無意識日記
宇多田光 word:i_
 



しかしまぁ、情報の出し方としてこういう方法(いきなりプロデューサーがツイートする)というのは今時どうかと思う。"新情報発表"はそれだけでエンターテインメントだ。極論すれば、新曲の配信ファイルより新曲リリースデイトの発表記事の方がニーズは大きい。もっといえば、そういった新情報を初出しするイベントのチケットを数千円で売れば数千人集まるだろう。1曲250円の配信ファイルで同じだけの収益を上げようと思ったら結構キツいぞ、きっと。

そういう意味では、「商売っ気がなくて、如何にも昔ながらのミュージシャン気質でよろしい」という感じでは受けがいいかもしれない。ただ、それは今の世代の感覚とは若干ズレていると思う。今求められているのは寧ろ「お金を使いたくなるような魅力」の方なんじゃないの。

今はコンテンツは(昭和でいえば地上波テレビのように)無料で楽しむものと相場が決まっている。音楽もそうだし、ゲームも漫画もアニメも何でもインターネットで手に入る。皆月々の通信料金を払った時点でそれ以上はもう、と思う。そういう時代に差別化をはかれる、"特別なコンテンツ"というのは、積極的に応援したくなるようなものだったり、或いは周囲から尊敬されたり優位に立てたりするものだろう。後者は課金の2文字を出せばわかるか。その両方ん最大限利用したのが皆さんご存知秋元康だ。“誰かを応援する楽しさ"を経済化して構築した手腕は凄い。今の時代のエンターテインメントが何なのかよぉく把握している。もう今後幾ら勢いが衰えようが“一時代を築いた”という事実は永遠に消えないだろう。好き嫌いは抜きにして、ひたすら凄い。

あそこまで"異様"になったのは、まだ皆が誰かを応援する方法論に慣れていないからだ。お酒の飲み方みたいなもんで、どれくらいまで行けば自分にとっていちばん楽しいかの見極めが出来ていない為やたらと極端に走っているだけなんですね。まぁもう10年もすれば落ち着くんではないか。

秋元さんの名前を出すと両論になるだろうが、これが「クラウド・ファンディング」なら随分と印象がよくなるだろうし、「寄付」とか「チャリティー」にまでいけば「えらいねぇ」と言われるようになる。社会的評価はバラバラだが、誰かを応援したいという気持ちはどれも同じである。

たぶん、それによってどれだけ儲けているか、で評価が変わっているのだろう。要は儲けに対する妬みであって、それはそれでわからなくもないが、もっと本質的な点は、応援する誰かが居なかったり、居ても適切な方法論を持たなかったりする事への苛立ちが背景にある事にあるのではないか。収益性は体のいい"口撃"の言い訳に過ぎない。

…なんてことを20年前に言っていても、あまり同意は得られなかっただろうが、今は、もっと極端にいえば、「お金をつぎ込みたいと思えるだけのコンテンツに巡り会えて俺って幸せ」と思える事がある種最大の娯楽になりつつある。意地悪な言い方をすれば「心地良く騙されたい」のだ。だから、誰かを応援できる我々は、ずっと前から結構幸せ。

で、そんな時代にヒカルはどうすんのと。本来、そういう、お金をつぎ込んで応援云々というのからは最も遠い人だ。ラジオで新曲を聴いて「今度の宇多田の新曲いいね」と思った人が気軽に学校や職場からの帰り道にCDショップに寄ってシングル盤を買って帰る…みたいなのが理想だ。ヒカルに入れ込むでもなし、ただ曲が気に入ったから買ってみました深い意味はありません、みたいなワンナイトラブ(&マジック)的な“その場限りのお付き合い"で商売が成立する、したのがデビューから5年くらいの話である。

つまり、誤解を与えるように言うと、昔は一夜限りの売春で生計を立てられたけれど、今は継続的な結婚生活にまで持ち込まないと経済的に成り立たなくなっている訳である。こう書くと、あれ、道徳的にはいい方向に来てるんじゃないのという気がしてくる。そうなのだ、今という時代はコンテンツビジネスにとって昔に較べて健全で誠実になっている。世の中よくなっているのだ―


―そうなんだ、と思えた人は今「心地良く騙されている」状態です。これが、今現在のエンターテインメントなのね。さぁ、どうしよう?

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ラフミックスの話がちと細か過ぎたか。まぁいいか。ラフの状態でレコード会社のディレクターに聴かせて判断を仰いだり、時にはラジオオンエアまでされちゃう場合もあったりするから完成度としてはかなり高いラフもある、という言及もしとくかな。レコード会社が発売を急ぐあまりラフミックスの状態でリリースされてしまった作品まであったりする。後日正規ミックス盤が出たりしてね。大変だなみんな。

取り敢えず、制作第一報が1月で6月の今まだ制作中というのだから、時間が掛かっている訳で、ならばもうそろそろ完成だろうとみるべきか、ここまでくれば5ヶ月も7ヶ月も12ヶ月も大して変わらんと鷹揚に時間を使うんじゃないかとみるべきか、難しいところだが、まぁ今までと変わらない感じで待ちますかね。

何しろ、制作終了と発売はイコールではないのだから。いつでもリリースできますよという状態で塩漬けされてしまう可能性も否定できない。よくわからないのは、何故1月の時点で言及してしまったか、なのだが、スケジュールの変更があったとみた方がいいだろうか。うーん、照實さんは兎も角Hikaruは迂闊な真似はしないだろう。フォロワー数からみてみても。そう考えると不可解なのだが、印象が立ち消えになっただけでさして実害は無かったのだから問題があった訳でもない。判断が難しい。

また、今回の作業がEVAQのような位置付けであれば、一曲は作りますけどそれっきりで顔も出しませんよパターンも想定され得る。「復帰」ではない、と。そこらへんの設えは梶さんなら抜かりないだろうからいいとして、この方式が定着してしまうと「復帰」=「ライブ」の選択肢しかなくなってしまわないか。それならそれで、という気がしなくもないが、果たしてメディア露出を今後どうするかの方針は決まったのだろうか。今まで通り、というのが答だろうし、怖がってばかりでも仕方がない、とも思うけど、それに見合った効果が見込めるのか、という点から再検討をしておいて欲しい、とは思う。たぶん、またイチからファンベースを築くというか、誰を相手にしていくか、というところから考えないといけないので。

今は、「不特定多数」というターゲットが成り立たない時代だ。ポストJpopのミュージシャンは特に。特定の、これくらい居る誰かたちにこういうものを届ける、というヴィジョンがなければ、話題にはなったけれどそれだけだったという事になりかねない。そこらへんも含めて、焦らず、きっちり準備して臨んでうただきたいなと思うのであります。

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