ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

敦賀てくてくさんぽ・まとめ

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
福井県の港町・敦賀。駅から松本零士のキャラ像が並ぶシンボルロード→鳥居が日本有数の古さとかの気比神宮→ウラジオストク便の連絡列車が発着した敦賀港駅舎と線路の名残→休みだった赤レンガ倉庫→光秀出世の退き陣の舞台の金ヶ崎城→本物が並ぶ山車会館→大和田銀行だった敦賀市博物館→荷捌きやっていた敦賀漁港→気比松原まで。

大陸への玄関口だった名残が見られ、結構整った港町だった印象。道中の風情が変化に富んでいるので、さんぽ向きの町といえる。

敦賀ヨーロッパ軒本店@敦賀

2020年09月30日 | 旅で出会った食メモ
博物館通りに近い、市街の中心に立派なビルを構える店。界隈を歩いていると、屋号入りの建物がどこからでも目に入る。館内には宴会場や、高価な料理のフロアがあり、一般の食堂は2階へ。看板はソースカツ丼で、ほとんどの地元客はこれ(品書きは単に「かつ丼」)を注文。カツを追加するのが地元流のようで、「オイカツ」と聞こえる符丁は追いカツのことだろうか。

かつ丼だけでなく洋食も実力派なので、Aランチにするとポークピカタ(品書きは「ジクセリ」)にミンチカツがメイン。ピカタは小麦粉と、粉チーズを混ぜた溶き卵を肉に絡めるもので、こってり目かと思いきや豚肉の味がしっかり楽しめる。脂身は少なめ、熱も加えすぎていないので、グッとした歯応えの後に肉の旨さが突出。メンチカツでなくミンチカツも、かじりつくと脂と肉の旨味がジュッと滲み出て、思わず顔がほころぶ懐かしの味。ラードが香ばしく、ご飯のおかずにもってこいだ。

お茶がやかんで出されるのも懐かしく、屋号が入った湯呑みでホッと一息。ソースカツ丼は福井のローカル食で、地域に根ざした味らしい普段使いの店である。

若狭小浜 丸海の小鯛の笹漬けなど@敦賀

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
若狭・小浜の伝統的特産品を扱う店で、鯖寿司、へしこ、焼き鯖など、郷土の味覚が揃う。小鯛のささ漬けは日本海でとれるレンコダイに振り塩して、米酢のみで締めたこだわりの品。燻製にした「ささ燻」は、酒の肴用に仕立てた逸品。

小鯛のささ漬けは木の樽入りで、ささ燻の魚種は全部で4種。小鯛は白ワイン、サバは日本酒との相性が抜群で、ちょっと洒落た一献のアテに、嬉しい品である。

敦賀てくてくさんぽ9

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
真願寺から現在の笙の川へ出て河口の松島橋を渡り、古い町家の飲食店や旅館が続く一角を抜けると気比松原です。長さ1㎞、日本三大松原のひとつで、かつては氣比神宮の神苑で織田信長に没収、江戸期には松葉を燃料に採取する小浜藩の藩有林でした。古くは奈良時代に、一夜で現れた松林がシラサギを伴った様が軍勢に見え、異国の敵を追い払ったとの話が伝わります。入口の碑文は政治家の後藤新平の書。勝海舟や高浜虚子の句碑も。広さ約34万平方mに、約1万7000本の赤松と黒松が自生します。

松原小学校のそばから、句碑や売店が並ぶ園地を抜けると、弓形に続く海岸線が左方向に広がります。松原海岸の白い砂浜と松林の緑、敦賀湾の海の色の、コントラストが見事。砂は粒が大きくサラリとしていて、海水は透明度が高く、沖まで澄みきっています。美しい景観は「日本の白砂青松100選」に選ばれ、夏季には海水浴場としても賑わいます。松林は黒松が海岸寄りに。塩に弱い赤松が多いのが特徴。散歩、歴史文化、森林浴などテーマ別の遊歩道も整備され、それぞれ所要15〜40分。駐車場付近を起点に歩けます。

敦賀てくてくさんぽ8

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
敦賀は陰陽師の安倍晴明が、大陸の窓口として住んだ記録があり、晴明神社は安倍晴明ゆかりの社。陰陽道の祈念石が祀られています。南北朝時代や戦国期の戦果を逃れ、防火の神ともされてます。相生町界隈は銀行や商店、役場などが集まり、かつて市内随一の商店街として賑わいました。空襲を逃れ、随所に古い街並みが残り、町家を利用したカフェや雑貨店も点在。旧鵜飼逗子町付近が街並みの中心で、海に近いため碇や釘などをつくる鍛治職人が集まっていました。築160年の民家の紙わらべ資料館は、高木栄子氏創作の紙わらべ人形作品を展示。突き当たりの吊し飾りが架かる町家は旧敦賀酒造で、1624(寛永元)年創業の酒蔵です。

海岸沿いの通りに出ると、漁協関連の建物の壁に敦賀港や地魚の紹介が続きます。直進すると治水前の笙の川の河口部へ。今橋の中程からは右手に敦賀水産卸売市場、正面に港大橋を臨めます。船着場沿いに河口の方面へ歩いたところの洲崎の高灯籠は、1802(享和2)年築の北前船の航行のための石積み灯台。対岸の敦賀水産卸売市場は最先端設備の閉鎖型市場で、2階の見学スペースから、ガラス越しにセリを見られます。お魚通りには直売所「つるが大漁市場」や料理店も軒を連ねます。

今橋からかつての笙の川沿いに、敦賀城があった「川西」へ。城郭の堀の名残らしき水路をたどり、古い町家が残る中を進みます。水路を渡った先の山門が真願寺で、大谷吉継の居城だった敦賀城の乾門付近とされる寺。敦賀を所領とした大谷吉継は、金ヶ崎城ではなく海寄りの敦賀城を居城にしました。当時の笙の川の河口を埋立てた水城で、三層の天守閣や奉行所など、湊を管轄する体制を整えました。吉継は町立ても整備し、港町の基礎を固めています。花や緑にあふれる境内に、城郭の遺構は見られませんが、本堂の前に「大谷吉継・敦賀城跡」の碑と柱穴らしき穴がある礎石があります。敦賀西小には説明板、八幡神社には鬼瓦、来迎寺には中門も残ります。