ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

せみ啼くや

2015年08月08日 | 文学

 久しぶりに涼しい朝を迎え、午前中は窓を開けるだけで、冷房を使わずに済みました。
 このくらいなら楽ですねぇ。

 しかしお昼をいただく頃には太陽が顔をだし、私はそれを恨めしく眺めました。

 せみ啼くや 行者の過る 午の刻

 わが敬愛する与謝蕪村の句です。

 セミがうるさく啼き騒ぐ真昼時、仏教だか修験道だか知りませんが、行者のいでたちの者が通り過ぎていくさまを詠んでいます。

 カンカン照りの太陽、それをさえぎる物とて無い往来のイメージと、行者という言葉が醸し出す神秘的な要素、それに、いっそ不気味でさえあるセミの大音声が、逆に静けさを感じさせ、夏の陽射しにぼうっとなった頭が見せる幻のような、絵画的印象を感じさせる句です。

 与謝蕪村は絵描きでもあり、句の多くが絵画的であることを思えば、当然なのかもしれません。

蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
玉城 司
角川学芸出版

 近年の流行歌では、夏の恋を扱ったりして、夏休みとあいまって夏は楽しい季節であるかのように歌いますが、本来日本人にとって夏は過酷な季節であり、おそらくは疾病に罹る者や亡くなる者が多かった、死の季節であったろうと推測します。

 そのような時代背景を思う時、上の句の味わいは変わってくるでしょう。

 夏を過酷な季節と捉えるのは西洋でも同じだったらしく、18世紀イタリア出身のビバルディ作曲による協奏曲「四季」では、「春」がいかにも軽やかで楽しげであるのに比べ、「夏」は気だるげで重々しい感じがします。

 「春」は誰もが知っていると思いますが、「夏」は聴いたことが無い、という方もいらっしゃいましょう。
 「夏」を貼っておきます。
 私はクラシック音楽には疎いですが、なんでも通の間では「夏」の人気が高いとか。

ヴィヴァルディ:協奏曲集
ヴィヴァルディ,アルビノーニ,カラヤン(ヘルベルト・フォン),ジャゾット,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,シュヴァルベ(ミシェル),マイヤー(ヴォルフガング),ブランディス(トマス),マース(エミール),ボルヴィツキー(オトマール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

 今朝は、ビバルディの「春」のような快適さを感じましたが、午後にはいかにもだるい「夏」を感じさせられました。

 夏は冬に比べて儚いものですから、暑い暑いと不平を言わず、蕪村の句やビバルディの曲でも聴いて、やり過ごしたいものだと思います。

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