ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

町で見つけたオモシロごはん102…八景島 『Palmstone』の、八景島周辺の幸のシーフードサラダ

2007年09月28日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 チューブを上下するアザラシや、高所のロープを行き来するオランウータンなど、北海道の旭山動物園の影響で今、動物園は生態展示のブームである。首都圏の動物園や水族館でも、同様の展示方式が導入されはじめたおかげで、はるばる現地まで行かなくても、そうした展示を見られるようになった。発案元である旭山動物園も相変わらず話題沸騰、入込客数は上昇の一途で、今では北海道旅行において富良野や美瑛よりも、旅行者のニーズが高まっている人気アイテムなのだとか。
 家から近いため、普段からよく訪れる横浜八景島シーパラダイスにも、このたびイルカやクジラ、アザラシなどの生態展示を行う、「ふれあいラグーン」という施設が設置されることになった。一般へのオープン前に、マスコミ関係者へのプレ招待が行われ、仕事に出かける前にちょっと寄ってみることに。招待状には施設内での食事券と、おみやげのチケットもついているので、そちらもまた楽しみである。

 ふれあいラグーンは、八景島の名物である海上を走る「サーフコースター」の近くにあり、ゲートを入ると左手にはイルカやクジラたちとふれあえるプール、右手にはアザラシやトドなどひれ足動物の展示施設が設けられている。プールでは、イルカがトレーナーの方々とトレーニング中で、その様子を間近に見られるのもひとつの売りだ。
 そしてこのプール、すぐ際までお客が近づくことができ、直にイルカやクジラにふれられるのが目玉でもある。もっとも近い分、水しぶきは直撃なんてものではない。シロイルカ君たちは、今日のところはまだ引っ越して間もないため、おとなしくしているけれど、いたずらっ子の彼らに目の前でバシャーンとやられた日には、頭からずぶぬれになってしまうだろう。まあそれも、「ふれあい」のひとつといった感じか。


ショーの舞台裏、トレーニングの様子が見られるのが面白い

 あまりの暑さに、プールの水を手でバシャバシャとやりながら、トレーニング風景をひとしきり眺めたら、隣接するひれ足動物の展示施設にも足を伸ばしてみる。こちらはステージに出てくる海獣たちをなでたり、触ったりできるのが特徴で、普段は施設の上に渡してある通路から、オタリア、アザラシ、トド、ペンギンたちを見下ろすことができる。通路を歩きながら眺めてみると、ペンギンは整列してえさをもらう順番待ち、オタリアは岩の上をのったり散歩、トド君はこの暑さで、巨体のためちょっとしんどそうだ。
 そしてプールで泳いでいるアザラシは、中ほどにあいている真ん丸い穴にスッと入っては上がってきて、を繰り返している様子。この穴が、例のチューブへの入り口になっているのだ。階段を下りて、建物の中に設置されているチューブの前で待っていると、下からスーッとアザラシ君が上がってきて、目の前でピタリと静止、こちらをキョロキョロと見回している。チューブの存在をつい忘れて、まるで直接対峙しているようで、何だか不思議な気分になってしまう。


トンネルを下へくぐった先で、パイプ越しにアザラシ君とご対面

 ふれあいラグーンは、島にある宿泊施設「ホテルシーパラダイスイン」に面していて、ホテルの2階にはラグーンを見渡せるレストランがある。三崎マグロ丼ややまゆりポークを使った料理など、神奈川の地の食材を使っているとあり、早めのお昼をここで頂いてから仕事に向かうつもりだった。ところが残念なことに、プレス招待についている食事券は、ホテルのレストランは利用できないとのこと。
 前述の通り、八景島へは家族でしょっちゅう遊びに来るので、食事どころの事情は大体分かっている。バイキングとかハワイアン、中華、焼肉、寿司などで、「ここならでは」のカラーを感じられるところは、正直あまりない。今日はラグーンで日に当たりすぎで少々バテて食欲がさほどなく、バイキングとかのボリュームメニューはきついかも。
 あまり選択肢のない中、今まで入ったことがない『Palmeston』というレストランに決めて店内へ。店は海上にせり出す形で立っていて、通された席からは目の前、というか真下がすぐに海。正面にヨットハーバーと、先ほどのラグーンが遠望できる、なかなかのロケーションだ。

