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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

名は『気』の上に乗ったもの

2020-12-06 08:32:24 | 「立つ」健康法
 おそらく人は普段、自分の『からだを一つ』だと感じてはいない。もちろん鏡で見れば一つだし、知識では一つだと知っている。しかしアタマで知っているのと、実感するのとでは全く違う。もし仮に『からだが一つ』だと実感出来たとすると、からだ各部の名称は、あくまでも『一つのからだ』のある部分を指す記号に過ぎず、いきなりパーツとしての頭や足という言葉は出ない。からだの上の方を頭と呼び、下の方を足という呼び方をしたくなる。
 上記はからだについての話だが、人について考えるならば、人と人をつないでいる(共通する)ものとして『気』を用いる(仮定する)とわかりやすい。『気』の上に人が乗っかっていると考えるのである。人が各地に点在しているのではなく、『気』という共有の上にあり、もっとも近いところを『私』と呼び、次に近いところを『あなた』と呼び・・・となる。
 

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想像すること

2020-11-27 09:20:05 | 「立つ」健康法
 ジョン・レノンは「想像してごらん」と言い、野口整体では「楽しい空想をしよう」と言う。いずれもイメージすることの力を信じ、その重要性を説いている。「想像すること」「空想すること」は、それをアタマでしただけでは何の力にもならないが、からだの変化がともなえば大きな力となり、行動の元になる。
 想像することが苦手な人は、意識とからだの連絡がうまくいかない人である。そういう人はアタマだけで生きてしまうから、大事なところでブレーキがかからず、やり過ぎてしまう。私のしている『立つ』練習は、意識とからだがつながっていること、それによってからだに生じる変化を感じ取ることができる。
 『イマジン』は歌詞を読むのではなく、からだで感じとるように聴きたい。

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水ではなく空気

2020-11-20 10:27:24 | 「立つ」健康法
 からだの中には水分が60%もあるというが、キチンと「立った」ときの実感としては、『水』よりも『空気』が入っている感じがする。腹式呼吸では、実際には腹の中に空気が入ることはないが、あたかも空気があるような気がする。それが全身を使った呼吸ならば、全身に空気が入っているように感じても不思議ではない。
 良い立ち方をすると、全身に空気が入っている感じがする。そのときに、からだの周りの空気に意識を向けてみると、その空気とからだの中の空気がとてもよく似ていることに気がつく。そのとき人は、「空気」という基準を採用しているのである。日常的な基準(物事を相対的に見る)を使えば、体内の空気と外の空気が同じわけがないのだが、空気(気)の基準を使えば、物は分かれず、一つになる。輪郭があったとしても、それは一枚の皮(或いは一本の線)でかろうじて分かれているに過ぎないのである。
 「自分(人)」と周りの「空気」との関係は、上記のように体内に「空気」を作る(設定する)ことで一体感が得られるが、「人」と「人」の関係はより難しくなる。
 

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「理想の立ち方を身に付ける会」の予定 2020年11月

2020-11-06 15:59:58 | 「立つ」健康法
 「絶望した」と言っている人は、本当に絶望しているのだろうか。望みが絶たれたのは、自分が唯一の世界だと思い込んでいる場所に於いてであり、「その他の場所」では無傷である。「その他の場所」はお花畑のユートピアではなく、普段と同じ景色である。しかし練習を通して身心の状態が変化すると、自分と周りの物物との関係が変化する。たとえば壁や窓、空気が自分とつながっているように感じる。これは普段とは180度違う意識(感覚)である。
 「立つ」練習を通して身心を変化させてから、あらためて「絶望」を眺めてみれば、違って観えるはずである。

「理想の立ち方を身につける会」を11月8日(日曜日)に開きます。関心のある方は是非ご参加ください。詳細はホームページをご覧ください。

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深いリラックスを得る

2020-10-31 09:32:31 | 「立つ」健康法
 駅から家まで、ふつうの道ではなく山道を通ることもある。山道の良さは、車が来ないこと。車が通る道では、たとえ車が通らなくても「車が来るかもしれない」と構えて(準備して)いるものだ。山ではそれが不用だから、リラックスできるのである。車に備えて何が悪いという人もいるだろうし、その程度の緊張で何か問題があるのかと思う人もいるだろう。しかし私は可能であるならば、よりリラックスできる方を求めてしまうタイプである。たとえわずかでも緊張をしながら歩くよりは、遠回りになったとしてもリラックス出来る方を選んでしまう。

 私は日々「立つ」練習をしているが、それ以上に深いリラックスを得られるものを知らない。瞑想や坐禅と共通するところもあるかも知れないが、ポイントは「意識」である。物の観方である。「立つ」練習は、現実から逃避してユートピアを目指すのではなく、現実の中で物の観方だけを変えるものである。それで充分である。私は何かを悟っているわけではなく凡人である。そんな凡人でも「立つ」練習で身心を整えることができる。

 関心のある方は、「理想の立ち方を身につける会」にご参加ください。

 
 
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