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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

楼蘭の沙

2014-08-14 15:32:43 | 中国

 片づけをしていたら、以前頂いた「楼蘭の沙(土)」が出て来た。

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 楼蘭はかつてタクラマカン沙漠に存在した国家である。王国として繁栄し、人々はロプノールの湖畔で豊かな生活をしていたのかも知れない。

 今では、湖も人も沙に飲まれて、音も無くただ風が吹いているだけだ。

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 説明書きには「楼蘭城壁の土」と書いてある。触ってみると、沙が崩れて、指が黄色になった。大小様々な形があり、貝の破片のようなものもある。

 築かれた城も、築いた人も、貴賤も皆一色に沙となっている。

 

   この国が滅びて数千年後、沙にならないものが残るだろう。

 この「楼蘭の沙」のように、等しく潔くはないものが・・・


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1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑨

2013-05-30 15:21:55 | 中国

 Lちゃんとの1ヶ月におよぶ旅は、「麗江」を最終地として帰路についた。本当は西蔵(チベット)にも行きたかったが、装備が足りず、諦めることにした(二人共冬用のジャケットは無く、私はサンダルで旅をしていた)。

 「上海→厦門」の汽車は、れいによって寝台は取れず、覚悟して「硬座(座席)」に乗った。始めは柔らかく感じる椅子も、数時間も座り続ければ「石」と化し、尻が痛くてとても眠れない。車両は人と物で混雑し、通路にも人が座り(寝て)、トイレの往復も大変だ。トイレと言えば、Lちゃんはこの汽車に乗っている30数時間、一度もトイレに行かなかったのだ。本人は「鉄の膀胱だ!」と豪語していたが、尻は痛かったらしく、背もたれに腰掛けて足をブラブラさせていた。

 私たちの旅は、知的好奇心を満たす為ではなく、もっと原始的な欲求・・・「ただ楽しみたい」「どこまで行けるか、試してみよう」という稚拙なものだった。稚拙ではあるが、無邪気で純粋なものだった。無知であるが故に、期待が有り、出会うもの全てを刺激的に受け止めた。

 あれから26年、中国について多少の知識と経験を得た。しかしそれはとってもチッポケなものであり、本当は何も解ってはいない。今後、再び中国を旅することがあるのなら、先入観を削ぎ落とし、虚心に「中国」と向き合おうと思う。そうしなければ、日本から来た礼儀知らずの若僧を、受け入れてくれたその「懐(ふところ)」を感じることはできないだろう。

 

 さて、汽車が厦門に到着する数時間前に、「潮」の匂いがして来た。車窓に「海」が映らなくとも、私たちは故郷に帰って来たことを知った。ー完ー

 

 先日、Lちゃんが土産に納豆を持ってきてくれた(私の納豆好きを知っているので)。筑波山を6時間歩いて帰宅した後に、自転車で届けてくれた。タフな男である。『今は、あの頃よりも若い(BOB DYLANの「My Back Pages」にそんなような歌詞がある)』。

 話がそれた。それは「だるま納豆」といい、小粒で粘り気がある。

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 昔ながらの藁に包まれていて、試しにそのまま(かき回さずに)食べてみると、豆の味が良くして、美味しかった。

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1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑧

2013-05-02 14:27:04 | 中国

 最近テレビで「麗江(雲南省)」を観たら、すっかり様子が変わっていたので驚いた。世界遺産に認定され、観光客も増えて、「観光地」になっていた。

 私たちが1987年に訪ねた麗江は、静かで家並みの美しい町だった。名所だという公園にもほとんど人がいなかった。

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民家の裏道で、振り向きざまのLちゃん

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日本から来た若造の向こうには、屋根が整然と並んでいる。

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 余談だが、私はこの旅行中、バーボンを持ち歩き、夜に一杯ひっかけていた。長距離バスの一番後ろの席に坐っていた時に、バスが大きく跳ね、その拍子にボトルがリュックから飛び出した。ボトルは座席の中央にある通路をゴロンゴロンと転がっていったという(Lちゃん談)・・・日本では起こりようのない面白い出来事である。キチンと舗装されていない道、サスペンションの硬いバス、荒っぽい運転手、どれも不可欠だが、何よりもそれを楽しもうとする私たちの気持ちがあったからそれが起こったのだ。