 品書きを開き、軽くオムライスと、それでも何か地元ならではのメニューがないか探したところ、あった。シーフードサラダの説明書きに、「八景島付近の幸など」とある。八景島に隣接する柴漁港は、シャコやアナゴが水揚される東京湾でも有数の漁業基地だけに、これは期待できそうだ。
 という訳で、お姉さんにオムライスとシーフードサラダを注文すると、「オムライスもサラダも、結構ボリュームがありますが、大丈夫ですか?」。先日も、神谷町のダイニングバーで、オムライスの大盛りを頼んだ挙句に残したことを思い出し、ここはトーストにしておくことに。

 シーフードサラダは細長い大皿に盛られ、確かに量が多いけれど、レタスやカイワレといった野菜に、ワカメなど海草が豊富だから、暑いときにはビタミンが補給できてうれしい。運んできたお兄さんに、シーフードサラダに使われている魚介を尋ねたところ、「カンパチにハマチ、ホタテ、トリガイ、海老のから揚げ、タコ、メゴチ揚げです」とのこと。
 まずはホタテ、ハマチ、カンパチから、レタスにくるりと巻いて、ドレッシングにからめてひと口。多少身が柔らか目で、酸味の利いた和風ドレッシングのおかげで、食欲をそそる。対照的に、タコはガチッと歯ごたえが固め。これら刺身よりも、海老とメゴチの揚げ物コンビがなかなかいい味で、とくにメゴチはグッグッと腰があり、かみ締めるたびに甘い身の味がじわじわとでてくる。ドレッシングにからめて食べると、南蛮漬け風の味わいになり、これまたいける。


シーフードサラダ(左)と、仕事中にうれしい低アルコールビール

 こうなればやっぱりビールを… といつもの展開ではそうなるのだが、今日ばかりはこの後の仕事の内容を考えると、絶対にまずい。するとうまくしたもので、メニューには「低アルコールビール」があった。あののど越しと麦の味の気分さえあれば、アルコール分は我慢しよう、と注文することにした。グッといくと、ビリッとしびれるのど越しに、これはこれで至福の瞬間。普通のビールなら、このあとグラグラッ、とくるところが、グラッ、ぐらいで収まるのが、低アルコールならではか。
 厳しく見れば、刺身の味は少々微妙、「八景島の幸」というのも怪しいが、テーマパークのレストランで、しかも食事券を使ったタダ飯で、あまり深く突っ込むのも野暮というもの。東京湾を見ながら、間違いなく地物のメゴチ揚げに満足できたところで、良しとしておこうか。外に出るとさらに暑さは増しており、低アルコールビールでもさらに酔いが回り、グラグラッときてしまう。

 酔いはすぐに覚めるとして、これから仕事に行く上で困ったのは、プレス招待のもうひとつの特典である、おみやげの大袋。中ではこれまた大きな白イルカ君のぬいぐるみが、ニッコリと笑っている。大荷物だけれども、娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら、がんばって1日連れて歩くとするか。(2007年7月24日食記)


町で見つけたオモシロごはん101…神谷町 『ダイニングバー侍』の、オムライス

2007年09月26日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 仕事の打ち合わせで神谷町にやってきて、東京タワーを窓から臨むオフィスで打ち合わせが終わったのが、11時半過ぎ。界隈で飯を食うか、日比谷線で仕事場がある銀座に戻ってから食うか、非常に迷う時間である。神谷町はほとんど下車したことがなく、食事処の見当がつかないけれど、せっかく知らない町に来て、ファーストフードやチェーンの店で昼飯、というのも味気ない。
 とりあえず駅に向かい、駅に隣接するオフィスビルの地下飲食店街をぶらぶらと物色。簡素な喫茶店や小ぢんまりした居酒屋などが多く、店頭のランチメニューは「カレーセットコーヒーつき」とか「ほっけ焼き定食」といった感じ。いずれも、ビルに入っている会社の社用に使われる店のようで、値段は安いがいまひとつ個性もないので、どうも食欲がそそられない。

 今から銀座に戻ると12時過ぎと、ちょうどランチタイム戦争のど真ん中に突入してしまう。干物や地酒の店あたりで、いっそ居酒屋ランチでもいいか、と決めかけたところで、フロアの最奥にダイニングバーらしき店を見つけてひと安心。店頭にはランチメニューのボードがあり、パスタなど軽食メニューがいくつか揃っているようでありがたい。
 大きな木の扉を押し、照明をアンダーに落とした落ち着いた雰囲気の店内へ。すぐ左にあるしゃれたバーカウンターと、その後ろにズラリ並んだ、種類豊富なアルコール類が目をひく。黒服の店員に案内されて、奥のフロアのテーブル席に着くと、壁にかかる大きなビジョンが迫力モノ。夜はMTVとか映画とかワールドスポーツとか流すのかもしれないが、今は民放のニュース番組が流れ、のどかなお昼時、といったムードである。

