ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ブログ開設1カ月記念! 模様替えで写真パワーUP

2005年09月23日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
先月の半ばにはじめたこのブログ、何とか週に3~4回ペースの更新をしながら1カ月たちました。いくつかのポータルサイトにも登録されたおかげで、アクセスもかなり増えてきております。日々覗いていただいているみなさん、どうもありがとうございます。

ブログの編集機能もいくつか理解できてきたので、ここで若干リニューアル! 小さかった写真をすべて大きなサイズに直しました。これからの投稿はもちろん、これまで投稿した写真もすべて大きく直しております(一部の写真はよりきれいに撮れているものに変更)ので、よろしければバックナンバーも見てみてください。

やっぱり味情報は、おいしそうな写真を添えるのが一番。写真に負けないよう?これからも内容充実で書き込んでいきますので、今後ともよろしくお願い致します。感想や、知りたい食情報などあれば、コメントもお待ちしております。

魚どころの特上ごはん6…熊野古道散策の弁当に、紀州名物のさんまずし・めはりずし

2005年09月22日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
 南紀の家族旅行2日目は勝浦温泉・ホテル浦島でのんびり入浴からスタートである。敷地内に6つある浴室のうち、昨日回りきれなかった狼煙の湯へと足を運び、子どもたちを入れてほっとひと息。高台にある露天風呂の湯舟からは勝浦港と、近海生マグロの水揚げで知られる勝浦魚市場が見下ろせた。マグロの入札は7時頃からだから、今はちょうど真っ最中だろうか。桟橋には数隻、マグロ船が停泊しているのも見える。

 この日のハイライトは、世界遺産に指定されてから人気が上がっている熊野古道の散策である。といっても子連れで急な山道を長々と歩く訳にいかず、熊野那智大社に近い大門坂を歩いて、ちょっと気分を味わうことに。お昼が近いので昼食をどうするか考えているうちに、クルマは新宮の市街へとさしかかった。そういえば新宮駅に駅弁が種類豊富に揃っていたのを思い出し、ハイキングだからお弁当もいいかも知れない、と駅の近くにクルマを停めた。駅舎内の左手にある「丸新」のショーケースをみるとあるわあるわ。どれも郷土の味覚を生かしているのがうれしい。

 実は和歌山は、日本随一の寿司処という説がある。平安時代にこの地で誕生した、魚をご飯と一緒に漬け込んで発酵させる「なれ寿司」は寿司の原形といわれ、ほかにも紀州各地で生活や風土に基づいた、多彩な寿司が存在することがその理由である。めはりずし、さんまずしは、いわば紀州の2大名物寿司だ。高菜の葉でおにぎりをくるんだめはりずしは、農作業の弁当にしていた郷土料理。数個で満腹になるように大きく握ってあり、大きく口を開け、目を見張って食べることからその名がついたという。一方さんまずしは、12月前後に熊野灘に回遊してきたサンマを握った寿司。最盛期にくらべて脂がかなり落ちているが、寿司にはそのほうが向いており、潮にもまれて身が引き締まっているためあっさりした味に仕上がるという。この店ではともに630円だが、両方が入っておかずつきの「紀州熊野路」や、椎茸飯にめはりずしなどが入った「熊野弁当」もうまそう。勝浦や太地で水揚げされるマグロやクジラにちなんだ「南紀クジラ弁当」「生鮪のまぜごはん」も並んでおり、ついつい目移りがしてしまう。

 結局、自分はさんまずしに、ほか紀州熊野路や熊野弁当も買い込んで、大門坂の上り口近くにある小公園で散策前の腹ごしらえである。さっそくさんまずしの包みを開き、ひとつ頂く。サンマの身はかなり厚く食べごたえがあり、味にしっかりとこくがある。脂がやや落ちたサンマを使っているおかげで脂の甘みは少ないが、身の味がとてもしっかりしていて、確かにこの方が酢飯に合うようだ。隣の「熊野弁当」は、醤油味の炊き込みご飯の上にシイタケ煮と錦糸玉子、そぼろの三色の具のっていて、ご飯をひと口頂くと甘辛く、シイタケの味に良く合っている。ゴマメ、ワカメの酢の物、がんもや野菜煮などおかずは豊富なのがちょっとうらやましいか。2つ入っためはりずしはシソのご飯を包んであり、爽やかな酸味が後をひく。
 
 さんまずしもめはりずしに負けず、見かけの割にご飯の量があり、結構お腹いっぱいになってしまった。ここから樹齢800年もの杉並木を眺めつつ、大門坂の苔むした石段を延々と登り、さらに熊野那智大社から青岸渡寺、那智の滝へ。腹ごなしをかねた?那智の山中の2時間ばかりのウォーキングが待っている。(2004年11月1日食記)
 


町で見つけたオモシロごはん5…川崎・セメント通りの「東天閣」で、孤独の焼肉没頭食い!

