ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

「壁に囲まれた世界の終わり」の中で、生きることについて …町で見つけたオモシロごはん番外87

2007年05月20日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 

 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、スタンドにたたずむ僕の心の中には、特に湧き上がる感情はなかった。降りしきる雨の中でのサッカー。アウェーチームを応援する彼が、仲間との歓喜の輪の中へと加わりに行くのを見ながら、僕はただ、うなだれて力なく歩くホームチームの選手たちを、ぼんやりと見つめていた。
 遠く雨煙に霞む、ホームチームを応援する観客たちは、誰一人帰ろうとしない。選手を激励や鼓舞するためではなく、そこに待つのは叱責や論詰。無理もない。ただでさえ、ろくに見せ場のない一方的なゲーム、そのやり場のない気持ちを抱えながら、だだ降りの雨にひたすら打たれる。熱狂的応援者の精神に、より効果的な苦痛を与えるには、充分すぎる仕打ちだ。
 でも果たして、誰が真の被害者として、選手たちを責めることができるだろう。五月晴れが続いた5月の連休で唯一この日に、しかも試合の時間に申し合わせたかのように強い雨が降ったことも、旧式の球技場の観客席に屋根が一切ついていなかったのも、彼らのせいでも何でもない。唯一、彼らに責任があるとすれば、ベテランのFWが決定的な得点機を逃したことだろうが、状況をとりかこむ間の悪さの数々において、それは例えば場末のショットバーで頼んだマティーニの出来が悪いのは、オリーブに刺さった楊枝の角度が妙だからだ、程度の責任転嫁でしかない。
 ある意味、降りしきる雨以上に苛烈な罵声を浴びるべく、ふらつく足取りで選手たちがスタンドに向かう後ろ姿を見送り、僕は席を立った。この後起こるであろう出来事に耐え抜くには、今の彼らはあまりに疲れすぎている。そして自分の心も、それを見届けていくには、あまりに疲弊して冷え切ってしまっていた。

 いっそ「世界の終わり」の街で暮らしていくのもいい、そう思うことが時折ある。「世界の終わり」 -それは、ある人気文芸作家の作品中に出てくる、主人公の意識の中に存在する街である。正確には、その主人公の意識を形成する中心である「意識の核」を、映像化したもので、いわば主人公のもつこの世の世界観、というべきものだろう。それは自分自身でも自覚や制御ができない、不変かつ不可侵なもので、人は誰でもそうした意識の核を持っている、とその作家は説いていた。
 作品の主人公の有するその世界とは、高い壁に囲まれていて、外との行き来はできない。そこで生活を営む人々は皆、望むものは何でも手に入り、失うものは何もない。何故なら人々は「心」を持たないから。それ故に、傷つくことや悲しむことがないという、一見すると完全、細見すると決定的な不自然を擁する世界。
 彼と会い酒を飲むといつも、「世界の終わり」の解釈について、結論の出ることのない話に興じる。聴く音楽も、見る映画も、読む本も全く趣味の違う僕らが、この作品について議論を戦わせるのは、何故なのかは分からない。確かなのはいつも、論争を仕掛けるのは僕のほうであることだ。
 「壁に囲まれた世界の中で、心を捨てて生きていくのも、ひとつの幸せじゃないか」
 「でも結局、『僕』は心を捨てずにこの世界で生きることを選択した。それは真実だ」
 「『僕』はそれでも、この『世界の終わり』の街へととり込まれることを望んだのだろう」
 まだ小学生の頃、大きな貿易港に近いこの町を離れ、西のほうにある同じような港町で暮らしている彼とは、思い出したように再会することがあった。その時の僕は、申し合わせたようにいつも疲弊している。孤独だった高校時代、彼女が突然僕の前から去っていってしまったとき。そして今、ひたすら走ってきて、立ち止まり駆られる、原因の分からない不安と焦燥。
 若いときの疲弊は、大人のそれよりも闇が深いというが、その深さの程度はどうかは大きな問題ではない。確かなことは、こうして彼とまた再会している今の僕の心の中にも、疲弊は訪れている。そう、僕は今、心も体も疲弊して冷え切ってしまっているのだ。

 高層ビルやショッピング・モールが乱立する、華やかな臨港地区ではなく、打ち捨てられたように澱んだ旧市街にあるその酒場を出てから、僕らはあてもなく歩いた。週末というのに、まるで深夜の遊園地のように閑散とした商店街では、どの店も固くシャッターを閉じている。人気も生気もなく、存在するのは沈黙と拒絶。オーケー、僕だって何処にも誰にも、何の用もない。
 路地にぼんやりと灯るネオン・サインを見つけた僕らは、何も考えることなくその小さなバーへと入っていった。何でもいい、ただ座れればいい。酒があればそれでいい。
 わずかばかりの客たちは、他人からの干渉を拒絶するかのように、狭い店内でこれ以上離れられないほどバラバラに座り、カウンターの上のモニターに流れるミュージックビデオ・クリップに、所在なげに目をやっていた。カウンターの隅には、店の老主人と思われる人物が腰掛けている。グレーの長髪を後ろ髪に束ねた小柄な老人が、時折思い出したように飛んでくるオーダーにくるくると対応しているのは、何だか童話の世界にしか存在しない小動物を思わせた。
 店の名前からして、ジョン・レノンかエルトン・ジョンの信奉者なのだろう。ただ、それは僕の思い込みに過ぎず、あるいはジョン・コルトレーンかも知れないし、スキットマン・ジョンなのかもしれない。孫娘がピーチ・ジョンのヘビーユーザーということだって有り得る。知識の範囲に基づく判断力なんて、この程度の許容幅しか持っていないのだ。


