無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「ポスト・スマートフォン」への模索も当然始まっている。Apple Watchは現時点では論外として、Google Glassはどんな進化が可能なのかと興味をそそる。

Googleと言ってしまうと限定的か。要はスカウタースタイルのウェアラブル・ガジェットである。スマートフォンをスマートフォンたらしめているのはタッチスクリーンだが、それとは異なるインターフェースとしてどんな方法論があるかという問いに対しての一つの解答例がスカウタースタイルだろう。

スカウタースタイルが普及に適う進化を遂げるとすれば、"音"の復活に期待が出来る。眼鏡にイヤフォン付けるのは造作もないだろう。将来、スカウタースタイルがスマートフォンスタイルを凌げば、音声コンテンツの隆盛が再びあるかもしれない。

こればっかりはわからない。眼鏡をかけるように(片眼鏡かもしれないが)身に付けてファッショナブルになり得るのか、本来の機能性はと未知数が多すぎる。現時点では何かに期待出来る訳でもないだろう。暫くは様子見である。


この手の話題で定番の流れは、「ガジェットの変化がコンテンツの変化を招く話」に持っていく事だが、スカウタースタイルがどうのというレベルの話になってくると寧ろ「自由度が格段に上がる」というのが実際な気がしてきている。常にイヤフォンを身に付ける生活になってくれば、何かに特化するより多様性である。こんな音も出る、あんな音も出る。着信音から緊急地震速報から落語からオペラからありとあらゆる音声が溢れ出してくる。そうなってくると、作り手は様々な局面で解放されていくだろう。

となると、全く別の見方も出てくる。「ライブ・コンサートに特化した曲作り」だ。所詮、ファイルにして流す音源は聴き捨てられるのだから何か特定の再生環境に特化したコンテンツはなかなかその真髄が伝わり難い。ならばいっそ、そちらはただの名詞代わりと割り切って、スタジオ音源にはあまり制作費をかけず、ライブそのものとライブCD&DVDに力を入れる、それらが"本格的な作品"になっていく、という展開も考えられる。いわば先祖がえりだわな。


Hikaruの場合、スタジオワークで根を詰めまくって最高のモノに仕上げようとする態度がいわば"当たり前"になっていて、ライブをするとなった時にそのまるで生演奏の編成やサウンドに対する配慮が感じられないスタジオ音源をもとにして、いちから"ライブ・バージョン"を作っていかなければならない大変さがあった。ここらへんが割に合わないところで、多くの人が「スタジオ音源の完全再現」を期待する中では、ライブバージョンに気合いを入れれば入れるほど期待との乖離が進み、かといってスタジオ音源はスタジオで100%に仕上げられているのだからライブで幾ら頑張っても100%よりは必ず劣る。同じ路線であればライブでの"楽曲が成長する余白"がないのだから。

まぁ、それは私の好みなだけかもしれない。まず素材だけのスタジオ音源を公開してしまい、ツアーと共に楽曲を練り上げていってツアーの最終日に最も優れた楽曲の姿が出来上がる。その日のライブCDこそが音源の完成品…毎度ライブアルバムをリリースするだなんてワクワクするからね。そういった方法論もあるよ、という事で。


兎も角、今後はますます音声コンテンツを受け取るシチュエーションの多様化が進み、制作者が望んだ環境での音源の再生をリスナーが果たす確率はどんどん小さくなっていくだろう。そんな中、どんなアレンジ、どんなミックス、どんなマスタリングを施すか、バリエーションを増やしていろんなガジェット向けに音源を提供していくのか、向こう3年位は不安定な展望の中で模索していかなくてはならないだろうね。

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2010年代は完全に「スマートフォンの時代」で、若い世代にはPC(のキーボード)を触った事が無い例も珍しくなくなった。ガラケーとPCのニーズの両方に応えたのだからウケるのは当然だが、それにしても一気である。

特に、"暇潰し"の為のツールとしては過去最強クラスで、例えば待ち時間に何をしているかという時に、昔なら文庫本、週刊誌、日刊紙、ポケットラジオやワンセグ、ウォークマン、ゲームボーイやらDSやらPSPやらのゲーム機、等々色々と人によって異なった選択肢があったが、今やもう全員が俯いてフリックスワイプタップである。新手の中毒症状ともいえる。

まだスマートフォンの出だしはそれもマシだったのだが、ここ1、2年で急速に"スマホゲー"が勢力を伸ばし、一気に"暇潰しの王者の座"に就いた感がある。

そして、スマホゲーの何が今までと違うって、音声が無い事だ。タッチスクリーンを目で見て指で触る、それだけで成り立っている。そんだもんだから、かつてはラジオやテレビはウォークマンやゲーム機やらを使っていた人たちの多くがつけていたイヤフォンというものを、今の人たちは全然着けなくなった。これは大きな変化である。

暇潰しにおいて、音を聴く習慣の割合が大きく減りつつある。この影響力は計り知れない。音声のみのコンテンツを売っている音楽業界は為す術が無い。

解決策としては、メーカーと結託して「無線イヤフォンつきスマートフォン」を売り出すしか無いと思うが、一大プロジェクトとなる上デザイン上の技術的なハードルが恐ろしく高く、それを待つのは得策ではない。一体どうすればよいのやら。

今や、音源を発売する形態は販売対象の世代に大きく左右される。演歌はカセットテープで売られ、ボカロ曲はスマートフォンで動画サイト閲覧で体験される。その振り幅のどこらへんに何を狙って売るのか、だ。

もっと立ち返ってみれば、"暇潰し"以外のコンセプトで買って貰う方法論が必要なのかもしれない。DVDで映画を見るような、「じっくりと腰を落ち着けて観賞してもらう」コンテンツを提供する事も考えなくては。それも広い意味じゃ暇潰しだけど。

桜流しを、あらためてDVDシングルで発売したのは、どちらかというとそっちの発想に近かったと思うが、如何せん5分弱というのは短すぎる。その為にわざわざテレビの電源とステレオの電源を入れDVDを挿入し再生ボタンを押して…というのは煩わしい。これが2時間の映画観賞だというならまた別なのだろうけれど。

今のところ、Hikaruの映像コンテンツといえばライブビデオとPV集だ。「20代はイケイケ!」は特別なDVD化だったとして、兎に角そういう「腰を落ち着けて観賞する」タイプのコンテンツの共有という面では充実していたとはいえない。例えばFL15なら重厚な冊子を読みながらプラチナSHMの音質を堪能する、とかいう楽しみ方が出来ただろうが、その線である。

ライブビデオを出すにはツアーをせねばならずツアーをする為にはアルバムを出さねばならずアルバムを出す為にはシングルを…という先入観を一度取っ払って、一度一からコンテンツの供給方法と観賞・堪能方法の提案を模索するべき時期に入っている。「無音スマートフォン時代」である2010年代中盤に暇潰しのお手軽コンテンツとして音声のみ素材を提供するのは分が悪い。まぁ、もうちょっと待てばまた風向きが変わるかもしれないから、焦る事でもないんだけどな。

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