思えば前回の小笠原訪問の際も、船が到着した日の午後はピーカンの青空だった。晩秋の内地からは想像の及ばないほど強い、初夏のような日差しを浴び続ければ、わずか半日といっても夕方にはかなりバテてしまい、夜は軽い一杯でコロリと酔いが回ってしまったものだ。
今回も季節が冬で、島の景勝地を回るルートが前回と逆回りになったほかは、初日はまったく同じような過ごし方となった。その流れでという訳でもないが、初日の夜も前回同様、繁華街のボニン通りにある『丸丈』へと足を運ぶことにした。島魚割烹というだけに、小笠原の地魚料理には定評がある郷土料理店で、ご主人と魚談義を楽しみながら杯を重ねるのを、今回も楽しみにしていた。
暖簾をくぐったのは19時半を過ぎており、カウンターも座敷もほぼ満席。今日の船で着いた旅行者や会社の研修らしいグループなどで、結構な盛り上がりとなっている。こちらもさっそくビールのジョッキを注文して、初夏のたたずまいに気持ちを追いつけるべく、まずは乾杯。そして最初のアテはいきなり、小笠原の郷土の味である亀料理といきたい。
この店は亀料理の評判も高く、刺身や煮込みに炒め物、オリジナルの亀チャーシューなど、品書きに「亀」の文字がズラリ。強い日差しの下の散策の後なので、体があっさりしたものを欲しがっているらしく、亀ポン酢を注文するとさらし玉ネギがどっさりとのった皿が運ばれてきた。
玉ネギをめくると、亀の様々な部位がポン酢にさらされているのが目に入る。腸のような丸っこい部分、ピータンのようなゼラチン質の部位、鳥皮風の部分、ふわっとしたスポンジ状のところなど。ご主人によると脂や肺、手足などいろいろな部位を入れているとのことで、食べてみるとフワリ、シャッキリ、トロリと多彩な食感が楽しく、特にピータン風の部分がトロトロのゼリー状で濃厚。いわば亀の酢モツ風で、ややほてる体に酢のさっぱり感がうれしい。
亀を食用とすることは環太平洋の島々では珍しくなく、小笠原の亀食文化のルーツをたどると19世紀初め、捕鯨船の補給のために小笠原に上陸・定住するようになったナサニエル・セーボレーに同行していたハワイ系の人たちが、持ち込んだという説がある。たんぱく源が貴重だった離島ゆえに亀は当時から重宝され、おが丸が内地から牛肉や豚肉を運んでくるようになった現在でも、島民や旅行者の人気は根強いらしい。
ご主人によると食用にするのはアオウミガメで、海藻などを餌とする草食なので肉の味にくせがないという。保護のため年間の捕獲数が決められており、各店では冷凍保存して通年提供している。冷蔵庫から出して見せてくれたのは刺身用の肉で、肩の柔らかい部分とのこと。鮮やかな赤色で筋がなく、見た目は鳥のササミのようでもある。
亀の刺身は前回訪れた際に味わったので、追加の亀料理は唐揚げをお願いしてみた。鳥の軟骨揚げのように小振りのをつまんでみるとグッと弾力があり、粗っぽい繊維質の肉の食感がしっかりと感じられる。例えれば鳥のモモ肉から肉汁をかなり控えめにした感じで、かみしめるとジャーキーのように凝縮した旨みがにじみ出てくる。
ちなみに1匹の亀のうち、刺身に使えるような上質の部位は可食部の3割程度しかなく、ほとんどの部分は固くてくせがあったり臭みがあったりする。そのため郷土料理の亀煮込みなど、手間をかけて調理して供するのが地元では一般的。刺身や唐揚げといった料理は、比較的最近になってから出すようになったそうである。また亀は大変精がつくことでも定評があり、ご主人いわく「スッポンの何倍も効く」のだとか。
