ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカルミートでスタミナごはん7…tontonの町前橋/『レストランけやき』 『焼酎舎はんにち村』

2009年12月27日 | ◆ローカルミートでスタミナごはん

 

【群馬県の豚肉生産量】2010年の県農業振興プランによると8万6600トンが目標

 世界遺産登録を目指して、群馬県富岡市の官営富岡製糸場が注目されている。操業開始は1872(明治5)年。ここが日本初の、本格的な西洋式器械製糸工場と思われがちだが、同じ群馬県に開設された前橋製糸場の方が、操業開始が2年ほど早いことは、あまり知られていない。前橋藩士の深沢雄象、速水堅曹を中心として創設された、藩営の製糸工場で、殖産工業政策に基づいて輸出用の生糸を生産。「生糸の町」と称されていたように、大正時代から昭和初期にかけての前橋は、製糸業で隆盛を極めたという。
 前橋ほか周辺地域で生産された生糸は、前橋へ集積され、生糸商人によって輸出港である横浜港へと運ばれた。そして横浜へ入ってきた各国の文化が、生糸商人により前橋へ持ち帰られる。関東平野の奥に位置する前橋とはるか海外を、文字通り「結ぶ」生糸。それを伝わってくるかのように、前橋では早くから、さまざまな西洋文化が花開いたのである。

 中でも食文化は、その最たるものだろう。製糸業による好景気や、外国人技術者が多数居住しているという背景もあり、製糸業が最盛期を迎える昭和初期には、前橋の繁華街には洋食店や西洋料理のレストランが、何軒も店を構えていたという。製糸工場の工員だった地元・上州女たちは、カカア天下で働き者の気質。バリバリ働いたら、近頃で言う「自分へのごほうび」として、お昼休みにカレーやカツライスといった、ハイカラな料理を味わっていたのかもしれない。
 西洋料理は肉食文化圏の料理のため、これらの店では豚肉を使った料理が多かったのも特徴だ。加えて群馬県は、古くから有数の豚肉の生産地でもあり、食材として豚肉が調達しやすかったという背景もある。製糸業の好況で町がにぎわい、繁華街に西洋料理店が増えて、豚肉の需要が増大。それに目をつけ、周辺の地域に養豚業が広がっていった結果、前橋市は現在、日本有数の豚肉の生産地となった。市の豚肉産出額は、年によって全国ベスト10に入ることもあるほど。第二次大戦後、前橋の製糸業は沈滞してしまったが、とってかわった畜産業の隆盛は、生糸が縁でもたらされたものともいえる。

 

前橋駅前からのびるケヤキ通り。沿道にはとんとんのまちの幟も

 前橋駅に降り立つと、駅前からケヤキ並木の通りが伸びており、10分も歩けば市街を横断する、広瀬川のせせらぎに出くわした。「水と緑と詩のまち」にふさわしい散策を楽しんだはいいが、6月下旬の前橋は、蒸し上げられるような湿度のすごいこと。ほんの小一時間の散策で、Tシャツがじっとり体にひっつくほど汗ばんでしまった。
 繁華街である、中央前橋駅近くの千代田町界隈にやってきたところで、昼食に目指すはもちろん、豚肉料理だ。前橋では「TONTON(とんとん)のまち前橋」とのキャッチフレーズのもと、行政と市内の観光関連業者が組織する「ようこそまえばしを進める会」によって、豚肉料理での観光誘致に力を入れている。
 駅の案内所で入手した、豚肉料理店のガイドマップによると、とんかつや豚丼、カツ丼、カツカレー、ホルモン焼き、焼肉といった定番料理をはじめ、各種ソテー、中華風、豚肉うどん、天ぷら(トンプラ?)などオリジナル料理も。名物と銘打つだけに、さすがにジャンルが幅広い。
 その中から、流行の豚トロを使った一品料理にひかれ、お目当ての店の前まで来たところ、どうも居酒屋のようでまだ準備中の様子である。汗だくのままで食事するのも何なので、営業開始までの時間つぶしを兼ね、散策途中で見かけたスーパー銭湯で、さっぱり汗を流していくことにしよう。

 

