串本駅前の「萬口」で昼食にカツオ茶漬けを頂き、お腹が落ち着いたところで本州最南端の潮岬へと向かった。本州最南端を示す碑の周囲に広大な芝生が広がり、子供たちは食後の運動とばかり駆け回っている。展望台からは太平洋の水平線が丸く見え、眼下には岩礁に当たる波が白い波濤となる荒々しい眺めだ。潮岬沖や熊野灘沖は、黒潮に近い日本有数の好漁場だが、ここからは漁をしている漁船の姿は見えず、代わりにタンカーや貨物船が、かなり近海を行き交う様子が見られる。
勝浦の宿へ入るにはまだ少々時間があるので、手前の隣町・太地にある「太地くじら浜公園」に寄ってみることにした。トンネル大水槽がある海洋水族館もいいが、自分の興味は「くじらの博物館」だ。太地は江戸初期から近代まで、400年に渡り捕鯨で栄えた町だったが、国際捕鯨委員会の理不尽な裁定による商業捕鯨禁止の影響を受け衰退、現在は鯨の生息数などを調べる「調査捕鯨」の基地として、かつてより小規模な小型捕鯨を行っている。そんな町だけありこの博物館、クジラの生態や捕鯨に関する資料が豊富にそろった、世界一の規模を誇る鯨専門の博物館なのだ。
熊野灘の魚がたっぷり泳ぐ水中トンネル大水槽で子供たちが満足したところで、「くじらの博物館」でお勉強である。まず目をひくのが、天井からつるされた鯨の骨格標本の数々。中でもセミクジラの骨格は15メートルほどあり圧巻だ。階段をのぼりながら観察してみると、銛が命中した左肩の骨が砕けているのが分かる。2階の展示は昔の絵図が充実していて、銛を集中してとどめを刺す様子や、2隻の船の間にクジラが吊され運ばれる様子が描かれた「捕鯨絵巻」ほか、鯨の舌や皮、腸などが部位ごとに詳細に描かれた「解剖図」はリアルというか不気味というか。
そして大食漢な鯨らしく、食べた物の展示コーナーがおもしろい。ヒトデやナマコ、ウニなど海底の生物を餌とする小型のツチクジラほか、大型のマッコウクジラはチョウチンアンコウや大王イカなど、大型の深海魚を食べるとある。その量、1日何と200キロ! 商業捕鯨禁止による悪影響のひとつとして、増えすぎた鯨(主にミンク鯨)が魚介を過度に捕食してしまい、生態系が変わり水産資源が悪化していることが問題視されているが、1頭で1日にこれだけの魚介を食べてしまう生き物が増え過ぎれば、確かに影響が出ない訳がない。そのほかにも、イカのくちばしが消化されずに腸に残り固まってできた、香料として珍重される「竜涎香」の展示が珍しい。12キロで100万円するという貴重品なのだとか。
おみやげコーナーで子供にお魚の塗り絵、自分は珍しいクジラの歯のキーホルダーを買い、太地を後にしてこの日泊まる勝浦の「ホテル浦島」へと急いだ。宿は勝浦港の正面に張り出す狼煙山半島にあるため、クルマを市街にある駐車場に停めて港から専用の船で渡るのがユニークだ。熊野灘に面した洞窟露天風呂「忘帰洞」で、目の前で砕け散る波しぶきを浴びながら迫力の入浴を済ませたら、お楽しみの夕食。お隣の太地の鯨のほか、勝浦といえば日本有数のマグロの水揚げ港とくれば合わせてパッと豪華に…といきたいところだが、今回の旅は格安プランのために、あいにく食事がついていない。
改めて船で勝浦市街へ食べに出かけるか考えていると、浴場へ行く途中の回廊に屋台村があったのを思い出した。覗いてみると軒数豊富、値段も手ごろなのでここに決定。子供たちは中華の店で地元和歌山ラーメンやチャーハン、餃子を頼み夕ごはんとし、おとなは居酒屋にビールに枝豆、イカ焼きを注文してお疲れ様、の一杯にする。鯨料理の店もあるがまだ開いておらず、マグロの町・勝浦に敬意を表して、居酒屋でマグロのカマトロ煮に目玉、さらにウツボの唐揚げなども頼んだ。三角形のカマトロは身の骨離れがよく、味が染みて凝縮した味わい。目玉とウツボはゼラチン質がねっとりとした珍味で、追加した切れ味のいい酒「剣菱」がつい進んでしまう。明日も熊野古道に串本、白浜とスケジュールは盛りだくさんだから、温泉と酒で寝過ごさないようほどほどにしたいところだが。(2004年10月31日食記)