 グラスふたつとちょっとしたオードブルの皿を置いてしまうと、あとはディズニーアニメに出てくるティンカーベルが、つかの間の休息をとる居場所すらないような小さなテーブル。それが散発的に配された店の一番隅の席に、僕らは黙って座った。気配に気づいた小動物的な老主人は、僕らの言葉に従順に、ズブロッカのオン・ザ・ロックと、ナッツがごちゃまぜにのった皿を運んで来た。それから僕らは特に話すことなく、ほかの客たちと同じように、流れ続けるビデオ・クリップを漫然と眺め続けた。
 ビデオはちょうど、盲目のギタリストによるライブが佳境を迎えるところだった。ギターを横に寝かせて、ネックに立てたすべての指を、まるで冬眠前のハリネズミのように、せわしなく動かし続けている。その姿は老練なギタリストというよりは、まるで気難しそうな大正琴の家元を思わせた。
 やれやれ、と僕はつぶやく。どうして、目が悪いのにそこまでしてギターを弾こうとするのだ。よりによってそんな運命を抱えながら、ギタリストという職業をわざわざ選ぶ必然性が、彼の送ってきた人生の中で何故生じてきたというのだろう。
 でもそれは、傍観者から見た折り目正しい客観論に過ぎないのかも知れない。ギターを弾きたい人間は、自身の抱える問題がどうであれ、弾けばいいだけのことだ。それ以上も、それ以下もない。突き詰めて考えれば、人生なんて極端にシンプルなつくりであることに、僕が気づいていないだけなのである。
 ふと思う。彼の「世界の終わり」の街には、いったいどんな情景が広がっているのだろう。そしていかなる様相の住人が、暮らしているのだろう。世界の終わりに「心」があるかどうかは、実際は大きな問題ではない。本当は誰だって、自らが築いた「壁」に守られた世界観の中で生きることを、望んでいるはずなのだ。それはずぶぬれの雨の中で、絶望的な大敗を喫したしたサッカー選手だって、何某かのジョンを信奉しつつ小さな店を守り続ける老主人だって、きっと同じに違いない。

 溶けた氷がグラスと接触する、乾いた音が軽く響いた。ズブロッカをさらに2つオーダーし、老主人に勧められるがままに、ナッツももうひと皿頼んだ。食べかけの皿には、固い殻つきのピスタチオばかりが見事に残っている。僕がアーモンドやマカダミア・ナッツばかり選んだ結果だ。いつもそうだ。面倒なことからは逃げて、誰にとはなく押し付けている。そして今日も、彼はこの行き場のなく疲弊している人間を、いつもと同じように押し付けられている。まるで、皿に残った殻つきピスタチオのように。
 グラスが運ばれてくる頃には、ビデオ・クリップの映像はニール・ヤングに変わっていた。
 「エブリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」
 僕がつぶやくと、それはポール・ヤングだ、と、モニターから目をそらすことなく彼が返した。

 Everytime you go away, You take a piece of me with you -

 それは確か、この店から歩いて5分も離れていないところにある街の体育館で、高校生の頃に初めて聞いた、外国人アーティストの唄だった。「貴方が僕から離れていくたびに、僕の一部を持ち去っていってしまう」。でも、多くの人が僕から何かを持ち去り続けてきたように、きっと僕も誰かから何かを持ち去り続けているに違いない。ポール・ヤングに説かれるまでもなく、誰だって生きていく上で、人と関わって、擦り減って、すり減らしての繰り返しから、逃れることはできないのだ。
 思い出した。前にこのバーを訪れたときの僕は、エネルギーに満ち溢れていた。臨港地区の祭りで打ちあがる花火を眺めた後、老主人の人柄に惹かれて訪れる客たちに囲まれ、カウンターでホットドックをかじり、ビールを飲んだ。それは確か、妻と暮らすようになった最初の晩のこと。まだ若く、これからの生活に希望を抱き、仕事にもきっと、精力的に取り組んでいた筈だ。少なくとも、今のこの状況の僕よりはずっと。
 それからあまりにも時間が経ち、僕は着実に齢をとってしまった。その過程において、誰もと同じように、擦り減り、疲弊して、冷え切ってしまうことを繰り返してきた。それでも結局のところ、僕に残され、課せられているのは、歩き続けることのみ。「壁」に守られた自分の世界観の中で、歩き続けていくしかないのだ。

