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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

太極拳と腕

2011-10-19 17:20:01 | 太極拳

 太極拳が上手くできない理由のひとつは、「腕」への意識が強すぎることにある。型(套路)を腕の動きで憶えている人は、腕を使わなければ動作を想い出すことができない。私の教室では腕を使わない練習もする。両腕を垂らして、歩行だけで型をする。或いは片手を丹田に付け、もう一方の手を胸に付けて、練習する。そうすることで「腕」以外の場所への意識が育つ。

 「腕」には「自我」が入ると、私は常々思っている。「上手く型をやりたい」、「人に綺麗だと思われたい」、「良い成績を取りたい」などと思うだけで腕には力が入り、バランスを失った太極拳になる。腕に力が入るのは、感情的なことだけでは無い。例えば腕を前に出す動作の時に、「前」という意識だけしか持たなければ、前方向に力が偏ってしまう。そこで後方への意識、上下、左右の意識を同時に持つことで、力の方向は分散し、直線的な力から、立体的な全方向への力へと変わる。

 イメージに身体の動きを合わせるのは、例えば上下の意識であれば、丹田の上下運動に合わせる(当然胸も上下する)。左右の意識は股関節の開合に合わせる(当然胸や膝も開合する)。


魂を形にする・・・円空の魅力2

2009-10-09 10:19:02 | 太極拳

 「仏造って魂入れず」という言葉があるが、円空の作品には魂が入っている。現代の仏師が外見的には瓜二つの円空仏を彫ったとしても、、円空のそれにはならない。形だけを真似てみても、魂が入っていなければ軽い。

 太極拳も良く似ている。教科書通りの姿勢を作ることは、少しやればできるようになる。しかし姿勢(形)だけでは足りないものがある。

 魂は抽象的ではあるが、具現もできる。円空は仏道の修行を通して、優れた身体感覚を身に付けたのではなかろうか。人が感情によって微妙に変わる姿勢や表情などの違いを見分けられたのではなかろうか。それを忠実に木の上に再現したので、どこまでも慈悲深い表情や、どっしりと包容力のある姿勢を創りだせたのではないか。


山は動いている

2008-03-07 19:59:35 | 太極拳

 毎朝、山中にある(といってもそんな高い山ではありませんが)近くの神社で太極拳をしています。毎日同じところに行くのですが、全然飽きるということがありません。家の中で練習すると、疲れ易いですし、長い時間できないこともあります。これはおそらく刺激の問題だと思っています。家の中の物は、壁にしても、鏡にしても、箪笥にしても動きません。動かないものは、不自然で刺激的ではありません。それが外に行くと、まず音がします。木の葉が風に揺れる音、鳥が飛び立つ音・・・音がするということは、映像としても動いています。私も動くし、風も強弱を変えながら皮膚に当たります。意識するしないにかかわらず・・・それらはすべて私にとって心地良い刺激になっています。