーシストが逝ってしまったと言っていい。ロックの世界では彼より大物となるともうポール・マッカートニーくらいしか居ない。彼の方が年上だが、出来る限り頑張って欲しいものだ。

クリス・スクワイアといえば、「i_が一生のうちで最も聴いた音といえば彼のプレシジョン・ベース」といえる我が尊敬するスティーヴ・ハリスに最も影響を与えた人である。分かり易くいえば祖父が亡くなった感覚に近い。リッケンバッカー格好いい。それに尽きる。昨年の日本公演行ってよかった。スティーヴ・ハウとともに、まだまだ元気だったのになぁ。

ホント、ライヴは観れるうちに観ておいた方がいいよ、うん。


で話の続き。今後法整備が進もうが進ままいが、音楽は「二次使用素材」としての価値を提示していく方が繁栄するように思われる。

ひとつは、昔提案した「全トラック・リリース」だ。最終的には我々は2チャンネル或いは5.1チャンネルにミックスされた音源を購入しているが、そのひとつ前の段階、例えば48トラックの状態で音源をリリースするような事は出来ないだろうか。

容量が大変だが、BlurayやUSBメモリ、microSDカードだったらアルバム一枚分位は行けるかもしれない。まぁまずは一曲分からかな。

つまり、カラオケもアカペラも、特殊なソフトを使わずにすぐに演奏できる形態。リミキサーからすればかなり便利だと思うが、需要はあるかなー。


Hikaruのスタイルだと、そういう"切り売り"にはあまり向いていないかもしれない。本人がまた、ミュージシャン同士の交流に対してそんなに積極的でないようにみえるのと同様、サウンド自体も「ひとりの世界」を作り上げている。

勿論、例えば“COLORS”のキーボードだけ抽出したトラックがすぐに手に入ったら様々な編曲が可能になるし胸踊る。中にはそういう曲も多い。しかし、何故だろうか、「これは盛り上がる」という直観がはたらかない。不思議だ。


一方、着うたやしゃべるスタンプ(だいたい昔の着ごえだよねこれきっと)のように、身近な生活の中で"使える"かどうかとなれば、こちらの方が親和性が高いように見える。歌詞に説得力のあるものが多いからか、Hikaruの歌声で歌われると納得してしまうからか、「Hikkiへの親近感」というのは、今の年代になっても消えていないような気がする。

ふむ。つまり、私の認識では、宇多田ヒカルという人は、楽曲を切り離されて評価されているというよりは、歌い手として、言葉の届け手として支持されていると。

確かに、それは「宇多うた」の時に感じた事だ。ヒカルの楽曲をヒカルの歌声と切り離した時にファンがどういう反応をするか。全体として属人的なのだ。

「しゃべるスタンプ」がどういうものか知らないので全くの想像で書くと、昔ヒカルも振る舞った事のある着ごえと似たようなものかなと。ただ歌をリリースするだけでなく、こういったものと絡めながらアピールしていくのも方法のひとつか。コンテンツ次第ではあるが、ヒカルがただ新曲の歌詞を読むだけのスタンプがあったら俺でも欲しい。ふとした時にまさに"ヒカルの呟き"が聴けるというのは魅力的だ。

私の偏見として、スマートフォン世代は娯楽の尺に対して厳しいのではないかというのがある。ゲームのようにのめり込んでしまえば別だが、ちらっと見たり聴いたり読んだりして面白くなければすぐ次に行ってしまうのではないか。ならば、例えばキャッチーな歌詞の一部を切り取って呟くシステムがあればそれは広告とコンテンツのちょうど中間に位置する事になるだろう。キャッチ・コピーと本物の(全部演奏すれば4~5分かかる)歌との橋渡し。適切な流さや提示方法、利用方法といった細部は詰める必要があるが、つまり、8年前の着うたのように、また"切り貼りされて利用される形態"でのリリースを一歩進んだ形で行う事を考慮してみるのは意味がなくもないんじゃないかとな。



ま、これだけ書いておいて私がスマホ・ユーザーじゃないって完全に詐欺だよねw

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言論の自由は、表現者が他者の言論の自由を侵さないと誓った上で得られる権利だ。「何言ってもいい」という意味ではない。だからこそ、一個人の言動がどういう影響を及ぼすかはその都度精査されねばならない。同じ言葉でも場末の酒場での愚痴と公の場での権力者の一言では侵害度に雲泥の差がある。即ち、言論の自由とはそれを死守する活動自体が主眼であって、寧ろそれに尽きるとも言える。結構堅苦しい営みなのだが、自由って本来そういうものだ。強い意志と地道で継続的な活動が無くては成り立たない。

筆が滑った。

サブスクリプション・サービスは、使い方によっては二次創作を一気に活性化する可能性もある。勿論現状では無理なのだが、「定額で著作物使いたい放題」くらいまでいければ、おおっぴらに二次利用が出来るようになる。もっとも、日本の著作権法に照らし合わせればかなりの不都合が生じるので法律自体を変えなくてはならないかもしれないし、国際的にどうなるかとなったらもう闇である。ただ、そちらに向けての一歩にならなくては、サブスクリプションとコミュニケーションを結び付けてシーンを活性化するのにも限界が来るだろう。何より創作に対する動機を高め実際の創作活動を増やすのが主眼でなくてはならない。経済的な成果はただの目印でしかなく、それはしばしば遅れ、時として的外れである。

そんな事言ってても仕方ないか。しゃべるスタンプってもうあるのね。じゃあ歌うスタンプやサウンドロゴスタンプももうあるかな。着うたですら「そんなに短く切り取った歌を売るか」という感じだったのに更にワンフレーズだけで売るともなればもうそれ以上は、という気がするがVocaloidってもうそれよりもずっと先なんだよね。初音ミクは藤田咲の歌声の切り売り、いやさ微塵切り売りである。それが世のクリエーターたちを大いに刺激してきた事はこの8年間を見れば明らかだろう。

何が言いたいかといえば、着うたにしろサウンドスタンプにしろVocaloidにしろ、他者の創作物を如何に生活の中や創作の中で利用できるか、というテーマの中でヒットしたものだという事だ。スタンプだって放っておけばただのアイコンだが、「会話中にこんな風に使えますよ」とガイドすれば途端に広まる。

つまり、創作を刺激するには、そんなに難しい事は要らないのだ。「こういう風に使えますよ」と提示するだけでいい。そして勿論「使っていいですよ」とならなければならない。

漫画の同人活動にしろDJのREMIXにしろ、二次使用の文化として注目を集め始めたのは80年代初頭以降からだから、既に30年以上の歴史がある。30年しか経っていない、ともいえる。そのうちの後半半分はインターネット黎明期である。法整備が整っていないのも仕方がないともいえるし、何モタモタしてんねん、という気分にもなる。しかし、ボーっとしてるうちに時は過ぎる。グレーだなんだと言っているうちにまずはやってみてそれから考えた方がいいかもしれない。

そんな時代に、昔ながらのスタイルで頑張ってきたシンガーソングライターに何が出来るか…という話からまた次回、かな?

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