2005年09月19日 | ◆町で見つけたオモシロごはん
 大都市の中でちょっとしたローカル線の旅をしたくなったら、JR鶴見線がおすすめだ。火曜のお昼前、鶴見から京浜工業地帯の臨海地区を行くこの鉄道にぶらりと乗ってみたら、運河を渡ったり、巨大な工場の脇を走ったりと、短い時間ながら変化に富んだ車窓風景を満喫できた。浜川崎駅で南武線に乗り換えれば川崎方面へ出られるが、「小さな汽車旅」はそれだけだと少々物足りない。途中下車して町歩きとばかり、駅から産業道路を10分ほど歩いてみると、焼肉屋やホルモン焼きの看板がいくつも見える通りに出くわした。トラックがガンガン行き交う産業道路から逃げるようにして、この通りへと入ってみる。

 通りを歩きながら沿道の店を観察してみると、産業道路を入ってすぐのところに立つ大きな焼肉レストランのほかは、こぢんまりした焼肉屋が多い様子。軒を連ねるのではなく、まばらに点在している感じだ。夜に賑わうのか、この時間帯に営業している店は少ない一方、ランチの安さには思わず目を疑ってしまう。ある店ではカルビ・ロース400円、プラス200円でライス、キャベツ、スープがつくなど、値段の割にボリュームはかなりのものである。

 焼肉屋以外にも、韓国風居酒屋や韓国雑貨を扱う店など、ところどころにコリアンムードが漂うこの通りは、通称「セメント通り」。大正時代に周辺に設立されたセメント工場群で働く労働者が、この道を通って通ったことから名が付いたという。労働者の多くは韓国人で、周辺に彼らの生活エリアが形成されていったため、韓国の食材や雑貨を扱う店、飲食店が集中することとなった。コンビニでは、袋にハングル文字が書かれた即席ラーメンを売っているほど。そして焼肉やホルモン焼きはいわば、彼らの郷土食であり労働者にとってのスタミナ源なのだ。現在は15軒あまりが集中しており、味も値段も店同士で激しくしのぎを削っている、まさに首都圏有数の焼肉屋激戦区という訳なのである。

「KOREA TOWN」との文字が見えるゲートで引き返しながら店を選んだところ、結局産業道路に近く一番大きな「東天閣」でお昼にすることにした。セメント通りで随一の規模を誇り、30年の歴史をもつ老舗である。立派な入口はホテルの玄関のようで、高い天井や黒を基調とした内装も落ち着いた雰囲気。BGMはクラシックが流れ、焼肉屋にしては少々厳かだ。しかも平日の昼過ぎのため、広い店内に客は自分ひとりだけ。少々腰のすわりが悪いが、腹も減ったことで大きなテーブル席に落ち着いて、さっそくメニューを開いてみる。

 200種類という豊富なメニューと、リーズナブルな値段が売りというだけあり、ランチメニューのカルビランチも750円~とお得だ。迷ったが、結局「おたすけ得盛セットB」と中ジョッキを注文。ご飯とキムチ、カルビスープ、サラダ、コーヒー付きで、カルビが200グラムと大盛りなのについひかれてしまった。軽くあぶって頂くと、脂がのっていて柔らかく、文句なくうまい。まさに舌の上で溶けるようで、ビールも進むけれどどんぶり飯と一緒にかっこんだ方が合う。

 この店、「味本・旅本ライブラリー」で紹介した『孤独のグルメ』に登場しており(店名は出していないが)、主人公の井の頭五郎がたったひとりの店内で、周辺の工場の溶鉱炉や火力発電所のごとくガンガン食べまくるシーンが印象的。「ひとりで焼肉を食べると、何だが休みがないな」と五郎さんがひとりつぶやくシーンがあるが、こちらもひとりのせいか、あぶっては食べ、食べては飲み、と思いのほか早くごちそうさま、となってしまった。『孤独のグルメ』では、「…考えてみれば、焼肉と堀の内ソープ街ってのも、何だかダイレクトだな」と五郎さんが食後にひとりつぶやくシーンがあったのも、ついでに思い出してしまったが?