 オーダーを取りにくるのと同時に運ばれてきたのは、お冷ではなくミネラルウォーターのボトルだ。ラベルには「侍」と描かれていて、店名である『ダイニングバー侍』にちなむ、店のオリジナルのよう。オーダーはパスタのセットにするつもりだったが、テーブルにあったメニューを開いたところ、写真のオムライスがうまそうなのでこちらに決定。店の選択のためにうろうろして空腹が激しかったので、「大盛りで」と追加した。
 普通、オムライスといえば薄焼き卵でライスをアーモンド形にくるんだのが思い浮かぶが、ここのはケチャップライスの上に、オムレツがポン、とのっかっているものが運ばれてきた。ケチャップライスのオレンジ、卵の黄、その上にかかるケチャップの赤と、色彩鮮やかでなかなか食欲をそそる。

 スプーンでオムレツをすくってみてびっくり、卵がとても軽くフワフワに柔らかい。オムレツの命は、何といっても卵への絶妙な熱の加わり加減。しっかり火が通ってだし巻き卵みたいになっては、食感がゴワゴワといまひとつだし、かといって断面から流れ出すほど生っぽいのも、少々気持ちが悪い。それが、このオムレツはひと口分すくっても、中身がドロリと流れ出すことなく、ピッタリぎりぎりのタイミングで固まっている。舌触りもさらりと軽く、まるで洋菓子のスフレのような食感。魅惑的で、優しさあふれる味わいである。上にかかるトマトケチャップのキリッとした酸味が、絶妙なコントラストで、思わず頭がシャキッ。優しい味と刺激が対象的にやってくる、メリハリの効いた味わいである。
 ケチャップライスのほうも、オムレツなしでこれだけでも充分おいしいほどで、昔懐かしい洋食屋のピラフを思い出す。ただ、大盛りにしたところ本当に量が多く、オムレツを平らげたところでかなりお腹いっぱいになってしまった。ケチャップライスは食べられるだけ食べて、残りはごめんなさい。大盛りを注文して残すのは、仁義にもとるので、恐縮仕切りである。


卵がふわりと、見事な加減に仕上がっている

 時計を見るとちょうど12時を回り、昼休みになった会社員がぼつぼつやってきて賑わい始めた。やはりOLが多いようで、居酒屋ランチが多いこの地下街で、この雰囲気の店はありがたい存在なのかも。カウンター越しのアルコール類が気になるから、今度は神谷町の打ち合わせを夕方にして、帰りに寄ってカクテルを一杯、もいいかも。席を立ち、目に入った大型ビジョンは、タレントがわんさか出てくるお昼のバラエティー番組に、映像が変わっていた。(2007年7月18日食記)


町で見つけたオモシロごはん100…横浜・新杉田 『だて屋』の、つけそば

2007年09月22日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 今年は秋に、神奈川県のラーメンガイドの仕事をする予定になっていることは、以前に記したと思う。すでに9月も終わりに近づくのだが、まだ仕事の依頼が来ないので、少々心配。とはいえ日頃のリサーチは怠ることなく進めておいて、突然依頼が来て無茶な締め切りを設定されても(笑)、涼しい顔で受けられるようにしておかなければならない。
 地元のラーメン屋の食べ歩きはもちろん、書店で今出ているラーメンガイドをチェックするのも重要な事前準備、と駅前の本屋を覗いてみると、ラーメンガイドの発注元である版元が刊行している神奈川のグルメガイドシリーズに並び、つけめんの店ガイドがあった。神奈川だけでなく東京や千葉、埼玉も掲載されており、つけめんだけで1冊になっているガイドは見たことないから珍しい。開いてみると、ざるに大盛りの中華麺と小鉢のつけだれの写真が、どの店も延々と並んでおり、ビジュアル的にバラエティに富んだラーメンガイドより、ちょっと単調かも。