 さて、再び話を麗江の田舎道に戻す。「馬を散歩させる」ということがあるのかどうか知らないが、現に馬を連れている人に会った。白い髭をたくわえ、杖を持った風貌は仙人か、道士のようだった。二言、三言話しただろうが憶えていない。このお爺さんともっと色々と話がしたかった、と思うのは今だからである。

 馬のツヤが良く、光っていた。何故か子馬が私になついた。

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(続く)


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1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑦

2013-04-11 20:28:09 | 中国

 「成都」と言えば四川省。四川省と言えばパンダである(麻婆豆腐・杜甫・劉備といっても良いが)。 とにかく動物園ではパンダがのびていた。

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 成都から汽車で雲南省の「昆明」に行った。昆明では、ドミトリー(多人数部屋)に泊まったのだが、私はひどい下痢になり、一晩中(部屋の外にある)トイレを往復していた(同じ物を食べているLちゃんは何故か平気だった)。「大理」の後に訪ねた「麗江」では、ひどい嘔吐になり、翌日のバスに乗れる状態ではなく(チケットを無駄にしたが)、一日休まざるを得なかった。食堂で食べた「トマトと卵のスープ」が悪かったのだ。Lちゃんに「何で平気なんだ?」と訊いたら、「危なそーな味がしたから俺は食べなかったんだ」と。「何で言ってくれなかったんだよ~?」と問うと、「マキがあんまりウマそうに食べていたから~」とのこと。

 私がヘばっている時に、Lちゃんは一人で散歩に行って、「水牛の角」がリヤカーに沢山積まれているのを観たという。残念!是非土産に欲しかったのだが・・・

 写真は、「麗江」の道端で。水牛と。

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 次の写真はどこで撮ったのか思い出せない。この後「ヤシの実」をナイフで剥いたのだが、中の繊維が硬くて苦労したことは憶えている。

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 「大理」の町をぶらぶら歩くLちゃん。

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(つづく)


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1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑥

2013-02-21 15:15:32 | 中国

 青海湖から西寧に戻った私たちは、次なる目的地「成都」へ汽車で向かった。この「成都」で事件?は起こった。二人で公共バスに乗っていると、何故かバスは停留所では無い所で停車した。人が乗り込んできて、バスの運転手と何か話し、次にLちゃんが「ちょっと来なさい」という感じで、呼ばれた。Lちゃんは「オレかよ?」と言っていたが、仕方なく「行ってくらあ」とバスを降りた。私も一緒に降りると、そこには警察の関連施設があり、中に通された。Lちゃんはスリに間違えられたのである。彼が身分証を提示すると(日本人だということが分かり)、「帰って良い」と言われた。怒りの収まらないLちゃんは、彼らの非礼を指摘し、ひと悶着あったのだが、最終的には所長(?エライ人)が出てきて一応収まった。

 さて、我々は郊外の「楽山」に大仏を観に行った。山に直接彫られたそれは、繊細さには欠けるが、あまりにも大きかった。写真は大仏の左足。足の上に大勢載っている。大仏の全貌を観るには、前を流れる川に舟を浮かべるらしい。

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 その後我々は三大霊山の一つである「峨眉山」に行くために、中国人と同じバスに乗った。峨眉山の中腹あたり?に到着し、中国人の旅客と一緒に宿(招待所という)に入ると、我々を泊まらせることはできないという。なぜならそこは、未開放地区(外国人は入ってはいけない場所)だったのである。外国人はツアーで来て、開放されている地区の、外国人用のホテルに泊まるのが普通である。宿の責任者は困っていたが、こちらも他に泊まる所もないので、何とか泊まらせて貰えるよう頼んだ。結局、泊めてはくれたが、外には一歩も出ないようにとのこと(いわば軟禁されたのである)。そう言われても、部屋に居ても面白くはないのだからと、近所を散歩した。そこには清流があり、子供たちが泳いでいた。今、あらためて写真を観てみると、ヤマメやイワナのような魚がいてもおかしくない渓相だ(次回は是非「竿」を持参して来たいものだ)。

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長距離バスの駐車場でポーズを取るLちゃん

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(つづく)


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