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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑩

2016-07-29 19:36:36 | 中国
 片付けをしていたら「1987 旅の手帳」なるものが出て来た。友人のLちゃんとシルクロードや雲南省を旅行した時に付けていた日記である(こんなものがあったのは驚きだ!)。20歳の若造が思ったことなどたかが知れているが、宿代などは当時の物価を知る上でも意味があるかと思い紹介する。
 
〈1987年当時 1元は40円弱くらいのレート〉
 宿の料金は1部屋の料金なのか1人の料金なのかがあいまい。
 
5月19日 「柳園」駅近くの招待所 一泊 4元 
     「敦煌」行きのバス (所要時間約3時間) 1元(こんなに安いか?書き間違え?)
     「敦煌賓館」2人部屋(留学生料金) 49元(一般の人は 79元)
5月22日 「嘉峪関」宿 10元
      夕食 一人 5元(「高い」と憤慨している) 
5月25日 「西寧賓館」一人 13.2元(シャワーは共同)
5月29日  成都「教育学院」 22.5元(シャワー付き) 
     「楽山」→「峨眉山」バス 16元
5月30日  峨眉山の中国人専用招待所に軟禁(非開放地区に入ってしまったから)? 10元(「監視付き、アホか」と憤慨)
6月4日  「昆明賓館」(留学生料金) 45元(一般の人は 75元)
     バーボン「Four Roses」 39元(それまでは「ジョニ赤」を飲んでいた)
6月6日 「大理」宿 5元
    「大理」→「麗江」バス 7.5元
6月7日 「麗江賓館」 23元
6月8日  昼食 (青椒肉片・麻辣豆腐・面湯・ご飯) 3.2元(「安い」)
6月9日 「下関賓館」19.5元

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厦門の闇両替人

2015-09-25 12:45:30 | 中国

 厦門大学に語学留学した(1985~1987年)頃、中国には人民元の他に兌換券(だかんけん)という通貨があった。外国人が空港や銀行で両替すると、最初に手にするのが兌換券である。

兌換券があると、中国人でも友諠商店など外国人向けの店で買い物ができたので、兌換券の価値が上がり、人民元との間で闇両替が行われていた。記憶があいまいだが、当時は兌換券1元に対して人民元1.4~1.7元位の相場ではなかったか。

 中国政府も黙認していたのか、厦門ではメインストリートの中山路と思明路が交わる十字路に、いつでも闇の両替人が立ち、我々外国人に近づいて来ては声を掛ける。

「有没有外汇?(兌換券もってない?)」

「要换钱吗?(両替しない?)」

「港币,有没有?(香港ドル持ってない?)」

 ギターの師であり、友人のGちゃんは、一緒にいた2年間で一度も闇両替をしたのを見たことがない。元来、金にはこだわらない性格ではあるが、他にも何か自分の哲学があったのだろうか。

 当時の中国では、不慣れな外国人が買い物をして、ぼられることが良くあった。1本2角程度のサトウキビを10元(50倍~)で買わされた旅行者もいた。Gちゃんは、中国人のような中国語を使うからそんなこともない。ある日穴の開いたジーンズを穿いて(本人はカッコがいいと思って?)自由市場に行き、買い物をしようとしたら、

「お前、ズボンも買うお金がないのか」と同情され、まけてもらったという話がある。

 ところで、兌換券はその後廃止されたが、あの闇両替人たちは、何処かでたくましく生きていることだろう。うるさく付きまとう彼らであったが、厦門を振り返るとき、懐かしい風景の一つとして思い出すのである。


