ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

味本・旅本ライブラリー17…『津軽百年食堂』 森沢明夫 著

2009年07月18日 | 味本・旅本ライブラリー
 舞台が弘前の町外れにある食堂、60過ぎの老店主が店を開けるシーンから始まるとくれば、老舗の苦労話とか人間模様のようなストーリーを予想させる。さらに次の章では舞台は明治後期になり、この親父の先々代が屋台をやりながら、店を出す夢を描く頃の話に飛べばなおさら。

 ところが本筋に入ると、舞台は現代に、しかも津軽でなく東京郊外ベッドタウンのショッピングモールへ。バルーンアートを続けつつ、将来に不安をもつ若者と、カメラマン大先生にしごかれる女の子アシスタントの偶然の出会いから、よくある「恋バナ」へ。バルーンアート君は冒頭の食堂の息子で、アシスタントの娘も津軽りんご農家の娘で、二人は何と同じ弘前の高校だった、と、なんだかお約束の展開でもある。

 で、楽しい同棲生活を続ける二人に転機が。バルーンアート君は不明瞭な生き方にけじめをつけて、実家の食堂を継ぐ決心をしたところで、アシスタント娘が大先生に腕を認められて一本立ちできることに。さあ別れるのか、ついていくのか、遠距離恋愛か…? 最後はまあ、弘前さくらまつりの満開の花の下で、ほのぼの、ハッピーエンドにまとまるのだが。

 面白いのは、この小説は章ごとに語り手が入れ替わる構造になっている。それもこの二人だけでなく、父親だったり、おせっかいの姉だったり、さらに時代を超えて明治期の先々代の話にもなったりする。最初は訳がわからないのが、終わりに向かうにつれてそれぞれの「代」の店主の生き方が、意外と一本につながっていくのが、なかなかうまい構造になっている。

 そもそもこの話、完全フィクションではなく、青森県が定めた「百年食堂」に定義された10軒の店を筆者が取材、それぞれのドラマからストーリーを構築したという。百年食堂の定義が、3代、70年以上続けている食堂とのことで、この小説のように津軽そばを売りにしている店もある。出汁は代々、店のおかみさんがひくそうで、この話ではアシスタント娘が食堂で「お母さん、いつか私だけに出汁のひきかたを教えてください。そしてほかの女性には絶対教えないでください」というシーンが、逆プロポーズのせりふとなっている。

 エピローグ前の最終話は、明治期に初代が店を開いた日の宴席。仲間の津軽塗師が祝いに、螺鈿細工の豪華抽き出しを持参。そのせりふが「これは百年はもついいもんだ。だからおめえ(初代)へやるんじゃねえ。おめえ(と嫁の大きな腹を指す)の子、つまり三代目へ贈るためのもんだ」。百年食堂、奥が深い。

味本・旅本ライブラリー16…『面白南極料理人 名人誕生』 西村淳 著

2009年07月11日 | 味本・旅本ライブラリー
書名のとおり、観測隊員の料理担当となった筆者が、基地での料理を通して南極観測隊員の日常やら南極のもろもろを綴った作品。厳寒かつ労働量が多い厳しい環境下、あれやこれやと工夫をして隊員たちのお腹と心を満たしている様子を描いている。

テーマからすると苦労談を思わせるが、実際にはコミカルなタッチで、ユーモア満点に読める。きつい仕事だからか結構食材は贅沢に仕込めるらしく、寿司パーティーをやってみたり、屋台的なイベントをやってみたり、居酒屋やバーを開店してみたりなどなど、割と豪華な感じ。個性あふれる隊員たちの人間模様も、そんな料理日記に織り交ぜて綴られている。もちろん、観測隊員の日常業務の理解にも役立つ。

この本は3部作になっていて、どれも読んだが面白かったのは1作目。作を重ねるにつれ、やや内幕的な話が強い方向へと走っている感がある。本作は「爆笑エッセイ」とか帯にあるけど、ユーモアや文章のキレも、やはり1作目のほうが際立っているかも。さらに、著者は2回観測隊に参加をしているのだが、本作はその両方の話がごちゃまぜに出てくるので、読んでいて少々頭が混乱することも。

近々映画化されるらしいので、ひょっとするとそのPRも意識して出したのかも知れない。個人的には、読むなら1作目がおすすめか。

味本・旅本ライブラリー15…『つむじ風食堂の夜』 吉田篤弘

2009年03月19日 | 味本・旅本ライブラリー
月舟町の一角にある食堂に集う、個性あふれる街の人々のふれあいストーリー。主人公は、町の6階建てアパートのさらに上の、ペントハウス的アパートに住む「先生」。ちょっとインテリな帽子屋の親父、文学青年の果物屋の店番、そして大部屋女優の奈々津さん。こういった面々が、食堂にやってきてはとりとめのない話題で交流していく。

