無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルの業績の中でいちばんわかりやすく、異論の少ないものは勿論1stアルバム「First Love」の売上である。どれだけ少なく見積もったとしても実売枚数は700万枚を超えているだろう。昨今とは違って、この作品は1種類しか発売されていない。厳密には…という話は宇多田共和国のDiscographyを参照の事。つまり、700万枚売れたというのはほぼ700万人の人がそれを聴いたと言っていい。1人で複数枚買った人や買ったけど封を開けていない人なども居るだろうが、そんな誤差より世の中にはレンタルした人と買って家族や友人たちとシェアしたであろう人たちが圧倒的に多いだろうから700万という数字は本当に"最低限"である。全世界での売上、或いは出荷枚数であれば1000万という数字が出てくる。日本史上、これより前にもこれより後にもこれより売れるアルバムは存在しない。業績の第一といえばこれである。紛い無い。


しかし、私としては5thアルバム「HEART STATION」の売上も凄まじいものだったと言っておきたい。見方を変えればそれは「First Love」よりもとんでもない数字を叩き出したといえる。

実際、当時のプレスリリースには「HEART STATION」関連の総売上ユニット数が2000万ユニットを超えたと書かれていたのだ。つまり、ぼくはくま以降のシングルの売上も含んで、なのだが、例えば「First Love」アルバムの総売上数に「Automatic/time will tell」「Movin' on without you」「First Love」のCDシングル売上を足したとしても、まだ2000万という数字は出てこない。そういう観点からみれば「HEART STATION」の方が「First Love」アルバムより売れたといえるかもしれない。

だが、無論この比較には疑問点が山ほどある。まず、「ユニット数」という数え方は、アルバムCD3000円を買っても1ユニット、45秒の着うた200円を買っても1ユニットなのだ。こんな、長さにして70倍も80倍も違うものを両方1つとして数えていいものか。特に、この2000万ユニットという数字のうちの半分近くは“Flavor Of Life”関連の数字である。着うたを主体とした配信分が800万ユニット以上に70万枚を売り上げたCDシングルの分が合わさる。この一曲の威力が大きすぎるのにそれを「HEART STATION」アルバムの手柄としてしまってもよいものか。

着うたというのは、もしかしたら若い人はもう知らないかもしれないが、AメロとBメロとサビを別々に売り、更にそれらの発売時期をずらして順番にリリースしていくという結構阿漕な売り方をしていたのだ。気がついたら、「これやったらCD一枚買えてたやん」という位にお金を使う。一応「着うたフル」といってフルコーラスの一曲まるまるの配信もあったが、リリースはいちばん遅くお値段は税別400円とかなり強気な商売をしていた。当然、携帯電話で鳴らすものだから音質にも期待できない。そんなこんながどっさり売れたのだ。それを後から見てどう評価するか。


ふむ、この話題はもうほんのちょこっとだけ踏み込みたいな。次回に続ける事と致しますですよ~。

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知名度とその後の音楽的影響を掛け合わせて、更にその影響の与え方が「個」と「普遍」の両極端に振り切れている事を考えれば、ヒカルの大体の立ち位置がみえてくる。概ね、ミーハー人気、アイドル人気だった、と乱暴に括る事が出来る。

乱暴過ぎるな。音楽的な質は極めて高いが「型」をここに至るまで生み出せず、模倣の困難な個性を構築していた事と、そもそも人気のベース自体がマスメディアを基盤とした、爆発力はあるがうつろいやすい"バブル"であった為、そこまで真剣に耳を傾ける人間は多くなかったというのが実状だった、とみる。併せると大体アイドルの人気の出方と変わらない。

音楽的な「型」は重要である。再生産の方法論であると同時に発展の基礎だからだ。最初に「インスタントラーメン」「カップラーメン」といった「型」を開発したのは安藤百福だが、その後の即席麺市場は勿論彼1人で作り上げた訳ではない。最初の「型」を参考にして様々なバリエーションが様々な人々によって生み出され広がっていった。それもこれも(特許等の問題はおくとして)最初に生まれた方法論が模倣のしやすい明解なものだったからだ。

前回最後にビートルズの名前を出したが、確かに、彼ら並みの名曲を生み出すのは難しいものの、彼らの方法論を参考にして、或いは模倣して、時には模倣に失敗して何か新しいものを後続の人間たちは生み出していった。そういった意味での、いわば「個」と「普遍」の間に広がる豊かさに対する貢献のようなものを、宇多田ヒカルはしてこなかった、という話だ。

少し見方を変えると、つまり、ヒカルの生み出す楽曲は作曲家より消費者(リスナー)にとって有益なものだった、という言い方も出来る。リスナーにとって、ややこしい作曲の技法云々は関係ない。聴いて気に入るかどうかだけだ。そして、ヒカルは気に入られる曲を次々と生み出してきた。それでよかったし、それがよかった。

一世一代、という言葉はこういう時に使うのだろうか、とも思ったが、現実には、ヒカルのこの"スタイル"は、全く結果的に母・藤圭子と同じ様相となった。藤もまた、特大ヒットは飛ばしたけれども、演歌界の中ですら異端児で、目立った影響どころか取り立てて人脈も築かなかった。そういう意味で、その孤高感はしっかり継承されているのだが、ヒカルの代はかなり縁遠さが改善されていて、そのキャラクターも相俟って広く愛される人物として認知されている。

これも究極的な「個」と「個」の話であり、かつ、それと同時に非常に普遍的な話でもある。これはたかがある一組の母と娘の物語であり、それと同時に、一般的に「娘は母に似る」という極々普遍的な命題の一例でもある。この、社会とか型とか模倣とかをすっ飛ばして家と宇宙で形成されているような世界観が宇多田ヒカル・ワールドなんだというのが、ヒカルをみる時のより正確な視点なのかもしれないな。

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