北海道浦河町にべてるの家という統合失調症患者のグループホームがあるそうです。
ここでは昆布の加工生産などにより自立を図るとともに社会進出を果たすことを目的としています。
ここのルールが面白いのです。
三度の飯よりミーティングを合言葉に、何かというと当事者同士が話し合いをするそうです。
さらに、幻覚を幻覚ちゃんと呼んで擬人化し、自分の幻覚をミーティングで話したりして、客観視しようとします。
また、当事者が自分特有の診断名を付けるというのです。
統合失調症全力疾走型とか、子供返り幻聴症とか、実に様々です。
これもまた、自分の症状を客観視し、症状へのとらわれから逃れようとする術のようです。
面白いことに、べてるの家がNHKなどで取り上げられて有名になると、浦河町はこれを町おこしに利用しようと考えたらしく、幻覚&妄想大会なるイベントを開き、当事者に自分が感じている幻覚や妄想を語らせて盛り上がるという、一歩間違えれば悪趣味とも言うべきやり方でますます有名になっているとか。
精神障害者に対しては、長く差別と隔離ということが政策として行われてきました。
これは洋の東西を問わないものと思います。
その後、障害者は保護されながら一般社会で生きるようにしよう、ということが主流になり、最近ではできるだけ自立しよう、ということになっています。
私は精神障害者の自助グループに参加し、うつ病、躁うつ病、統合失調症、パニック障害、神経症、リストカットなど、多くの障害を持つ人と出会いました。
閉鎖病棟に入院した経験を持つ人もいました。
しかし、ドラマや映画で描かれるような、いわゆる「狂人」という感じの人は一人もいませんでしたね。
そういう人はそもそも自助グループに出席できないのかもしれませんが。
仕事を探している人、「職業は病人」と言って障害者年金で生きることを決めた人、変わったところでは、精神障害者によるNPO法人を立ち上げようと尽力している人もいました。
べてるの家は、精神障害をよく知らない人から見たら信じられないほど高い能力を持った当事者たちに、病気と付き合いながら社会貢献するとともに、経済的に自立する道を模索しているもので、自立よりさらに進んで病んだ社会を病んだ当事者が回復させよう、というあまりに大きな目標を掲げています。
意義のある事業だと思います。
しかし私は、べてるの家でも適応できなかった当事者のことを思わずにはいられません。
一年前私がお世話になった障害者職業センターのリワーク・プログラムでも、適応できずにすぐに止めてしまう人がいました。
不良少年の更生でもそうですが、更生施設でもどうにもならない人が必ずいるものです。
私はむしろ、そういった小さな集まりでしかない、しかし組織でもある集団からもはみだしてしまうような人々に、どのような支援が可能か、ということに関心があります。
もっともどんな施設でも、精神科医でも、当事者が出向くか、家族が無理やり引っ張っていくかしない限り、救いの手を差し伸べられないというのは厳然たる事実です。
権利の上にあぐらをかく者は保護しない、という法理が、社会的弱者である各種障害者にも適用されるのは、悲しいことです。
べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ・ケアをひらく) | |
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治りませんように――べてるの家のいま | |
斉藤 道雄 | |
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「べてるの家」から吹く風 | |
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