 東天閣はセメント通りの本店のほか横浜・川崎に3軒の支店があり、新子安付近の第2京浜に面した子安店は車でのアクセスが便利なので、家族で焼肉を食べにいく際によく利用している。品数の豊富さと値段の安さは本店同様で、カルビとロース、ハラミのハーフがセットになった「ハーフ盛り合わせ」980円を2皿、ほか地鶏カルビ、豚トロ塩焼き、レバー焼きなど480~880円の皿からお好みで数品頼むのがお勧め。野菜はナムルにチャプチェ、締めはタルケジャンクッパ(丸鶏のクッパ)やカルビクッパ、冷麺、各種チゲなどご飯もの、麺類も豊富なのがありがたい。家族で食べに行くと、休みなく食べてしまうひとりのときと違い、焼く係のため逆に食べるペースが落ちざるを得ないのが難点だが。(子安店/2005年9月18日食記)





魚どころの特上ごはん5…太地で鯨のお勉強、期待の勝浦・温泉旅館のマグロ料理は?

2005年09月18日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
 串本駅前の「萬口」で昼食にカツオ茶漬けを頂き、お腹が落ち着いたところで本州最南端の潮岬へと向かった。本州最南端を示す碑の周囲に広大な芝生が広がり、子供たちは食後の運動とばかり駆け回っている。展望台からは太平洋の水平線が丸く見え、眼下には岩礁に当たる波が白い波濤となる荒々しい眺めだ。潮岬沖や熊野灘沖は、黒潮に近い日本有数の好漁場だが、ここからは漁をしている漁船の姿は見えず、代わりにタンカーや貨物船が、かなり近海を行き交う様子が見られる。

 勝浦の宿へ入るにはまだ少々時間があるので、手前の隣町・太地にある「太地くじら浜公園」に寄ってみることにした。トンネル大水槽がある海洋水族館もいいが、自分の興味は「くじらの博物館」だ。太地は江戸初期から近代まで、400年に渡り捕鯨で栄えた町だったが、国際捕鯨委員会の理不尽な裁定による商業捕鯨禁止の影響を受け衰退、現在は鯨の生息数などを調べる「調査捕鯨」の基地として、かつてより小規模な小型捕鯨を行っている。そんな町だけありこの博物館、クジラの生態や捕鯨に関する資料が豊富にそろった、世界一の規模を誇る鯨専門の博物館なのだ。

 熊野灘の魚がたっぷり泳ぐ水中トンネル大水槽で子供たちが満足したところで、「くじらの博物館」でお勉強である。まず目をひくのが、天井からつるされた鯨の骨格標本の数々。中でもセミクジラの骨格は15メートルほどあり圧巻だ。階段をのぼりながら観察してみると、銛が命中した左肩の骨が砕けているのが分かる。2階の展示は昔の絵図が充実していて、銛を集中してとどめを刺す様子や、2隻の船の間にクジラが吊され運ばれる様子が描かれた「捕鯨絵巻」ほか、鯨の舌や皮、腸などが部位ごとに詳細に描かれた「解剖図」はリアルというか不気味というか。

 そして大食漢な鯨らしく、食べた物の展示コーナーがおもしろい。ヒトデやナマコ、ウニなど海底の生物を餌とする小型のツチクジラほか、大型のマッコウクジラはチョウチンアンコウや大王イカなど、大型の深海魚を食べるとある。その量、1日何と200キロ! 商業捕鯨禁止による悪影響のひとつとして、増えすぎた鯨(主にミンク鯨)が魚介を過度に捕食してしまい、生態系が変わり水産資源が悪化していることが問題視されているが、1頭で1日にこれだけの魚介を食べてしまう生き物が増え過ぎれば、確かに影響が出ない訳がない。そのほかにも、イカのくちばしが消化されずに腸に残り固まってできた、香料として珍重される「竜涎香」の展示が珍しい。12キロで100万円するという貴重品なのだとか。

 おみやげコーナーで子供にお魚の塗り絵、自分は珍しいクジラの歯のキーホルダーを買い、太地を後にしてこの日泊まる勝浦の「ホテル浦島」へと急いだ。宿は勝浦港の正面に張り出す狼煙山半島にあるため、クルマを市街にある駐車場に停めて港から専用の船で渡るのがユニークだ。熊野灘に面した洞窟露天風呂「忘帰洞」で、目の前で砕け散る波しぶきを浴びながら迫力の入浴を済ませたら、お楽しみの夕食。お隣の太地の鯨のほか、勝浦といえば日本有数のマグロの水揚げ港とくれば合わせてパッと豪華に…といきたいところだが、今回の旅は格安プランのために、あいにく食事がついていない。

