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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「次元(モノの見方)を変える」とは

2022-12-10 08:06:46 | 「立つ」健康法
 前回の記事で「次元を変える」という言葉を使いましたが、誤解されやすい言葉なので、少し補足します。「次元を変える」というと、なんだか四次元の世界や霊界に行くみたいに思われがちですが、そういうことではありません。モノの見方を変えることです。モノの見方は人によって違いますが、相対的に見るということでは共通しています。相対的ということは、モノを比較・分別することです。相対的な見方をするときには「モノがある」ということが前提になっているのですが、果たしてモノは本当にあるのでしょうか。もちろん常識や科学的な見方をすれば「ある」に決まっています。見たり触れたりできるものは「ある」と考えるのが普通です。しかしモノが個々に存在するためには、それぞれのモノに名前と本質(概念・意味)がなくてはなりません。私たちは個々のモノにはそれがあると当たり前のように認めているのですが、それを認めないという考え方もあるのです。老子の道や荘子の渾沌、禅の無やプロティノスの一者などには、モノが個々に分かれる前の状態があり、そこから見れば、モノには本質はなく、すべてがつながっているのです。このような見方が「次元(モード)を変える」ということです。しかし私たちが現実の世界で暮らすには、この次元が変わったところに居着くのではなく、再び現実の「分かれている世界」に戻らなければなりません。

 

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ネガティブな思考に対して②

2022-12-04 08:37:09 | 「立つ」健康法
 「自分を変えたい」と思う人は少なくないと思います。現状の自分に不満があって、そう思うのでしょう。「こうありたい」という理想の自分は、表情や姿勢など静的なものを含めて、その行動に対して思うものです。「行動」の前には必ず「意識(思考)」があり、それがネガティブであれば、行動もおのずとそうなります。そういうネガティブな思考を直接変えようとするのではなく、次元を変えた方法(ものを一つに見る)をすることで、結果的に身心が変わり、ネガティブ思考が変わってくるということは、前回お話ししました。
 この「次元を変える」ことを「気を整える」と言い換えることができます。気は単なるエネルギーではなくて、ココロを超えた次元のものです。気を整える方法として、気功や坐禅や瞑想などいろいろとありますが、「どれをやる」というよりも、「どのようにやる」という「やり方」が大事です。方法が間違っていては目的に到達することはできません。どの種目(手段)を選んだとしても、その最中には目的を離れて(放して)、快感を追い求めることなく、ただ淡々と自分の存在を薄めて、周りとの一体に近づいていくということに変わりはありません。それはいわゆる普通の身心の状態で感じる満足を目指してはいないということです。現状の身心の満足を求めることは、「気を整える」ことにはならず、「次元を変える」ことにはなりません(身心の快感があってはいけないのではなく、過程でそう感じることもあります。ただ最終目標としてそれを設定してしまうと、真に目指しているところに辿り着けないのです)。
 こうして気を整え、次元を変えた結果として、初めて変わる身心があります。それは自覚の有無にかかわらず、一番自分らしい状態です。それでもなおネガティブ思考が残ったとしても、それは仕方がないことだと思えるのです。ここで獲得した「自分らしい状態」には、ネガティブを抱えて生きていく力があるのですから。

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ネガティブな思考に対して

2022-11-26 09:44:12 | 「立つ」健康法
 ネガティブにものを考えやすいというのは、性格によるものもあるのでしょうが、それよりも習慣のような「癖」になっているからだと思っています。性格は変わりませんが、「癖」ならば修正できます。
 よく「ポジティブに考えればいい」という人もいますが、そう簡単にできることではありません。そもそもポジティブな考えは本当に良いのでしょうか。そう考えたからといって、必ずしも結果が伴うわけではありませんし、そうならなかった時に、かえって失望が大きくなるということもあります。たしかにポジティブな方が行動が伴うという利点はあるでしょうが、私はそれを無理にやろうとすることに、不自然さを感じます。結局ネガティブもポジティブも相対的な考え方の枠内です。マイナスに対してプラスをするという方法ですから。私がおすすめしたいのは、「絶対的」な考え方(見方)をすることです。プラス・マイナスとは別の次元のことをします。それはものを比較することなく「一つに見る」ということ。もちろん我々凡人が完全にそれを実現することは容易ではありませんが、そこへ向かうことだけでも、身心は変わります。カラダやココロが変わるのならば、試してみるのも良いかと思います。なぜ変わるのかは分かりませんが、おそらくそれは人の中のどこかに、「ものを一つに見る」という内容(遺伝子・要素のようなもの)が、あるからではないかと思っています。
 