勝浦の宿へ入るにはまだ少々時間があるので、手前の隣町・太地にある「太地くじら浜公園」に寄ってみることにした。トンネル大水槽がある海洋水族館もいいが、自分の興味は「くじらの博物館」だ。太地は江戸初期から近代まで、400年に渡り捕鯨で栄えた町だったが、国際捕鯨委員会の理不尽な裁定による商業捕鯨禁止の影響を受け衰退、現在は鯨の生息数などを調べる「調査捕鯨」の基地として、かつてより小規模な小型捕鯨を行っている。そんな町だけありこの博物館、クジラの生態や捕鯨に関する資料が豊富にそろった、世界一の規模を誇る鯨専門の博物館なのだ。
熊野灘の魚がたっぷり泳ぐ水中トンネル大水槽で子供たちが満足したところで、「くじらの博物館」でお勉強である。まず目をひくのが、天井からつるされた鯨の骨格標本の数々。中でもセミクジラの骨格は15メートルほどあり圧巻だ。階段をのぼりながら観察してみると、銛が命中した左肩の骨が砕けているのが分かる。2階の展示は昔の絵図が充実していて、銛を集中してとどめを刺す様子や、2隻の船の間にクジラが吊され運ばれる様子が描かれた「捕鯨絵巻」ほか、鯨の舌や皮、腸などが部位ごとに詳細に描かれた「解剖図」はリアルというか不気味というか。
そして大食漢な鯨らしく、食べた物の展示コーナーがおもしろい。ヒトデやナマコ、ウニなど海底の生物を餌とする小型のツチクジラほか、大型のマッコウクジラはチョウチンアンコウや大王イカなど、大型の深海魚を食べるとある。その量、1日何と200キロ! 商業捕鯨禁止による悪影響のひとつとして、増えすぎた鯨(主にミンク鯨)が魚介を過度に捕食してしまい、生態系が変わり水産資源が悪化していることが問題視されているが、1頭で1日にこれだけの魚介を食べてしまう生き物が増え過ぎれば、確かに影響が出ない訳がない。そのほかにも、イカのくちばしが消化されずに腸に残り固まってできた、香料として珍重される「竜涎香」の展示が珍しい。12キロで100万円するという貴重品なのだとか。
おみやげコーナーで子供にお魚の塗り絵、自分は珍しいクジラの歯のキーホルダーを買い、太地を後にしてこの日泊まる勝浦の「ホテル浦島」へと急いだ。宿は勝浦港の正面に張り出す狼煙山半島にあるため、クルマを市街にある駐車場に停めて港から専用の船で渡るのがユニークだ。熊野灘に面した洞窟露天風呂「忘帰洞」で、目の前で砕け散る波しぶきを浴びながら迫力の入浴を済ませたら、お楽しみの夕食。お隣の太地の鯨のほか、勝浦といえば日本有数のマグロの水揚げ港とくれば合わせてパッと豪華に…といきたいところだが、今回の旅は格安プランのために、あいにく食事がついていない。
改めて船で勝浦市街へ食べに出かけるか考えていると、浴場へ行く途中の回廊に屋台村があったのを思い出した。覗いてみると軒数豊富、値段も手ごろなのでここに決定。子供たちは中華の店で地元和歌山ラーメンやチャーハン、餃子を頼み夕ごはんとし、おとなは居酒屋にビールに枝豆、イカ焼きを注文してお疲れ様、の一杯にする。鯨料理の店もあるがまだ開いておらず、マグロの町・勝浦に敬意を表して、居酒屋でマグロのカマトロ煮に目玉、さらにウツボの唐揚げなども頼んだ。三角形のカマトロは身の骨離れがよく、味が染みて凝縮した味わい。目玉とウツボはゼラチン質がねっとりとした珍味で、追加した切れ味のいい酒「剣菱」がつい進んでしまう。明日も熊野古道に串本、白浜とスケジュールは盛りだくさんだから、温泉と酒で寝過ごさないようほどほどにしたいところだが。(2004年10月31日食記)