「悩み」というのは、本当にあるのでしょうか。もしかしたら「有る」と思い込んでいるだけなのかもしれない。もちろん本人にとって深刻な問題なのだから、それは「有る」としか言いようがない。しかしそれは、「何か」ではあるが、「悩み」かどうかは分からない。
「キチンと立つ」練習をすると、たとえその前に「悩み」のようなものがあったとしても、気にならなくなる。身心が整うことで、現状が肯定されるからです。そのときに「悩み」がなくなったのかといえば、そうではなく、探せば「有る」のです。「悩み」と呼んでいたものの形は「有る」けれど、(質が変わったので)気にならなくなる。
自分だけではどう仕様もないような大変な「悩み」であれば、カウンセラーのような専門家や周りの人の力を借りるのもよいと思います。しかし私たちが「悩み」だと思っていることの大半は日常の些細なことです。その「悩み」を大きくするのも小さくするのも自分次第です。私の場合は「悩み」そのものには直接触れず、「キチンと立つ」ことをします。まず自分をニュートラルな状態にすることで、「悩み」を気にならなくします(悩み本来の大きさを知ることができます。過敏のときには大きく感じます)。後はそのまま放っておいてもいいし、必要であれば解決の方法を考えてもいい。
「キチンと立つ」練習をすると、たとえその前に「悩み」のようなものがあったとしても、気にならなくなる。身心が整うことで、現状が肯定されるからです。そのときに「悩み」がなくなったのかといえば、そうではなく、探せば「有る」のです。「悩み」と呼んでいたものの形は「有る」けれど、(質が変わったので)気にならなくなる。
自分だけではどう仕様もないような大変な「悩み」であれば、カウンセラーのような専門家や周りの人の力を借りるのもよいと思います。しかし私たちが「悩み」だと思っていることの大半は日常の些細なことです。その「悩み」を大きくするのも小さくするのも自分次第です。私の場合は「悩み」そのものには直接触れず、「キチンと立つ」ことをします。まず自分をニュートラルな状態にすることで、「悩み」を気にならなくします(悩み本来の大きさを知ることができます。過敏のときには大きく感じます)。後はそのまま放っておいてもいいし、必要であれば解決の方法を考えてもいい。