前橋駅から歩いてすぐのところにあるゆ~ゆ。レストランけやきには座敷席も

 ケヤキ通りを駅のそばまで引き返し、普通のビルといった建物の看板には、「まえばし天然温泉ゆ~ゆ」の文字。駅から徒歩2分のところにありながら、地下1500メートルから天然温泉が湧出しているという。大浴場の湯は、鉄やマンガンを含む濃い泉質とあり、もちろん掛け流し。見た目は真っ茶色で、湯船に入ると皮膚がビリビリしびれるほどだ。どっぶり浸かっては、露天風呂のオープンエアで涼んで、を繰り返す。
 温泉の効能のせいかなかなか汗がひかず、Tシャツに裸足、タオル片手のスタイルで、冷房の効いた食事処へと避難。クールダウン用にジョッキ一杯、と品書きを見ると、やわらかロースとんかつ、やわらかカツ丼をはじめ、豚トロ焼肉丼、豚のしょうが焼き、香味焼豚など、温泉施設の食事どころにしては、豚肉料理がやけに多い。例のガイドマップを開いてみたところ、この『レストランけやき』もちゃんとのっている。
 ビールのアテに豚肉の一品料理を軽く、のつもりが、湯上がりの空腹が壁に貼られた「榛名豚のカツカレー」を要求する。さらりとゆるめのルーにのったカツをサクッとつまみ、ビールをググッ。やや薄めの肉の断面は白っぽく、熱の通り過ぎかと思ったら、かじるとふっくらと柔らかい。繊維のきめ細かさが感じられ、ホコホコ、さっくりした食感だ。脂はあまりない分、肉の香りが良く、芋や栗のような甘い芳香が後からふっと漂う。わずかな肉汁は雑味がなくすっきりしており、いかにも健康な豚といった感じである。

 

カツカレーのルーの味は、学食のカレー風。肉は鮮やかに白い

 前橋の豚肉料理の大きな特徴は、素材の豚肉を特定の銘柄と定めていない点にある。前橋周辺には赤城山の南山麓を中心に、銘柄豚の飼育が盛んで、群馬県内の銘柄豚肉の数は、およそ30ほど。前橋では店ごとに、それらの中から料理にマッチした銘柄を選んで使っているのである。
 中でも知名度が高いのが、「上州銘柄豚」と称される銘柄群。JAグループの契約農場により、肥育マニュアルにのっとって生産されている豚肉を指しており、上州麦豚や赤城高原豚、奥利根もち豚など、臭みがなく味のいい銘柄豚として評価が高い。
 ここのカツカレーの榛名ポークは、主に赤城山麓の牧場で生産されている銘柄豚である。麦や芋を中心に飼料として与え、ほかの動物性たんぱくを与えないため、肉に臭みがつかずにすっきりした風味になるのが特徴。スパイシーさに乏しいカレーのおかげで、淡い肉の味が際立って感じられる。カツでビール飲み、カレーライスを食べ終えると、もう一軒豚肉料理を食べ歩くには、少々腹にたまった様子。食休みの後に、再び温泉で腰ぐらいまででじっくり浸かり、空腹の促進を促すことにいそしむ。

 ところで飲食店街を歩いていたり、先のレストランでオーダーする際に感じたのだが、町おこしで豚肉料理をアピールしているにしては、店頭や店内でそれをPRしている様子がない。メニューにも「前橋名物の豚肉料理」などと謳われていることもなく、宣伝ポスターやゆるキャラ(?)も製作されておらず、ちょっと盛り上がりに欠けるか。ご当地ラーメンとか丼とかといったローカルグルメと違い、食材にターゲットを絞った町おこしは、バラエティに富んだ料理が揃う一方で、売るべき焦点が絞りにくいのかもしれない。
 先ほど目をつけていた居酒屋が、そろそろ夜の営業を始める時間となったので、日が暮れて幾分涼しくなった中、ケヤキ通りを再び千代田町界隈へと引き返した。『焼酎舎 はんにち村』との看板が灯る店構えは、小ぢんまりしているが年季があり、製糸工場の工員が勤務を終えてカウンターで一杯、というたたずまいにも見える。

 

繁華街にあるはんにち村。カウンターには酒をテーマにした本が並ぶ

 ガイドにも紹介されていた、豚トロの竜田揚げを注文して、ジャズボーカルのBGMのもと、突き出しのタコわさを肴にビールを傾けて待つ。この店も、メニューを見た限りでは豚肉料理を特に売りにしている様子はなく、お姉さんにガイドマップを見て豚トロ食べに来た、と話すと、そういう客は珍しいらしく驚いた様子だ。
 前橋の豚肉による町おこしの説明を姉さんから聞きながら、「名物料理」の話をしたところ、「まえばしtontonn汁」というものがあるという。県産の豚肉と野菜を豊富に入れた豚汁で、市内の料理人によるグループ「前橋の食を作る料理界の11人」により考案された。赤味噌と白味噌をあわせて使うこと、きのこをバターソテーしてから入れる、などの定義があり、提供する店は幟を店頭に立てて宣伝しているのだそう。
 ならば、前橋の豚肉料理の旗手として打ち出せばよさそうなものだが、汁物ゆえに原則として、冬場しか提供していない店が多いのが難点。確かにこの湿度の中でtonton汁、というのも、汗が止まらなくなりそうで大変だが、野菜がたっぷりなのに加え、豚肉はビタミンB1の含有量が多く、疲労回復に効果があるのだから、疲れがたまりがちな夏場でもありがたいと思うのだが。

