久しぶりに涼しい朝を迎え、午前中は窓を開けるだけで、冷房を使わずに済みました。
このくらいなら楽ですねぇ。
しかしお昼をいただく頃には太陽が顔をだし、私はそれを恨めしく眺めました。
せみ啼くや 行者の過る 午の刻
わが敬愛する与謝蕪村の句です。
セミがうるさく啼き騒ぐ真昼時、仏教だか修験道だか知りませんが、行者のいでたちの者が通り過ぎていくさまを詠んでいます。
カンカン照りの太陽、それをさえぎる物とて無い往来のイメージと、行者という言葉が醸し出す神秘的な要素、それに、いっそ不気味でさえあるセミの大音声が、逆に静けさを感じさせ、夏の陽射しにぼうっとなった頭が見せる幻のような、絵画的印象を感じさせる句です。
与謝蕪村は絵描きでもあり、句の多くが絵画的であることを思えば、当然なのかもしれません。
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蕪村句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) |
玉城 司 | |
角川学芸出版 |
近年の流行歌では、夏の恋を扱ったりして、夏休みとあいまって夏は楽しい季節であるかのように歌いますが、本来日本人にとって夏は過酷な季節であり、おそらくは疾病に罹る者や亡くなる者が多かった、死の季節であったろうと推測します。
そのような時代背景を思う時、上の句の味わいは変わってくるでしょう。
夏を過酷な季節と捉えるのは西洋でも同じだったらしく、18世紀イタリア出身のビバルディ作曲による協奏曲「四季」では、「春」がいかにも軽やかで楽しげであるのに比べ、「夏」は気だるげで重々しい感じがします。
「春」は誰もが知っていると思いますが、「夏」は聴いたことが無い、という方もいらっしゃいましょう。
「夏」を貼っておきます。
私はクラシック音楽には疎いですが、なんでも通の間では「夏」の人気が高いとか。
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ヴィヴァルディ:協奏曲集 |
ヴィヴァルディ,アルビノーニ,カラヤン(ヘルベルト・フォン),ジャゾット,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,シュヴァルベ(ミシェル),マイヤー(ヴォルフガング),ブランディス(トマス),マース(エミール),ボルヴィツキー(オトマール) | |
ユニバーサル ミュージック クラシック |
今朝は、ビバルディの「春」のような快適さを感じましたが、午後にはいかにもだるい「夏」を感じさせられました。
夏は冬に比べて儚いものですから、暑い暑いと不平を言わず、蕪村の句やビバルディの曲でも聴いて、やり過ごしたいものだと思います。