ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

青森てくてくさんぽ・まとめ

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
古川市場ののっけ丼に始まり、駅ビル地下市場のアウガ、ねぶたの家ワラッセ、メモリアルシップ八甲田丸、ラブリッジから青い海公園と観光物産館アスパム、あとは善知鳥神社、棟方志功生育の地と太宰治下宿の地、青森の寺院のはじまりである寺町四ヶ寺、さらに夜店通り・ニコニコ通りと商店街を歩いた。

ワラッセではテレビでも話題になった、6代名人を父に持つ女性ねぶた士・北村麻子の「神武東征」が見られ、父の反対を押しつつもその技を学んでの作を堪能。八甲田丸が思いの外時間をとり、かつて利用した懐かしい普通席やグリーン座席、現役時には入れないブリッジや貨車客車を航送した車両甲板、なんと煙突の中から見渡せる展望台など、ついハマってしまった。

三角形のビル・アスパムから八甲田や岩木山や津軽・下北半島の眺めを楽しみ、市街は史跡巡りと商店街さんぽで締める形に。観光客はほぼベイエリアだけで済ませるので歩く人は少なく、棟方志功や太宰治ゆかりの地も看板が立つだけ、寺町の寺もコンクリート再建で特に風情はないのだが、住宅とか商店とか飲み屋街の、最果てのたたずまいが、歩いていてなんとなく良い。

昼前までにさっと巡れそうだから、午後は三内丸山か青森県美でも、なんてとんでもないほど、コンテンツ豊富な青森市街。終日好天でなにより。

味の札幌大西の味噌カレー牛乳ラーメン@青森

2020年10月31日 | 旅で出会った食メモ
古川町にあるラーメン店。味噌カレー牛乳ラーメンの元祖。昭和40年代に出した、カレーか牛乳を加えたラーメンがルーツ。中高生によるアレンジから着想、メニュー化したという逸品で、味噌のコクにカレーの刺激、牛乳のまろやかさ、バターの風味が絶妙なバランスです。

麺や中華の多彩なメニュー、トッピングも各種用意。青森に札幌ラーメンを伝えた店の、流れを汲んでます。味噌ベースのスープにモヤシとワカメ、バターがトッピング。スープはまろやかな牛乳に、カレーのスパイシーさがミックス。スープに絡みのいい太麺。見た目の割にさっぱりした味わいです。香ばしく炒めたモヤシに塊のバターが、札幌ラーメン風。30年以上の間、青森市民に愛され続けるソウルフードです

工藤パン@青森

2020年10月31日 | 旅で出会った食メモ
昭和7年創業、青森に根付いたパンメーカー。ご当地パン「イギリストースト」が人気です。青森県民のソウルパンともいえ、県内全てのスーパー・コンビニで扱っており、月50万食製造の9割が県内の売上。マーガリンとグラニュー糖を塗った食パンという、シンプルなつくりながら、地域に浸透したパンです。コーヒーバタークリーム、チョコタンも人気の品。シャリシャリした砂糖の食感と甘さが、くせになりそうです。

青森てくてくさんぽ7

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
本町一丁目からは、商店街の新町通りへ。青森駅から続く主要な通りで、戦前からの歴史もあります。レトロな時計店の看板に、津軽塗の店。車止めには、三内丸山遺跡の十字型板状土偶や、亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶など、縄文の土偶のレプリカも。通りの中程にそびえるさくらの百貨店は青森が本店で、ルーツは江戸期の武田呉服店の老舗です。

さくら野百貨店の先を左へ、夜店通りへ入ります。新町通りから国道4号まで約300mの、夜店通り。沿道には若い人向けのファッション・雑貨の店が点在しています。大正5年ごろに界隈に設けられた夜店が所以で、戦後しばらくまで続きました。現在は普段は夜店は開かれませんが、6・7月に「夜店祭り」を開催。赤提灯の下に露店が並び、賑わいを見せます。

夜店通りの先を駅方面へ曲がると、ニコニコ通り商店街に。昭和の雰囲気の商店が多く、実用品の店が中心です。八甲田牛を扱う精肉店、履き物屋、ねぶた面と杉玉が構える居酒屋など。オブジェ「私、地球」は、青森市出身の彫刻家、鈴木正治作。通りの向かいに並ぶ履き物屋は、長靴とブーツの品揃えが豊富なのは、さすが雪国。津軽そばの大谷製麺所の雲谷そばは、行列の人気。園芸店ではミカンや柿の実がついた苗を販売されています。刃物や園芸道具を扱う店の前を通り、中央古川通りへ。すぐ先は古川市場で、右手のアウガの先は青森駅です。

青森てくてくさんぽ6

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
アスパムからベイブリッジをくぐりのびる「アスパム通り」へ。沿道には低い建屋の、昔ながらの市街が見られます。シェルのような形をしたオブジェは、日本一おいしい水のモニュメント。厚生省の研究会で、おいしい水道水と評価された記念です。青森市の水道水は,ブナやコナラ、ミズナラなどの樹木が多数自生する、八甲田の雪解けや地下水が流れ込む横内川を水源としています。

モニュメントの通りの先は、神社の裏参道になっています。拝殿の裏側から正面へ。池の端を進みます。善知鳥神社は、天照大御神の御子の三女神(宗像三女神)を祀る神社。古く善知鳥村と称した当地を平定した、善知鳥中納言安方に所以する社です。氏の開拓による発展から青森市へと至ったといわれ、青森発祥の地とされてます。七五三や入学祭など年間行事も多く、地元では折々での参拝が欠かせない社です。

現在の神社は807年に、坂上田村麻呂が再建したもの。多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命の宗像三女神が主祭神です。海の神、航海の神として漁師や海運関係者の信仰も篤く、その神様が境内裏手の龍神之水。付近に広がっていた干潟・善知鳥沼には龍が棲み、舟が安全に航行できたことが、信仰の源となりました。

善知鳥神社の参道を後に、柳町通り方面へ。棟方志功出生の地は現在の安方2丁目。刃物鍛治師の三男として生まれ、帝展入選を目指し21歳で上京するまで青森で暮らしました。並木が続き歩道が広い柳町通りを歩き、本町一丁目で左へと折れると寺町四か寺。本町の西から1〜4番の順に並ぶ寺院で、1626(寛永3)年に津軽藩がこの地に青森湊を整備した際、寺院がなかったので、浄土宗正覚寺を建立。追って浄土真宗寺・曹洞宗常光寺・日蓮宗蓮華寺が移転してきて、4ヶ寺の寺町になりました。

常光寺は曹洞宗で、寺町四か寺の一番寺。山門をくぐり、仁王門を抜けた先が本堂。本尊は釈迦牟尼仏で棟方志功の菩提寺でもあります。常光寺の山門の左手には、太宰治学生時代の下宿地跡が。青森中学時代の下宿で、叔母きゑの後夫の実家である呉服店でした。太宰は体を鍛えるため、常光寺の境内を走っていたとか。