豚トロ竜田揚げ。左のアボガドスライスがさっぱりうれしい

 などと、前橋の豚肉を語る討論が盛り上がるうちに、たっぷりのキャベツの上に、スライスした豚トロに衣をつけて揚げたのがのって運ばれてきた。見た目は家庭の節約惣菜である、豚バラの天ぷらに似ているが、肉は何といっても豚トロ。一般的には、豚の頬から首にかけての部分を指すが、背脂のスライスも含める場合もあり、どちらも相当に脂が強い部位だ。
 これに天ぷらの衣をつけて揚げているのだから、相当しつこいかと思いきや、熱が加わり香ばしい甘みの後、かみ締めるとジュッと良質のスープが実にジューシーだ。肉の部分はしっかり揚げてあるためバリッ、カリカリと、肉せんべいのように軽い風味。ビールに合いどんどん進む、と言いたいが、さすがに途中からペースダウン。キャベツといっしょに、ゆっくり、さっぱりと平らげた。

 ビール一本と料理一品でお愛想してもらうと、先ほどカツカレーを食べたばかりとは知らないお姉さんは、「長居の割にはずいぶん小食ね」と、あまりお金を使っていかないお客に、ちょっとあきれた様子。前橋の豚肉料理の印象は、西洋伝来のハイカラさというよりは、製糸工場で働くエネルギーとなるパワフルさ、といった感じだろうか。もっとも、食べた料理が揚げ物2品のはしごなのだから、当然といえば当然かも(2007年6月29日食記)

【参考サイト】
TONTONのまちまえばし 
http://www.maebashi-cvb.com/tonton/index.shtml
群馬県食肉品質向上対策委員会 http://www.gunmanooniku.com/buta.html
榛名ポークについて(ヨシケイ群馬)http://gunma.ocean-yoshikei.com/food/?ing=pork


町で見つけたオモシロごはん134…新橋 『龍馬』 『王将』 『和作』 吉田類さんと大衆酒場めぐり

2009年12月22日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 知人の縁で、吉田類さんと酒席をともにすることになった。イラストレーターであり、酒場と旅をテーマにした執筆も多数。加えて俳句の愛好会も主宰されており、プロフィールには「酒場詩人」とも。現在、BS-TBSで「吉田類の酒場放浪記」(毎週月曜21時~)もオンエアされており、まさに大衆酒場のスペシャリスト、といった方である。
 19時に新橋集合とくれば、そんな大衆酒場の選択肢には事欠かず、1軒目はこのところメディアへの露出も多い『龍馬』へと向かう。
 立ち飲みの店であるここは、焼酎の種類が豊富で、つまみがほぼ300円という安さ。中ジョッキを空けたら、自分は類さんご出身の土佐の栗焼酎「ダバダ火振り」、同行者も高知の「酔鯨」や静岡の「磯自慢」など、好みの地酒で気勢をあげている。
 マグロ中落ちに鶏の竜田揚げという人気メニューをアテに、小一時間飲んだら立ち飲みの流儀、とばかり、次にはしごだ。

 類さんいわく、立ち飲みの際のスタイルは、左手をカウンターに添えて半身に構え、右手でグラスを傾ける、という。ダークダックスの歌唱スタイルから「ダーク」と呼ばれるこのスタイル、半身になって場所をとらないようにして、混雑時にお客がなるべく入れるための配慮とも言われる。類さんによると、そのルーツは西部劇に出てくるバーにある、とのことで、右手でグラスを持つのは利き腕を塞ぐことで、すぐに拳銃を抜けないようにするためとも。
 ほか、支払は多くがキャッシュオンデリバリーなので、なるべく小銭を用意しておくこと。だらだらと長居は無用なこと。最奥は常連用の席であることが多く、一見客が座るのは慎むこと。などなど、立ち飲みならではの流儀がいろいろあるようだ。

 2軒目に行く途中で通った、烏森神社参道に店を構える「王将」が偶然空いており、軽く一杯中継ぎに。創業1958年、もう50年の間営業を続けている、屋台作りで周囲をビニールシートで囲っただけの、シンプルなつくりのお店である。
 親父さんの会話がなかなか楽しく、触るといいことある「幸運の柱」とか、昔撮影したラグビーの写真を見せてくれたりとか、話題に事欠かない。常連さんも会話に加わり、ほんの一杯、15分ほどの滞在なのに、十二分に立ち飲みの醍醐味を満喫できた。

 3軒目は新橋駅前第一ビルにある、秋田料理の『和作』というお店。10人入れるかどうかという、小ぢんまりした店は、すでにいい気分となった常連さんたちで、雰囲気が出来上がっている。元・演歌歌手というご主人の、駄洒落乱発のトークも冴えわたり、(?)、卵で腹がパンパンの焼きハタハタを肴に、一同、燗酒が進む進む。

 

 ここで、店のお客一同の参加で、「句会」を催そう、という類さんのご提案。御題をもとにして、各自が詠んだ作品を類さんが詠み上げ、拍手の量で選を判断、それぞれに講評を類さんよりいただくこととなった。

