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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

ある日のギター弾き語り③・・・オフコース

2015-07-17 07:49:03 | 音楽
 中学の時、友人Rにオフコースのテープをもらい、良く聴いていた。「Yes No」のイントロや「SAVE THE LOVE」の冒頭のカッコよさにしびれた。それから数年たって少し成長したRと私は「秋の気配」のもの悲しさに魅かれるようになった。しかしその時はまだ他人事のようにこの失恋ソングを聴いていたのだが…

 昨晩弾き語ったのは以下の通り。

僕の贈りもの
でももう花はいらない
ワインの匂い
秋の気配
時に愛は
Yes No
愛の中へ
ロンド
YES‐YES‐YES
夏の終り

 オフコースの歌は唄いづらい。何時、どの歌を唄っても「できた!」と満足することはない。それはキーの問題だけではなく、メロディや歌詞が私(私の作るもの・感性)とは似ていない(合わない)からかもしれない。




ある日のギター弾き語り②・・・浜田省吾

2015-07-03 13:41:53 | 音楽
 二十歳の時、ラジオから流れる「片想い」を聴いてから、浜田省吾のCDを聴いたりギターで歌ったりした。当時(20~22歳)朝から晩まで働いていた私は「汗まみれ 1日10時間 働きどおしで 疲れ果てていた(パーキングメーターに気をつけろ!)」に共鳴し、いつかは素敵な女性に「この週末の夜は おれにくれないか たとえ最初で最後の夜でも(もうひとつの土曜日)」と言う夢を見て、「どんなに 遠くても たどり着いてみせる 石のような孤独を道連れに 空とこの道 出会う場所へ(家路)」を仕事に行く前に聴いて、気持を奮い立たせていた。

昨晩・弾き語ったのは以下の通り。

パーキングメーターに気をつけろ!
DANCE
SNOWBOUND PARTY
MIDNIGHT FLIGHT
AMERICA
19のままさ
こんな夜はI MISS YOU
もう一つの土曜日
路地裏の少年
家路
愛しい人へ


「路地裏の少年」は特に好きな歌ではなかったが、数年前に唄ってみたら、詩と曲がやけに心に沁みた。
 
 「赤茶けた 工場の高い壁に 倒れかけた帰り道 
  家を出て 初めて故郷の母に 『元気です』と書いた手紙
  恋に落ちて戸惑う 熱の中で いつしか二人で過ごす夜毎に」
 
 仕事で倒れそうになったのは、ホテルニューオータニでパーティーがあった「あの時」だけである。途中で会場を出た時に、眼の前が真っ暗になり、扉の横にいたボーイが、咄嗟にからだを受け止めてくれた…
 「路地裏の少年」が、あの頃を思い出したのだろうか。








ある日のギター弾き語り 曲目・・・長渕剛

2015-06-21 10:31:45 | 音楽
 2週間前に長渕剛の「素顔」について書いたことがアタマに残っていたのか、一昨夜は長渕の歌だけをギターで弾き語りした。演奏曲目は以下の通り。

いつものより道もどり道
訣別
君は雨の日に
風は南から
友への手紙
祈り
逆流
もう一人の俺
プライベート
暗闇の中の言葉
二人歩記
しゃぼん玉

 長渕を聴いていたのは高校生の時から20代前半までの数年間。ギターを始めたときに良く唄っていた。
中国に居たときに「友への手紙」の歌詞「まるめた背中で灯をともしてみれば お前の写真が 帰って来いと笑う」を聴いて日本への郷愁を感じ、「プライベート」の「君のすずらんの香りに~」を聴いて、すずらんに鼻を近づけた。
「しゃぼん玉」は失恋の悲しさや恋した喜びを伝えるようなラブソングでは無く、自己の内面と対話した歌である。
「一人でいることの 後悔ばかりを あいつのせいに するのはもうやめよう」
「雲にかくれた 満月の月に あいつのすべてを 許してしまおう」
 最後に感情を昇華させる。
「静かにとんで 消えて行った いつかの しゃぼん玉のようさ」

 当時、感情を思うようにできなかった私はこの歌を聴いて、長渕(大人)はそんなことができるのかと思った。それから数十年経った今、私は多少のココロのコントロールはできるようにはなったが、大きな出来事があればココロが揺れるだろう。その時に歌よりは、活字の中に救いを求めるだろう。もちろんそこに救いがないことも知っているのだが、何かのヒントをそこに探すのだ。最後は自分の中から出て来る「答え」を最終とする。
 長渕の歌は、今の私にとって思想的に影響を受けるものではないが、たまに唄いたくなるのは、青春のほろ苦さを思い出したいのかも知れない。





