ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

神鳴の

2015年08月10日 | 文学

  朝から大気の状態が不安定なようで、雨が降ったりやんだり。
 さっきからは雷が鳴っています。
 夏らしいといえば夏らしい天気です。

 神鳴の わづかに鳴れば 唐茄子の 臍とられじ と葉隠れて居り

 正岡子規の和歌です。
 雷を神鳴と表現しています。
 唐茄子とは、かぼちゃのこと。

 雷がわずかに鳴っただけで、庭のかぼちゃがへそをとられまいと葉に隠れた、というユーモラスな和歌です。 
 「竹乃里歌」という歌集に見られますが、上の歌の後に、

  神鳴の 鳴らす八鼓(やつづみ)ことごとく 敲き(たたき)やぶりて 雨晴れにけり

 という和歌が見られます。 
 こちらは解釈の必要はありますまい。
 字義どおり、力強くて神話的な趣を感じさせます。

子規歌集 (岩波文庫)
土屋 文明
岩波書店

 

竹乃里歌―正岡子規全歌集
土屋 文明,五味 保義
岩波書店

 病床にあっても、正岡子規は季節の移ろいを感じつつ、時にユーモラスに、時に力強く季節を切り取ってみせました。
 その執念はどこから来たのでしょうね。

 季節感を何より大切にするわが国の詩歌の世界は、地球温暖化や異常気象、また冷暖房の普及によって、もはやこの世のものでは無いような感すら覚えます。
 これを時代の進化、あるいは変化として歓迎すべきなのか、あるいは失われた世界にノスタルジーを覚えるべきなのか、私には分かりません。

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眠り姫

2015年08月10日 | その他

  同居人の術後の経過が思わしくありません。
 そろりそろりとではありますが、歩けていたのが、昨夜、右足が痛くて上がらないとかで、寝込んでしまいました。
 手術の影響なのか、どこかひねってしまったのか分かりませんが、とりあえず今朝病院に電話してみることを勧めました。

 何事もそう順調にはいかないものですね。

 SEKAI NO OWARI「眠り姫」という曲があります。
 恋人の寝顔を見ながら、このまま目を覚まさなかったらどうしようと、不吉な心配をする男を歌っています。



 私の今の心境はこんな感じです。
 子供もいませんし、実家に行けば母と兄家族、妹がいますが、私が家を出た20数年前に、もはや頼ってはいけない存在になってしまいました。
 それが独立するということなのだろうと思います。

 そうすると、私にとって同居人の存在はいかにも大きなものだと分かります。

 江藤淳が、あんな強面の発言を繰り返しながら、奥様が亡くなった後しばらくして、後を追うように自殺してしまったのも、なんとなく分かります。

 分かる自分が怖いですが。 

 同居人が眠り姫になってしまうことを怖れつつ、快方に向かうことを願ってやみません。

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