 ビデオクリップのプログラムを映し終えたモニターに砂嵐が流れ、老主人がカウンターの女性と興じていた、ビデオクリップの論評にひと段落ついたのを潮に、僕たちは席を立った。先に扉をくぐった僕は、店頭に据えられた時代遅れのパン屋にあるようなショーケースから、3本のホットドックを買い求めた。殻つきピスタチオを押し付けた償い、というとオーバーだが、1本の包みを遅れて出てきた彼に差し出す。そして僕らは再び、眠るというより死んでしまったように生気のない商店街を、駅へと向かって引き返していった。
 通りの入り口にそびえたつ、お世辞にも趣味が良いとはいえない世俗的なモニュメントの前で、僕らは言葉少なに別れた。彼はさっきの旧市街にある、眠るため以上の機能を持たない簡素な宿へ、僕はありふれた郊外の街へ向かう電車が発着する駅へと、それぞれ反対方向へと背を向けて歩き始める。それはまるで、僕は僕の、彼は彼の、世界観へ向けての帰還を意味するセレモニーのように。
 駅でふと思い立ち、改札口をくぐる前に、家に電話をかけてみた。日付が変わろうとしている頃合だったにも関わらず、予想に反して妻が電話口に出てきた。ホットドックの話をしようかと思ったけれど、説明が長くなると面倒なので、用件だけを一方的に伝えて切ろうとした。すると、
 「あなた、今、いったいどこにいるの」
 何処へも行くことはない、僕はここにいるしかないのだ。昔から、今も、おそらくこの先も、ずっと。(2007年5月6日食記)


旅で出会ったローカルごはん89…特急 『サンライズ出雲』個室寝台で、日本海の味覚を肴に旅の終わりの宴

2007年05月12日 | ◆旅で出会ったローカルごはん

出雲市駅の目の前にある、日帰り温泉施設「らんぷの湯」


まるで山中の一軒家のような秘湯、ここは一体どこでしょう?

 総檜の浴槽に体を浸すと、含鉄泉の茶色の湯がひりひりと染みてくる。ランプがぼんやりと灯り、まるで秘湯の湯小屋のような雰囲気の中、浴槽の縁を枕に、高い屋根の立派な梁を見上げながらごろり。露天には竹林を望む箱風呂もあり、こちらでも足を伸ばしてゆっくりと長湯を楽しむ。真上に青空と雲が広がり、時折吹く風が竹林をざわざわと揺らしていく。
 出雲大社を参拝して、昼食に出雲そばを賞味してしたところで、鳥取から松江、出雲と巡った4日にわたる食紀行も、全行程が終了となった。帰りの寝台特急は出雲市駅を夜の19時発だから、まだ半日以上時間があるけれど、もうどこも巡る気も、何も食べる気も起こらず、列車の発時刻までボーっとしていたい。
 で、選択したのが半日に及ぶ「温泉浸け」だ。やってきたのはご覧のように、出雲市駅からはるばる山間に分け入った一軒家の秘湯、ではなく、何と出雲市駅のすぐ駅前。「出雲駅前温泉らんぷの湯」という日帰り温泉施設で、駅から徒歩1分、入浴料数百円で、こんなしっとりした風情の温泉を楽しめるのだ。ちなみに露天の竹林のすぐ裏は、JR山陰線の高架が走っており、湯船に浸っていると時折、ディーゼルカーのエンジン音や、「まもなく2番線に…」と出雲市駅のアナウンスも聞こえてくるのはご愛嬌である。

 旅が終わりに近づき、あとは帰京するだけ、となると、何だか後ろ髪を引かれるような、あともう1泊したいな、と名残惜しくなるような、ちょっとダウナーな気分になりがちだ。自分も、最終日の夜にも勢いでもう一泊して、夜に最後の豪遊(?)を満喫、翌日朝イチの飛行機や新幹線で帰京して、そのまま仕事へ向かう、などと、往生際の悪い旅行をすることもしょっちゅうである。
 特に、東京と夜行列車が結んでいる土地に旅行する際は、最終日の夜に夜行列車、しかも個室寝台車を利用することが、旅の締めくくりの秘かな楽しみである。札幌発の「北斗星」、青森や弘前からの「あけぼの」、高松からの「サンライズ瀬戸」あたりは、B寝台個室のヘビーユーザーを自認するほど。列車に揺られて窓を流れる夜景を眺めつつ、個室で気兼ねなくラストナイトの酒盛りに興じ、酔っ払ってそのまま寝てしまう… 旅を生業とするものとして、これに勝るものはない至福の一夜、とまで書くとおおげさだろうか。

旅の最終イベントは、個室寝台車での酒宴

 近頃はシャワーつきの寝台特急も増えてきたけれど、夜行列車に乗る前にひとっ風呂浴びて、駅弁と酒と肴を買い込んで、いざ乗車、というのが、私の流儀(笑)。2時間以上ものんびりと温泉に浸ったおかげで、旅の疲れがすっかりとれたどころか、かなりゆだり気味になってしまった。即座に風呂上がりの缶ビールをグッといきたいところを我慢して、ちょっと早いけれど夜行列車の酒宴の仕込みを、始めるとしよう。
 駅周辺を見た感じ、構内には物産店と駅弁売り場、あと駅前に1軒コンビニがある、といった具合。下見がてらぐるりと一巡してみると、それぞれで扱っているものが若干違うようで、うまいこと組み合わせて手ごろな出費でまとめたい。
 まずは弁当から。改札口前の駅弁売り場に「名物・出雲そば弁当」があるけれど、出雲そばは本日2食頂いたので、もう充分だ。ほかには幕の内ぐらいしかなく、地元ならではの物が見当たらない。
 ご飯ものはコンビニの弁当かおにぎりでいいか、と後回しにして、先に酒の肴を求めて物産店へと移動。ここは郷土の土産物の売店がずらりと並んでおり、地元の名物には事欠かない。ただし基本的に持ち帰り用の土産のため、瓶詰めとか真空パックとか、量が多い上に列車の中で空けて食べるのには向かないのが難点。佃煮3種の箱詰めセットとか、瓶入りの珍味詰め合わせとか、魅力的だけれど中途半端に開封したら、残った分の扱いに難儀しそうだ。
 するとうまいことに、様々な珍味の瓶詰めを、1本売りしている乾物屋を発見。何と、シジミの甘露煮の瓶詰めがある。そしてその隣には、10本ほど入ったアマサギの佃煮まで。どちらもちょうど、夜行列車の旅の晩酌の肴に食べ切りサイズといった、適当な量がうれしい。しかもシジミもアマサギも、宍道湖でとれる名物魚介「宍道湖七珍」だから、実に地元ならではの酒の肴だ。もちろん両方とも買い求め、さらに図々しく「寝台車の中で食べたいんで…」と、紙皿と割り箸までつけてもらう。

