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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

膝痛の経過を眺める

2013-06-07 19:59:15 | 気気

 3月の気気の会(24日)の時に、右膝を痛めた。長い時間正坐をして、立ち上がった時に、「ブチッ」と何かが切れるような音(?)がした。始めは大した痛みではなかったが、駅に向かう時には右膝に違和感があり、電車を降りて帰宅する時には、足を引きずらなければならなかった。

 翌日が一番大変で、朝いつものように山道を下ろうとするのだが、真っ直ぐに足を踏み出すことができない。身体を横にして、蟹のように進まざるを得なかった。電車に座って立ち上がる時や喫茶店で珈琲を飲んで立ち上がる時が、いつものようにスムーズに行かない。

 その日の夕方、教室の前に和式トイレにしゃがむと、スーッと楽になった。恐らくその「姿勢を取る」ことが、固くなった膝の裏からふくらはぎを柔らかくしたのだろう。しかしそれは根本の解決にはならない。「操体法」や膝痛に効くと言われている「操法」を幾つか試みたが、さほど変わらなかったのは、痛めた処が表面の筋肉ではなかったからであろう。

 結局、私がしたことは、全身に「気を通す」ということだけである。それは野口整体の「脊髄行気法」を全身で行なうようなもので、気功法のイメージ(意守)で気を導く(流す)やり方に近いかも知れない。

 痛みは、3日目くらいに半減したが、しゃがむ動作ができない。夜中(2時か3時位)に何度も激痛が起こり、目が覚めた。そういう状態が2週間くらい続き、眠れないこともあった。

 それから1ヶ月半がたち、70%くらい回復したと実感していた矢先、5月17日(金)から再び痛み出した(夜中の激痛も復活)。原因を考えてみると、

①前日(木曜日)に友人と酒をのんだ。4時間程ほぼ同じ姿勢でいた。

②数日前から正坐の時間を伸ばした。違和感があっても続けていた。

 それから現在(6月7日)まで、再び70%くらいまで回復した。

 

 私は今まで、膝を痛めたことは一度もなかった。今回初めて膝痛になり、その痛みを知ることとなった。

 深夜に膝が痛むのは、寝ている間に「彼ら」が仕事をしてくれているからだ。「彼ら」とは、血液であり、筋肉であり、神経であり・・・からだの全部のことである。私は「彼ら」のハタラキを全面的に信頼している。からだは、私以上に私のことをよく知り、その時々で最上の答えを出す。「最上」とは、自然の理に適っているということであり、人(個人の思惑)にとって一番良い答えではないことも多々ある。それでも「彼ら」の出した答えを、尊重し受け容れたいと思っている。

 「彼ら」の仕事が順調に行くように、最低限の準備をする。余分な緊張を、脳や筋肉にかけないようにしている。


「気気」は「海」

2010-10-16 13:29:16 | 気気

 中村雅俊に「海を抱きしめて」という歌がある。中学生の頃観ていたテレビドラマ「夕日が丘の総理大臣」のエンディングテーマに使われていた。一番の歌詞(作詞:山川啓介)を引用させて頂く。

 生まれて来なければ よかったなんて 心がつぶやく日は

 人ごみに背を向け 会いに行くのさ なつかしい海に

 幼な児よりも ひたむきに 遠い名前を叫んで

 汗ばむ心 潮風が 洗うにまかせれば

 いつのまにか 生きることが また好きになる ぼくだよ

 この歌の中の「海」の存在は、「気気」の存在と近い。悩んだときに「海」に来て静かに坐っていると、いつのまにかリセットされて、現実に向かう力が湧いてくる。悩み事を誰かに相談してアドバイスをもらわなくても、問題を理論的に解決しなくても、ただ「海」に来ればいい。気気も「ただ手をあてる」「ただ手をうける」、これでいい。


年に2回は読みたくなる「老子」

2010-07-16 17:28:20 | 気気

ホームページに老子第35章と気気を書きました。ご関心のある方はどうぞ。

先日の「きのこ達」は、すでにその形を留めてはいない。在る者はなくなり、在る者は雨に打たれ、無残な姿に変貌した。彼らがキラキラと輝いていたのは、ほんの数日間に過ぎない。また来年の数日のために、彼らはどこかへ行ってしまった。