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25年前の北京の桜は 今年も咲いているだろう

2015-04-17 17:56:15 | 中国
 1990~92年に北京体育学院(現大学)に留学した。前回(1985~87年)厦門に語学留学していた私は、北京に来た当初、なんて色のない所(都市)なんだろうと思った。厦門には青い海と緑の山、そしてオレンジ色(洋館の屋根)があったが、北京の冬はその気候もあって鉛のような灰色だった。
 そんな北京でも春になると桜が咲いた。「玉渊潭公園」の桜である。中国人の女性が連れて行ってくれた(紫竹院公園、円明園なども彼女と行った)。このことは当時誰にも言わなかったので、誰も知らなかったはずだ。あの日、桜の木の下で何の話をしたのだろうか・・・思い出せない。
 いつだったか、彼女の自転車の後ろに乗ったときに、サラッと長い髪が流れてきて、それが心地よかったことを今、思い出した。あのまま自転車に乗り続けていたらどうなっていただろう・・・25年も前の春のことである。

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欲窮千里目 更上一層楼

2014-08-28 14:48:14 | 中国

 留学する前に通っていた中国語学校の、院長から頂いた氏の著作と唐詩のサイン。


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「千里の目(ながめ)を窮(きわ)めんと欲し、更に上る一層の楼」・・・遠くを眺めようとして 更に上に登る。

 当時は仕事に追われて漢詩を味わう余裕がなかったが、今はココロが動かされる。高い処へ登るのは、あくまでも「自分」である。自分の夢や希望を叶えるのに、他人や道具に頼ることの多い昨今、エレベーターではなく「自分の足」で登ろうとする。

 下のような詩があったとしても面白くないのは、「自分の力」で何かをしようとするのではなく、安易に「他の力」に頼っているからである。

 欲治於百病  更找一名医・・・諸々の病を治そうとして 更に医者をさがす

 欲至於仙境  更上一輌車・・・ユートピアに行きたくて 更に車に乗る

 

 まだこの方がいいだろうか?

欲知尽寿命  更飲一杯酒・・・寿命の尽きしことを知りたくて 更に飲む一杯の酒

 これではどうだろう?

既知尽寿命  更写一篇詩・・・既に寿命の尽きることを知り 更に書く一篇の詩


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「百子全書」

2014-08-22 10:17:02 | 中国

 北京体育学院(現大学)では、太極拳だけでなく「古代漢語」をマンツーマンで習った。女性のX老師は、無知な私に対して、やさしく、丁寧に教えてくれた。お陰で私は、古典だけでなく、中国古代思想(老子・荘子・孔子)にも興味を持つことになったのである。X老師がいなければ、私の視野はもっと狭いものになっていただろう。

 当時(1992年頃)、北京の「和平門」近くにある「瑠璃廠」で購入した「百子全書(全8巻…諸子百家の書)」。

20140821_2

ほとんど読まない(難しくて読めない)まま、引越先を転々として、今に至っている。先日、片づけをして、段ボール箱5箱分の本を売りに出し、売れない本は処分したのだが、その時にこの「百子全書」をあやうく処分しそうになり、自らの行動を反省した。

 本に風を通した後、ぱらぱらページをめくっていると、下のような文章が目についた。

20140821_1

人之爲德,其猶虚器歟。器虚則物注。滿則止焉。故君子常虚其心志。恭其容貌。不以逸群之才。加乎衆人之上。視彼猶賢。自視猶不足也。故人願告之而不倦。易曰。君子以虚受人。


(下は勝手な訳・・・全く自信なし。X老師に添削してもらいたい)

人が徳を為すというのは、空の器になるようなものではないか。器を空っぽにすれば物を注ぐことができるが、満ちてしまえば止まるだけである。故に君子は常にその心を空っぽにして、容貌も恭しくしておくのである。優れた才能を持って人の上に立つことなく、人から賢く見られても、自分では満足しない。故に(こういう人柄であるから)人々は、お願い事をひっきりなしに持ってくるのである。「易」に「君子は虚を以って人を受け入れる」とある。


たった2行であるが、何とも深いことが書かれているではないか。「百子全書」を一生懸命読むのは大変だが、たまには「ぱらぱら」しよう。


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