 先に肴が揃ったところで、お次は酒の入手だ。長旅お疲れ様に乾杯用の缶ビールは、乗車する直前に冷えたのを買うとして、じっくり腰をすえて呑む地酒を選ぼう。駅前のコンビニは酒も扱っており、大手メーカーの日本酒に並び、小ぢんまりながら出雲の地酒コーナーがあるのはさすが。市内の旭日酒造の「十(じゅうじ)旭日」冷酒が、程良く冷えて買い手を待っているので、これを指名。もちろん、レジでの支払いの際に、「寝台車の中で飲みたいんで…」と、プラカップもしっかり頂いた。
 このコンビニ、よく見かける大手チェーンなのだが、地酒のほかにもこの地方の名物を、いくらか揃えているのがありがたい。おにぎりか牛丼弁当あたりを買うつもりで、弁当のコーナーを覗いてみると、それらに混じり境港の焼きサバ寿司なんてのが。境港で屈指の水揚げ量を誇る、脂がほどよくのった地サバを焼き、ご飯の上にのせたもので、米子空港の「空弁」として有名になった、隠れた名物である。もちろん、おにぎりは回避して、締めご飯にこれを1本、購入。
 さらに練り物がいっぱい並べられた出口近くのワゴンでは、これまた山陰の特産の「あごちくわ」を見つけた。「あご」とはトビウオのことで、弾力があり甘みも豊かな、この地方独特の練り物。かむほどに味が出るため、酒の肴にはもってこいで、ついでに2本買ったところで酒宴の仕込みは無事、完了となった。これですっかり、今宵の陣容が整った。

流れる景色を見つつ、オールナイトで盛り上がるつもりが…

コンパクトだが居心地がいい、「サンライズ出雲」のB寝台個室

 両手に酒宴のための大荷物をぶら下げているため、もう歩き回るのは億劫だ。早めにホームに上がってベンチで待っていると、日がすっかり暮れた頃にようやく、「サンライズ出雲」号が進入してきた。指定券を片手に車内へと入り、進行方向日本海側の2階の個室寝台に腰を据えて、旅装を解くと同時に「巣作り」開始。ベッドメークを自分で行い、旅の荷物の置き位置を決め、窓枠にドリンクを並べ、小テーブルに肴を広げて、と、発車までの数分間は大忙しである。
 発車ベルが鳴る頃には、狭い個室寝台の中は小粋なバーに早替わり、とまではいかないものの、手の届く範囲に酒に肴、新聞も雑誌もすべて配置され、なかなか機能的な酒盛りスペースが完成した。ベルが鳴り終わり、ガクンとひと揺れして列車がホームをすべり出して、車内検札にやってきた車掌に切符を見せたら、明日の朝東京駅に到着するまで、もう部屋から一歩も出るものか。
 サンライズ出雲は比較的新しい寝台列車で、個室は木調の内装が落ち着いた雰囲気である個室、といっても横になって寝る程度のスペースしかないけれど、曲面ガラスが大きくとられたは開放的で、意外に圧迫感がない。窓際に進行方向に向いて縦に横になっていると、しばらくして車窓に闇の宍道湖が見えてきた。まずはビールとあごちくわで、長旅お疲れ様の乾杯。宍道湖が見えていることだし、と、同時にシジミの甘露煮にアマサギの佃煮も開けて、「十旭日」もプラカップに注いでしまおう。
 闇に流れる明かりを追いながら、窓にもたれて酒を呑む。酔いが廻ったらそのままゴロンと転がると、曲面ガラスの向こうに今度は星が流れていく。そんな具合に、個室寝台車の至福の時を楽しんでいると、列車の揺れに合わせて時折、ガクンと転落するような睡魔が襲ってくる。宍道駅で山陰に別れを告げ、伯備線で山間部へ入っていったあたりで、十旭日を空にしたようだが、あまりよく覚えていない-。

左から十朝日、アマサギの佃煮、シジミの甘露煮、焼き鯖寿司

 -長旅の疲労もあるし、半日近く温泉に浸かっていたのだから、酔いの回りがいいのは当然のこと。岡山到着は夢うつつで、その次に気がつくと、車窓には朝日にきらめく相模湾! すでに夜は明け熱海を過ぎており、楽しみにしていた個室寝台列車での酒宴は、期せずしてわずか1時間ちょっとでお開き(となってしまっていたらしい)。小テーブルには半分ほど残ったシジミの甘露煮の瓶に、手付かずのままの焼きサバ寿司が。焼きサバ寿司は仕事場で朝食代わりに、残ったシジミは今夜、自宅に帰ってから旅の余韻に浸りながら頂くとするか。
 洗面所で顔を洗い、荷物を片付けて個室に戻ると、列車は小田原を過ぎたところ。2階の寝台個室から通過する駅を見下ろしていると、どこもスーツ姿のサラリーマンであふれんばかりだ。すっかり東京の通勤圏、ちょうど通勤ラッシュの時間帯で、ゆったり特急列車からささやかな優越感を感じつつ、否が応でも旅の終わりを痛感する。東京駅に到着するまでにしっかり切り替えて、今日からまた、がんばって働いていこう。(2006926日食記)

