同居人の術後の経過が思わしくありません。
そろりそろりとではありますが、歩けていたのが、昨夜、右足が痛くて上がらないとかで、寝込んでしまいました。
手術の影響なのか、どこかひねってしまったのか分かりませんが、とりあえず今朝病院に電話してみることを勧めました。
何事もそう順調にはいかないものですね。
SEKAI NO OWARIに「眠り姫」という曲があります。
恋人の寝顔を見ながら、このまま目を覚まさなかったらどうしようと、不吉な心配をする男を歌っています。
私の今の心境はこんな感じです。
子供もいませんし、実家に行けば母と兄家族、妹がいますが、私が家を出た20数年前に、もはや頼ってはいけない存在になってしまいました。
それが独立するということなのだろうと思います。
そうすると、私にとって同居人の存在はいかにも大きなものだと分かります。
江藤淳が、あんな強面の発言を繰り返しながら、奥様が亡くなった後しばらくして、後を追うように自殺してしまったのも、なんとなく分かります。
分かる自分が怖いですが。
同居人が眠り姫になってしまうことを怖れつつ、快方に向かうことを願ってやみません。
デブで子供のように無邪気な精神科医、伊良部先生が活躍する連作の第3弾を読みました。
「イン・ザ・プール」、「空中ブランコ」に次いで、「町長選挙」を読みました。
イン・ザ・プール (文春文庫) | |
奥田 英朗 | |
文藝春秋 |
空中ブランコ (文春文庫) | |
奥田 英朗 | |
文藝春秋 |
明らかにナベツネをモデルにしたと思われる短編やホリエモンを擬したと思われる作品に続いて、離島の診療所に2か月限定で赴任した伊良部医師と島の町長選挙の珍騒動を描いた表題作など、ますますパワーアップしてくれちゃってます。
また、胸の開いたミニのナース服に身を包んだクールなナース、じつはパンクロックのバンドをやっていて、何かと金がかかることが初めて明かされます。
今回もまた、大いに笑わせてもらいました。
いやぁ、愉快。
町長選挙 (文春文庫) | |
奥田 英朗 | |
文藝春秋 |
久しぶりに涼しい朝を迎え、午前中は窓を開けるだけで、冷房を使わずに済みました。
このくらいなら楽ですねぇ。
しかしお昼をいただく頃には太陽が顔をだし、私はそれを恨めしく眺めました。
せみ啼くや 行者の過る 午の刻
わが敬愛する与謝蕪村の句です。
セミがうるさく啼き騒ぐ真昼時、仏教だか修験道だか知りませんが、行者のいでたちの者が通り過ぎていくさまを詠んでいます。
カンカン照りの太陽、それをさえぎる物とて無い往来のイメージと、行者という言葉が醸し出す神秘的な要素、それに、いっそ不気味でさえあるセミの大音声が、逆に静けさを感じさせ、夏の陽射しにぼうっとなった頭が見せる幻のような、絵画的印象を感じさせる句です。
与謝蕪村は絵描きでもあり、句の多くが絵画的であることを思えば、当然なのかもしれません。
蕪村句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) | |
玉城 司 | |
角川学芸出版 |
近年の流行歌では、夏の恋を扱ったりして、夏休みとあいまって夏は楽しい季節であるかのように歌いますが、本来日本人にとって夏は過酷な季節であり、おそらくは疾病に罹る者や亡くなる者が多かった、死の季節であったろうと推測します。
そのような時代背景を思う時、上の句の味わいは変わってくるでしょう。
夏を過酷な季節と捉えるのは西洋でも同じだったらしく、18世紀イタリア出身のビバルディ作曲による協奏曲「四季」では、「春」がいかにも軽やかで楽しげであるのに比べ、「夏」は気だるげで重々しい感じがします。
「春」は誰もが知っていると思いますが、「夏」は聴いたことが無い、という方もいらっしゃいましょう。
「夏」を貼っておきます。
私はクラシック音楽には疎いですが、なんでも通の間では「夏」の人気が高いとか。
ヴィヴァルディ:協奏曲集 | |