 出された御題は「銀杏」。作品を列挙すると、

 「母の顔 想えば涙 黄色い粒」(これが好評)
 「初恋の 人が好きだと いった銀杏」(「言った」と「炒った」がかかってる)
 「こんにちは 今うまれたよ ぎんなんこぞう」
 「宵も夜 銀杏匂い 類は友」(ウマイ!) 
 「モノトーン ケーキショップ(?) SLの声」
 「今つどう 酒盃に浮かぶ キンボール」
 「かれ葉散る 季節になれど 恋生まれ」
 そして類さんは「銀杏や 裸婦のつまめり 指の先」(何かやらしいな?)
 ちなみに拙作「銀杏の はぜる音に連れ 燗進む」 御粗末。

 それにしても、酒を飲みながら俳句をひねるのは、結構楽しく盛り上がる。あれこれ考えてうまく作ろうとするとあざとくなり、酔った頭でパパッとやると、意外と分かりやすいのができてウケるようだ。酒が強い人は、理性的な分かえって不利かも。 

 

 結局3軒はしごして、23時半に終了となった。3軒分合わせても5000円ちょっとぐらいの飲み代だったのも、大衆酒場ならではだろう。これは酔いどれでの句会も合わせて、くせになってしまいそうだ。 (2009年12月21日食記)

※BS-TBS 「吉田類の酒場放浪記」は、このサイトを参照。
 http://sakaba.box.co.jp/info.html

※吉田類さんの近著「東京立ち飲み案内」はこちら。
 http://www.bk1.jp/product/03113253


ローカルミートでスタミナごはん6…奥久慈しゃも/茨城県大子町 『割烹 弥満喜』・『玉屋旅館』

2009年12月13日 | ◆ローカルミートでスタミナごはん

 

【奥久慈しゃも】
■種別 銘柄鶏
■系統・掛け合わせ (名古屋種×ロードアイランドレッド)×しゃも
■生産出荷元 農業組合法人奥久慈しゃも生産組合

 郡山を後にした列車の車窓は、田園風景を走り抜けながら小さな集落をいくつか通り過ぎ、たまに小高い峠を越えて、と、のどかな風景が移り変わっていく。列車に乗り込んだのが昼ごはんの直後ということもあり、一定のリズムを刻む揺れのおかげでつい、うとうと。しゃも食べ行脚の心地よい午睡から目覚めると、いつの間にやら県境を越えたらしく、線路に沿うように滔々と流れていた阿武隈川が、久慈川上流域の急峻な流れへと、その表情を変えていた。
 水戸と郡山を結ぶローカル線の水郡線は、川俣しゃもを味わった福島県の郡山市を起点に、奥久慈しゃもの産地である茨城県の大子町を経由して、水戸までを結んでいる。「久慈川せせらぎ線」という愛称がついているけれど、「磐城常陸しゃもライン」なんてほうが、自身の旅のイメージには合っているようだ。

 

水郡線の常陸大子駅。ローカル線だが近代的車両が走っている

 大子町の玄関口である常陸大子駅へは、郡山駅から1時間40ほどで到着した。駅の周辺には食堂や旅館が数軒集まり、駅前には観光案内所も設置されている。街歩きの情報を求めて立ち寄ってみると、名所旧跡や温泉のパンフレットに混じり、しゃも料理を味わえる店の案内マップが。奥久慈しゃもが地元の名物地鶏であり、かつ重要な観光資源にもなっていることがうかがえる。
 マップを片手に歩き出した通りは、栄町通りから泉町通りへと続く商店街で、久慈川に向かってまっすぐに延びている。古くは栄えていたらしく、歩いていると立派な土蔵のある店、すすけたそば屋、古い木造旅館風の食堂、蔵を利用したうなぎ屋など、歴史を感じさせる重厚な店舗が軒を連ねる。
 店頭に奥久慈しゃもの幟がはためく店も見かけられ、「奥久慈しゃもの店」との木製看板が掲げた中華料理店や、大衆食堂風の店も。マップによると、しゃも料理を扱っているのは定食屋、とんかつ屋、中華料理屋、割烹などジャンルが幅広く、料理の方もしゃも鍋をはじめ唐揚げ、丼もの、弁当にラーメンなど、庶民的な料理もあるよう。ちなみに通りの中ほどで肉屋とスーパーを見かけ、地元の人が普段使いしているのかとも思い、冷蔵ケースを覗いてみたが、さすがに奥久慈しゃもは扱っていなかった。

  
  

常陸大子駅前の商店街の風景。奥久慈しゃもの幟や看板も見られる。右下は久慈川の下流方面を遠望する

 この大子町を中心とする奥久慈地域が、茨城県を代表する銘柄鶏、奥久慈しゃもの生産地である。「山のとり肉」とのコピーもあるように、山間部ならではの寒暖の差が激しい気候の下、野外でしっかりと運動をさせ、餌には飼料以外に穀類や青草も与えるなどして、手間隙かけて飼育している。商店街を抜けたところの、久慈川にかかる松沼橋からは、広々した流れの向こうに八溝山方面の山々が、連なるのが遠望できた。この県北の山あいの豊かな自然こそが、奥久慈しゃもが生まれ育つ原風景なのだろう。
 橋を渡ったところには、日本三名瀑のひとつ、袋田の滝への案内板が立っていたが、片道6キロでは少々遠い。街歩きは切り上げて商店街へと引き返し、通りの外れで昔ながらのたたずまいの料理屋を見かけたのを思い出し、蔵造りの料亭『割烹 弥満喜』の暖簾をくぐる。レトロな商店街を歩き、奥久慈の自然にちょっと触れた後で、蔵の片隅に落ち着いて銘柄鶏で一杯、も悪くない。