旅で出会ったローカルごはん88…出雲大社 『八雲』の、3色割り子そば

2007年05月09日 | ◆旅で出会ったローカルごはん


八雲の3色そば。左下から時計回りにトロロ、たぬき、卵

日本屈指のスピリチュアルスポット・出雲大社で癒される… か

 出雲大社の改札を出て、駅前から出雲大社の大鳥居に向かって延びる、ゆるい坂を歩いていく天下にその名が轟く縁結びの社だけに、門前町は良縁祈願を前に浮き足立つ女性たちで大層な賑わいを見せている… と思ったら、ぽつりぽつりと点在するみやげ物や飲食店はいずれも活気がなく何となく閑散としている夏休み後の9月の平日であることを差し引いても、この界隈屈指の観光地としては、何ともさびしい限り
 大鳥居をくぐ、砂利の参道を下っていくと、沿道には彼岸花が咲いていたり、蓮池があったりと境内を歩いているだけで気分がいい近頃は、あのスピリチュアルの先生の影響もあり、神社がヒーリングスポットとして目を浴びている。人気のない壮大な社散歩で、ゆったり癒されてみるのもいいかな、と拝殿にたどり着いてビックリ。
 どこからやってきたのか、あたりはたくさんの参拝客で、結構な賑わいだ。拝殿には良縁祈願の順番待ちの行列が延びており大きな注連縄に小銭を投げつける(注連縄にはさまると、良縁に恵まれるとか)女性の姿も。自分もあわてて行列について、良縁祈願のお祈りを済ませることに祈願したのは今さら女性との縁ではなく、旅先でうまいものと出会えること、そして良い人と出会えること。こうした縁あってこそ、食紀行の仕事は成り立っているのだから。

 などと殊勝に祈りを済ませて、人の流れについて境内を後にすると、さっきの閑散とした門前町とはうって変わって、参拝客でごった返す飲食店やみやげ物屋街へと出た。こちら側には、大型バス駐車場があ、ツアーバスがひっきりなしに到着しては、団体さんがどっと境内へとなだれ込んでいく。電車でふらりと、秘めた想いをひっそり叶えというより、ツアー旅行で女3人姦しくワイワイ賑やかに、という参拝が主流なのかは知らないけれど境内の唐突な賑わい原因がよく分かった門前町の賑わいも、駅前通りよりも大型バス駐車場付近のほうに軍配が上がる訳である
 さてお昼にするかと通りをちょっと歩くと連なる格子美しい外観のそば屋に出くわした出雲大社の門前といえば、「出雲そば」の店が軒を連ねており、お昼ももちろん、そばの予定。ひと通りあたりを歩いて店をしっかりと物色するつもりだったけれど、良縁祈願の直後だかられも何かのご縁かも知れない。

出雲大社の拝殿。右の大注連縄に、賽銭が挟まるとご利益が


門前町の出雲そば屋は、豊富なメニューが魅力

 で、おいしいご利益がありますように、と願いつつ、そのままこの『八雲』の暖簾をくぐる。客席はかなり広く、テーブル席が見渡す限り並ぶ以外に、奥には座敷もあり、ちょっとしたファミレスぐらいの規模はある。ここも参拝客や観光客で賑わっており、さすが女性の姿も目立つ。そしてほとんどの人が、名物の3段割り子の出雲そばをたぐっている、かと思ったら、丼物とか天ぷらや刺身の定食とか、割と色々な和食メニューを味わっているよう。
 参道を臨む窓際の席が空いていたので、そこに通されて品書きを見たところ、確かにメニューはそば屋にしては多彩だ。天ぷらや刺身の定食、丼物にお子様ランチ、何とそば屋なのにうどんまである。客席のたたずまいだけでなく、メニューの豊富さもまた、和食ファミレス風か。
 それでも、注文するのは別名「割り子そば」と呼ばれる出雲そば。出雲大社にやってくる前に、松江の「神代そば」でも朝飯代わりに割り子そばを頂いたので、同じものにしようと思ったら、この店、割り子そばのバリエーションも多彩だ。ざっと品書きを眺めただけでも、プラス2段の5段割り子や、3段それぞれタネにひと工夫した3色割り子。大盛りで行くか、多彩な味でいくか、やや迷って「3色」に決定である。