 つけめんといえば、以前訪れた新杉田の『だて屋』で、名物にしていたことを思い出す。前に行ったのは梅雨明けすぐの暑い日で、自分は汗をかきながらラーメンを平らげる横で、つけめんをするするとすすっている客がいたものだ。今日も朝から蒸し暑く、お昼には前回の宿題となったつけめんでさっぱりいくのもいいな、と書店から歩いて5分ほどのところにある店へと向かった。
 カウンターに腰を下ろしたら、メニューを見ることなく即「つけそば」を注文。ついでにサイドオーダーも前回と変えてみようと、前に頼んだメンマ飯の「だてめし」ではなく、「チャーシュー丼」もお願いした。昼時ということもあり、店内はそこそこ賑わっており、聞くとはなしに耳に入ってくる客の会話には「連チャン」「大箱」との単語がぽつぽつ。店の隣は大きなパチンコ店のため、合間に寄って昼飯を済ませる客が多いようだ。
 
その客層に気を使ってなのか、この店はランチタイム禁煙どころか、分煙にもしていないのが難点である。手打ち麺が自慢で、客席の一角にガラス張りの製麺室を設けているほどなのに、以前ラーメンを頂いたときには横の客からタバコの「煙害」を被り、せっかくの手打ち麺もうまさ半減どころか、激減に感じたものだ。今日は幸い、周囲には喫煙する様子の客はいないようなので、とりあえずひと安心。


だて家のチャーシュー丼。細切れのチャーシューに味が染みる

 すると常連客らしきひとりが「つけそばの大盛りは、何玉分?」と、店の人に聞いているのが耳に入ってくる。大盛りはどうやら、普通のラーメンの麺で2玉分あるようで、普通盛りでも1.5玉相当はあるらしいから、結構なボリュームだ。これはチャーシュー丼が余計だったか、と心配するも遅し。先に小鉢に入ったつゆ、続いてざるに盛られた麺が運ばれてきた。つゆは普通のラーメンのつゆなのが面白く、ネギのほかメンマや刻んだチャーシューなど、きちんと具も入っている。そしてざるの上に山型にこんもりと盛り上がった麺は、ざるそばやざるうどんを食べたときよりも、はるかに存在感があるように感じる。
 まずは軽く麺をひとたぐりして、つゆをさっとくぐらせてズルリ。手打ちで腰があり、モッチリした歯ごたえの麺が、つゆのおかげで甘みが豊かに感じられる。麺はキリッと冷やしてあるのに対し、つゆは温かいため、冷熱の対照が味のポイントになっているよう。そして具がしっかり麺にからむため、たぐるごとに具も味わえるのが、ラーメンとまた違った点だ。濃い目の味付けのつゆのおかげもあり、どんどんとすすれてしまう。


つけそばの麺は腰があり、ほのかな甘みも

 つけめんは厳密に定義づけすると、正統派のラーメンのカテゴリーに入らない異分子との説がある。でも、先日店じまいしてしまった東池袋の名店「大勝軒」のおかげで知名度があがり、麺料理のひとつのジャンルとして確立していることは間違いない。ほかにもタンタンメンや油そばも、同様にラーメンマニアや評論家の間では、カテゴリーにまつわる議論が白熱しているようだが、まあ難しいこと言わず同じ麺料理ということで、ラーメン屋で食べられてうまけりゃいいんじゃないだろうか。近頃はスープの味や具に様々な研究がなされて、味がより多様化しているラーメンの一方で、つけめんは麺そのものの味をシンプルに楽しむ、という点では、日本人好みの麺料理といえるだろう。
 今日のところはタバコの煙の被害にあうこともなく、ざるに大盛りの麺を最後まであっという間に頂けた。これまた味が良くしみた濃い口のチャーシュー丼も、ちょうどいいサイズで軽く平らげて、難なくごちそうさま。やや辛目のつゆに、そば湯ならぬラーメンのゆで汁を足して飲むと、これがマイルドになって締めにはいい。
 今後
ラーメンガイドの仕事の依頼が来たら、この店は普通のラーメンでなく、つけめんを紹介してみようか、と迷うところである。でも掲載候補の店にリストアップするにはやっぱり、店内はフルタイム全面禁煙にしてもらいたいところだけれど。(2007年9月8日食記)