 

土蔵造りの弥満喜の店構え。妻部からは明かりが差し込んでくる

 店頭に掲げられた品書きには、大子の地元の食材を使った料理が楽しめる、とあり、もちろん奥久慈しゃもの料理も充実。おばちゃんに通されたテーブル席から上を覗くと、高い天井が蔵造りならでは。妻部の窓越しに青空がちらりと覗け、午後の陽が柔らかく射し込んでくる。由緒ありげな建物のいわれを聞いたところ、建物は戦前ぐらいのものらしく、戦後にこの場所に越してきたという。
 この日は銘柄鶏を1日に2銘柄はしごするので、昼は親子丼、夜は鍋と違う料理を試すつもりだ。が、この店のしゃも鍋は、2人前からの受付とのこと。「すべての部位が入っているのでおすすめだけど、おひとり様にはちょっと多いかもね」と話すおばちゃんに、ひとりでもオーケーなおすすめがないか尋ねたところ、「では、特製上しゃも親子丼は?」。
 これではお昼とかぶってしまうので、結局奥久慈しゃもの串焼きを、各種盛り合わせてもらうことにした。焼き鳥ならばビールに、と、壁に貼られたポスターでおすすめの地ビール「やみぞ森林(もり)ビール」を頼んだところ、こちらはあいにく品切れと、どうもオーダーがうまくかみあわない。

 高さがある空間に、80年代のニューミュージックがゆるゆると反響する中、時折板場からのジャーッ、パチパチという調理音が混じる。そんな中で、大子に蔵がある地酒「八溝冷水」の冷やを、先にちびちびやりながら待っていると、串焼きが運ばれてきた。手羽先、ムネ肉、すりみ、ムネ中、レバー、モモの六種盛りで、塩で仕上げてあるが薬味に辛味噌も添えてある。
 まずはムネ肉からグシッといくと、ゴチッ、グニッと固く弾力がすごい。断面はほんのりピンク色のレアぐらいで、まるで生鶏を食べているような迫力。野性味ある香りも強く、グシグシかむとザッ、ザッと、鶏の香味が口いっぱいに広がる。まるで鶏の生気、息吹を、そのまま取り込んでいるような味わいだ。皮の部分に脂肪のほんのりした甘みがあるが、全体的に淡泊な風味が特徴らしく、すりみも瑞々しくあっさり。高タンパク低脂肪どころか「ノー脂肪」のような軽さか。
 一方で、見た目がムネ肉と変わらないモモは、淡白な上品さに肉汁と脂の甘みがバランスよく加わり、かむとジュッと染み出すのがうれしい。皿に染み出た脂もからめていただくほどで、香りがムネ肉よりも良く、野趣が控えめな分食べやすいかも。そしてあまり聞いたことのない部位、ムネ中は、「モモとムネ肉のいいとこどり」とおばちゃん。ザクザク、バチバチのかみ応えと、たっぷりの脂の上品な旨みがともに主張して、おばちゃんが言う通り絶品もののうまさである。

 

左が歯ごたえのあるムネ肉。右は味に深みのある手羽先

 野生の鶏の味わいに近い、荒っぽく粗野な風味。これが奥久慈しゃもの食味の大きな特徴だ。原種をたどるとこの銘柄鶏も、タイ原産のしゃもにたどり着く。闘鶏用で味がいいが気性が荒く、集団で養鶏するのは難しいため、しゃものオスとおとなしい性質を持つ鶏のメスとを掛け合わせ、飼育しやすくしたのが奥久慈しゃもである。
 このあたりは、しゃもを原種とする他の銘柄鶏でも聞く話だが、しゃものオスと掛け合わせたのは、名古屋種とロードアイランド種を掛け合わせたメス。つまり奥久慈しゃもは、日本を代表する地鶏のひとつ、名古屋コーチンの血もひいているのである。地鶏や銘柄鶏の味を競う「全国特殊鶏(地鶏)味の品評会」で、第一位をとったことのある経歴も、この血筋からすると伊達ではない。
 低脂肪で適度に脂がのり、引き締まって歯ごたえがしっかりした肉質は、飼育日数の長さによる。出荷まではおよそ120~160日と、ほかの銘柄鶏と同様、普通の養鶏の3~4倍かけて育てられている。また骨太で丈夫なため、ガラから出るスープのボディがしっかりしているのも、奥久慈しゃもの特徴のひとつ。鍋のほかにも丼やラーメンが名物料理なのは、この特性を生かしているからかも知れない。