名曲を勝手に解釈する⑯

2015-06-06 09:21:21 | 音楽
 ギターを始めたのは、18歳で中国・厦門に留学した時である。同じ留学生仲間のGちゃんに教えてもらった。長渕剛は、高校生の時に良く聴いていて、中でも「素顔(アルバム『逆流』)」という地味な曲が好きだった。

「夜の顔を鏡で映せば なんて悲しい顔なの
強がりばかりで 素直になれない なんて悲しい顔なの」

女の気持ちを男・長渕が静かに唄う。
女は自分のことを良く知っている。今の自分は、昔のような素直な自分ではないことを。

「こんな私のどこが好きなの なぜにそんなにやさしいの
私がかわいそうに見えるから それともなつかしく思えたから」

自分でも自分のことが好きではないのに、なぜあなたは私にやさしくするのだろうか。

「気まぐれだったら やめてちょうだい 本気で好きになりそうだから
あなたの前ではきれいでいたいし かわいい女でいたいの
厚化粧は嫌いでしょう でも今の私 昔の私じゃないから」

私は本気でしか人を好きになることができない。昔の私だったらすべてを出し(晒し)て好きになることができたが、今の私にはできない。



「『私は いつも 嘘をついてきたわ!』お前はいつもそう言うけれど
けして それは裏切りじゃないんだし そこまで自分を責める事もないさ」

男には女のすべてを引き受ける覚悟がある。だからたとえどんな「嘘」でも「裏切り」にはならないのだ。

「お前の素顔がきれいだったからこそ あの時手鏡おくったんだ
お前の過去を化粧でかくすためじゃなく 素直な心を映せばいい」
 
男は、化粧の下に隠された女の素顔を見ることができる。強がりの中にある素直な心を聞くことができる。

「さあ化粧を落としたら髪をとかして このまま静かに眠ろう」

男はこれからも女に寄り添い、女が自ら化粧を落とし、素直な自分に戻れるよう、励ましていくことだろう。

 
 東京郊外・青梅線の中神駅、線路沿いにある居酒屋「美奈」には良く行った。気のいいマスターとママがいて、くつろいだ。店の壁にギターが掛けてあり、そこで弾き語りしたのが、この「素顔」である。

 歌集は留学中に、日本から送ってもらったもの。アルバム「乾杯」の中の曲はすべて弾き語れる(下手だが)。




名曲を勝手に解釈する⑮

2014-09-19 08:44:32 | 音楽

 谷山浩子の「カントリーガール」は定番のストーリーだが、4番まである「さび」が全く変わらないことが、変わって行く少女のココロを浮かび上がらしている。

 「にぎやかな都会の景色は 変わる万華鏡」

 「いつでもきみを驚かせる 七色プリズム」

 「都会の景色」が変わっていくのではなく、自分のココロが変わっていく。万華鏡の絵柄が変わるのも、プリズムの光線の色が変わるのも、自分の観方によって変わっていくのだが、本人(彼女)は、そうは思ってはいない。

 「おふるのスカートはじらうよう」な人は、往々にして

 「長い煙草を きざにくわえた 若い男」のことを追いかけ、

 「たった七日目」に捨てられるのだ。

 

 この歌の主人公は、

「はじめから終わりまで きみを見ていた」

「真赤なルージュ そっとひいてみて すぐにふきとったのも」

彼女が恋をしてウキウキしているときも嫉妬することもなく、捨てられることがわかっていても、何の助言もすることもなく見守っていた男が、最後になってようやく登場する。

「ぼくが書いた あの手紙の言葉をもう一度きみに贈ろう」

ここで初めて1番の歌詞は、実は彼が書いたのだということがわかる。

4番まであるこの歌のさびはすべて同じである。

「カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える

カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする 好きだよ」

すべて同じ歌詞を並べたわけは意味の強調ではなく、彼女が、ココロの成長と共にどのように受け止め方が変わっていくのかという定点観測である。

1番では、主人公にそう言われても彼女のココロには響いていなかったが、4番になって初めてそれがわかるようになる(歌詞には具体的には書かれていないが)。もちろんそれは2番・3番の経験によって、彼女の感受性が変わったからである。

4番が1~3番までと違って力強く歌い、演奏されているのは、彼女のココロに迷いがなくなったことを現わしている。

 傷つかないと大人になれないのは、少女だけではないだろう。