 ネガティブなことを考えやすい癖に対して、「ものを一つに見る」という「新たな癖」を導入すること。具体的には、キチンと立ちながら、「ものを一つに見る」イメージをしていきます。それによって、ネガティブなことが、出づらくなります。自然に、無理なくそうなります。ですから、ときどき(多ければ多いほど良いのでしょうが)、そういう練習をして「新たな癖」をつけ、自分を立て直すとよいと思うのです。

 関心のある方は、「理想の立ち方を身につける会」にご参加ください。

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予約なしでも大丈夫です

2022-11-18 07:50:03 | 「立つ」健康法
 「理想の立ち方を身につける会」を、毎月東京の国立市で開催(次回は2022年12月11日)しています。事前に予約をしていただくようになっていますが、心身の状態が不安定などの事情がある場合など、予約なしで、当日直接会場にお越しいただいても構いません。
 先にある予定に対して、「構え」てしまうことが私にもあります。その予定をキチンとこなそうとして、身心共に準備をして疲れてしまうのです。アタマでは「気楽に参加すればいい」とわかっていても、そうできないから問題なのです。こういう場合には無理をせずに、予約をしなければ(取り消せば)いいのです。そうしてしまった後に、もし自分の不甲斐なさを責めたくなる気持ちがあった場合には、「今は行動できる心身の状態ではないんだ」と考えたらよいのです。実際、カラダが変われば「動きたくなる」ものです。カラダが変わってもやりたくならないのであれば、それは自分の求めているものではないということなのです。身心が揃った(ニュートラルになった)ときに、自分の本当の「欲」がわかります。

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自己流 気功「意守」の方法2

2022-11-03 16:02:41 | 「立つ」健康法
 前回の続きです。
 「命門」の次は「頸椎7番(首の一番下の大きい骨)」を意守(軽く集中)します。「頸椎7番」が大きすぎて意守しづらい人は「大椎(頸椎7番の下方)」を意守してもいいです。「命門」と「頸椎7番」を同時に意守すると、背中に芯が通ったような感じがします。命門だけでなくて、前回紹介した(丹田・湧泉)も同時に意守することができれば尚結構です。そうするとイメージ的には、丸イス(丹田・湧泉・命門のつながり)に「背もたれ(命門と頸椎7番のつながり)」が付いたような感じがします。
 次に「百会(ひゃくえ・頭頂部)」、「印堂(いんどう・眉間)」、「天突(てんとつ・左右の鎖骨の間)」と続きますが、この3つは、強く意守せず、ほんのり軽く意守します。それぞれを軽く意守したら、3つを同時に意守します。私(生徒たち)には経験がありませんが、本などによると、頸から頭にかけて無理に気を巡らそうとすると、「偏差(走火入魔)」という心身不調になることがあるといわれていますので、一応ご注意ください。
 次に「膻中(だんちゅう・両乳首の間)」。膻中に来ると温かさを感じます。先の3つがなんとなく宇宙的な冷たさがあるのに対して、膻中は大地というか土や草のような自然の温もりを感じます。
 最後に再び「丹田」に戻ります。丹田を意守したまま全身に意識を向けると、身心の状態が変わっていることに気がつきます。頭から足の裏までが、キチンとそろって(整って)いるのです。これが、練習の意味です。
 
 補足
 「丹田」というところは、意守しても手応えがないのですが、私はそれを肯定的に捉えています。丹田が人の感知できない不可知な場処であるならば、それは相対的な見方と絶対的な見方の両方が生まれ出る処であり、老子がいう「玄のまた玄」のような深い暗闇です。またそうであればこそ、万物あるいは「丹」という自家製の薬が生じる(自分で自分を整えることができる)のだと思うのです。

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