 四種の部位を味わって、肉の実力が概ね分かったところで、残る二種はアラとモツ。手羽は、歯ごたえ抜群だったムネ肉の骨付き部だけに、ガシッとかぶりつき、思い切りひいて、ガシガシとかみまくる。味はムネ肉よりやや濃く、関節の可動部位だから味は深い。血がしたたるようなレバーは口の中でブシッとはじけ、クリーム状の身は意外にすっきり。
 粘りある舌触りのあとに苦味がほんのり、と思ったら、この苦味が最後にバッときてうわっ、となるほどきつい。奥久慈しゃもの野性味が最も強烈なひと串で、数片だけで充分満足。奥久慈しゃもは部位によって、野性味が強いところと洗練で淡白なところが、極端に分かれるようだ。
 串焼きをほぼ平らげたところで、冷酒が若干残っていることもあり、手の加わった料理も試してみようと、しゃも朴葉焼きを追加してみた。味噌の甘ったるい香りと、軽くあぶって瑞々しい鶏肉が相性抜群で、シメジ、エノキ、クルミといった山の味覚と朴の葉の青臭さが、山里料理の趣をかもし出す。キャッチコピーの「山のとり肉」らしい料理である。

朴葉焼きは、飛騨高山の朴葉味噌に似た山里料理らしい一品

 おばちゃんは客の相談を受けて、街で今から泊まれる宿の手配をしており、自分にも今夜の宿はどうするの、と勧めてくれる。袋田温泉あたりでゆっくりするのもいいが、これから水郡線の旅の終点、水戸へ向かえば、まだ特急を乗り継いで今日中に帰れる時間だ。しゃも料理2品を肴に、「八溝冷水」の瓶が1本空になったところで席を立ち、「今度はお仲間と一緒に、ぜひしゃも鍋を食べに来てくださいね」と、おばちゃんににっこり見送られて、日が沈んで薄暗くなり始めた商店街を、足早に駅へと急いだ。
 締めのご飯を食べなかったのは、常陸大子駅には奥久慈しゃもの駅弁があると聞いていたから。列車に乗る前に、製造元である駅前旅館の「玉屋旅館」へと寄ってみた。数が限られているため、この時間ではもう売り切れか、と心配していたところ、なんと「今、作るからちょっと待っててね」とのことだった。

旅館玉屋の奥久慈しゃも弁当。できたての温かいうちにいただける

 この駅弁、駅弁なのに、今は駅での販売はしておらず、注文に応じて調製するオンデマンド方式をとっている。あらかじめ予約をしておけば、列車の到着に合わせてホームまで持ってきてくれ、列車の窓越しに渡してくれるという。使っている鶏肉はもちろん、正真正銘の奥久慈しゃも。そのできたてホカホカを食べられるのだから、実に贅沢な駅弁である。
 車内で包みを開いてみると、焼いたしゃも肉がご飯からはみださんばかりにたっぷりのり、豪快そのもの。まだほんのり温かいのをいただくと、肉の歯ごたえは強いが串焼きで食べたのよりはしっとりしている。いつしか真っ暗になってしまった車窓をよそに、ご飯をかっこみながら、大振りの肉をグイグイ。しゃも食べ行脚のローカル線の旅の締めくくりに、銘柄地鶏の駅弁が、なんともいえず似つかわしい気がする。(2009年3月20日食記)

【参考サイト】
 茨城県HP「発見!いばらき」 
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/products/stock/03.html
 茨城県大子町HP  http://www.town.daigo.ibaraki.jp/k_s_info/spot/busan_mikaku/syamo/index.html


ローカルミートでスタミナごはん5…川俣しゃも/福島県郡山市 『四季膳眺望 春翠亭』

2009年12月08日 | ◆ローカルミートでスタミナごはん

【川俣しゃも】
 ■種別…銘柄鶏
 ■系統・掛け合わせ…(レッドコーニッシュ×しゃも(純系・地鶏))×ロードアイランドレッド
 ■生産出荷元…川俣町農業振興公社

 その生涯をとりあげたテレビドラマの放映が決定して、このところ坂本龍馬が注目を浴びている。幕末の志士として、当時の日本を大きな変革へと導いた功績は偉大で、様々な問題を一向に解決へ導くことができない、現代の為政者の政治手腕と比べられることも多い。
 龍馬の最後といえば、慶応3年11月15日、京都の定宿・近江屋で暗殺されたというのが、定説となっている。盟友、中岡慎太郎との会談の際、風邪気味だった龍馬はしゃも鍋を食べたいと、配下に買出しに行かせた。警護が手薄な隙に、十津川郷士を名乗る刺客により斬られた龍馬は、当時33歳の若さで、偶然にもこの日が誕生日だったという。
 もし龍馬がこの日、しゃも鍋を食べたいと思わなかったら。買出しをしなくても、近江屋で鍋が用意できていたなら。そもそも龍馬が風邪気味でなく、ピンピンしていたら。災厄に遭遇せずに済んだ龍馬が、明治維新の後にも大活躍し、後世の日本にも好影響を及ぼしていたかも知れない。