PS・ふと気がつくと、このカテゴリーは100投稿目です。ブログをはじめてちょうど2年ほどで到達、ということで自分で自分におめでとうございます


旅で出会ったローカルごはん97…広島・大久野島 『休暇村大久野島』で、ウサギと遊んでタコ料理を賞味

2007年09月15日 | ◆旅で出会ったローカルごはん


島の山頂の展望台から。周囲の島々を一望

 広島への家族旅行2日目は、広島平和記念公園で原爆にまつわる資料や戦跡をがっちり巡ったこともあり、少々くたびれてしまった。広島港を望むリゾートホテルへいったん戻ってひと休みしたら、夜はみんなでゲームコーナーやボウリングに興じ、子供が寝静まってからは家内と最上階のラウンジで、海の夜景を眺めながらカクテルを傾けて、と、ホテルライフをしっかりエンジョイしながらくつろいだ。
 最終日は瀬戸内に浮かぶ小島・大久野島で半日遊んで、夕方の飛行機で帰京するだけなので、前夜の遊びすぎもあってゆっくり目のスタートとなった。10時半にホテルを出発して、瀬戸内の多島美を車窓から楽しみながらドライブすること2時間ほど。塩田で栄えた小京都・竹原のやや先の忠海港にクルマを停めて、桟橋に出ると3キロほど沖合に浮かぶ島が、石を投げれば届きそうな(?)ほど眼前に見える。クルマを港に泊めて、これまた小さな渡し船に乗り換えて10分ほどの船旅を楽しんだら、大久野島の小さな桟橋へとたどり着いた。
 大久野島は竹原市の沖合に浮かぶ、周囲4キロほどの小さな島である。桟橋から上陸すると、周囲からワラワラと集まってくるウサギ君達。白、茶色、グレーに黒と、彩りは様々でみんななかなか愛らしい。

 桟橋には何と、島にある「休暇村大久野島」の方が迎えにきてくれていた。この島には公共の宿泊施設である休暇村が立地していて、島全部が休暇村の敷地になっている。休暇村は仕事で関わることが多く、全国各地でお世話になっている。今回も家族旅行のついでに、休暇村にご挨拶に寄る旨を東京の案内所に伝えていたところ、職員の方が島を案内してくださるなど、色々お世話頂くことになり、恐縮というか実にありがたいことである。
 子供たちは桟橋近くで集まってくるウサギたちがお気に入りの様子で、なでたり追っかけたりとなかなか腰を上げてくれない。「休暇村の宿泊棟近くにもいっぱいウサギはいるから、後で遊べますよ」にようやく納得して、クルマに乗り込んだらまずはお遊びの前にお勉強。この島、のどかなリゾートアイランドである一方、戦争にまつわる史跡も豊富で、広島で原爆関連の資料や戦跡を見学した流れで、合わせて見物していくことにする。

 クルマでまず向かったのは、島中央にそびえる山の山頂。クルマを降りた先には、レンガ造りの小部屋のような建物がいくつか並んでおり、少し歩くとやや掘り下げたような広い空間へと出た。周囲の壁面は花崗岩でしっかり石組みされ、広々した地面の部分もすべて石敷き。そして地面には何やら丸い形が残っているのが分かる。
 この島、戦時中は「芸予要塞」と呼ばれ、本土と島の北側の海峡を警備するため、いくつもの砲台が据えられていたという。ここは島最大の砲台があった「中部砲台跡」で、手前のレンガの建物は兵舎、丸い形のところが砲塔の台座になっていた。2基分の台座がふたつ、計4基の砲塔が据えられたとされている。


中部砲台跡。砲塔の台座と兵舎が残っている

 据えられていた砲塔は、当時としては最大規模だったそうで、こんな本土の奥深くにまで、本土決戦の際に備えて防備していたのか、と思いきや、ここで指す戦時中は第二次世界大戦ではなく、日清・日露戦争のこと。付近には呉など軍の要衝があるため、万が一の外敵侵入に備えて設置されたのだそうだが、実際には使われることはなかったという。
 ちなみにこの大砲、目標に向けて弾を打つのではなく、上に向けて発射して、敵の上から弾が落ちるように狙う仕組み。砲台の回転手と照準手、そして指揮する上官と、声をかけながらの作業だったというから、今の兵器に比べアナログというか、アバウトというか。実働していたとして、ちゃんと敵に弾が当たったんだろうか。
 壁面の彫りこんだ部分は、大砲の弾を立てて並べていた跡です、と休暇村の方。近づいてよく見ると、弾の筒の曲面に合わせて、弾を置きやすいよう壁面をカーブに削ってあるのがリアル。続いて見学した「北部砲台跡」には何と、砲弾の丸い形に錆が残っているから、合わせて弾の大きさを想像してみる。

