宍道湖の昼の風景と、幻想的な夕景
●松江の朝は、シジミ漁のボートのエンジン音で始まる
シジミ売りの売り声といえば、納豆売りと並ぶお江戸の朝の風物詩。当時は「シジミよー、シジミ」の声とともに、目覚めたお江戸の町人たちが、その日の営みを始める、といった感じだったのだろう。「シジミ売りのように、しっかり働いて」とは、朝早起きして仕事に精を出せ、という例えでもあり、夜型の物書きにとっては耳の痛い限り。前日の深酒のおかげで、早朝からシジミを売るというよりは、シジミ汁で二日酔いをスッキリさせて、といった方が、シジミとの縁が深いようである。
松江の町の朝は、シジミの売り声ならぬ、宍道湖に響きわたるシジミ漁に向かう船のエンジン音で始まるのだろうか。前日、松江温泉街にある郷土料理の店「五歩屋」で飲んだ際、締めにシジミのラーメンを頂いたおかげで、深酒をしたにもかかわらず目覚めは爽やか。宿で自転車を借りて、早朝の宍道湖岸に沿ってペダルをこいでいく。昨日は青空の下に輝く宍道湖を眺め、夕景の幻想的宍道湖も眺めたから、今朝はシジミ漁の漁船で賑わう宍道湖を眺め、宍道湖の代表的「四景」をすべて、目に焼き付けていくことにしたい。
「シジミ漁は朝6時ごろからやってるから、松江温泉あたりの湖岸に行けば、漁の様子が見られるよ」と、昨夜のご主人の話どおり、松江温泉付近の園地から湖を眺めると、湖面狭しと白い小船がずらり。まさに、宍道湖の風物詩、といった感じの眺めである。
シジミ漁は、宍道湖の沿岸で広く行われており、松江周辺の主な漁場は「温泉団地」と呼ばれる、松江温泉の旅館街の沿岸だ。シジミ漁の船は、大橋川が宍道湖に流れ込む河口あたりから、松江温泉街の正面あたりに集中しているよう。宍道湖特産のヤマトシジミは、塩分が比較的薄いところに棲息しているのに加え、河口の水域は川が運んできたプランクトンが豊富だから、シジミがこのあたりを住処としているのだろう。
朝8時頃の宍道湖の風景。湖面にはシジミ漁の舟がいっぱい
●シジミのとり方は、潮干狩りと同じく熊手を使う?
スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミの、俗に「宍道湖七珍」と呼ばれる宍道湖特産の川魚の中でも、シジミはダントツの知名度を誇る。さらに宍道湖でとれる魚介類の中で、シジミが占める割合は実に9割以上。日本で漁獲されるヤマトシジミのうち、3~4割は宍道湖で水揚げされるというから、知名度だけでなく、漁獲量の方もダントツだ。
宍道湖漁協には現在、およそ300名あまりのシジミ漁業権取得者がいるとされ、宍道湖と大橋川の流域の定められた漁場で、漁が行われている。出漁は6時半ごろで、9時30分ごろにもう帰港してしまうというから、シジミ漁は文字通り、松江の朝を感じさせる風物詩なのだろう。
漁法は面白いことに、潮干狩りと同じく「熊手」で貝を砂ごと掘る仕組み。もちろん熊手といっても、潮干狩りに使うそれよりはずっと大きな道具で、正しい名は「じょれん」。7メートルの竿の先に、爪のついたかごが装着されている、いわば「お化け熊手」だ。船で湖へ出漁して、漁場でエンジンを停め、船上からこれで湖底をシジミごと掻くのである。
湖面をざっと眺めたところ、シジミ漁をしている船は、宍道湖大橋の直下あたりに多く見られるようで、自転車をこいで移動。橋の中ほどの歩道の部分に、ベンチが設けられている箇所があり、そこから漁をする船の様子が、直下に見られて面白い。
ちょうど橋げたのすぐ周辺で漁をやっている船を見つけ、橋から見下ろすように見物させてもらう。船はふたりひと組で操業しており、見物した船はどうやら、夫婦でやっているよう。「夫婦舟」は結構多いようで、ご主人がじょれんの長い竿を湖底に打ち込んで、湖底をぐっと掻いている様子が、橋の上からも分かる。じょれんを打ち込んだときは、引き手の体がかなり斜めになり、船から落ちそうで見ていてちょっとハラハラする。
