20代の頃、自分で作った歌を録音して聴いてみると、なんとも言えない感じがした。それは自分の声を客観的に聴いたからではなく、また下手だからというわけでもない。同様に、中国語を録音して聴いてみても変な感じがした。そのときには分からなかったのだが、「力」が入っていたのである。無意識に余分な「力」を入れていた。
日常生活では少しくらい力が入っていても支障はなく、力が入っていることに気がつくことは稀だ。しかし力が入っていると、各方面において実力を発揮することができない。惜しいことである(20代の私に力の抜き方を教えてあげたい)。
「力が入っている」ということは、本来の身心の状態ではないのだから「自分らしくない」ということができる。それが慢性になったり過ぎれば、正常な思考・判断ができずに、好きでもない仕事をしたり、不本意な生活をしかねない。
力の抜けた身心の状態が「本来の自分」なのである。私は「本来の自分」からの「ズレ」を調整するために「キチンと立つ」ことをしている。
余談。一昨日、今季4回目の鮎釣りで初の「つ抜け(10匹超)」。初心者の域を抜け出せず、下手さを自覚しているから、数匹釣れるだけでも本当にうれしいのである。
日常生活では少しくらい力が入っていても支障はなく、力が入っていることに気がつくことは稀だ。しかし力が入っていると、各方面において実力を発揮することができない。惜しいことである(20代の私に力の抜き方を教えてあげたい)。
「力が入っている」ということは、本来の身心の状態ではないのだから「自分らしくない」ということができる。それが慢性になったり過ぎれば、正常な思考・判断ができずに、好きでもない仕事をしたり、不本意な生活をしかねない。
力の抜けた身心の状態が「本来の自分」なのである。私は「本来の自分」からの「ズレ」を調整するために「キチンと立つ」ことをしている。
余談。一昨日、今季4回目の鮎釣りで初の「つ抜け(10匹超)」。初心者の域を抜け出せず、下手さを自覚しているから、数匹釣れるだけでも本当にうれしいのである。