 頂上の展望台から、周囲の島々をバックに記念撮影をして、ほかいくつかの戦跡や資料館を巡ったところで、お勉強の時間は終了。休暇村の宿泊棟に到着して、ウサギの餌をもらった子供たちは、建物前の芝生の園地で飛んだり跳ねたりしているウサギたちに向けて、すっとんでいってしまった。
 大久野島には約500羽のウサギが棲息していて、観光客を愛らしく迎えてくれる。山間部に住むウサギは野生化しているけれど、海岸沿い や休暇村の宿泊棟付近にいるのは人に慣れており、餌をあげたり一緒に遊んだりできるのが、この島の楽しみのひとつでもある。
 園地の芝生に腰掛けてひと休み、ふとそばの木陰を見ると、まだ小さい小ウサギが数匹、体を寄せ合っている。試しに餌をあげてみたけれどまだ幼いからか、警戒心が強いよう。見つけてすっとんできた娘にびっくりして、跳ねて逃げて行ってしまった。
 逆に成長したウサギは人を怖がらない、というか堂々としていて、手のひらにのせた餌を直で食べている。休暇村の玄関近くや、桟橋に特に集まっており、人がよく通る場所を分かっているんだろうか。特に桟橋近くは、船で帰る前の客が残ったウサギの餌をぜんぶ撒いていくことが多いから、格好の優良餌場なのだろう。
 ウサギはコンビニのビニール袋を広げる音で、袋の中身の食べ物をくれる、と思ってか寄ってくるとのこと。試しにカバンから袋をとり出し、大げさにワシワシと音を立てたところ、360度全方位からダッタカダッタカとウサギが大集合。中には2本足でよいしょ、っと立ち上がって餌をねだるウサギ君の姿も。


島のあちこちにいるウサギ。人によく慣れている

 ご親切なことに、休暇村の方が休憩用に部屋を用意して下さっており、ちょっとひと休みさせてもらうことに。2つある展望温泉浴場のうち、瀬戸内の海を大きなガラス窓から臨む西側の浴場で汗を流して戻ってくると、先ほどの方が「折り詰めですが、どうぞ召し上がってください」と、何と食事まで運んできてくれた。ひとり2つずつの折になっていて、片方は炊き込みご飯、もう片方は天ぷらや煮物、から揚げなどのおかずがいっぱい。炊き込みご飯は、瀬戸内名物のタコが具のタコ飯で、刻んだタコをご飯と一緒に炊いてあるから、タコの甘く香ばしいダシがご飯にしみて、これはとまらない。おかずの折にも、ホコホコ、プッツリと食感が心地よいタコの天ぷら、長時間かけて煮込んであるためトロリと柔らかなタコの柔らか煮など、まさにタコにこだわった品揃えである。
 瀬戸内は多島海のため、島と島の狭い海峡に早い潮が流れている。そこで育ったマダコは、潮流に運ばれてくるエビや貝、カニといった餌に恵まれるため味がよく、潮で身がもまれるためにしっかりと締まっている。漁法はおなじみの「タコ壺漁」。浅い海底に、10メートル間隔ほどで壺を仕掛けた縄を数本流しておき、数日後に引き上げると、その1割ほどにタコが入っている、という寸法だ。大久野島の近海も同様に、タコの優良な魚場であり、休暇村もタコをはじめとする大三島出身の料理長が選んだ素材を用いた、「瀬戸内こだわりバイキング」が好評を博している。
 タココーナーでの人気はやはり、タコの混ぜご飯の「もぶり寿司」と、じっくり煮込んだタコの柔らか挟み串。ちなみにタコは産卵期を控えた冬場が旬で、休暇村でも「バイキング&温泉健康パック」など、冬場向けの商品も用意されているので、これからの季節は注目である。


左はタコ飯、右の折にはタコの天ぷらと柔らか煮が。豪華なタコ尽くしの折詰め

 …と、家族旅行であるにもかかわらず、いろいろとお気遣いいただいた休暇村にせめてばかりのお礼を兼ねて、ここで施設や料理のPRもかねていろいろとご紹介。湯上がりにタコ料理を満喫して、畳の上にゴロンとすれば、いっそもう1泊していくか、という気分になってくる。しかし、18時の飛行機の時間がそろそろ気になり始める頃合で、家族旅行もそろそろ締めくくりとなってきた。クルマを置いてある忠海港への船が出るまで、あと数十分。名残惜しいけれどせめてそれまで、じっくりとくつろいでいくとしよう。(2007年8月30日記)


旅で出会ったローカルごはん96…広島・大久野島の、砲台など戦争遺跡と瀬戸内のタコ料理

2007年09月09日 | ◆旅で出会ったローカルごはん

 