ヴィヴァルディ,アルビノーニ,カラヤン(ヘルベルト・フォン),ジャゾット,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,シュヴァルベ(ミシェル),マイヤー(ヴォルフガング),ブランディス(トマス),マース(エミール),ボルヴィツキー(オトマール) | |
ユニバーサル ミュージック クラシック |
今朝は、ビバルディの「春」のような快適さを感じましたが、午後にはいかにもだるい「夏」を感じさせられました。
夏は冬に比べて儚いものですから、暑い暑いと不平を言わず、蕪村の句やビバルディの曲でも聴いて、やり過ごしたいものだと思います。
私が中学から高校の頃、中曽根先生が総理大臣を務めていました。
私は当時、他の政治家には無いオーラがあると感じ、政策的なことは抜きにして、中曽根先生を尊敬していました。
先生、久しぶりにマスコミをにぎわしていますが、御年97歳におなりあそばすのですねぇ。
総理在任中は60代だったはずですから、感慨無量です。
紅顔の美少年だった私が、しょぼくれた中年オヤジになるのも、むべなるかな。
中曽根先生が先の大戦を、侵略戦争でもあった、と述べたことを、鬼の首を取ったように騒ぎ立てる人々の無邪気さ、唖然とさせられます。
日本列島を不沈空母と呼んでみたり、靖国神社を堂々と公式参拝したタカ派のイメージがある人の発言だからでしょうねぇ。
しかし、どう考えたって侵略戦争の側面があったことは当たり前だと思います。
ただし、それはアジア諸国に対してであって、英米をはじめとする帝国主義列強との戦いは、自衛のためであったことは自明の理でしょう。
中曽根先生は戦後まもなく国会議員となり、その後70年、戦後政治の生き証人です。
村山談話の中身にもろ手を挙げて賛成できなくても、国家が総理大臣の名で出した談話から大きく外れた談話を出すことなど出来ないとお考えになるのは当たり前です。
そうでないと、国際社会でわが国は発言をころころ変える信用ならざる国家ということになってしまいます。
中曽根先生、首相経験者として初めて、100歳超えするかもしれませんねえ。
そうなったらまさしく、政界を監視する化け物と言えましょう。
ぜひ、魔物に変じてほしいものです。
パッと見は、もはや怪物ですが。
今日は広島に原爆が投下された日ですね。
原爆投下については、無差別大量虐殺で犯罪行為だとする言い分と、本土決戦を避けることになり、結果として連合軍兵士のみならず、多くの日本軍兵士、日本の民間人を救った必要悪だとする考え方があります。
一般的には、2発の原爆が、わが国がポツダム宣言を受諾する決意をさせたと言われているようですが、日本政府及び軍部にとって最も痛手で誤算だったのは、ソ連の参戦でしょう。
ソ連を敵に回しては、四方八方敵だらけということになり、そのまま戦争を継続すればわが国は分断国家になってしまったことでしょう。
私の母は長崎で被爆しており、私は被爆2世ということになりますが、あの状況下での原爆投下の是非を、現代の価値観で断罪する気にはなれません。
もちろん、原爆投下を積極的に肯定する気もありませんが。
要するに、ニュートラルな立場ということになりましょうか。
ただ一、その後70年、一度も核兵器が使用されなかったことは、2発の原爆の尊い犠牲者のおかげだと感謝しています。
核大国が核を使わないのは、もちろん報復攻撃が怖いというのが一番の理由だとは思いますが、それにしても、あの惨状を知った世界の指導者が、核を使うことをためらう理由の一つになっていることは間違いないでしょう。
冷静に考えて、近い将来、核兵器が廃絶されることはあり得ないでしょう。
しかし少しづつでも核兵器を減らし、最終的には全廃し、その先には軍事力そのものが必要なくなることを、無理とは思いつつ、目指すべきでしょうねぇ。
その長い、あるいはあり得ない道のりを思うと、茫然とせざるを得ません。
昨夜は「告白」で大ベストセラーをとばした湊かなえのミステリーを読みました。