 ファミレス風云々と何度か書いてしまったけれど、この店は創業以来350出雲大社門前のそば屋の中では屈指の歴史を誇る老舗である。品書きの裏面には、「宮内庁御用達のそば処鶴喜そばでの修業によるそばを供する」と能書きが綴られており、本格的な手打ち出雲そばの店、とアピールしている
 その出雲そば、一体どんなそばかといえば、大きくつの特徴を押さえておきたい。ひとつは、使うそば粉。そばの実をごと挽いた、「挽きぐるみ」と呼ばれる粉でそばを打っており、見た目は黒っぽい「田舎そば」。香りと腰が強い上、そばの殻にはビタミンやミネラルが豊富なため、栄養価も高いとされている。
 そしてもうひとつの特徴は、使う器。「割り子」と呼ばれる小振りの丸い容器に、3段ほどに分けて盛って頂くのが、出雲そば独特のスタイルである。この地方の重箱だったとか、弁当箱として野外に持ち出していたとか、形も当初は四角だったが角の部分が洗いづらく、衛生の面で丸くなったとか、様々な俗説があるのが面白い。
 そして3つめの特徴は、食べ方。冷そばは普通、そば猪口に入れたつゆに浸して頂くのだが、出雲そばは濃い口のつゆを、そばの上から直接かけ回して頂く。そばを食べ終えて、割り子の中に残ったつゆを、次の割り子に空けて頂くのもまた、出雲そばの流儀だ。
 ところで出雲そばという名前からして、出雲市・出雲大社の名物、と思っている人が、かなりいるのではないだろうか。上記のスタイルのそばは、実際には出雲大社界隈だけでなく、実は島根県の各地で広く食べられている。出雲大社をはじめ、藩主の松平不昧公がそば懐石を広めたとされる城下町の松江、最近良質なそばが収穫されることで注目されている三瓶山麓などなど。基本的な特徴は同じながら、それぞれの地域でそばやつゆの味に、微妙に違いがあるという野も面白い。
 本当の元祖はどこかという論争や、呼称はこの地域を広く指す「雲州そば」とすべきなど、「出雲大社のそば」と捉えられることへの意見も多々あるようだけど、今日のところはその辺の話は抜き。良縁成就、もとい美味いそばと出くわすことを期待しつつ、古くから、出雲大社の参拝客をもてなした味を、楽しんでみることにしよう。


八雲の外観。店内は結構広い。


タネも次の割り子へ順送り、の3色割り子そば

 三色割子は3段の割り子に入っているのは、神代そばで食べたのと同じで、そばの上にそれぞれトロロ、卵、たぬき(揚げ玉)がのっている。そばは見た感じ、やや白っぽく細めで、正統派の出雲そばよりもやや上品な印象。箸で持ち上げてみると、エッジがしっかり効いて、角ばっている
 まずはトロロの器から、つゆをかけまわしてグルグル混ぜてひとすすり。ここのそばは国産の本そばの実を甘皮ごと挽いたそば粉に、八雲山の岩清水を使い、香り高い風味が自慢とある。そばは味も風味も軽く、むしろパキパキした固めの食感のほうが印象的出雲そばは一般的に、そばの味と香りを楽しみながらモグモグと頂くけれど、これは歯ごたえを楽しむそば
 ゆるめのトロロと一緒にさらりと平らげ、2段目の器にかかる前に出雲そばの流儀に倣い、残ったつゆを2段目へとあける。トロロも少し残っていため、2段目はトロロたぬきそばになってしまったこちらは揚げ玉の香りとコッテリさが加わり、味が濃くなってなかなかうまい。
 神代そばの話では、松江のそばつゆはカツオの本節をベースにした辛目のつゆ、出雲のは甘目とのことだったが、食べ比べてみると確かにその通り。松江は城下町のため、参勤交代で江戸行き来する殿様が、江戸の辛口の味付けに慣れたからといわれており、キリッと切れのいい味だった。一方、ウルメいわしと地元出雲の醤油で作ったこの店のつゆは、そばのさっぱりさを包み込むようなまろやかさ。お江戸の松江のそばに対して関西風、地元風といったところか。

 同様に3段目につゆをあけると最後は天玉そばに。卵をつぶして混ぜ、つゆを多めに入れ、もったりしたあえそば風ので締めくくりとした。つゆだけでなく、タネまで順次次の割り子へ空けていくのも、出雲そばの流儀… てなことはないだろうけれど、3種のタネがそれぞれ楽しく味わえるそば、という印象。松江で頂いた、こだわりのそば粉で打った元祖出雲そば、とは性格が異なるけれど、良縁祈願の後の華やかな気分で、タネの彩り華やかなそばを頂く、というのも、また面白いのではないだろうか。
 そばだけに、ほったらかしにしてダラリと伸びちゃわないように、ズルズルと長~くいい関係を大切にしなくては、と、縁結びの社の門前のそばを男女の仲と掛けてみたりして。そんなことを考えているとふと、我が家で自分の帰りを待っている、良縁祈願のご利益(?)たちのことを思い出した。腹ごなしに拝殿へ引き返して、みんなのためにもう一度良縁祈願をしてこようか。仕事面でも家庭の面でも、様々な意味で良い縁がこれからも、もっともっといっぱいありますように、と。(2006年9月26日食記)


旅で出会ったローカルごはん87…松江 『神代そば』の、三段割り子の出雲そば

2007年05月03日 | ◆旅で出会ったローカルごはん


神代そばの割り子そば。つゆは上からかけまわして頂く

本場出雲市の「出雲そば」を頂く前に、松江のそばも賞味

 宍道湖のシジミ漁を見物するため、この日も早起きとなった旅の朝。漁を終えた船が徐々に帰港していくのを見届けたら、自分もそろそろ松江を後にする頃だ。
 さて、今日はこれからどうしよう。宍道湖岸を電車でドコドコと走り、出雲大社あたりをぶらぶらしてみようか。天下無敵の縁結びの神様だけに、寂しき独身時代にはぜひとも良縁祈願を、なんて大いなる期待を抱いて訪れたこともあったが、当時のご利益は確か、今ひとつだったような。既に枯れてしまった(?)今となっては、縁結びの参拝よりは楽しみは出雲そばと、すっかり色気より何とやら、か。