先生は、雨を降らす機械を研究しており、普段は売れない物書き稼業で生計を立てている、という人物。彼をとりまく街の人々も、どこか不思議な世界観の中に生きている、という感じ。御伽噺というか、童話というか、のどかかつひょうひょうとした短編の集合体のような趣もある。

印象に残るシーンとしては、「世界の側からオノレを見つめる」という、帽子屋との雑談。本当の自分の姿を見つめるには、自分をとりまく世界の側へ行かなければ不可能である、という話。自分自身で自分を見つめる、ってのは、確かにどこか矛盾したことかもしれない。

そういえば昔、ゲームの「シーマン」の語録の本が出ていて、「本当の自分ってのは、自分自身が思い描いているものじゃなくて、周りの人が評価しているほうなんだよ」という一説があったのを思い出した。いいえて妙かも?

味本・旅本ライブラリー14…『食堂かたつむり』 小川 糸

2009年03月11日 | 味本・旅本ライブラリー
 都会で恋人に逃げられたショックで、言葉を話せなくなった女の子が、故郷へ戻って1日1組だけ客を受ける「食堂かたつむり」をオープン。料理を通じて様々な境遇のお客の心を解きほぐしていく一方、自身は折り合いの悪かった母親との関係が、少しずつほぐれていく様を綴る。
 彼女を支える、人が好く無償の優しさを持ち合わせる元用務員。品がなく底意地が悪いが芯は悪人ではない母の愛人。周辺キャラも彼女とのかかわりを通じて、それぞれの生き方を映した心の動きが伝わってくるのが興味深い。水商売の母親の私生児と思い込んでいた彼女だが、母のこれまでの思わぬ人生を知り、許せる気持ちが芽生えたところで…。

 料理が人の心に訴える、というのは、確かに分からなくもない。高級料理を食べて味に感激するとかではなく、食べてもらう人への思いやりが伝わる料理、という意味で。お客たちはもちろん、母の愛人に挑発された際、「感情はかならず味に出る」と心を落ち着かせて料理した味噌汁で涙させるなど、確かに心や感情は料理の出来に影響するのだろう。
 またこれも基本だが、食材から「生」を頂戴している事実も、意外に忘れがち。母親が愛玩している豚を最後の場面で…。人間の業であり、それをどうとらえるかが大切、ということが、それにまつわるストーリーで綴られている。豚の立場からの心情描写(?)が、結構泣かせてくれる。

 そんな、料理すること、食べることへの原点が、根底に存在するような作品。料理や食に関心のある方は、ご一読を。ちなみに「かたつむり」がある街の舞台は、山形県鶴岡らしいが、作品中の宴会シーンでふぐ刺しを、皿のまんなかに盛った肝につけて食べる「ふぐルーレット」という趣向が描かれている。新聞にものった、無免許調理師のフグにあたった事件を思い出したが、山形ってそういうフグ食文化の下地があったというころか?

味本・旅本ライブラリー13…『孤独のグルメ 新装版』 谷口ジロー画・久住昌之作

2009年03月04日 | 味本・旅本ライブラリー
もう10年を超えるロングセラー・「孤独のグルメ」が、このたび新装版となって再リリース。追加の一篇が加えられたというので、新たに購入してみた。

『孤独のグルメ』の当ブログレビューは、こちら↓
http://blog.goo.ne.jp/tokujyo-k/e/982004115ea9bca50d6eeef14883eceb

久々の新作はどんな話と思ったら、意外や意外、五郎さん入院していて、テーマとなる食はなんと、病院食のカレイの煮付け。しばらく見ないうちに飽食を重ねて糖尿でも患ったのかと心配したら(それではストーリーが終わってしまう)、輸入雑貨商である彼が倉庫で商品の運搬の際に、転倒して腰を痛めたとの設定。胃腸はなんともないのに入院したときの、食事に対するモチベーションの高さが、見事に伝わってくる。

買う価値ありなのはこの一遍以上に、巻末の特別対談の面白さ。久住、谷口両先生に加え、谷崎賞の川上弘美先生も加わる豪華版で、井之頭五郎のキャラ設定秘話とか、原作を漫画に表現する際のこぼれ話まで、ファン(?)にとっては興味深いネタが、いっぱい披露されている。五郎さんが酒を飲めない設定にされたのも、それなりの意味があったよう。中でも実写版「孤独のグルメ」を仮想しての、五郎さん役論議では、意外な人物が?

とにかく、自身ではベスト2に入る、食マンガの決定版。