 改めて船で勝浦市街へ食べに出かけるか考えていると、浴場へ行く途中の回廊に屋台村があったのを思い出した。覗いてみると軒数豊富、値段も手ごろなのでここに決定。子供たちは中華の店で地元和歌山ラーメンやチャーハン、餃子を頼み夕ごはんとし、おとなは居酒屋にビールに枝豆、イカ焼きを注文してお疲れ様、の一杯にする。鯨料理の店もあるがまだ開いておらず、マグロの町・勝浦に敬意を表して、居酒屋でマグロのカマトロ煮に目玉、さらにウツボの唐揚げなども頼んだ。三角形のカマトロは身の骨離れがよく、味が染みて凝縮した味わい。目玉とウツボはゼラチン質がねっとりとした珍味で、追加した切れ味のいい酒「剣菱」がつい進んでしまう。明日も熊野古道に串本、白浜とスケジュールは盛りだくさんだから、温泉と酒で寝過ごさないようほどほどにしたいところだが。(2004年10月31日食記)


魚どころの特上ごはん4…1回で2度おいしい、南紀・串本水揚げのカツオ茶漬け

2005年09月16日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
 遅い夏休みが取れたので、家族で南紀へと旅行することになった。羽田を早朝発の飛行機に乗り、南紀白浜空港まではわずか1時間。レンタカーで本州最南端の潮岬最寄りの串本へ、お昼前に到着した。そのまま岬へ行ってもいいのだが、朝からの長旅で子供たちはちょっとお疲れ、お腹をすかしている模様。観光地で食事をすると高くつくこともあり、串本の市街でお昼を済ませることにして、ガイドブックを見て串本駅前を目指した。

 本に紹介されていた「萬口」は串本駅のすぐ近くに見つかったが、入るのに一瞬、躊躇するほど相当古びた店だった。ガタピシと扉を開けて、これまた年季の入った雰囲気の店内へと入る。小さな座敷に通されると、おばさんが注文を取りに現れた。品書き片手だが、「うちの名物はカツオ茶漬けでね。店に来る人は大体が頼むんだがね」と、選ぶまでもなく決められてしまっている。ではおすすめと、子供たちに天ぷらの盛り合わせを厨房のおじさんに頼むがなかなか聞こえない様子。大声で叫んで何とか注文が通ったが、店の人も何とも独特な雰囲気である。

「万人の口に入ること」が店名の由来というこの店は、尾代さん夫妻でやっている家族経営の店である。地元串本港で揚がる魚介を使った料理が自慢で、中でもカツオのたたきや焼き造り、洗いなど、カツオを使った料理が充実している。早春から食べることのできるカツオ茶漬けは、ここの看板料理。おばさんの話の通り、店内に飾られたサイン色紙の有名人(概ね退色しているが)も、これを食べに来た人が多いという。

 運ばれてきた盆には、おひつに入ったご飯と空の茶碗、それにカツオの刺身と薬味が並んでいる。食べ方の説明を聞いていると、おばさんに合わせてやるように則されてしまった。まず茶碗にご飯を半分少し盛り、箸でカツオの刺身をご飯が見えなくなるぐらいまでのせ、スプーンで刺身の漬けダレをかけ、好みでワサビと刻み海苔をのせて出来上がり。1杯目は茶漬けでなく、カツオ丼で頂く仕組みだ。ご飯とカツオを一緒に口に運ぶと、身は小さいものの、タレの下味がよく染みていて甘みがある。このタレ、実に食欲をそそる風味で、タレだけでご飯を頂けるほど後をひく味わいである。

 軽く1杯平らげると、2杯目もふたたびおばさんのご指導を受ける。まずは残ったご飯を茶碗によそい、カツオの刺身も残り全部のせる。さらに海苔とワサビものせ、タレをざっとかけまわしてから熱々の玄米茶をかけて、主役のカツオ茶漬けの出来上がりだ。ややおいて、刺身が白くなるといよいよ食べ頃。タレの旨味とカツオの旨味が熱を加えることで倍増し、ざくざくとかきこめる。タレは醤油ベース・ゴマだれの風味で、酒も入っている感じか。一見、単純な料理だが、カツオの味の引き出し方を熟知している、水揚げ地ならではの料理だろう。

 お茶漬けだからさらりと平らげ、あっという間にごちそうさま。下げに来たおばさんにうまかったです、と感想を述べてタレの味付けを聞いてみると、「それは秘伝。でも味噌はつかっていないよ」と満足げに笑っている。子供たちはおじさんにおみやげだよ、と「ピョンピョン貝」という巻き貝の貝殻をもらい大喜び。最初の心配はどこへやら、家族みんな大満足で、潮岬灯台へ向けて店を後にしたのだった。(2004年10月31日食記)