 昼食の出雲そばまでのつなぎにと、市街のスタンドそばに寄るつもりだったが、ホテルでもらった観光パンフレットをめくってみたところ、こんな早い時間からやっているそば屋があった。松江城や武家屋敷といった、松江の見どころが集まるあたり離れ、車通りの多い道を歩くこと10分ほど。いかにも地方都市の旧市街といった町並みの一角に、その『神代そば』の暖簾がひるがえっているのを見つけた。
 観光パンフレットにのっているぐらいだから、老舗然とした立派なたたずまいの店かと思ったら、小ぢんまりした店は見た感じ、ごく普通の町のそば屋である暖簾をくぐるとすでに数組の客が、そばを黙々とたぐっている。観光客ではなく、地元の常連客といった感じで、まさに朝食に1、といった様子。先日は鳥取の境港にある食堂で、「魚モーニング」を頂いたが、この界隈では「そばモーニング」が定着しているのだろうか

何と、そば粉が選べる! こだわりのそばの味に脱帽

 奥のテーブルに着くと、お茶を運んできたおばちゃんに品書きを手渡された。かけかざるでサッといこう、と開いてみると、スタンダードなメニューは「割り子そば」。割り子そばとは、「割り子」と呼ばれる小振りの丸い容器に、3段ほどに分けて出されるそばのこと。いわば「出雲そば」の別称で、本場の出雲市が近いから松江のそば屋でも出しているんだろう。お昼に「本場」で頂く前に、ちょっと試してみるか、と注文することにする。
 すると、「そば粉はいかがしましょうか?」おばちゃんに聞いたところ、この店では地元産のそばと北海道の幌加内産のそばの2種類から、そばに使うそば粉を選べる仕組みなのである。ちょっと高いけれど、もちろん地元産を選択。どうやらこの店、かなり志の高いこだわりのそば屋のよう。この時間から来店している客が多いのも、モーニング代わりにそばをすすっているのではなく、常連のそば通に支持されている証なのだろう。

 昼食までのつなぎ感覚で気軽に入ったけれど、これは襟を正して、真剣に賞味しなければ、と待つことしばし。すぐに運ばれてきた割子そばは、赤く丸い器に3段に分けて盛られた、この地方の伝統的なスタイルのそばだ。薬味はのりとカツオ、ネギ、ワサビとシンプルつゆは別に用意されていて、そばを箸でたぐって浸すのではなく、割り子の上からかけ回して頂くのも、この地方独特のスタイルである。「つゆは少しずつかけて、そばが浸らないぐらいに」と、運んできたお兄さんに食べ方を教授頂いたら、さっそくひとすすり。
 まずはしっかり選んだ、地元産そば粉の実力を確かめようと、1段目は薬味なし、つゆだけでスルリ見た目が黒っぽいため、味と香りがかなり強いかと思ったら、押しの強くない自然な甘みが口の中に広がり、後からほろ苦さがスッと残る。つゆの味はあまりしないのは、お兄さんのアドバイスを遵守しすぎたからかな直接なめて味を見るダシがよく効いて結構しょっぱい。それにそばの風味が負けていないということは、それだけそばの味がしっかりしているのだろう
 2段目は薬味を少々加えてみたところ、食べ慣れてきたせいかそばの瑞々しさがよく分かる。腰も結構あるけれど、グイグイ押し返すように強いのではなく自然な歯ごたえそば本来の風味や香りを楽しみながら、モグモグと味わうそばで、江戸っ子のようにかまずにのど越しを楽しむだけではもったいない。だから最後の3段目も、薬味なしのつゆだけでサラリと仕上げ。余った薬味は蕎麦湯に入れて吸い物して締めくくった

そばが黒っぽいのは、甘皮も一緒に挽いているため。香りがよく甘みがある


地場産のそばの実と、自家製粉。大臼挽きならではの香りと風味

 モーニング代わりのそばの後にコーヒー、ならぬ蕎麦湯をすすりながら、食後のひとときをしばしくつろぐ。店の奥にはガラス貼りのコーナーがあり、中でご主人がそばを手打ちの真っ最中。BGMのピアノに混じり、リズミカルにタンタンタンと響いてくる、そばを切る音が耳に心地よい。作業の様子を眺めていると、さっきのおばちゃんが蕎麦湯のおかわりを運んできたので、こだわりのそば粉についてちょっと聞いてみることに。
 店で使っている2種類のそば粉のうち、地元産のそば粉は日替わりで、いずれも島根の在来種を使用松江近郊産のほか、三瓶山麓の大田市周辺産のそばの実が、ていねいな栽培で評価が上がっているというちなみにこの日の地元産のそば粉は、松江市産の玄丹そば。生粋の松江産、地場のそば粉という訳だ。在来種の収穫は10月末くらいから、新そばは11月中旬頃から出回るというから、ベストシーズンにはちょっと早かったかそれでも、香りも味もあの鮮烈さだから、地元産のそば粉の実力が、存分に理解できた気がする。
 さらにこの店では、製粉されたそば粉を仕入れているのではなく、そばを実のまま入手して自家製粉してしているという、これまたこだわりよう。市内の鹿島町に設けた自家製粉所で、石臼による昔ながらのやり方で、粉を挽いているのだ。臼は50年来使用している「大臼」だそうで、「本当は店で製粉をやって、お客さんに石臼で粉を挽く様子を見てもらいたいけれど、臼が大きすぎて店に並べると、客席のスペースがなくなっちゃうから」とおばちゃんが笑う。