島の最高部にある中部砲台後の大砲台座

 広島の原爆資料館で目にした様々な展示からは、戦争による被害の残酷さ、無差別殺戮兵器の恐ろしさが、充分すぎるほど感じられた。原爆投下のほかにも、日本全土への空襲、沖縄での本土決戦の悲劇と、敗戦国となった日本が、戦争末期にいかにひどい被害を被ったかは、ここで改めて記すまでもないだろう。
 ただ、この戦争で悲惨な目にあったのは、もちろん日本だけではない。広島の原爆関連の展示や戦跡を訪ね歩いていると、日本の被害者的立場のみが強く印象付けられてしまうが、日本だってこの戦争でアジア諸国への侵略の際、人道的に強く非難されるべき悲惨な行為を数々繰り広げたこともまた、周知の通り。戦争の結果としては勝者・敗者が生じるものの、その過程においてなした行為を省みれば、所詮戦争に絶対的な正義などないことは、自明の理であろう。

 子供たちへの戦争教育も兼ねたこの夏の家族旅行で、最終日に瀬戸内に浮かぶ大久野島を選んだのは、戦争被害者としての日本を広島の原爆関連で知る一方、「加害者である日本」も同時に知る、という意味からなのである。広島の市街から、ベタ凪の海にのどかに浮かぶ島々を眺めつつ、車で約2時間。塩田で栄えた小京都・竹原のやや先の忠海港から渡し船に乗り換えて10分ほどで、大久野島の小さな桟橋へとたどり着いた。
 大久野島は竹原市の沖合3キロのところに浮かぶ、周囲4キロほどの小さな島である。桟橋から上陸すると、周囲からワラワラと集まってくるウサギ君達。島には公共の宿の休暇村も立地し、今ではのどかなリゾートアイランドだが、過去にはかなり重い歴史を持った島でもあるのだ。

 桟橋へ到着後、クルマでまず向かったのは、島中央にそびえる山の山頂。クルマを降りた先には、レンガ造りの小部屋のような建物がいくつか並んでおり、少し歩くとやや掘り下げたような広い空間へと出た。周囲の壁面は花崗岩でしっかり石組みされ、広々した地面の部分もすべて石敷き。そして地面には何やら丸い形が残っているのが分かる。
 この島、戦時中は「芸予要塞」と呼ばれ、本土と島の北側の海峡を警備するため、いくつもの砲台が据えられていたという。ここは島最大の砲台があった「中部砲台跡」で、手前のレンガの建物は兵舎、丸い形のところが砲塔の台座になっていた。2基分の台座がふたつ、計4基の砲塔が据えられたとされている。

中部砲台跡に隣接する、レンガ造りの兵舎

 据えられていた砲塔は、当時としては最大規模だったそうで、こんな本土の奥深くにまで、本土決戦の際に備えて防備していたのか、と思いきや、ここで指す戦時中は第二次世界大戦ではなく、日清・日露戦争のこと。付近には呉など軍の要衝があるため、万が一の外敵侵入に備えて設置されたのだそうだが、実際には使われることはなかったという。
 ちなみにこの大砲、目標に向けて弾を打つのではなく、上に向けて発射して、敵の上から弾が落ちるように狙う仕組み。砲台の回転手と照準手、そして指揮する上官と、声をかけながらの作業だったというから、今の兵器に比べアナログというか、アバウトというか。壁面に近づいてみると、やや彫りこんだ部分あり、ここに弾を立てて並べていたという。弾の筒の曲面に合わせて、弾を置きやすいよう壁面をカーブに削ってあるのが、何だか生々しい。続いて見学した「北部砲台跡」には何と、砲弾の丸い形に錆が残っているから、合わせて弾の大きさを想像してみる。

 こうした日清・日露戦争のレトロな遺構もなかなか興味深いが、次に訪れた戦争遺跡で、再び原爆と同じ第二次世界大戦へ引き戻されることに。北部砲台から島の西岸の海沿いに出てすぐの山の斜面に、焼け焦げたコンクリートが痛々しい建物の残骸が、木々の中にやや埋もれてその姿をさらしていた。
 建物はかつて、島最大の毒ガス貯蔵庫跡で、焼け焦げているのは、戦後すぐに毒ガスもろとも火炎放射器で焼却処分した際の名残。ここから島の西岸に、毒ガスの貯蔵庫や製造施設が並んでいたそうで、車窓からは煙突の跡や、毒ガスのタンクを置いた台座や配管用の穴が残る貯蔵施設跡など、関連施設の遺構がいくつか眺められた。