二品の亀料理を肴にビールが程よく回り、サトウキビの産地だった島の地酒であるラム酒のロックをおかわりすると、糖度が高い材料だけに度数が高くガツンとくる酒で、ご主人との魚談義もさらに盛り上がる。2月終わりのこの時期は小笠原近海でとれる魚がうまい時期で、カンパチやサワラなどが脂ののりがよく身の味もいい。これが3月に入ると海が暖かくなるため、脂ののりも身の締まりも今ひとつになってしまうという。
ご主人に島の魚をひとつ挙げてもらうと、アカバとのこと。二見港の青灯台の近くで人が泳いでいるあたりから、水深100メートルぐらいまでの深さに棲息。主に釣りで漁獲されるが、深いところにいるものの方が魚体が大きいという。厚い白身がしっかりした食べごたえで、島では味噌汁や煮物のほか、丸ごと1尾の唐揚げも人気がある。
アカバは内地ではアカハタと呼ばれる高級魚で、研究者が調べたら小笠原近海のアカバは微妙に違いがあるという。ほかにも島名物のオガサワラアカエビも、ヒゲやトゲの数が普通の伊勢エビと若干違うらしい。固有種が豊富な海洋島近海の魚介らしく、食べられる魚も土着性が強いのだろうか。
亀料理が小笠原のローカル食なら、島寿司は小笠原に根付いた郷土寿司といえるだろう。島で水揚げされるオキサワラやカマスザワラの身を、醤油とみりんのタレに漬けたタネはテラテラとあめ色に光り、見るからに食欲をそそる。タネがさっくりと柔らかく瑞々しい口当たりで、タレの甘く香ばしい風味に食が進む。マグロのヅケよりも味が軽く、身の淡泊な香りもほのかに感じられる、上品な握り寿司だ。
太平洋の島々から伝わった亀食文化に対し、島寿司は伊豆諸島から伝播した食文化である。刺身をタレに漬ける「ヅケ」は江戸前寿司の技法で、江戸から配流された者から八丈島に伝わり、さらに八丈島からの移住者により小笠原に伝えられたとされている。江戸時代のヅケは、マグロの鮮度落ちを考慮して生食を避けるための技法で、気温が高く温暖な小笠原でも適した料理法だったのかもしれない。ワサビの代わりにマスタードを使うのも特徴で、欧米系移民の食文化もミックスされているのが面白い。
最後の締めご飯は再び亀に戻ることにして、亀雑炊をオーダー。たっぷりよそられた大きな鉢を運んできたおかみさんの、「具はほとんど野菜なので、するする進みますよ」との言葉通り、白菜と玉ネギに加えて島野菜もいろいろ入っている。ブロッコリーを改良したというスティックセニョールの菜の花のような青臭さ、パプリカのトマトのような甘さがうれしい。
島野菜は島の味覚や島みやげとしても人気が高いが、もとは島民のビタミンCの不足を補うために栽培を始めたもので、生産量はそれほど多くない。人気なのはサヤが角ばったシカクマメや、甘みが濃い島トマト。ほかにもやや大振りの島オクラ、細長いアマナガトウガラシ、葉に粘りがあるハルタマなど。パパイヤは熟す前の固いうちに料理に用いるため、島では果物というよりは野菜の扱いなのだとか。2月のこの時期は島野菜の端境期で、主なものがまだ出回っておらず、島トマトも「春先の、島で上着を一枚脱ぐぐらいの陽気になると甘くなってくる」そう。
雑炊の野菜を平らげつつ、ご飯をレンゲですくっていると、さっき亀ポン酢で見覚えのある小片が出てきた。亀からのダシがしっかりとよく出ていて、すっぽんスープというかチキンコンソメのような深みのあるスープが、胃に優しく染みる。
初日の夜を滋味あふれる御当地料理でまとめたところで、明日の予定は1日マリンアクティビティ。クジラやイルカと出会えればラッキーだけれど、シュノーケリング中に本日食したウミガメ君と遭遇したら、まともに顔を合わせられないかも?