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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「ながら族」にはなれない

2019-02-16 09:24:18 | 
 先日生徒と話していて、「先生は【ながら族】ではないんですね」と言われた。考えたことはなかったが、そうかも知れない。食べながら(つまみながら)テレビを見ることはないし、携帯音楽プレーヤーも持っていない。誰かと食事をしながら話をすることもあるが、興味のほとんどは話にあり、料理に意識がいかないことも多々ある。そういえば数年前にホテルのバイキングで行われた同窓会では、話に夢中になって一皿しか食べなかったことに後になって気がついた。少々残念なこともあるが仕方がない。
 一つのことに「集中する」ということは、私にとって快感である。食事に関心が無いわけではなく、話の方に関心が行ってしまうのである。太極拳の教室でBGMとしていろいろな音楽をかけるが、レッスン中はほとんど耳に入って来ない。クラシックもストーンズもボブ・マリーも私にとっては同じなのである(生徒には時々太極拳にその音楽が合うとか合わないとか言われることがあるが)。
 酒を飲みながら音楽を聴くことがあるが、分析してみると、酒と音楽を同時に味わってはいない。音楽を楽しんでいる中で、酒を飲むときには(音楽を忘れて)、酒だけを味わっているのである。わずかな時間音楽から意識を放して、再び音楽に戻っているのである。これでも十分音楽を楽しむことができる。
 他の人は会話と料理、酒と音楽をどのようにこなしているのだろうか。意識を半々に分けて、それぞれに対する感覚を薄めることなく同時に楽しむことなどできるのだろうか。




水が切れる

2019-01-13 09:53:43 | 

所々で水が切れている
水の無い川を歩くと
不思議な気分に包まれる
数か月前 ここには青い水が流れ 魚が泳ぎ カモが浮いていた
数か月後 ここには青い水が流れ 似た魚が泳ぎ 似たカモが浮く 
生命の痕跡と萌芽が混在する道を
逆らって進む水はない


写真奥に見えるのは「南浅川橋」、多摩御陵の参道。  




今朝の夢

2018-12-28 19:53:36 | 
 明け方、うとうとしていると不思議な夢を観た。十数人いた登場人物はどれも知らない顔だった。最初の夢は和室に居た。隣の部屋との間には段差があり、そこにある窓の枠のような処から顔を出すと、小太りで気の強そうな女性が、一本タバコを差し出した。細くて長いそのタバコは美味しくなかった。
 次の夢は、中国へ留学する夢である。荷物を持って鉄の外付け階段を登ると廊下に出た。そこにいた人のよさそうな外国人留学生と中国語で話すと、彼は「気」の勉強をしていると言って、太極拳の「単鞭」の型を見せた。その後自分の部屋の前に来たものの鍵が無い。隣の部屋にアジア系の男女数人が入っていった。鍵を探していると、若い女性が中国語で話しかけて来た。「掃除の時に使う、こういう物がどこにあるのか知っていますか?」と箒ではく動作をしたので、箒を探していることは分かったが、私は到着したばかりで何も分からない。しかしどういうわけか、すぐ近くに箒が置いてあるところがあり、事なきをえた。鍵はその後、荷物をひっくり返して探した末、ようやく買い物袋のような袋に紐で結んであったのを発見した。
 中国に留学する夢を今までも数回観ているが、内容はすべて異なっている。しかしそれは決まって第一日目のことである。そういえば、母親が使っていた買い物袋に鍵が白い紐で結んであったことを今、思い出した。

レモンバーベナの挿し木を試す

2018-09-30 10:17:33 | 
 数年前に買ったレモンバーベナの苗が大きく成長したので(写真ご参照)、挿し木を試してみることにした。3週間くらい前に植木鉢に挿してみたのだが、数日で1本を残して葉が全部落ちた。その残った1本は、茎がまだ緑色で木質化していないものだった。
 今朝、何気なく植木鉢をのぞいてみると、なんと「枯れた」と思っていた茎から、小さな葉が出ているではないか!感動した。私は、それら葉のない茎達をとっくに諦めていた。意識にも入っていなかった。水を与える時にも葉のある1本だけを目掛けていた。勝手に「枯れた」と思い込んでいたことを恥じ、彼らに謝りたい気持ちになった。植物を、見た目や人の思惑で判断してはならないことを学んだ。






庭を掘ると

2018-09-22 09:05:38 | 
 山で捕まえたミミズを庭の一角で放し飼い?にしている。裏山から飛んで来た落ち葉や、抜いた草などを山積みにしている処に放している。もちろんこれは来るべき渓流釣りに備えているのである。先日、そこに生ごみを埋めようとして掘ると、大きな幼虫がいた。調べてみると、特徴からカブトムシの幼虫だということが分かった。
 小学生のときにカブトムシの幼虫を数匹捕まえたことがある。バケツの様な簡易な物に入れて、外に置いておいたら、大雨が降ったときに水が入って、1匹を残して全滅してしまった。生き延びた1匹は生命力が強かったのだろう、やがて蛹になった。あの白くて柔らかい幼虫が、キャラメル色をした成虫の形になった。オスの特徴である長い角が丸く包まれている。蛹を観たときとても嬉しかったことを、今これを書きながら思い出した。もちろん、羽にまだ色の付いていない白いカブトムシが出て来たときも感動したのだが、インパクトは蛹の方が強かった。
 裏に山があるとはいえ、庭にカブトムシがやって来るとは思ってもみなかった。おかげで、子供の頃と同じときめきがまだ残っていることがわかった。