 訪れる料理屋のホームページの、しゃもにまつわる解説に綴られていたこの話を思い出しながら、郡山方面へ向かう列車に揺られる自身も少々、風邪気味である。郡山駅のひとつ手前の、安積永盛という小駅に降り立つと、足元からきりきりと寒さが染みてくるように、底冷えがきつい。改札へ向かう跨線橋からは鉛色の雲が高旗山方面の山々に、重くかぶさっている様子が望め、時折風切音がビューッと鋭く鳴っている。
 目指す『春翠亭』へは、駅から歩くと20分少々かかる。店の案内によると、郡山市街を一望する眺望の良さが売り、とあり、道中は登り坂のようだ。加えてこの陽気とあれば、風邪気味の身には徒歩で行くには少々厳しい。とはいえタクシーを利用しようにも、無人駅のため駅前に客待ちの空車はいない。
 まあしゃも料理をいただけば、風邪も疲れも吹っ飛ぶだろう、と、駅前からゆるゆると登っていく道を歩き出した。

  

郡山駅手前の小さな無人駅、安積永盛駅。山のほうへ歩いて行くと、沿道に春翠亭の看板が

 やや急な登りに差し掛ったあたりで、高台の住宅街へと入ると、その一角の斜面の上にひっかかるかのような、春翠亭の店構えが目に入ってきた。「四季膳眺望」と店頭の看板にあるように、眺めの良さが売りなのは確かで、店内に入ると山々の方角や郡山市街方面が見下ろせるように、大きな窓が据えられていた。
 「晴れた日には安達太良山や、磐梯山も遠望できますよ」と、カウンター席に案内してくれた店のお兄さん。お目当ての川俣しゃもの産地である川俣町はどっちの方ですか、と尋ねてみたら、ここからはちょっと遠いですが、と北北東方向を指してくれた。
 優れた眺望もさることながら、この店の自慢は福島県でも有数の銘柄鳥である、川俣しゃもを使った料理の数々。ご主人の池場さんが川俣町の出身で、自らの故郷の特産であるこの鳥を使った料理を、各種提供している。その川俣町は阿武隈高地の丘陵地帯に位置する、福島市の南西に隣接した町。平安時代より養蚕が主産業で、江戸期には絹織物の「羽二重」の産地として隆盛を極めており、「絹の里」とも称された町である。

 

高台に立つ春翠亭。店内からは郡山市街方面を一望できる

 川俣のしゃもはその頃に、絹商人により持ち込まれたとされるが、当初は食用ではなく、絹で財を成した「絹長者」の旦那衆の娯楽、闘鶏用としてだった。町の各所で見られたこのしゃも、その頃から食用として様々な試みがされてきたが、本格的な研究が始まったのは昭和58年から。町の農業の活性化のために、当時の町長が注目して、食用のための開発が始まった。
 そして、この在来種だったしゃもに、肉の味や繁殖力を考慮して、外来種のロードアイランドレッド種とレッドコーニッシュ種を掛け合わせた結果、生まれたのが川俣しゃもなのである。高タンパク低カロリー低脂肪、締まりがあり歯ごたえと甘みが売りである肉質は、原種であるしゃもの、研ぎ澄まされた格闘ボディのおかげかも知れない。

 その素材本来の味を、シンプルに塩味の串焼きで味わって確かめたいところだが、品書きによると串焼きは夜のみのメニューとのこと。お昼のしゃも料理は、しゃもラーメンやしゃもだしうどんなどが並ぶ中、おすすめは、「しゃも親子丼」。人気メニューらしく、さらりと席が埋まった店内のほとんどのお客が、これをお目当てにやってきているようだ。
 さっきの兄さんにこれを頼むと、「醤油味ですか、塩味ですか?」。煮込むつゆが2種類から選べるそうで、定番の醤油味のほか、塩親子丼はこの店のオリジナルとのこと。こちらも素材本来の味を試してみるべく、塩味でいってみることにしよう。

 店は家族経営らしく、厨房を切り盛りする親父さんに接客に立ち回るおばちゃん、その息子さんらしき兄さんの4人で、繁忙なランチタイムをさばいている。親子鍋につゆを張り鶏肉を煮て、卵を溶きネギを刻んで、と、カウンターの向こうで手際よく調理をこなしている親父さんに、醤油味と塩味の違いを聞いてみた。
 すると「見た目は同じかな。塩のほうが、スープがちょっと白っぽいかも」。塩味のほうは、しゃもから出るダシと塩のみの味付けで、さっぱりした味わいが女性に人気なのだとか。カウンターの先客の中年夫婦も、ご主人は醤油味を、おばちゃんは塩味を選んでいる。