じつは「告白」は読んでいないのですが、映画で観て、非常な感銘を受けました。
告白 【DVD特別価格版】 [DVD] | |
松たか子,岡田将生,木村佳乃 | |
東宝 |
昨夜読んだのは二人の仲の良い女子高生の夏休みを描いたものです。
タイトルは、ずばり、「少女」。
ブログのタイトルは、作中小説の題名です。
この二人の他に、ほとんど登場しませんが、ミステリアスな転校生がからみ、物語は重層的でいくつもの仕掛けを隠し、あっと驚く内容になっています。
転校生は、前の学校で、親友の自殺に出くわします。
遺体の第一発見者になってしまったことにより、人の死ということに関し、愁いを帯びた口調で語ります。
それを聞いた二人は、猛烈に人の死に、それも死ぬ瞬間に立ち会いたいと願います。
夏休み中、一人は老人ホームでボランティア活動をし、一人が読み聞かせのボランティアで訪れた病院で難病の少年と知り合い、交流を深めます。
その中に恋愛めいたスパイスを効かせつつ、誰もが一癖も二癖もある人物であるということが分かり、終盤、予想もしなかった展開を見せます。
もちろん、中心となるのは、人の死にどう立ち会うか、ということ。
で、楽しめたかと言うと、中ぐらい、というのが正直なところです。
緻密で豊穣な物語を構想する能力と、美しい日本語を紡ぎ出す能力は、根本的に異なるものなのだということを実感させられました。
要するに、文章が不味いのです。
なんだか粗筋を追っているような気分になりました。
これほど才能豊かな人に、優れた筆力は無用の長物ということでしょうか。
天はニ物を与えず、と言いますからねぇ。
少女 (双葉文庫) | |
湊 かなえ | |
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今日も暑い中、だらだら仕事。
どうもやる気がわきません。
もっともこの23年と数か月、やる気に満ちていたことなどただの一度もありませんが。
それにしても今年の暑さ、尋常ではありませんねぇ。
体力を消耗すること著しい。
かつて太平洋の島々で、ジャングルのなか、酷暑に耐えながら戦った兵隊さん、敵も味方も双方に頭が下がります。
8月はやたらと感情的な戦争の番組が流れて不愉快です。
特に今年は戦後70年とかで、よけいひどいように思います。
風化させてはいけないと言いますが、時の流れとともに風化するのは当たり前のことで、風化を怖れたって無駄なことです。
必ず風化するし、現にしています。
応仁の乱が悲惨だったからとか、後三年の役がひどかったからと言う理由で今現在の危機を避けることはできません。
自然災害だって殺し合いだって、避けがたく起きてしまうものです。
もちろんそれを避ける努力は必要ですが、その努力は、自然災害であれば訓練や防災対策に、殺し合いであれば利害の調整に向けられるべきで、過去の出来事の悲惨さを訴えることは、まったく意味をなしません。
マスコミには冷静というより冷酷なくらいに、過去の出来事をとらえ、今後のわが国の行く末を考えて報道してほしいものです。
昨日は同居人が退院のため、休暇を取りました。
9時半から手続きを始めて病院を出たのが10時40分。
同居人は背中をかがめて、すり足でしか歩けません。
姿勢の悪い能楽師のようです。
昼、行きつけのイタリアンでお祝いしました。
私だけ、昼から生ビールを飲みました。
同居人はサラダとパスタと飲み物のセットを頼みましたが、完食はならず。
体力も相当落ちているようです。
8月いっぱいは自宅療養ですので、少しづつ、回復してくれれば良いと思っています。
私は仕事。
夏なのに変に忙しくて参ります。
昨夜は冷酒をちびちびやりながら、デブで幼児のように天真爛漫な精神科医、ドクター伊良部が活躍する、「空中ブランコ」を楽しみました。
空中ブランコ (文春文庫) | |
奥田 英朗 | |
文藝春秋 |
以前読んだ「イン・ザ・プール」の続編です。