長い棒の先には大きな籠が。人手頼りの重労働だ
橋げたからやや離れたところに、無人の船がポツンと浮かんでいて、不思議に思うと何と、近くでウェットスーツを着た人が、直接湖に入っているではないか。宍道湖の湖岸あたりは、水深が平均
●無駄な公共事業で、危うく絶滅の危機に瀕していたことも
船上から湖底に打ち込んだじょれんを引っ張るときは、船のエンジンをかけて掻くのかと思いきや、エンジンは停めたままで、頼りは人の力のみ。船の動力を利用して掻くのを「機械掻き」、人力のみでかくのを「手掻き」と言うそうで、手掻きのほうがシジミ貝が割れたり傷ついたりしないから、シジミが高く売れるという。
打ち込んだじょれんを、手前にぐっと引き寄せると、船のほうがじょれんを打ち込んだところへとすっと寄っていく。すかさず、船を竿でこぐように再びぐいっと押して離し、再びじょれんを引き寄せて、の繰り返し。このじょれん、重さ40キロほどで、シジミや湖底の土が入るとさらに重いため、人力だけで掻くのは大変な重労働だ。
宍道湖のシジミは、かつては年間1万5000トンと豊富な水揚げを誇ったが、環境の変化により漁獲量が減少。一時は6000トンあまりまで落ち込んでしまった。またかつて、中海に設けた水門を閉じて、宍道湖と中海を淡水化、干拓して農地にするという、とんでもない計画が推進されていたことがある。幸い、2002年に計画は中止となったが、もし実行されていたら、淡水では浸透圧の関係で卵が破裂してしまうシジミはもちろん、様々な塩分の水域が形成された宍道湖ならではの「七珍」は、すべて全滅していたといわれている。
これらの苦い過去から、宍道湖のシジミはとり過ぎないように、徹底した資源管理がなされている。例えば、操業の時間制限。前述の通り、早朝から午前中の4時間ほどと短時間なのに加え、水・土・日曜は漁はお休み。さらに1日の漁獲は規定のコンテナ2つ分の140キロまで、時期により禁漁区域が設けられ、じょれんの目の大きさも厳しい決まりがある。
1日4時間労働、かつ週休3日とだけ聞くとちょっとうらやましいかもしれないが、じょれんを使って人手頼りの重労働、さらに雪や極寒の冬場の漁など、厳しい自然との対峙はやはり、一次産業ならではの厳しさはあるようだ。
●橋の上から、夫婦息の合ったシジミ漁の作業風景が
湖底を掻き終えたじょれんは、水中で2、3回振られて泥や砂を落とされた後、ドン、と船に揚げられた。竿の先の巨大な籠から、ジャラジャラ出てきた貝は、奥さんの手で船上の選別器で小石や貝殻を分け、さらに整理・仕分けされていく。夫婦水入らずの作業を、橋の上から覗き込むようで失礼だが、息のあった作業が淡々と進んでいく。
ちなみにシジミ漁の船は、漁を終えて船溜りに帰った後、出荷までは大忙しだ。船上であらかじめ、選別器でシジミをサイズ別に分けておき、さらに船溜りでもサイズ分けや、空の貝殻を選るなど、最後の検品。終了後、船溜りの所定の場所に置いておくと、漁協認定の問屋がやってきて集荷される仕組み。漁協に集められた後、仲買人に出荷される。だから、シジミは市場での競りはなく、料理屋や旅館は、その仲買人から買うことになるのである。
シジミ漁の舟には大きな漁港はなく、このような小さな舟溜りが、湖岸沿岸の各所にある
日頃は夜型の生活をしているけれど、取材に出ると旅先ではなぜか早起きができ、早朝から市場や漁港を巡ってと、まさにシジミ売りのごとく働けるから不思議である。今朝も朝早くから動き回り腹が減ったので、橋の上から漁を見下ろしつつ、宿で頂いた弁当を失礼して頂く。おにぎりをかじり、たくあんをつまみながら、シジミの味噌汁があれば言うことなし、なんて言ったら、まだまらお仕事中のシジミ漁師の方に怒られてしまうかも?(2006年9月26日食記)