塩親子丼のセット。サラダや野菜の煮物などの小鉢がつく

 単品と値段があまり変わらなかったのでセットにしたところ、小鉢のモヤシのおひたし、ナス、カボチャの煮浸しなど、野菜のサイドディッシュが盛りだくさん。親子丼は浅広の椀に軽く盛ったご飯の上に、卵をまとった具材がゆるりとのっている。黄身はトロリと軽く締まり、白身は緩めの煮え加減。肉は普通の親子丼のひと口サイズよりも小振りで、軽くあぶり焦げ目がついている。ほかは青ネギのみと、シンプルだ。
 まずは鶏肉からひと切れつまむと、身は純白でつやつやしている。口に運ぶとクイッと適当なコシがあり、地鶏によくあるギシギシした固さではなく上品だ。味もくせがなく、銘柄鳥にしてはかなり淡い。それがかみしめると、クリアな旨みがほんのり漂ってくる。あぶることで肉の表面が締まり、煮込んでも肉汁や脂が染み出ないのかもしれない。あぶった皮の焦げ目がパリパリと香ばしく、肉の味がしっかりと濃いのが対照的で食欲をそそる。

 「あっさりしているがほんのりコクがあり、鶏本来の旨みが引き出されているでしょう」と親父さんが話すように、川俣しゃもの味の大きな特徴は、この淡白で程よいコクだ。それは川俣町の飼育農家による、自然に近い環境をと配慮した養鶏方法のおかげといえる。
 ブロイラーの養鶏では一般的に、運動量が増えて餌のコストがかかるのを防ぐため、光の入らない無窓鶏舎で、鶏を一羽一羽ケージ(籠)に収めて飼育する。一方で川俣しゃもの鶏舎は、窓があり日光や外気が入る開放鶏舎で、鶏をケージ(籠)に入れず、鶏舎の中を自由に動き回れる「平飼い」という方法を採用。阿武隈高原の自然光をしっかり浴び、しっかりと運動して育っている鶏なのだ。
 ほか、餌には抗生物質入りの飼料などは与えず、専用の配合飼料ほか野菜や青草もバランス良く与えるなど、ブロイラーの倍の4ヶ月をかけて手間隙を惜しまず飼育するおかげで、自然の鶏の味わいに近い、健康で安全な鶏肉となるのである。

 さらに、この素材の持ち味をしっかり引き出す、親子丼の調理方法にも注目したい。しゃもの脂の甘みや香ばしさをひき出し、卵のトロトロ感を出すために、具材に熱を加える時間や蒸らしのタイミングに、相当こだわっているという。店オリジナルである塩味の味付けも、香りの強い醤油味では分からない、川俣しゃもの繊細さが楽しめる特色といえる。
 丼をかっこむ息継ぎに、添えてあったスープをひとさじいくと、鮮烈に澄み切ったうまさ。しゃもから出たダシに塩のみで味付けをしており、しょっぱ目だがかえってコクが引き出されている。しゃもは脂肪がきめ細かいためスープにも向いており、ガラも澄んだ旨みが出るスープのダシとして評価が高い。淡い肉の味と、塩で引き出されたスープのコクを重ね合わせたら、川俣シャモの味の全体像が見えてきたようだ。

肉は淡白でかなりあっさしりた味わい。あぶった皮が香ばしい

 卵も、ねっとりした黄身、トロトロの白身はそれぞれが、鶏肉によくからむ。鶏肉の味の前には出ない程度の、濃厚過ぎず水っぽ過ぎずちょうどいいバランスだ。際立って主張しないところが、淡めの味わいの肉とよく似た印象だな、と思ったら、「卵はあいにく川俣シャモのではないんですよ」と親父さん。
 自然に近い環境で飼育するため、川俣しゃもの養鶏は手間暇がかかるため、食肉の生産だけで手一杯といった状況。そのため卵はあまり流通しておらず、地元の物産店でわずかながら扱っているが、比較的高価という。なのでこの店では川俣しゃもではないが、同じ川俣町の養鶏農家が生産した卵を、親子丼に使っているそうである。
 卵も川俣しゃものものを使えれば、究極の川俣しゃも親子丼になるんですけれど、と話す親父さん。いずれは卵も肉も、故郷自慢の銘柄地鶏でまとめた親子丼を、つくってみたいとのことだった。

 支払いを済ませながら、駅までの近道をおばちゃんに尋ねたら、あんな遠くから歩いてきたの、とびっくりした様子だ。ちなみにホームページにあった、龍馬が暗殺されたくだりとしゃもの関わりの話題を見た話をしたところ、「龍馬もしゃもを食べた後だったら、風邪が吹っ飛んで刺客を返り討ちにしていたかもね」。
 日本の今を変えていたかもしれない、未成となった近江屋のしゃも鍋に思いを寄せつつ、自分も川俣しゃもの親子丼をいただいたところで、帰りも駅まで歩くことにしよう。自然の生気がみなぎるしゃもから、活力を与えてもらったおかげと、帰り道はずっと下り坂なおかげで。(2009年3月20日食記)

【参考サイト】
川俣町農業振興公社 
http://www.kawamata-shamo.co.jp/shamo/index.html
川俣町 http://www.town.kawamata.fukushima.jp/gaiyou/tokusan/shamo.html