 この臼でそば粉を殻ごとひいてはふるいに掛け、を繰り返して製粉した「三番粉を、一晩備長炭を浸した水を使って、そばを打つ。もちろん、つなぎを使わない生粉打ち。これだけ素材を吟味していれば、まずかろうはずがない。出雲市へ行く前に、松江で本格的な出雲そばを味わえてよかったです、と感想を伝えたところ、途中から同席していたご主人の言葉に、力が入る。
 「そりゃ、『出雲そば』の本当の本場は、ここ松江だからね」
 「? 出雲のそば、つまり出雲大社や出雲市が本場なんじゃないですか?」
 「名前から、そう解釈している人が本当に多いんですよ。そもそも出雲そばのルーツは、松江にあるんだよ」

出雲そばを広めた、グルメな殿様・不昧公

 そもそもこの地方にそば食文化が伝来したのは、さかのぼること400年ほど前。江戸初期の1638年、移封(お国替え)で松江藩へとやってきた、初代藩主の松平直政公が持ち込んだといわれている。直政公が松江の前に治めていたのは、そば処である信州の松本藩。まさに本場からやってきた、そば食文化の伝道師だったのだ。同様に信州の殿様がお国替えで移った先で、そばが広まった例として、兵庫県の出石も挙げられる。
 そして伝来のキーマンが直政公なら、それを広めたキーマンは、松江藩七代藩主の松平治郷公だ。治郷公は困窮していた松江藩を、倹約令により立て直した手腕が評価される一方、江戸期の著名な茶人でもあったという、粋な殿様。地元では治郷よりも「不昧公」と、茶人の号で称する方が通りがいい。そんな氏が広めたそば食文化とは、茶懐石の流儀にのっとった「そば懐石」である。これが茶をたしなむ松江藩の諸大名の間に好評を博し、次第に庶民の間にもそば食文化が定着。そば栽培とともに、この地方に広く伝わっていったのである。
 ちなみに不昧公はこのほかにも、茶と関連が深い和菓子を「御用菓子司」を設置してレベルアップさせたり、今でも松江名物の「鯛めし」をオランダ料理を基に考案したとされるなど、松江の食文化の随所に深い関わりを持っている。名前は「マズイ」に誤読されそうだが(笑)、茶人としてのグルメ志向も、かなり強かったようだ。


神代そばの暖簾。小ぢんまりした、町のそば屋といった雰囲気

 一方で、出雲大社や出雲市のそばが注目され始めたのは、松江にそば食文化が根付くよりずっと後の時代のことである。明治期に入り旅行が一般化して、出雲大社への参拝客や観光客が増え、門前の店で供されるそばの評判が、口コミで全国へと広まっていったのだ。その際、「出雲大社門前のそば=出雲そば」という呼称で広まり、定着していったのだろう。甘皮ごとそばの実を挽いた粉で打った黒っぽいそばを、割り子でいただくスタイルのそばは、松江・出雲市をはじめ島根県各地で出されるが、このおかげで多くの人が、「本家は出雲市のそば」と解釈しているのではないだろうか。
 そしてご主人の説明に、さらに力が入るのが、両者のそばつゆの味付けの違い。松江のそばつゆは辛目な味付けなのに対し、出雲のそばつゆは甘いのが特徴と、対照的だ。それについては、こんな説が。
 「松江は城下町だから、殿様が参勤交代で江戸へ行くため、江戸の辛目の味付けに慣れた影響からなのでしょう。あと、松江のそばつゆは、ダシを本節ベースでしっかりととっていたのが大きなポイント。松江は殿様のお膝元だから、当時貴重だったカツオ節が手に入ったんでしょうが、地方ではなかなか手に入らないからね」
 だから今も、出雲そばのつゆは甘ったるく、松江ほどダシの風味が強くないんですよ、と語るご主人。食べ比べてみないと何ともいえないが、このあたりはいく分、「殿様直伝の起源のそば」としてのプライドも垣間見えるようだが。

 「だから出雲大社周辺を指す『出雲そば』という呼称じゃなく、広くこの地域を指した『雲州そば』という呼称が、このあたりのそばを称する際には正しいんですよ」と、店内の張り紙も指差しながらしみじみ語るご主人。先ほど「松江でも本格的な出雲そばを味わえてよかった…」と、何とも失礼な感想を述べて恐縮しきりである。
 興味深い話を伺いつつ、すっかり長居してしまい、そろそろ出雲市へ向かわないとお昼には遅くなってしまいそうだ。電車に揺られ、車窓に広がる宍道湖を眺めていると、もう腹が鳴る。ルーツとか味の違いとか、それはそれとしてこの分だと出雲大社の門前でも、空腹でおいしくそばを頂けることは間違いなさそうである。(2006年9月26日食記)