イン・ザ・プール (文春文庫) | |
奥田 英朗 | |
文藝春秋 |
伊良部総合病院の跡取り息子、伊良部先生は一風変わった精神科医。
総合病院の暗い地下の診察室で、患者を待ち構えています。
患者が来ると、まずはビタミン注射。
打つのはミニスカートに胸の開いた白衣を着たクールなナース。
伊良部医師、注射を打つのを観るのが大好きな注射フェチなのです。
某サーカスで空中ブランコのエースを張っていた男が、失敗を積み重ねるのを苦に来診したり、ゴールデングラブ賞の常連の名野手が暴投ばかりするのに苦しんだり、恋愛小説のカリスマが創作に悩んだり、それぞれに深刻な悩みを抱えて伊良部先生の元を訪れますが、伊良部先生は能天気。
しかし逆説的な方法で結局は解決してしまうところをみると、伊良部先生は名医なのかもしれません。
ユーモア小説とはかくあるべし、というような、愉快な短編集です。
自分の悩みは深刻でも、他人の苦しみは滑稽ということでしょうか。
最近お気に入りの奥田英朗の小説を読みました。
「最悪」です。
最悪 (講談社文庫) | |
奥田 英朗 | |
講談社 |
町工場の社長、20歳のチンピラ、銀行に勤めるOLの3人の物語が交互に綴られ、大団円に向かって一つの事件に繋がっていくというミステリーです。
この作者、ユーモア小説からミステリーまで、幅広い守備範囲をお持ちで、しかも読みやすい文体で豊かなストーリーを紡ぎだせる稀有な才能をお持ちのようです。
誠に羨ましいかぎりです。
かつて小説家を目指していた私は、長いこと古典以外の小説を読むことが出来ませんでした。
嫉妬してしまうからです。
しかし長い精神障害のトンネルを抜けて、やっと素直に現代の優れた小説を楽しむ心の余裕ができました。
それは多分、諦めなんていう生易しいものではなく、私の人生が精神的に大きな転換を迎えたためだろうと思っています。
精神障害に対する差別はなお根強く、この先職場で出世する見込みはなく、小説家目指して大博打を仕掛けるタイミングはとうに失いました。
客観的には、堅い仕事に就いて、結婚もし、マンションも買いと、望む物は全て手に入れたように見えるかもしれません。
しかし主観的には、私はあらゆる物を失って、わずかに残った物にしがみついて生きているように感じています。
精神の大転換とは、わずかに残った物にしがみつくことに、わずかな幸福を感じるようになったことです。
それはおそらく、私の精神上の防衛機制が働いたためと思います。
そうでなければ、私の精神はとっくに崩壊していたことでしょう。
その危機は何度もあったと言えます。
危機を乗り越えた先の地平に見えたものが、小市民的幸福であったとは、まことに喜劇的なことで、私には笑うことはできず、ただ、嗤うのみです。
今日は朝から三ヶ月に一度の視野検査でした。
眼圧を下げる目薬が効いているようで、緑内障は進行していませんでした。
まずは安堵。
午後は入院中の同居人のお見舞いに行きました。
手術して3日目、ようやっと、点滴が外れ、なるべく歩いたほうが良いとのことで、院内を歩きました。
歩くといっても、まだ傷口が痛むらしく、牛歩の歩みでしたが。
早くもあさってには退院し、自宅療養にうつります。
帰路、ガソリンスタンドに寄って給油し、ついでに洗車機をかけました。
洗車後、水滴をタオルでふき取る作業をしていたら、どっと汗が噴き出しました。
今年の暑さは尋常ではありません。
帰るなり、水のシャワーを浴びました。
今時分は水道の水もぬるいようで、いっそお湯よりも心地よく感じたところをみると、普段汗をかかないしわ寄せが出ているようです。
少し運動でもしましょうか。
私が運動なんて、我ながら笑っちゃいますが。
蛤と風味がそっくりで、蛤よりも格段に安くて大きいというビノス貝なるものを購入しましたので、酒蒸しを作って見ようかと思います。
ヤリイカの刺身も買ったので、一人晩酌を楽しむといたしましょう。
盛夏、独りで杯をかたむけるのも悪くありますまい。