毒ガスを貯蔵した長浦貯蔵庫跡。黒い部分が焦げた跡

 大久野島の重い歴史、それは「日本で唯一、戦時中に毒ガスを製造していた島」という事実である。昭和4年に陸軍造幣廠火工廠忠海兵器製造所が設置されて以来、島内に住む人はなく、全島に毒ガス製造の様々な施設が設けられていった。昭和10年までにはほぼすべての種類の毒ガスを生産するようになり、年間1200トンもの生産があったとされる。その特殊性から、大久野島は戦時中、地図に載ることのない時期があったほどである。
 最後に訪れた、その名も「毒ガス資料館」には、大久野島で製造されていた毒ガスにまつわる、当時の貴重な資料が展示されている。立派な広島の原爆資料館に比べれば、小部屋1つ程度と小ぢんまりした施設だが、展示内容はある意味、比べて余りある重要性を持っているといえる。

 最初の展示では、島で製造されていた毒ガスの種類と、その効力が詳しく説明されていた。もっとも重点が置かれていたのが「黄1号」と称されるイペリットで、皮膚障害や呼吸器・消化器に影響を及ぼすとある。さらに「黄2号」は吐き気や皮膚に炎症を起こすルイサイト、そして「茶1号」と称される青酸は、数秒で効く殺傷能力の強いもので、戦争末期には自決用にも携帯されたというから恐ろしい。
 ほか呼吸困難を引き起こす「赤1号」ジフェニール、シアンアルシン、催涙性があり失明効力もある「緑1号」塩化アセトフェノンといったところ。「茶1号」からはみかん処・瀬戸内らしく、殺虫剤「サイローム」も生産されたというが、いずれも本質的には現在、国際的に使用が禁じられている化学兵器であることは、疑う余地もない。

 展示はほか、当時の製造工場の様子を伝える写真や、工員たちの持ち物なども展示されていた。最盛期には5000人の従業員が働いていたが、島内に住居はないため、毎朝のフェリーでの通勤風景の写真は、都会の通勤ラッシュを思わせるほどの混雑ぶり。興味深いのは、軍事機密にしていたからか工員に「毒ガス」を作っているという認識は、あまりなかったらしいこと。だからゴム製で蒸し暑かった防毒服を作業中に開けてしまったり、作業した素手で目をこすってしまったりと、労働の際の危険意識がやや薄かったよう。加えて防毒服も完全密閉ではないため、割と隙間があってガスが入りやすく、呼吸困難や気管支炎、皮膚病や眼病になる工員が跡を絶たなかったという。
 ちなみに島のウサギも、実は毒ガスの実験用や、毒の安全確認用に飼われていたという説もあるから、なんとも気の毒。実際には、製造現場の毒探知用にはジュウシマツが飼われていたとか。

かつて本土からの桟橋があった近くにあった、発電所の跡。

 これら毒ガス兵器を、戦時中に日本軍どのように使用したのか気になるところだが、該当の展示には驚くべきことに「…毒ガスは中国戦線で使われたらしいが、使途はよく分かっていません」と、簡単な記述があるのみ。次のコーナーではもう、戦後の毒ガスの処分にまつわる展示で、さっきの貯蔵庫のように施設ごと焼却したり、持ち出して船ごと土佐沖で爆破して沈めたりした、といった内容が記されていた。
 日本政府は現在に至るまで明言していないが、中国戦線で日本軍が毒ガス兵器を用いたことは、ほぼ間違いないとされている。展示の中には、1982年に中国で土木工事の際に毒ガス爆弾を掘り当ててしまった旨の内容があり、その被害を被った人の写真は、原爆資料館の被爆者の被害写真を思い出させる凄惨なものだった。戦争から40年近く経って、偶然見つけた不発弾でこうなのだから、戦時中に日本が繰り広げていた毒ガス兵器による侵攻の被害者は、いったいどれほどの数で、どれほどの悲劇が繰り広げられていたのだろうか。
 原爆を投下したアメリカの行為は、決して許されるものではない。ただ、一方で日本が犯したこのような非人道的な侵略行為の事実も、日本人としてもっと知っておくべきだろう。子供たちも、原爆資料館とここを合わせて見学することで、そのことを少しでも感じてもらえたならいいのだが。

 
…と、今回もまた戦跡めぐりで紙面が尽きました。瀬戸内といえば、名物はタコ。さらにこの休暇村には、温泉までわいている。ということで、次回は同内容で、リゾートアイランド大久野島編として綴ります。ウサギも寄ってくること、寄ってくること(笑)。(2007年8月30日記)